救われるかは最初から決まっている?カルヴァンの救済観
宗教改革編の今回の主役は、フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンです。楊さんは、カルヴァンがルターとは違うことを言っていて、そこがとても重要だとして、まずカルヴァンの救済観から話を始めます。
ルターの段階でも、救済は人間がどうこうするより神が決めるものだとされていました。楊さんによれば、カルヴァンはこの考えを「ブーストさせた」ような立場です。
カルヴァンが言ったのは、良いことをしても功徳を積んでも地獄に落ちる可能性があるということでした。救済は神の予定として最初から完全に決まっているという考え方です。
(カルヴァンの場合は)もう完全に最初に決まってて。それは人間は影響を与えることもできない。もう世界はすべて神によって配置されていると。
さらにカルヴァンは、何を基準に選ばれるのかはわからず、自分が救われる側か地獄行きが決まった側かを見分ける方法もないと説きました。この話に樋口さんは率直に戸惑います。
これでも言われたら、もう生きてる間何すればいいかわかんなくない?というか、生きる意味がない。
楊さんは、わからないということ自体がカルヴァンの主張であり、それほど神が絶対的で、人間が神に対していかに矮小かという感覚があると説明します。
救済は神が決めるものだが、信仰を通して人間が影響できる余地がある
救済は最初から神の予定として決まっており、人間は影響を与えることも見分けることもできない
天職とは「今やっていることをちゃんとやる」こと
救われるかどうか見分ける方法はないとしながらも、カルヴァンは「選ばれるほどの人であれば、多分その人は敬虔な生活を送っているのだろう」とも言いました。では敬虔な生活とは何なのかが、次の論点になります。
カトリック教会では、修道会に所属して神を賛美するような暮らしが敬虔な生活とされていました。カルヴァンはそれを怠惰だと否定し、神がこの世で定めた職業生活に励むことこそが敬虔な生活だと考えます。
仕事、要は勤労ですよね。
深井さんは、救いがないように見えるこの教えが、実は信者たちのブーストになったと指摘します。人は普通、自分が救われていないとは思わないため、「救われている証として仕事を頑張ろう」と考えたというのです。
じゃあその救われてるっていう一つの証として、じゃあ自分は勤労、仕事を一生懸命頑張る。これが今救われてる状態の一つの証明なんだっていう風に一生懸命仕事しだしたんですよ。
予定説
救済は最初から決まっていて、人間には見分けられない
自己認識
信者は普通、自分は救われている側だと考える
証明としての勤労
救われている証として、与えられた仕事に励む
楊さんによれば、カルヴァンにとって今就いている仕事は神から命じられた天職です。何をすべきかわからなくても、今やっていることをちゃんとやることが、最もたしからしい敬虔な生活だという考え方でした。
仕事で報酬を得ることも、神が決めたことへの対価だからとても良いことだ、という考えにつながります。これまでのキリスト教では世俗のことはレベルが低いとされていたので、カルヴァンの教えは大きな転換でした。
ビジネスパーソンの地位はなぜ上がったのか
深井さんは、カルヴァンの影響の大きさを、結果的にビジネスパーソンの社会的地位をめちゃくちゃ上げた点に見ています。
キリスト教では、お金儲けをする人、特にお金を扱う金融業者はあまり良く思われていませんでした。卑しい人や賤民と呼ぶ聖職者もいたほどで、商工業者や金融業者は教会に気を使いながら商売をしなければならなかったといいます。
そこへカルヴァンの思想が現れ、彼らは「自分たちのビジネスは宗教的に正しいことだ」と言ってもらえたと解釈しました。深井さんは、そこで経済的なエネルギーが一気に爆発したのが、カルヴァンの世の中への影響だとまとめます。
お金儲けは卑しいとされ、宗教的な地位も低く、教会に気を使いながら商売をしていた
お金儲けの仕事も神が命じた天職であり、宗教的に正しいことだと受け止められた
カルヴァンが資本主義を作った?ウェーバー説の扱い
楊さんは、社会学の祖とされるマックス・ウェーバー ── ドイツの社会学者(1864〜1920年)。著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、宗教倫理と資本主義の関係を論じましたが、カルヴァンがいたことで資本主義が生まれたと論じたことを紹介します。
ただし楊さんは、このウェーバーの説は今はほとんどの人に否定されていると話します。一方で、社会学は物理学ではないので、どちらが正しいかは実は確かめようがないとも付け加えます。
そのうえで楊さんは、少なくともカルヴァンが職業観を変えたことは正しかっただろうと見ています。深井さんも、厳しい倫理観のもとで儲けたお金は尊いという感覚を商工業者に与えたことはあるだろうと話します。
ただし深井さんは、カルヴァン本人に商工業者を救おうという明確な意志があったかどうかは読み切れていないとしています。少なくとも受け取る側がそう受け取った傾向がある、という慎重な言い方です。
