男子校に一人。エリザベスがジュネーブ医科大学で勝ち取った首席卒業
深井龍之介さんと樋口聖典さんが、女性として初めてアメリカの医科大学を卒業したエリザベス・ブラックウェル1821-1910。イギリス生まれ、アメリカに移住。1849年にジュネーブ医科大学を首席で卒業し、近代医学教育を受けた世界初の女性医師となった。のスクールライフを語る、歴史を面白く学ぶコテンラジオのエピソード。男子校状態のキャンパスでの孤独な戦い、ウェブスター教授との名場面、そして首席卒業まで。その内容をまとめます。
男子だけの教室に飛び込んだ女子学生
前回、男子学生たちの悪ふざけと大学側の手違いが重なり、奇跡的にジュネーブ医科大学ニューヨーク州にあった医科大学。1849年にエリザベス・ブラックウェルを女性として初めて卒業させたことで歴史に名を残す。に入学を許されたエリザベス。ただし、待っていたのは全員男子の空間に一人だけ女子という、当時のアメリカで前例のないシチュエーションでした。
男子学生にとっても、教授たちにとっても、初めての経験です。自分たちの空間に、なぜか医師を目指す女性がいる。どう解釈すればいいのか、誰も答えを持っていません。好奇の目、軽蔑の目線。針のむしろの中で、エリザベスは自分を鎧で固めるようにして授業に臨みました。
男子校に一人女子がいるっていうシチュエーション。教授側と男子の医学生側にとっても、このシチュエーションをどう解釈していいか、一旦わかんないんですよね。
しかし、彼女の真剣な学習態度は徐々に空気を変えていきます。男子学生の多くは、特に強い志があって医学校に来たわけではなく、「他にやることがないから、とりあえずなれそうな医者にでもなろうか」程度の動機の者も少なくありませんでした。そこに、強烈な使命感を持って勉強しに来た年上の女性が現れたわけです。
エリザベス自身も誰からもナメられないように、静かな攻撃態勢で威厳のあるオーラを放っていました。そんな彼女に感化された男子学生たちは、次第に「姉さん」として慕うようになっていきます。エリザベスより年下の学生が多かったことも、関係性を後押ししました。
ウェブスター教授との解剖学エピソード
味方になってくれた人物の中でも、ひときわ印象的なのが解剖学の教授ジェームズ・ウェブスタージュネーブ医科大学の解剖学教授。エリザベス・ブラックウェルの入学を歓迎し、講義や学習面で全面的にサポートした人物。でした。他の教授がエリザベスに曖昧な態度を取る中、ウェブスターは入学を全面的に喜び、あらゆる便宜を図ってあげる人物だったのです。
「ニューヨークみたいな都会に、あなたのような教養ある女性医師がいたら最高じゃないか」「君はすごい成績で卒業できるよ」。励ましの言葉が止まらないこの教授を、エリザベスは家族への手紙の中で「小鳥の妖精」と呼んでいました。親しみを込めたニックネームです。
なんてこと言うんや。バリバリにいじってるやんっていう。
男性器の講義を「休んだら?」という提案
ウェブスター教授は人気講師でした。特に男性器の授業では、下品なコメディショーのような盛り上がりになり、男子学生から愛されていたといいます。そんな彼が、男性器をテーマにしたある日の講義を前に、エリザベスにこう提案しました。
「テーマがテーマだから、この日は休んだら?」
当時の価値観では、女性が肉体について学ぶことは「はしたない」とされていました。エリザベス自身も嫌悪感はあったはずです。しかし彼女はこの提案を断り、教授に手紙を書きました。
さらに彼女は、こう続けます。「不純な気持ちを持つとすれば、それは学ぶ側の心の問題です」「真の医学者は、たとえ人間の肉体に触れようとも、決して道から外れません」。妥協案として、最前列が無理なら後ろの席でいい、男子学生が反対するなら従う、とも添えました。
ウェブスター教授は自分の提案が間違っていたと認め、出席を許可します。しかし当日、エリザベスはやはり激しい苦しみに耐えながら授業を受けました。教室全体は緊張の極みに達し、男子学生たちは顔を赤らめたり笑いをこらえたり。エリザベスは自分の手をつねって血がにじむほど我慢しながら、キリストに祈って授業を受け切りました。
