変わりつつあるアメリカの医療界と女子医学校
パリエリザベスはパリの産科病院で研修中、患者の治療中に感染症で左目を失明した。これにより外科医の道を断念せざるを得なくなった。とロンドンでの修業を終えたエリザベスは、30歳でニューヨークに戻り、独立開業を目指します。当時のアメリカでは、ボストンとフィラデルフィアに女子向けの医学校が開設されるなど、女性の医学教育に少しずつ風穴が開きつつありました。
ただし、これは単純な進歩ではありません。エリザベスという前例のインパクトに対する反動として、既存の男子学生が通う正規の医学校からは「女性をより強く締め出すべきだ」という流れも生まれていたのです。エリザベスの母校もそのひとつでした。「勉強してもいいけれど、男子とは別の空間で」という形での部分的な受容だったわけです。
エリザベスは女子医科大学をどう見ていたか
意外なことに、エリザベスはこの女子医科大学の存在をあまり評価していませんでした。彼女のビジョンは高く、「正規の医学界のメインストリーム、つまり男性医師中心の医学会から、女性が正式に医師として認められること」が大事だと考えていたからです。
男性が通う学校で男性と同じように学位をもらわないと意味がないっていうのは、彼女はこの時考えてました。
彼女から見ると、女子のための医科大学は学問的な厳密さに欠け、教育品質が低いものでした。むしろそうした学校の存在が、男性医師たちに「女性は本格的な訓練を受けていないから医師になれない」と言い訳する材料を与えてしまう、とすら考えていたのです。良くも悪くも完璧思考の人でした。
樋口さんは「一旦階段として女学生だけのやつを作って、認めさせてからステップアップする」というアプローチもあり得たのではないか、と指摘します。深井さんも、両方のアプローチに意義があったと振り返ります。エリザベスの男子医科大学卒業は、彼女の努力に加えて運や教授・学生との関係性に恵まれた特殊事例であり、当時の制度の緩さもあって成立したもの。同じ道を他の女性が再現するのはまだ難しい時期でした。
ニューヨーク開業、立ちはだかる「女医=堕胎屋」の偏見
独立開業を決めたエリザベスは、いきなり壁にぶつかります。物件を貸してくれるところがないのです。当時のニューヨーク市民にとって「女医」は褒め言葉ではなく、堕胎や中絶手術を行う闇医者というイメージしかなかったからです。
エリザベスはこの状況に激しい怒りを覚えます。彼女自身は中絶反対の立場で、「中絶は母性の破壊だ」と捉えていました。「女性医師という存在が道徳的に汚されているのは許せない」という道徳ドライブで、自分が女性医師の尊厳を取り戻すというモチベーションが湧いてきます。
ようやく見つけた物件で高い家賃を払い、MD(医学博士)の看板を掲げて開業しますが、街の人々はキモがって避け、卑猥な手紙や嫌がらせの郵便物が届きます。患者は来ない。市の病院に就職しようとしても断られる。エリザベスは妹のエミリーに「耐え難い孤独です」と弱音を吐く手紙を送ります。
物件が借りられない
「女医=闇医者」のイメージで大家から拒絶される
嫌がらせと無視
卑猥な手紙、嫌がらせ郵便、患者ゼロ
就職もできない
市の病院に応募するも断られる
講演と啓蒙活動、女性に体の主導権を
診療がうまくいかない中で、エリザベスは別の活動を始めます。ニューヨーク・タイムズに広告を出し、教会の地下室を借りて、女性向けの健康・運動に関する講演を始めたのです。薬よりも、衛生や運動、バランスの取れた食事こそが健康を守るという彼女本来の信念を、子育てや女性の健康というテーマで伝えていきました。
この活動の革新性は、「女性が自分の体を理解すれば、女性特有の病気は予防できる」という主張にありました。当時、女性が性や肉体について語ることはタブーで、母親が娘に生理のメカニズムを教えることすらためらわれた時代です。家庭でも学校でも避けられてきた領域を、彼女は公の場で説いたのです。
