性の歴史シリーズは、AV監督との出会いから始まった?
コテンラジオの番外編のゲストは、AV監督の二村ヒトシさんです。この回は、番組の性の歴史シリーズが終わった直後に収録されました。
樋口さんの紹介によると、二村さんは1964年生まれです。慶應義塾幼稚舎を卒業し、慶應大学文学部を中退しています。95年まで劇団パノラマ歓喜団を主宰し、97年にアダルトビデオ監督としてデビューしました。
二村さんはジェンダーを越境する作品を数多く演出し、現在はソフトオンデマンドの顧問を務めています。『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』などの著書もあります。
二村さん本人は、恋愛の本を書くなど経歴はややこしいものの、本業はずっとポルノだと話しています。
二村さんと深井さんをつないだのは、共通の知人の小原さんでした。小原さんは二村さんにコテンラジオを勧め、深井さんには二村さんを勧めたそうです。二村さんはこの流れを、樋口さんが補った言葉を借りてプロセスエコノミー ── 完成品だけでなく、制作の過程そのものを公開して価値を生む考え方。2021年ごろに日本で広く話題になりましたのようだと笑います。
深井さんは、二村さんと初めて話したときの印象を、恋愛や性という観点から人間の存在そのものを眺めている人だったと振り返ります。そのときの会話がきっかけで、性の歴史シリーズを作ることになったそうです。
やっぱりその時二村さんが確か言ってたのは、人間のことを知るためには、それは人間の下半身の歴史を調べないとダメだよねって。
二村さんも、歴史を扱うラジオをやっているなら、セックスの歴史を代わりに勉強して教えてほしいと話したことを認めています。二村さんは依頼したとおり、シリーズを全回聞いてから今回の収録に来ました。
性について話すだけで、なぜこれほど緊張するのか
性の歴史シリーズの感想を聞かれた二村さんは、まず出演者たちがとても丁寧に、気を使いながら話していた点を挙げました。
あれ(性の歴史シリーズ)、多分今までで一番編集してます、ちゃんと。
樋口さんによると、収録中も言いかけた言葉を飲み込むことが多く、編集でもかなりの部分をカットしたそうです。深井さんも、話しながら嫌われそうで嫌だと感じていたと明かします。
二村さんは、シリーズの出演者が真面目な話に背筋が伸びたと話していたことに触れます。そのうえで、性の話は軽いエロ話としては扱えないと語りました。人類がつい最近まで知りたくなかったようなことをしていたと次々に明らかになるからです。
二村さんは、知りたくないはずのことに人がなぜこれほど惹かれるのか、という点も今日のテーマの一つだと話します。
なんかそういうふうに気を使ってしまう自分たちの挙動もすごく発見だったんですよ。性について語るだけでこんなに緊張するんだ。
二村さんは、出演者たちは専門家が調べた文献をおさらいして伝えているだけで、恥ずかしがる必要はないはずなのに、と不思議がります。深井さんは、性はタブーと密接に関わり、語られるべきではない領域だと世の中で認識されているから、いろいろな人に怒られそうな気がすると説明しました。
性の歴史は「神との戦い」だった?
二村さんは、歴史を作ってきた人たちも性的な欲望を意識していたに決まっていると考えます。キリスト教や日本の武家社会ができていく過程でも、心の根っこにある欲望が経済などさまざまなことを動かしてきたのではないか、という見方です。
ただし二村さんは、人間を遺伝子の乗り物とみなすような単純な見方には賛同しません。人は子孫を残せば終わりではなく、自分を大事にし、自分が傷つかないようにし、それでも人を傷つけてしまう。セックスにおいてもそうしたことをしている、と二村さんは話します。
二村さんは、子どもの頃からエッチなことばかり考えてきた結果として恋愛の本を書くようになったと、自分のことを紹介します。そのうえで、シリーズ全体を聞いて、人間の歴史はセックスをどう考えるか、あるいはどう忘れるかに取り憑かれてきたのだと改めて感じたそうです。
二村さんはこれを、人間がずっと「神との戦い」をしてきたようなものだと表現しました。