手紙の朗読と、拍手喝采
そして、この回の白眉となる出来事が起きます。授業後、ウェブスター教授はエリザベスに「あなたの手紙を学生に共有してもいいか」と尋ねました。許可を得た上で、エリザベスを一度廊下に出し、男子学生全員に彼女の手紙を読み上げたのです。
そして読み上げた後にエリザベスが教室に戻ると、教室は拍手喝采に包まれました。
これグッジョブですね、ウェブスター。エリザベスが書いた手紙を紹介したっていうのが、ちゃんと許可を取って、本当に自主的に認めさせたみたいな。ここグッジョブやな。
このエピソードはエリザベスにとって大きな成功体験になります。後に医師として活動する際、彼女は「自分の実力を証明するために努力はする。けれども、男子学生を決して犠牲にしない」と心に誓いました。男性医師との対立構造を避け、協力関係のメリットを重視しながら女性医師の価値を打ち出す。そんなスタンスの原点が、この日にあります。
ファーストペンギンゆえの幸運
エリザベスの大学生活が比較的うまくいった背景には、本人の努力や姿勢に加えて、いくつかの幸運がありました。深井さんはその一つを「ファーストペンギン効果」として説明しています。
「偶発的なバグ」「特別な事例」として扱える余地があった。社会の地図が変わるという警戒感が生まれにくい。
事例が積み重なると「現実が変わってしまう」という警戒感に直結。退学に追い込まれるケースも実際に発生した。
実際、エリザベスに勇気づけられて医学の門を叩いたハリオット・ハント19世紀アメリカの民間医療者。正規の医学資格を持たないまま、植物療法や精神療法で女性患者を治療していた。エリザベスに刺激を受けハーバード大学医学部に入学を志願したが拒否された。は、ハーバード大学医学部への入学を志願しましたが、あっさり拒否されています。エリザベスがどれほど特殊な例だったかが分かるエピソードです。
ファーストペンギンだからこそ、めちゃくちゃ警戒感を抱かれなかったっていう側面もあったんじゃないかなと思います。
夜中の解剖室、一人だけの探求の時間
エリザベスにとって特に大切だったのは、人の目から解放されて純粋に一人で探求できる時間でした。解剖の授業など、他人がいる場での学習には常に気を張る必要がありましたが、彼女は幸運にも夜中に一人で遺体を解剖する機会を与えられたのです。
ノートに内臓のスケッチを細かく書き、女性の子宮のイラストを描き、血管のつながりを器官ごとにたどる。時間感覚を失うほど集中できる、静かで贅沢な時間でした。本人も後の人生で「人間の遺体に触れて思いっきり探求に集中できるチャンスはなかった」と振り返っており、この時期が彼女にとって最も人体に向き合えた貴重な時間だったといいます。
これめっちゃ気持ちわかるっすもんね。僕も夜中に家族が寝静まった後にネジとボルトと蝶番の研究を延々朝方までやってる時の、ほんと幸せですからね。
夢中になれる対象に、誰にも邪魔されず没頭する時間。趣味のものづくりであれ、人体解剖であれ、人間がフロー状態に入る感覚は時代も対象も超えて共通するのかもしれません。
ブロックリ救貧院で見たもう一つの現実
休み期間中、エリザベスはブロックリ救貧院ニューヨークにあった貧困者向けの医療福祉施設。実態は収容施設に近く、約2000人の病人や貧困者が劣悪な環境に置かれていた。でインターンを経験します。ここに入り込むこと自体がハードルでしたが、彼女は事前に理事会メンバーの派閥事情を把握し、各派閥のリーダーに順番に挨拶することで満場一致の承認を取り付けました。
単に熱い人っていうわけじゃないんですよ、エリザベスは。自分の活路を開くために冷静に頭を使ってんですよね。
当時の医療現場のリアル
エリザベスは淋病の病棟に配属されました。そこで彼女が見たのは、召使いとして雇われた先で家の主人にレイプされ性病に感染した、貧しい境遇の女性たちの姿でした。この光景は彼女に強烈なショックを与え、晩年に取り組んだ社会浄化活動(売春反対運動)の原体験になったと考えられています。
