老い・死・障害の先に、なぜ社会福祉を学ぶのか?
社会福祉の歴史編は、これまでコテンラジオで扱ってきた「老いと死」「障害」の歴史に続くシリーズです。楊さんによると、もともとの構想は、今の社会とこれからの社会を考えるために現状とその歴史を整理することでした。
楊さんは、その整理の中で社会がどう扱うべきかを突き詰めると、社会福祉というテーマに行き着いたと説明しています。老い・死・障害を扱ってきた流れの締めくくりのような位置づけです。
テーマ発表のあと、樋口さんから報告がありました。樋口さんに第2子となる男の子が生まれ、その子がダウン症だったというものです。
21トリソミーっていうダウン症の中の(1つの)障害を持ってもらったんですけど、いやなんかこれがまたすごく感慨深くて。障害の歴史を録ってる時ってまだそれ知らないんですよ。
樋口さんは、障害の歴史を収録していたときは、まさか自分の子どもが話題の当事者になるとは思っていなかったといいます。そのうえで、自分はこの出来事をとてもポジティブに捉えていると強調しました。
僕、そういう方々のことを全く否定はできない、否定するつもりすらないですけど、僕はとりあえず今のところ障害の歴史まで全部聞いて、で、生まれたっていうところで、とてもポジティブに捉えてるんですよ。
なんかこれも運命というか、僕の選ぶ道が提示されたなって思っていて。
樋口さんは、同じ境遇で受け入れがたいと感じている人がいることにも触れ、その人たちを否定するつもりはないと述べています。毎日「明日から何をすべきか」を考える中で社会福祉の歴史を聞くことを、樋口さんは「すごいドキュメンタリー」だと表現しました。
楊さんは、独身で健康に働いている自分のような人は社会福祉を我が事と捉えにくいと話します。そのうえで、社会福祉の射程はどんな境遇の人にも関係があり、それをシリーズを通して共有したいと語りました。
社会福祉は「最近の発明」だった
楊さんはまず、社会福祉とは何かという問いを立てます。多くの人が思い浮かべるのは、障害者・高齢者・子どもへの福祉サービスかもしれません。
一方で、健常者にも関わる社会保険、年金、雇用支援、失業保険も社会福祉に含まれます。樋口さんはこれを、ライフステージの中で起きるリスクへの対策だと言い換えました。
楊さんによれば、社会福祉は行政や企業が提供するサービスだけではありません。人々同士の助け合い、たとえば隣に住む高齢者を気にかけたり、買い物を手伝ったりすることも、広い意味での社会福祉に入ります。
学術的には、社会福祉は「社会全員の幸福な状態」を指し、それは現実にはまだ実現していない、目標や理想として追求すべきものとされることが多いといいます。もう1つの意味は、その状態を作り出すための制度や政策や実践です。
樋口さんは、社会福祉の定義に「まだ実現していない」という意味が含まれている点を面白がりました。楊さんも、社会全員の幸福を目指して頑張るための言葉なのだと受けています。
楊さんが挙げた1つ目の発見は、今の人が思い描く制度としての社会福祉が、第二次世界大戦以後に社会実装された比較的新しいものだという点です。楊さんは、人類史の中で本当に機能しているのは50年から70年ぐらいの間だと述べています。
社会福祉制度がこの時期に広がった理由について、楊さんは2回の世界大戦を挙げています。その流れは次のように整理できます。
世界大戦
2度の大戦が社会に大きな被害をもたらす
戦後の困窮
不景気で大量の失業者が出て、障害を負った帰還兵や夫・息子を失った女性が残される
責任の所在
戦争をした主体は国家だ、という話になる
国家の介入
国家が主体的に援助するインセンティブとモチベーションが生まれる
樋口さんは、国がしでかしたことだから国が責任を持つという感覚もあるのだろうと受け止めました。
社会福祉は弱者のためのものではない?