楊さんは、信仰を基にした社会であることは変わらないまま、商工業者のヒエラルキーが変わった点が大きいと強調します。樋口さんが「世俗での活動と信仰がリンクできた感じ」と言うと、深井さんは「橋をかけた」と言われていると応じます。
フランス人カルヴァンがスイスへ。ツヴィングリ後の空白と生い立ち
カルヴァンが主に影響を与えたのはスイスとフランスです。楊さんは、カルヴァンはフランス人なのにスイスに影響を与えた、という点から背景を説明します。
スイスはもともと宗教改革が先に進みがちな地域でした。カルヴァン以前に、ツヴィングリという人物がルターとも影響し合いながら、都市国家チューリヒで改革を進めていました。
ツヴィングリは、聖書に書いていない規則を守らないなど、カトリック権力に対抗し始めます。しかし比較的早い段階で戦死してしまい、スイスは改革のリーダー不在の状態になりました。楊さんは、そこに「バチーンとハマった」のがカルヴァンだと表現します。
カルヴァンは1509年、フランスのノワイヨンで生まれました。楊さんは、ルターの95か条 ── 1517年にルターが発表した『95か条の論題』。贖宥状(免罪符)の販売を批判し、宗教改革のきっかけになりましたが出たのはカルヴァンが8歳のころだと補足します。
父は教会関係の立場のある仕事をしていました。カルヴァンはフランスのオルレアンで法学を学び、ギリシャ語を数か月で習得するなど、熱心に勉強したといいます。
当時は、古典をきちんと読もうという人文主義 ── 中世の教会中心の解釈から離れ、古代ギリシャ・ローマの古典を原典から学び直そうとした思想運動。ルネサンス期のヨーロッパで広がりましたの潮流がありました。楊さんは、西ヨーロッパで失われ、イスラム世界で保存されていた古代ギリシャの哲学などを逆輸入していた時期だと説明します。
カルヴァンも人文主義の勉強に打ち込み、ルターを尊敬していたようです。そして20代前半で突然、カトリックの主張は違うのではないかと思い始め、人文学者から伝道者へと切り替わります。楊さんによれば、その理由ははっきりわかっていません。
父の破門は転機だったのか
カルヴァンが伝道者へ転じた理由について、深井さんは1つのエピソードを紹介します。ルターのような雷の体験ではなく、もっとリアルな出来事だといいます。
カルヴァンの父は教会の中でも立場のある職に就いていて、息子が将来聖職者として給料をもらえるルートも整えていました。ところがその父が、街の教会の人と悶着を起こして破門されてしまいます。
破門ですよ。もう結構レベルのやばいやつですよね。
破門された人は天国に行けないとされ、父が亡くなった際には埋葬でもひどく冷遇されたといいます。深井さんは、カルヴァンがこれを目の当たりにしたことが、カトリックへの反発のきっかけの1つになったのではないかと言われていると話します。
迫害を逃れてバーゼルへ、そしてジュネーブにスカウト
カルヴァンは、カトリックと違う考えを持っていることを口にし始めます。楊さんが言うように、当然それは危険人物と見なされることでした。
当時パリにいたカルヴァンは、スイスのバーゼルへ避難し、偽名で生活します。その間に有名な著作『キリスト教綱要 ── カルヴァンの主著。1536年に初版が出され、その後も改訂を重ねたプロテスタント神学の代表的な体系書です』などを書き、自分の考えを確立していきました。
深井さんは、避難の背景を補足します。フランスでは改革派が活発になり、カトリックのミサを批判するビラがばらまかれ、国王の寝室の扉にまで貼られました。これにフランス国王が激怒し、宗教改革者への迫害が一気に始まったといいます。
バーゼルで暮らしていたカルヴァンは、用事でたまたま立ち寄ったジュネーブで、聖書の講師のような立場としてスカウトされます。ツヴィングリが火種を作ったスイスでは、指導者がいないまま改革がくすぶっていたからです。
楊さんによれば、カルヴァンは最初は気が乗らなかったものの、ジュネーブの宗教改革に着手する方向へ転換していきます。規律を重んじ、教会が市民の生活を監視するような厳しい方向性が、ここで定まっていきました。
理想家ルターと実務家カルヴァン
深井さんは、カルヴァンの根底には、厳しい規範のもとで清く正しく生きるという考えがあったと話します。さらに、ルターとの大きな違いとして、カルヴァンが現実主義者だった点を挙げます。
ルターって結構ビジョナリーなんですよ。理想主義者。でもカルヴァンはあの、結構現実主義者で、ちゃんとこう現場に入って組織とか制度を作り込んだっていうイメージがあるんですよね。
深井さんによれば、カトリック教会が強いのは教会という組織と制度があるからで、改革者側もそれを作らなければ存続できない、とカルヴァンは認識していたと言われています。目に見える力を持つために、カルヴァンは具体的なルールを次々と定めました。
ビジョナリーな理想主義者で、樋口さんの印象では勝手に巻き込まれていった
現実主義の実務家で、宗教思想をルールや制度、組織に落とし込んだ