女性自身が自分の体について知って、理解して、解釈して管理するっていう風に体の主導権が移ったっていうことが、やっぱ結構大事な現象なんですよ。
そうか、だから今までそこはもう男性が見てた、もしくは医学ではないところで女性が見てたのか。
エリザベスが正規の医学位を持つ女性医師として、同じ科学という土俵の上で、科学的な権威をまとって啓蒙活動を行えたことが革新的でした。意識の高い女性たちが少しずつ聞きに来てくれるようになり、口コミで評判が広まり、講演が本にもなります。診察室にも患者が来るようになり、ファミリードクターになる家庭も出てきました。中にはエリザベスの熱狂的なファンになり、隙を見てキスしてくる女性患者まで現れたほどです。
慈善診療所の立ち上げと閉鎖
とはいえ顧客は安定せず、特に欲しかった富裕層からの患者はなかなか獲得できません。中産階級以上の女性からの警戒心は依然として強く、生活に窮するほど追い詰められ、彼女は一度診療所を閉鎖します。再就職を試みても「女の医者が組織でうまくやっていけるわけがない」と門前払いされ、独立の道を貫くしかありませんでした。
次に彼女が立ち上げたのは、コンセプトを変えた診療所です。貧しい人々への医療サービスを慈善活動として提供し、富裕層からの寄付で運営する。ロンドンですでに先行事例があったこの仕組みをモデルに、32歳の時、ニューヨーク貧困婦人科小児科診療所が誕生しました。
診療所は法人化され、理事会には著名なクエーカー教徒キリスト教プロテスタントの一派で「友会」とも呼ばれる。奴隷制廃止運動など社会改革に積極的に関わってきた歴史を持つ。コテンラジオでもリンカーン編などで度々取り上げられている。の男性たちが名を連ねます。奴隷制廃止などの社会改革に取り組んできたクエーカー教徒のコミュニティは、エリザベスの強力な支援者となりました。医療相談で困った時には、知り合いの男性医師に意見を求めることもありました。中には「医学博士号を持つ女性から相談される」という前例のない状況に動揺し、バグってしまう男性医師もいたといいます。
ただこの診療所も、規模の小ささと開所時間の短さに限界を感じて閉鎖します。エリザベスにはより大きな課題意識が芽生えていました。女性医師や女子医学生が臨床経験を積める病院がどこにもない。男性中心の医療コミュニティから排除されている以上、女性医師だけで運営する病院を自分たちで作るしかない、と。
ついに誕生、女性医師による女性のための病院
36歳の時、1年がかりの資金集めの末に、エリザベスはニューヨーク貧困婦人科小児科病院を開院します。ベッドを備えた病棟、手術室、産科施設まで揃った本格的な病院で、物件は思い切って買い取りました。大家との交渉に煩わされない、自分たちの拠点です。
そしてこの病院は、エリザベス一人ではなく、女性医師たちのチームで運営されました。集まったのは当時の女性医療のレジェンドたちです。
アメリカ初の正式な女性医師。病院のトップとして全体を率いる。
エリザベスの妹。姉の後押しで医師になり、優秀な外科医として活躍する。
ポーランド人。元助産師でエリザベスの弟子。病院経営の総務を担う激務をこなし、後にボストンで同様の病院を独立して立ち上げる。
イギリス人。10代で病院に入り修業。後にアメリカ初の女性薬学博士、医学博士となる。
黒人女性。入職時点でペンシルベニア女子医科大学を卒業しており、アメリカで2人目の黒人女性医学部取得者。エリザベスは彼女を高く評価していた。
女性、黒人、移民、助産師出身など、多様なパイオニアたちが一つの病院に集結したのです。樋口さんも「女性のトッププレイヤーたちがぶわっと集まっている」と感嘆します。
開院式の演説と「努力と根性」の議論