楊さんが挙げたもう1つの発見は、社会の構成員の相互扶助は、もともと弱者のためのものではないという点です。これは近代や現代に限った話ではないといいます。
楊さんは、生活保護を自己責任でありお荷物だと言う人の感覚には、「弱者のために国が福祉をしている」という前提があると指摘します。けれども、歴史を見るとそうではないというのが楊さんの見立てです。
樋口さんは、障害の歴史編の最後で深井さんが話していた「障害者への分配を、救うではなく投資と捉えると社会が変わる」という考えに近いのかと尋ねました。楊さんは、それも含まれると答えています。
楊さんは、社会の中で強者がお恵みとして弱者を救っているわけではないと続けます。前近代にも社会福祉はありましたが、その動機は時代によって違いました。
たとえば封建社会の王や上層部は、自分が治める領域を安定させるため、あるいは名声や評価、宗教的な救いのために施しを行っていました。楊さんは、同じ弱者救済の行為に見えても、スタート地点が時代によって異なると説明しています。
シリーズの中心は近代の社会福祉です。社会福祉の担い手には地域コミュニティ、企業、宗教団体、NPOなどもありますが、今回は国家が担い手となってリソースを投入していく社会福祉制度を中心に扱うと楊さんは述べました。
近代社会の「自立した個人」にひそむ限界
楊さんは、近代社会を封建社会が解体した後に現れる社会だと説明します。社会の「アプリケーション」としては、資本主義と民主主義が実装されていると一般に言われています。
近代社会は独立した個人が基礎になっており、個人が自助努力で幸福を追求することが大前提です。それにもかかわらず、国や企業が個人の幸福に介入する社会福祉があるのはなぜか、と楊さんは問いかけます。
楊さんの答えは、人間は常に自立した状態でいることはできないというものです。老い、死、障害、貧困、失業、病気に加え、赤ちゃんのように完全に外部へ依存する時期もあります。
楊さんは現代の例として、スマホをなくすと何もできなくなることを挙げました。いつも使っているデバイスを失うだけで、健常者でもたちまち日常生活に不利益が生じるという指摘です。
さらに楊さんは、自立から外れるリスクには「ガチャ」の要素もあると話します。親ガチャのような運、出身階層、出身地、努力や能力の差によって、人は自立から外れてしまうことがあります。
楊さんは、自立した人間が自由に幸福を追求するのが近代社会の基本だからこそ、それができない場合に社会福祉が必要になると整理しました。ジェンダー論もこうした話の中で触れていく予定だといいます。
人はなぜ人を救うのか。群れで生きる生き物の答え
楊さんは次に、なぜ人間社会は貧しい者が飢えたり、弱者が押しのけられたりすることを許さないのかという問いに入ります。利他主義、宗教心、共感が関わっているのは間違いないとしたうえで、歴史的な特徴を挙げています。
楊さんが挙げた特徴は、社会集団を維持することが、集団を支配するエリートにとってメリットがあるという点です。
すげえざっくりに言うと、偉い人も民衆がいないと成り立たないんです。
樋口さんはこれを、社長が1人いても社員が0人なら事業は何も進まない、というたとえで受け止めました。
楊さんは、人間が群れで生きるように進化してきた社会性生物であり、社会性のある哺乳類には互いに助け合う性質が一般的に見られるらしいと説明します。社会が複雑化して上下関係ができても、上の人が下の人を切り捨て続ければ最後は自分1人になり、社会が成り立たなくなります。
楊さんは、障害の歴史で話したように弱者を殺したり切り捨てたりする挙動もあったと認めます。ただ、社会の複雑な網目のような関係性の「てっぺん」に統治者やエリートがいる以上、その関係性がなくなれば統治者も存在できないというのが楊さんの見解です。
具体例として楊さんが挙げたのが、紀元前7世紀ごろの斉 ── 中国の春秋時代に、現在の山東省あたりにあった国。春秋時代の有力な諸侯国の1つとして知られますの宰相・管仲 ── 春秋時代の斉の宰相。斉の桓公を補佐して国力を高めた政治家として知られ、その思想は『管子』に伝えられていますです。管仲は「四順」という考え方を残しており、統治者は民衆の気持ちを察し、あらかじめ民衆のために取り計らうのが政治の要諦だとしました。