シカトと注目、奇妙な孤立
救貧院の男性医師たちはエリザベスをナチュラルに無視しました。彼女が病棟に入ると、医師たちは出ていく。診察の見学もカルテの閲覧もさせてもらえない。それでいて、エリザベスの一挙手一投足には常に視線が注がれる。「シカトされるのに注目される」という、最も気が休まらない状況でした。
一番嫌や。
彼女は発想を切り替えます。「自分で学びを探すしかない」。午前中は自室で読書をし、男性医師の回診が終わってから病棟に入る。看護婦に質問し、患者から症状を聞き、時には聴診器を試す。協力的な少数の医師の元には自分から通い、時間の許す限り質問を浴びせる。なんとかインターンを終えました。
首席卒業、歴史的な一日
二学期になると、雰囲気はさらに変わります。寒い12月の朝、教室に到着したエリザベスにクラスメイトたちは挨拶し、椅子を引いてあげ、世間話までしてくれるようになっていました。ウェブスター教授の「小鳥の妖精」ぶりも相変わらずです。日常のささやかな喜びが、彼女にとってかけがえのないものになっていました。
そして迎えた最終試験。結果は、クラストップ。首席での卒業です。
彼女に言わせると、試験は簡単。先生が私を落第させるはずがなかったって。
男子学生たちの間でも、「うちのエリブ(エリザベスのニックネーム)、今朝は絶好調だったみたいだよ」「あの嬉しそうな顔、お前ら気づいたか?」といった会話が交わされていたといいます。すっかり慕われ、応援される存在になっていました。
1849年1月23日
卒業式の日。最後に呼ばれたのはエリザベスでした。学長が彼女の名前を呼ぶと、会場は水を打ったように静まり返ります。学長は立ったまま証書を渡しました。退場するかと思いきや、エリザベスは感極まりながらこう言葉を発します。
会場からは熱狂的な拍手が沸き起こり、ウェブスター教授は満面の笑みで手をこすっていたといいます。顔を真っ赤にして壇上から降りるエリザベスのために、クラスメイトたちは最前列の席を空け、横にずれてスペースを作りました。
ただし深井さんは、ここに一つ注釈を付けます。エリザベスは自伝などを残していますが、もともと人に弱みを見せることが大嫌いな性格でした。だから記録に残っていない、もっと凄まじい差別や侮辱もあった可能性が高いというのです。表に出ている苦労話は、彼女が自分で「これは残してもいい」と判断したものだけかもしれません。
まとめ
男子だけの教室に飛び込んだ女子学生が、首席で卒業証書を手にする。今回のエピソードは、その過程で起きた人間関係の小さな化学反応を丁寧にすくい上げる回でした。
注目すべきは、エリザベスがただ熱意だけで突破したのではないという点です。理事会の派閥を読んで挨拶回りをする冷静さ、手紙で論理的に反論する知性、男性医師を敵に回さない戦略性。ド根性と頭脳の両輪が、彼女の成功を支えました。同時に、ウェブスター教授のような味方の存在、そして「最初の一人」だったゆえの幸運も、決して見逃せない要因です。
とはいえ、ここはまだ「やっと舞台に立てた」段階。学位を手にしたエリザベスが、実際の医師としてどんな壁にぶつかっていくのか。物語はここから本番を迎えます。
- 男子だけの医科大学に一人飛び込んだエリザベスは、真剣な学習態度と威厳で男子学生を「姉さん」として慕わせるようになった
- 男性器の解剖学授業を「休んだら?」と提案されたエリザベスは、論理的な手紙で出席を主張。ウェブスター教授がその手紙を読み上げると教室は拍手喝采に包まれた
- エリザベスの成功には、本人の努力と運(特に「最初の一人」だったこと)が両方寄与した。後続のハリオット・ハントはハーバード大学医学部に拒否されている
- ブロックリ救貧院では衛生概念のない医療現場と、レイプ被害で性病に感染した貧困女性たちの現実を目撃。これが晩年の社会浄化活動の原体験となった
- 1849年1月23日、エリザベスは首席で卒業。アメリカで初めて女性が医科大学の卒業証書を手にした歴史的な日となった