開院式で、エリザベスは硬く真剣な表情で設立目的を読み上げました。「貧しい女性と子供のための病院であること」「女性が医師に相談できる場であること」「女性に無償で診療を行うこと」「女性の医学生・看護婦の訓練施設とすること」「女性の医師のためのポストを作ること」。ここまでの孤独や苦労には一切触れず、淡々と事務的に語ったといいます。
その代わりに彼女が訴えたのは、極めて厳しい現実認識でした。
言葉を補えば、「男性と同じかそれ以上に優れた能力を発揮しないと専門家として認められない」ということ。彼女は社会制度の改革よりも、個人の努力と根性に重きを置く立場でした。逆に、より高い目標を目指さない同世代の女性を厳しく非難する言葉も残しています。
これは賛否両論ある立場です。深井さんは、両方の側面から考える必要があると整理します。
個人の努力と根性で壁を突き破る。男性以上に優秀さを示して認めさせる。意識改革こそが道を開く。
構造的に女性は不平等な状況にある。個人の努力だけで達成できる平等には限界がある。社会制度自体を改革する必要がある。
樋口さんは、クリエイターや起業家として戦ってきた自身の経験を重ね合わせて応じます。
やる時は寝ずにやらんと生きていけないみたいな経験してるし。起業家の方たちもそう思ってて、自分たちは多分いざっていう時は根性で乗り越えてきたと。
働きやすくてウェルビーイングの高い職場の仕組みを作らないといけないっていう現実もありますよね。だから両方大事だということですよね。
女性がマイノリティの職場では、限界まで頑張ることでしか生き残れない構造がある。そこで成功体験を得た女性は「環境のせいにしない」という信念を形成しやすい。これは今日の現場でも見られる現象かもしれない、と深井さんは指摘します。一方で、構造的な不平等を個人の努力だけで埋めようとすれば、女性個人が地位向上のコストを全て背負うことになる──これも事実です。両者は対立というより、両立して存在する現実なのです。
ともあれ、ここにアメリカ初の正式な女性医師エリザベス・ブラックウェルによって設立され、女性医師たちが運営するアメリカ初の病院が誕生しました。医学史においても女性史においても、エポックメイキングな出来事です。
まとめ
第10話は、エリザベスがニューヨークで開業しようとした際の壮絶な偏見との戦い、講演活動による啓蒙、慈善診療所、そしてついに女性医師チームによる病院の創設までを追いました。「女医=堕胎屋」というイメージの中で、女性が自分の体について知る権利を取り戻すことに始まり、女性医師が研修できる場を自分たちで作るところまで、エリザベスのビジョンは着実に形になっていきます。
同時に印象的なのは、彼女の「努力と根性」を強調する厳しいスタンスです。構造の問題と個人の意識改革、そのどちらが正しいかではなく、両方が現実として存在することを、現代の私たちも引き受けながら考える必要があるのでしょう。次回はこの病院がどう展開していくのかが語られます。
- ニューヨーク開業当初、エリザベスは「女医=堕胎屋」という偏見に苦しみ、物件すら借りられなかった
- 女子医科大学の設立は進歩であると同時に、男子学生のいる正規医学校から女性を隔離する装置でもあった
- エリザベスは「正規の医学界で女性が認められること」を理想とし、女子医科大学を低く評価していた
- 講演と啓蒙活動を通じて、女性が自分の体について知り、健康の主導権を握る道を切り拓いた
- 慈善診療所、そして36歳でアメリカ初の女性医師による病院「ニューヨーク貧困婦人科小児科病院」を開院
- エミリー、マリー・ザクシェフスカ、メアリー・パットナム・ジャコビ、レベッカ・ジェイコールらレジェンド女医たちが集結した
- 開院式でエリザベスが説いた「個人の努力と根性」の思想には、構造的不平等との関係で賛否がある