四順には、民は苦労を嫌うから君主は苦労を取り除く方法を考えよ、民は貧乏を嫌うから生活を豊かにせよ、といった内容が含まれます。楊さんは、民を幸せにするのはあくまで手段で、目的は支配者のもとに民衆を引きつけることだと説明しました。
ちなみに楊さんによると、この部分の台本には、深井さんのコメントとして「個人的に嫌い」と書かれていたそうです。中国を持ち上げるネタとして楊さんが書いたところ、深井さんに「これ嫌いやわ」と言われたという裏話も明かされました。
楊さんは、似た動きが古代ギリシャ・ローマや中世ヨーロッパにもあると続けます。古代ローマでは有力者がお金を出して記念碑や公共施設、娯楽施設を整え、自分の支持を広げました。
中世ヨーロッパのキリスト教のチャリティーについて、楊さんは、施しは自分が救われるための行為であり、かえって物乞いを増やしたという話があると紹介しています。物乞いという社会課題を解決するための動きではなく、結果的に一部が解決されたに過ぎないという見方です。
この見方に対しては、動機の評価は難しいという声も出ました。現代のソーシャルベンチャーでも、本当に人を救いたい人と、それで売上が上がると見て追随した人が混在しており、しかも本音は語られないため、分析の仕方次第で見え方が変わるという指摘です。
楊さんもこれに同意し、信念の問題、行為の問題、それによって起こる社会現象の問題はそれぞれ水準が違うと整理しました。お金持ちや教会が信心や習慣で寄付をしていても、そのお金で解決できていることがあるのは事実だといいます。
前近代と近代を分ける「人権」というOS
楊さんは、社会の構成員の誰にとっても最も避けるべき事態は、社会の不安定化だと話します。弱者が増えると治安が悪化し、不平等が身分として固定化すれば、暴力で何とかしようとする人が出てくるのは当然の帰結だという指摘です。
内戦や革命につながりかねない社会の分断は、誰にとってもメリットがありません。そのため前近代でも、弱者を支援して社会を安定させることは十分なインセンティブになっていたと楊さんは説明します。
ただし楊さんは、近代との一番の違いは、前近代では民衆が救われるべきだということが当然ではなかった点にあると述べます。救うかどうかは支配者側の気持ち次第でした。
社会の安定が為政者の利益になるから救う。救うかどうかは支配者の気持ち、さじ加減次第
人権という「OS」が走っており、建前上は人間はみな救われなければならない。民衆も人権を根拠に声を上げられる
楊さんは、近代では少なくとも建前上、人間はみな救われるべきだという考えが共有されていると話します。根底のロジックが人権ベースなのか統治者の気分ベースなのかという点で、前近代と近代はまったく違うという整理です。
福祉のパイオニア・イギリスと、ギルドは軽音楽部の部費?
ここから話は近代の福祉へ移り、楊さんはイギリスを中心に取り上げると説明します。イギリスは産業革命や近代化が最初に起きた国で、ほかの国のモデルケースになる実験的な試みが多く起きたため、社会福祉のパイオニアといえる位置づけだといいます。
楊さんはまず、近代以前の封建時代のイギリスにあった福祉を3つ紹介しています。農村の相互扶助、都市のギルド、キリスト教会による救済です。
| 場 | 担い手 | 内容 |
|---|---|---|
| 農村 | 農奴同士・領主 | 農奴の連帯意識に基づく助け合い。領主も戦争・流行り病・不作で社会が不安定になるときに施しや保護を行う |
| 都市 | ギルド | 職業別の組合として業務や技術を独占し、病気見舞い金や葬式代を出す |
| 教会 | 王・貴族・修道院 | カトリックの理念にかなう大規模な慈善活動。救われる側の課題解決より、施す側の神への義務とされた |
楊さんは、国が社会福祉を始める前は担い手がさまざまで、基本は身内の相互扶助だったと説明します。国家という超強い存在が何とかするのではなく、身内で助け合って生きていたというイメージです。
樋口さんはこれを、サークルの部費のような感覚ではないかとたとえました。
例えばじゃあ軽音楽部でいうと、ドラム壊れたらドラマーが出さないといけないのおかしい。ギターアンプ壊れたらギタリストが出さないといけないのおかしいから、部費っていう形で全員から集めといて、ドラム壊れたらそれを使うみたいな。