カルヴァンはジュネーブで、行政計画や組合・市場の規則、価格や利子の決め方などについても提案をしていた痕跡があるといいます。深井さんはカルヴァンを、宗教思想をルールや制度、組織の中に落とし込んだ人と評しています。
教会規則で生活の隅々まで。ジュネーブの神権政治
楊さんによれば、カルヴァンはジュネーブで30年ほど、政治権力的なものも握っていました。これは神権政治 ── 宗教的な権威を持つ者や教会が、政治にも大きな力を及ぼす統治の形。神の意思を根拠に社会を治めようとしますと呼ばれています。
ただし楊さんは、世俗権力をがっつり取りに行ったというより、ジュネーブ教会規則を作ることで生活の隅々まで教えを行き渡らせた感覚に近いと説明します。
自治を行っていたジュネーブの都市当局からすれば、教会規則が日常生活にまで干渉してくるのは困ることでした。そのためカルヴァンと都市当局はぶつかりますが、カルヴァンはそれを乗り越えていきます。
教会規則では、牧師、教師、長老、執事という4つの職制が定められ、それぞれが役割分担しながら市民の生活を管理していました。楊さんは、現代の社会からは最も想像しにくい仕組みではないかと話します。
カルヴァンは反対者に対して厳しく、投獄や火あぶりも行いました。そうして批判者を抑え込みながら、カルヴァンは基盤を固めていきます。
楊さんは、都市当局がカルヴァンを抑え込めなかった理由として、フランスからの亡命者を挙げます。カトリックが強いフランスで迫害されたプロテスタントにとって、厳しくてもカルヴァンのジュネーブは理想郷に見え、人が集まって無視できない勢力になったのです。
フランスはなぜカトリックに着地したのか
フランス出身のカルヴァンは、フランスにも大きな影響を与えました。楊さんによれば、カルヴァンの死後、フランスではカルヴァン派をめぐるユグノー戦争 ── 16世紀後半のフランスで起きた、カトリックとプロテスタント(ユグノー)の宗教戦争。約30年にわたって断続的に続きましたが起こります。
この戦争ではサン・バルテルミの虐殺 ── 1572年、パリでカトリック側が多数のプロテスタントを殺害した事件。ユグノー戦争の中でも特に凄惨な出来事として知られますなどで、プロテスタント側が多く殺されました。楊さんは、本来カルヴァン派とプロテスタントは厳密に分けるべきだが、ここでは便宜上似たものとして扱うと断っています。
最終的には、プロテスタント側だった王がカトリックに改宗することで、フランス王権が盤石になり戦争は終わります。フランスは国内にプロテスタントもいるものの、カトリック国家として着地しました。
カルヴァンの国のようにはならなかったものの、戦争を起こすほどの影響を与えたのは確かです。楊さんは、カルヴァンが唱えた二重予定説も思想的に影響を与えたと話します。
楊さんは、神聖ローマ帝国での戦争で負けていたルター派から見ても、カルヴァンが教会規則で治める国家を作ったことは大きかったと指摘します。深井さんはそれを「ケーススタディをちゃんと作った」と表現しています。
金融都市ジュネーブと「言語化」の力
深井さんは、ジュネーブという都市の性格もカルヴァンの成功に影響したのではないかと話します。当時のジュネーブはヨーロッパの金融の中心地で、商品取引や手形の売買が盛んに行われ、各地から物資が集まる商業都市でした。
金と商品の流通量が多いジュネーブでは、それを支える金融技術の需要も大きかったといいます。深井さんは、そうした人々がカルヴァンの思想を自分たちの信仰に結びつけ、支持者が増えていったのかもしれないと見ています。
次回は宗教改革編の最終回で、カトリック側から出てきたイエズス会を紹介する予定だと楊さんが予告します。そのうえで深井さんは、カルヴァンの話で面白かった点を振り返ります。
思想は思想で独立してもちろんあるんですけど、それに乗っかることで、やっぱり得する人っていうのがまた後押しするっていう、この構図も結構僕は面白いなと。
楊さんはこれを言語化に似ていると表現します。自分がなんとなく思っていたことを、カルヴァンのような人が「あなたたちのやっていることは正しい」とロジックで言語化してくれると、人は「よっしゃ」となるのではないかという見方です。
まとめ
カルヴァンは、救済は最初から決まっているという厳しい救済観を示しつつ、今の仕事に励むことを敬虔な生活と位置づけました。その教えは商工業者や金融業者の立場を押し上げ、ジュネーブでの神権政治やフランスのユグノー戦争にまで影響を広げていきました。
- カルヴァンは、救済は神の予定として最初から決まっていて、人間には影響も判別もできないと説いた
- 信者は救われている証として仕事に励み、天職としての勤労と報酬が肯定された
- 商工業者や金融業者の宗教的な地位が上がった一方、ウェーバーの資本主義起源説は現在ほぼ否定されている
- 現実主義者のカルヴァンは、ジュネーブで教会規則による神権政治を展開し、宗教思想を制度に落とし込んだ
- フランスではユグノー戦争が起きたが、最終的に王の改宗によってカトリック国家として着地した