樋口さんはこの話を、宗教や天皇制を扱うシリーズでも気を使った経験と結びつけます。
それ(宗教や天皇制の話)って多分ですけど、自分の存在そのものに関わることだからだと思ってるんですね。
樋口さんの推論は、価値観が揺らぐと自分が何者かを見失うかもしれず、その恐怖が怒りにつながっているのではないか、というものです。深井さんは、心の中に土足で上がられた感じを受けるのかもしれないと応じます。
二村さんも、こう決まっているとしてとりあえず平和にやってきたことを、かき乱さないでくれという感覚もあるのだろうと加えました。愛のある結婚の中での性交はよく、淫らなセックスはいけないという考えも、シリーズで調べた結果からすれば文化にすぎず、人間の本質ではなかったからです。
欲望は持っていい、では倫理はどこにあるのか
深井さんは、聞いた人のタガが外れることが一番怖かったと話します。現在なら法律に反するようなことを昔の人はしていた、という話をシリーズでしてきたからです。法律で禁じられていることにはさまざまな理由があるものの、倫理的にだめとされていることは今の時代に禁止されているだけ、とも言えてしまいます。
二村さんは、性を商売にしていると倫理を考えざるを得ないと話します。自分が捕まりたくないし、人を嫌な気持ちにさせてまでやりたくもない。だから楽しい性とは何かをずっと考えてきたものの、何が楽しいかは人によって違い、それを隠して生きている人もいます。
文化として作られたものを全部取り払ったとき、性の倫理はどこにあるのか。この問いに対して二村さんが示した前提は、欲望は禁じられるものではなく、持っていいというものでした。
ただし二村さんは、すべての欲望をOKにすると問題が起きるとも話します。食料が満ちた豊かな社会でも、性の欲望は一対一で相手の体を犠牲にすることがあり、苦しめられる人が出てくるからです。
二村さんによれば、人がなぜその欲望を抱いたかは、フロイト ── オーストリアの精神科医で精神分析の創始者。無意識や幼少期の体験が人の性格や欲望を形づくると考えました的に言えば、幼い頃に親との関係でどう傷ついたかによって形づくられている、ということになります。
二村さんは結論を少しだけ先に見せ、最終的には愛しかないだろうと語りました。欲望と愛は、きちんと考え詰めれば最終的にそれほど矛盾しないのではないか、という考えです。
二村さんの言う「心の穴」とは何か
樋口さんは、二村さんの著書に何度も出てくる「心の穴」という言葉の意図を尋ねました。二村さんはまず、心理学の専門家ではないので、なるべく下ネタっぽく「穴」と言いたかったのだと笑います。男にも穴が空いているぞ、という掛け言葉でもあるそうです。
二村さんの説明では、心とは欠けているものです。栄養と寝る場所があればOKという人はいませんし、男性なら定期的に射精していればいい、女性なら子どもを産めればいい、というわけでもありません。子どもを産みたい女性も産みたくない女性もいますし、恋愛が得意な人も不得意な人もいます。
シリーズでも、性は本能だと考えられた時代があったものの、実際には社会によってかなり規定されている、という話がありました。二村さんはそれを踏まえ、社会がルールを作る一方で、一人ひとりは人生の最初に親から個人的な影響を受ける点に注目します。
二村さんがフロイトの考えとして紹介したのは、人間の性格は諦めの連続によってできる、という見方です。赤ちゃんは母親から「もうやめなさい」と言われ、本当はずっと飲んでいたいおっぱいを諦めさせられます。
二村さんは、フロイト派の岸田秀 ── 日本の心理学者・精神分析学者。人間は本能が壊れた動物であり、文化は幻想であるとする「唯幻論」で知られますの議論も挙げます。おもちゃが欲しかった、父親にもっと愛されたかった、自分の性別への戸惑いといった諦めは一人ひとり微妙に違い、だから世の中はややこしいのだと二村さんは話します。
子どもも仕事もある程度やり終えた老人が「まだ死にたくない」「やり残したことがある」と言うのも、二村さんは全部心の穴だと考えています。
いわゆるその心の穴っていうのは、(幼少時代に)親との関係性によって満たされなかったものが、もう一生ずっと続いていくようなものだっていうことになるんですか?