楊さんも、町内会費を集めて冠婚葬祭に出す仕組みや、会社でお茶菓子代を集めて子どもが生まれたときにお祝いを出す習慣に近いと応じました。そうした仕組みの延長で、もっと重大な事態にも対応していたという説明です。
「誰が仲間か」という線引きは避けられない
ここで楊さんは、この回で最も大事かもしれない論点を示します。
楊さんによれば、所属している組織の人は同じメンバーだから助けますが、組織の外の人から助けを求められたらどうするのかという問題が出てきます。誰を仲間と認めるかは、今に続く人類の認知特性として表れているといいます。
楊さんは、老いでも死でも障害でも、どこで線を引いて「私たち」と「私たち以外」を分けるかが問題だったと振り返ります。社会福祉でも、誰に社会のリソースを配分し、判断基準をどうするのかという「ちょっとエグい話」になると話しました。
関連して楊さんは、株式会社COTENで進めている「善の研究」を紹介します。社会や文化、哲学や思想で何が「良い」とされているかを集めて並べ、人間がどういうものを良いと考えているのかを見ようとする試みです。
その研究でも同じ見解が出ていると楊さんはいいます。多くの社会で「善」とは「我々が誰かを脅かさないこと」であり、さらに多くの文化では「我々が我々を脅かさないこと」になっているそうです。
楊さんは、古代ギリシャのポリスでは参政権のある人が、参政権のある人の投票権を奪わないことが善だったと例を挙げます。「我々」をポリスの仲間と見るのか、氏族や血縁と見るのか、自然全体と見るのかで、善のバリエーションが生まれるといいます。
樋口さんが「無益な殺生をしたくないから蚊も殺さない」と冗談めかすと、楊さんはジャイナ教 ── 古代インドで生まれた宗教。生き物を傷つけない「不殺生」を徹底することで知られ、虫を殺さないよう配慮する修行者もいますはそのような感覚だと応じました。宇宙や自然界全体を仲間と見れば、それを傷つけることも「我々が我々を脅かす」ことに入るという説明です。
楊さんは、素晴らしい理念でも奴隷や異民族、移民には適用されないことがあると指摘し、人間が誰を仲間と見なすかは社会を見るときの大事な視点であり、ブラインドスポットだと話しました。これがシリーズで伝えたいことのメインかもしれないとも述べています。
樋口さんは、仲間を救うために仲間以外から搾取することもあり得るため、線引きをしないほうがいいとも言い切れないのではないかと投げかけました。
線引きしないっていうことは多分できないです。それは多分僕たちがその社会性動物だから、僕たちのそのホモサピエンスの習性としてやっちゃう。
封建社会の危機と、物乞いへの厳罰
話は封建社会の崩壊へ進みます。楊さんによると、ヨーロッパでは14〜15世紀に「封建社会の危機」と呼ばれる変動期が訪れ、ペスト、穀物市場の縮小、領主の収入減、農民や市民の反乱などが起きました。
こうした社会不安で既存の相互扶助の仕組みが揺らぎ、物乞いや浮浪者、貧民が増えていきます。楊さんはさらに、その背景として次のような原因を挙げています。
囲い込み
農業から羊毛生産へ産業構造が移り、農地が牧草地に転用されて農民が失業する
修道院の解体
宗教改革で修道院が解体され、保護されていた貧民が放り出される
ギルドの崩壊
自由市場経済と衝突するギルドが邪魔とされ、崩れていく
社会問題化
土地に紐付けられた人々が投げ出され、治安が悪化する
この社会問題に対して登場したプレイヤーが国家でした。楊さんは、社会問題が大きくなり国家が看過できなくなったと説明します。
1349年、イングランドのエドワード3世が労働者勅令を公布しました。楊さんの説明では、賃金や労働時間を治安判事 ── イングランドで地域の治安維持や軽い犯罪の裁判、行政の一部を担った役職。地元の有力者が任命されることが多かったとされますに定めさせ、物乞いや浮浪を禁じ、違反者を厳しく処罰する内容です。
楊さんは、この段階ではまだ今イメージするような弱者のための社会福祉ではなく、貧民を社会問題として排除し、締めつける発想だったと指摘します。政策はどんどん厳しくなりましたが効果は出ず、浮浪者の増加は深刻化していきました。
厳罰の例として楊さんが挙げたのが、物乞いを働ける者と働けない者に分ける扱いです。働けない者には物乞いの許可を与える一方、働けるのに物乞いをする者は鞭打ちの刑に、繰り返した者は耳を削ぐといった厳罰で臨んでいたといいます。
スタジオでは、Amazonの欲しいものリストを公開しているから危ない、という冗談も飛び出し、「現代でよかった」と笑いが起きていました。
宗教改革が生んだ「貧困は自己責任」という考え
楊さんは、こうした苛烈な対応の背景に宗教改革による人間観の変化があるという指摘を紹介します。貧しい人を救う救貧事業がカトリックの価値観から切り離され、貧困は本人が怠けているから、道徳がないからだと、個人に付随する問題として認識されるようになりました。
楊さんは、これが現代でよく言われる自己責任論につながると説明します。キリスト教内部の価値観の変化で働くことが美徳になり、働かない者は信心がない悪い者であり、助けるのはよくないという話になっていったといいます。
樋口さんは、宗教が当たり前だった世界でも資本主義社会で勝ち抜くために、働くことを良しとするロジックを宗教の中で作ったのではないかと記憶をたどりました。楊さんはそれをウェーバー ── ドイツの社会学者マックス・ヴェーバー。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、宗教倫理が資本主義の発展に与えた影響を論じましたの有名な議論だと受けています。
実際それで競争力っていうのは高まったわけですよね。資本主義社会に、宗教のエンジンを搭載したまま資本主義社会で戦えるようになってったっていうのがあると思うんですけど、逆の影を生んじゃったっていうイメージかなと思ったんですけど。
楊さんは、自分自身は頑張ったほうがいいと考えていて、人には強いないが、自分の身に起きたことは自分の頑張りが足りないと捉えるほうだと語ります。そのうえで、貧困のような社会問題は、必ずしも個人の問題に帰結できないと続けました。
みんなが自分が失業したいから失業者になってるわけじゃないじゃないですか。やっぱこうなんか経済の変化の波とかあって。
当時はまだ、社会環境や経済環境といった外部要因と貧困をつなぐ理解が十分ではなかったと楊さんは説明します。資本主義の勃興で村落共同体やギルド、教会といった助け合いの組織が解体され、福祉を担う主体がいなくなった結果、残るのは国しかないという話になっていきました。
エリザベス救貧法と、産業革命がもたらした2つのもの
国家が福祉を担う流れで登場するのが、エリザベス1世の時代のエリザベス救貧法です。楊さんによると、トップダウンで福祉を行わなければならないと初めて定めた法律で、近代福祉国家の出発点とも言われています。
ただし、エリザベス救貧法もまだ優しいイメージの福祉ではなく、物乞いや貧民の増加による治安悪化を防ぐことが主眼でした。それまで各地の裁量に任されていた救貧行政を国家単位で行った点が特徴で、以後、救貧事業は中央集権化していきます。
楊さんが次に挙げるのは、社会福祉を「めちゃくちゃブーストさせる出来事」としての産業革命と資本主義です。産業革命と資本主義は、社会福祉に対して2つのものを同時にもたらしました。
初期の産業革命について、楊さんは「すげえ野蛮」だったと表現します。労働者は機械の付属物のように扱われ、女性や子どもも安い労働力としてこき使われていました。
こうしたリスクに対応して工場法ができ、子どもの労働時間を1日12時間に制限したり、深夜労働を徐々に廃止したりすることが定められていきます。けれども工場のオーナーは自分の工場を意のままにする権利があると信じていたため、法律を自発的に守ろうとはしませんでした。
楊さんは、法律を守らせるには公務員や行政組織が不可欠で、それが徐々に整備されることで国家が社会福祉に強く介入できるようになったと説明します。その結果、子どもや女性に関する法律の整備が進みました。
一方で成人男性は工場法の対象から外されていたようです。成人男性は自由な行為者だから労働時間を自分で決められる、長時間労働も自分で決めたのだろうという、自己責任の理屈が適用されていたといいます。