二村さんの答えは、心の穴はずっと続くものの、それに支配されるかどうかは人によって違う、というものでした。こういうものを欲しがり、こう言われるとついカッとなってしまう自分を分かったうえで、うまく折り合いをつけている人が幸せなのではないか、と二村さんは話します。深井さんはこれを、メタ認知で生きている人だと言い換えました。
幼少期の諦め
親との関係の中で、本当は欲しかったものを諦めさせられる
心の穴
満たされなかったものが心の癖となって一生続く
心の癖を知る
何を欲しがり、何にカッとなるのかを自分で分かっておく
折り合いをつける
癖と上手に付き合える人が幸せなのではないか
「大きな物語」が消えたあと、穴は誰が埋めるのか
二村さんは、本人の代わりに心の穴との折り合いをつけてくれていたのが、歴史の中の大きな物語 ── 社会全体が共有する、生き方や価値の基準となる世界観のこと。宗教や国家の理念などがこれにあたりますだったと考えます。神様や、共同体の王様を自分の父親よりも大きな父のように崇めていれば、あまり困らずに済んだ、という見方です。
樋口さんは、一つの大きなものに規定されていれば、みんなの心の穴が似通ってくるということかと確かめます。二村さんは、そのほうが共同体としてはうまくいっていたのだろうと応じました。
しかし今は、新自由主義的な方向へ世の中が変化し、結婚制度についても、これをやっておけば幸せという答えが一人ひとりにはわからなくなっています。深井さんは、埋めてくれるものを自分で探さなければならない時代だと表現しました。
二村さんは、お見合い制度があった時代のほうが幸せだったとよく言われる点にも触れます。町の中でこの人と結婚すると幸せになると決められ、子どもを産んでから長い時間をかけて好きになったから幸せだった、という見方です。ただ二村さんは、自分の本にも書いたとおり、今さらそこへは戻れないと考えています。
神や王、お見合いなどの決まった形が、こうすれば幸せになるという答えを与えてくれていた
答えがなくなり、自分が何を欲しいのかを自分で知り、少しずつ満たす方向を探す必要がある
二村さんによれば、大きな物語がなくなったとき大切なのは、自分の欲望を自分で知ることです。完全には満たされないとしても、人に迷惑をかけないように少しずつ叶えていく。深井さんは、これが先ほどの「折り合いをつける」ということかと受け止めました。
日本のポルノはなぜこれほど多様なのか
深井さんは、性倫理は欲望を持った時点でそれを否定してしまうと指摘します。そういう欲望を持ってはいけないという社会通念があり、欲望は持っていいという考え自体がほとんどないからです。二村さんは、昔は「欲望はあるけど持ってはだめ、地獄に落ちるから」でうまくいっており、その時代のモラルが今も残っているのだろうと話します。
深井さんは、調べてみればその時代でさえみんな欲望を持っていたと返し、現代のポルノの多様さに話を移しました。二村さんの業界の作品を見ると、日本のポルノは「こんなのまであるの?」と驚くほど多様化しているといいます。深井さんは、現代はタブーが少なくなっていったのだろうと考えます。
二村さんは、日本がポルノ、風俗サービス、オタク文化の世界有数の生産国になった背景をこう説明します。もともとタブーが少なかった日本に、明治時代にキリスト教のモラルが入って押さえつけられた。日本人はそれに適応して平気になったうえで、無意識は決して殺さないので、すごいものが生まれてしまうのだそうです。
もともとタブーが少ない
日本には性に関するタブーがあまりなかった
外からのモラル
明治時代にキリスト教のモラルが入り、押さえつけられた
適応する
日本人はそのモラルに耐え、平気になっていった
無意識は残る
表のモラルに適応しつつ欲望は殺さず、多様なものが生まれる
深井さんは、性欲の対象はタブーの裏返しだと感じたと話します。ビクトリア朝 ── イギリスのヴィクトリア女王の治世(1837〜1901年)。性に厳格な道徳観が広まった時代として知られます期に足を隠すようになったら、生足を見るだけで興奮するようになったという話がその例です。
深井さんは、フーコー ── フランスの哲学者。著書『性の歴史』で、性を抑圧する時代にこそ性についての語りがかえって増えたと論じましたも、性への規制が増えると性について語られることがかえって増えると論じていると紹介しました。
二村さんは、表向きはモラルが高いのに、ラブホテルや風俗はどこの国よりも多い日本の姿を挙げます。宮台真司 ── 日本の社会学者。性や若者文化、社会システムについての発言で知られますさんをはじめ多くの人が言うように、表と裏があるから人間はまともでいられる。表の昼間の世界だけでは息が詰まる、と二村さんは語ります。深井さんはこれを、建前と本音、太極図のようだと表現しました。
タブーのない時代か、ギスギスした時代か
深井さんは、現代は性規制の波が緩んでいる時代で、タブーがないからこそわかりにくいポルノが出てくるのではないかと考えていました。これに対して二村さんは、今がタブーのない時代だとは必ずしも思わないと答えます。
二村さんがその例に挙げたのは不倫です。今は不倫がひどく叩かれますが、江戸時代も公になれば厳しく罰せられました。二村さんは、江戸時代はもっと自由だと思っていたが、建前はちゃんとあったと今回のシリーズで学んだそうです。不倫も春画も盛んだった江戸と今の日本は、本音と建前があるという点で似ていると二村さんは話します。