楊さんは、余剰の富が社会福祉の元手になったことも事実だと強調します。産業革命以後、西ヨーロッパや北アメリカでは多くの社会階層で生活水準が急激に向上しました。
楊さんは、産業革命や資本主義はネガティブに語られがちでも、それによる富の創出がなければ、福祉国家の基盤は作れなかった可能性があると述べています。
補足として楊さんはマルサスの罠 ── 経済学者マルサスの人口論に由来する考え方。生産が増えても人口がそれ以上に増えるため、1人当たりの豊かさは上がらないとするものですにも触れました。産業革命はこの罠を突破し、人類全体が貧困から抜け出すことを初めて実現した一方で、貧困や労働者の権利という新しい課題と、それを解決するためのリソースの両方を生み出したといいます。
専業主婦の誕生と、新救貧法が突きつけたコストの問題
楊さんはもう1つの補足として、産業化の中で専業主婦が誕生し、性別役割分業が生まれたことを挙げます。男性は工場で働き、女性は家の中で仕事をするという働き方が性別に紐付けられていきました。
仕事は主に農業か自営業で、男も女も一緒に働き、職場と住居が一体だった
男性は工場、女性は家の中で働き、職場と住居が分離して性別役割分業が生まれた
樋口さんは、昔は生きることと仕事が一体だったのが、生きるための仕事と生活に分けられていったという話を思い出し、それまで普通に家事をしていた人に「専業」という言葉が付いたのが面白いと話しました。楊さんは、これが今のジェンダーの議論につながっていくと述べています。
こうした変化の中、イギリスでは1834年に新救貧法が制定されます。貧民が大きく増え、社会の余剰の富が増えたとはいえ救貧にかかるコストが膨らんだことへの対応という側面もあったようです。
楊さんが挙げた新救貧法の特徴の1つは、救済を全国的により統一された方法で行うこと、つまりさらなる中央集権化です。樋口さんが「それまでは自治体レベルだった」と確認すると、楊さんはそこが強かったと答えました。
もう1つの特徴は、救済の対象を絞ったことです。以前の救貧法ではワークハウスでの強制労働に耐えかねて逃げ出した人も救済していましたが、新救貧法ではそれを廃止し、「働ける者は必ず働け」としました。救貧費用を抑える、いわばコストカットのためです。
楊さんは、この話を取り上げた理由を、社会福祉にはものすごくコストがかかるという今にも続く課題にあると説明します。高齢者の費用を削るのか、若者や子どもへの費用は少ないままでいいのか、という議論は現代にもあります。
新救貧法には「劣等処遇の原則」もありました。救済を受ける人の生活水準は、最も賃金の安い一般労働者の生活水準を上回ってはいけないというもので、樋口さんは今の生活保護の考え方にも影響しているのではないかと話しています。
楊さんによると、新救貧法は救貧コストの削減に一定の効果はあったものの、社会の貧困問題を根本的に解決することはできませんでした。
なるほど、リソース配分難しいよねとか、救うっていうことは救わない人を定義することだよなっていうこととか。
楊さんは、今日の社会福祉の論点になることの多くが、この時代にすでに出てきていると締めくくりました。収録は1時間を超え、樋口さんは「僕らの体力のリソース配分がうまくいってない」と笑いを誘っています。
まとめ
社会福祉の歴史編の第1回は、社会福祉を弱者へのお恵みではなく社会全体を安定させるための仕組みとして捉え直し、前近代の相互扶助からイギリスの救貧法、産業革命までをたどる回でした。その底には、誰を仲間と見なすかという線引きの問題が一貫して流れています。
- 社会福祉は相互扶助まで含む広い概念で、制度として機能しているのは第二次世界大戦以後の50〜70年ほどと話されています。
- 前近代の救済は為政者の利益やさじ加減によるもので、近代は人権を根拠に誰もが救われるべきだという建前がある点が大きく違います。
- 人間は仲間しか助けない社会性動物であり、「誰が仲間か」の線引きがこのシリーズの中心的な視点とされています。
- 宗教改革を背景に貧困を自己責任とする見方が生まれ、エドワード3世の勅令やエリザベス救貧法は排除と治安維持の色が強いものでした。
- 産業革命は新しいリスクと福祉の元手となる富の両方を生み、1834年の新救貧法は今にも続く社会福祉のコスト問題を浮かび上がらせました。