同性愛についても、人権の観点からは認めて当然とされる一方で、男性同性愛者が集まる場所のようなものは、なかったことにしようと蓋をされがちだと二村さんは指摘します。今が抑圧の裏で面白いものが生まれている時代なのか、欲望そのものが薄れている時代なのか、よくわからないと語りました。
二村さんは、嫌なものを見たくないと蓋をする人の気持ちは、それに傷ついてしまうからであり尊重したいと話します。一方で、性の表現をめぐって一部の女性と一部の男性が対立し、すぐに「規制しろ」「絶対に規制しない」という喧嘩になる状況には、もう少し話し合えないのかと疑問を投げかけます。
それ(今のギスギス)ってなんか見えるようになったからっていうのはあるんですかね。いわゆるそのITとかマスメディアとかの発達によって。
二村さんは、インターネットには大きな恩恵がある一方で、見たくないものが見えてしまう面もあると応じます。樋口さんは、マスメディアが不倫はだめだと言い続けた結果、ここ数年で寝取り・寝取られのようなジャンルが発達したように、テクノロジーによってタブーの定義が変わり、性の世界も変わってきていると感じたと話しました。
人の欲望は、なぜ必ず誰かを傷つけるのか
二村さんは、すべての不倫が必ず配偶者や子どもを傷つけるとは限らない、という例を挙げます。夫婦がセックスレスになり、夫も子どもも愛しているから家庭を壊したくない、だからセックスだけを外に求めている。そうした人が実際には女性にも結構いる、と二村さんは話します。
江戸時代の法律については、揉めたら男女とも死刑というのは「やってはいけない」ではなく「揉めないようにしてください」という意味で作られた、という話を聞いて膝を打ったそうです。二村さんは、性に関してはダブルスタンダードが決して悪いことではないと考えています。
不倫そのものを禁じるための法と受け取る読み方
バレて揉めないようにやってほしい、という意味の法と受け取る読み方
二村さんがここで語る愛とは、人を傷つけないように自分の欲望を果たすことです。傷つけてしまったときは謝り、最大限努力しながら、自分の欲望に正直に生きる。二村さんは、そんなものを愛と呼ぶなと怒る人もいるだろうと前置きしています。
ただし二村さんは、性の営みはどうやっても人を傷つけるとも話します。性が単なる生殖や本能ではなく、自分の心に欠けているものを埋めようとする行為なのだとしたら、どれほど人権意識が発達しても、人の欲望は他の誰かを傷つけてしまうからです。樋口さんは、欲望が倫理観とは独立して存在しているからだと整理しました。
二村さんは、サディストの例を挙げます。サディストは嗜好の合うマゾヒストを見つけるしかありませんが、世の中にサディストが実在するというだけで、虐待された経験を持つ人は傷つきます。二村さんは、その傷つきも尊重しなければならないと話し、ポルノを子どもに見せるなという話も広い意味ではここにつながると語りました。
こうした話の流れの中で、性について豊かに生きようと思えば、こっそりと愛を持ってやるしかない、という言葉も出ました。
社会が禁じる欲望を、どう見つめるか
深井さんは、人間はどの欲望が湧くかを選べないと指摘します。湧いた感情を否定しても意味がなく、まずは見つめることが大切だという考えです。
自分は本当は社会では禁止されているこのような欲望を持っているんだと。やりたいと思っているんだと。それをやるかどうかはその人の人生で、その時の選択だと思うんですけど。
深井さんは、その欲望を実行すれば社会的制裁を受けるかもしれないとしたうえで、自らの隠された欲望に気づくことは人間の根幹中の根幹であり、難しいことだと話しました。
性って自分の根幹に関わるもので、今深井君が言ったように隠したいじゃないですか。容易にその自己開示をするためのハードルが非常に高いものでもある。
楊さんによれば、性格なら人との対話の中で気づけることもありますが、性は自己開示のハードルが非常に高い領域です。深井さんはさらに、まったく別の欲望が性的欲望という形をとって出てくることもあり、より複雑になると加えました。
論点が膨らんだところで、樋口さんが続きを次回に持ち越すことを提案します。樋口さんは、今日も少しエロい気持ちで来たのに現場の話がまったく聞けなかったと笑い、後編へと話をつなぎました。
まとめ
前編では、性の歴史シリーズの感想を入り口に、二村ヒトシさんが欲望は持っていいという前提と、幼少期の諦めから生まれる「心の穴」という考え方を語りました。大きな物語が失われた今は、自分の欲望を自分で知り、人を傷つけないように少しずつ叶えていくことが、二村さんの言う愛につながっていきます。
- 性について語るだけで緊張するのは、性が宗教や天皇制と同じく、自分の存在の前提に関わるからかもしれない
- 二村さんは、欲望は禁じるものではなく持っていいとし、幼少期の諦めから生まれる「心の穴」と折り合いをつけることを重視する
- 神や王、お見合いといった大きな物語が消えた今、心の穴を埋めるものは自分で探す必要がある
- 日本のポルノの多様さや江戸の不倫の法には、本音と建前の使い分けが表れている
- 性の欲望は誰かを傷つけうるからこそ、まず自分の隠された欲望を見つめることが出発点になる





