鑑真の軸「戒律」は、戒と律の2つでできている
鑑真編の前回は、55歳の鑑真のもとに日本から2人の留学僧がやってきて、物語が動き出すところで終わりました。今回の楊睿之さんは、年老いた鑑真を理解するために、彼の軸である戒律を深掘りすると宣言します。
第一巻で55歳まで行っちゃうっていう、なんかこれもう面白い漫画の匂いがプンプンしますね、これ。
楊さんによると、戒律とは仏教徒が守るべきルールで、お経や戒律を記した書物に定められています。鑑真はその戒律の専門家で、自ら厳格に守るだけでなく、戒律全体に通じた学者であり実務家でした。
楊さんは鑑真の立ち位置を、今でいう弁護士や法学者のようなイメージだと説明しています。
楊さんは、厳密には戒と律は別物だと続けます。戒は出家しているかどうかに関わらず、仏教徒全員が守るべき基礎ルールで、破っても罰はありません。ただし、破ると自分が堕落して苦悩を生み出すとされる、道徳や生活規範に近いものです。
戒の代表例が五戒 ── 在家を含む仏教徒が守るべき5つの基本的な戒め。不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒からなりますで、生き物を殺さない、物を盗まない、性行為をしない、嘘をつかない、酒を飲まないという5項目です。性行為の禁止は出家者の場合で、出家していない人には不倫や浮気などの淫らな行為が禁じられます。
はいはいはい。だから(戒は)道徳観、倫理観みたいなものですね。
一方の律は、出家した仏教徒が戒に加えて守るべき、もう一段階上のルールです。ここで楊さんは、今後頻繁に登場する概念として「僧団」、サンスクリット語 ── 古代インドの文語。仏教の経典の多くがこの言語で伝えられ、仏教用語の語源になっていますでいうサンガを紹介します。
サンガは修行する僧たちの組織で、本来の仏教では、出家とは俗世との関係を断ち切ってサンガに入り修行を積むことを指します。律はこの独立した社会を維持するための、組織運営の法律だといいます。
律は戒と重なる内容もありますが、より厳しく、破ったメンバーにはサンガが罰を科します。建前はお釈迦様が1人で作ったことになっていますが、実際には長い年月をかけて付け足され、カスタマイズされて今の形になったそうです。
だから(律は)刑法、民法とかに近いんかな。罰則がありますもんね。
戒と律の違いを整理すると、次のようになります。
出家・在家を問わず仏教徒全員の基礎ルール。道徳や生活規範に近く、破っても罰はない
出家者が戒に加えて守るルール。サンガを維持する組織運営の法律で、破るとサンガが罰を科す
なぜ仏教は「集団で修行する宗教」になったのか
今回の楊さんは、鑑真がすでに出家していることから、主に律の世界を説明すると述べます。まず問うのは、なぜ仏教に律という法律が必要なのかという点です。答えは、仏教が集団で修行する宗教であり、その集団であるサンガを維持するために律が要るからだといいます。
楊さんはここで仏教を超ざっくりおさらいします。お釈迦様は、この世は苦しみばかりで、人は年を取り、病気になり、死に、生まれ変わってもまた同じ苦しみが続くと考えました。その輪廻 ── 生き物が死後に別の生を受け、生と死を繰り返し続けるという考え方。仏教ではここからの解放が目標とされますの中で、人は永遠に苦しみ続けるしかないというのです。
お釈迦様によれば、この絶望から抜け出す唯一の方法が煩悩を打ち消すことでした。煩悩が輪廻のエネルギー源なので、自分の力で煩悩を消せば輪廻から解放され、時間を超越した絶対的な平安に入れるとされます。
そのためには修行の力で煩悩を打ち消すことが最も重要な活動になります。お釈迦様は煩悩を消し去る修練の場として仏教を創設し、みんなで集まってサンガを作って修行しようと考えたのだと楊さんは説明します。
苦しみ
人は老い、病み、死に、生まれ変わっても苦しみが続く
原因
輪廻のエネルギー源は煩悩にある
解決
修行の力で煩悩を消せば輪廻から解放される
仕組み
修練の場として、集まってサンガをつくり修行する
仏・法・僧のうち、変わらなかったのはサンガだけ
楊さんは、釈迦の仏教は3つの基本要素に分けて考えられると続けます。それが仏・法・僧の三宝で、仏教世界に共通する基本原理です。
三宝の3番目にあたる僧こそがサンガで、個々のお坊さんではなく集団を意味します。正確には、お坊さんが4人以上集まり、修行のために集団生活を送る組織をサンガと呼び、3人ではだめだとルールで決まっているそうです。
小規模で独立したサンガが各地に散らばり、全体として仏教という宗教を形づくっている、というのが楊さんの示す構造です。出家した僧侶はそこで共同生活と共同修行を送りながら、1人ひとりが悟りを目指します。
楊さんは、僧侶が集まって「俺たちサンガだ」と言うだけではサンガにならないと強調します。サンガ特有のルールに従って規則正しく暮らして初めてサンガと呼ばれ、その規律こそが律です。
律には「しなければならない」系と「してはいけない」系があります。前者は、半月に1度全員が集まって反省会を開く、決め事は全員集合して全会一致を原則に決議する、悪事をしたメンバーには全員の決議で罰を与える、といったものです。
後者は、ものを盗まない、故意に人を殺さない、性行為をしない、自分が悟ったと嘘をつかない、といった禁止事項です。こうしたガチガチの規則で生活をパターン化し、毎日修行を続けるのがサンガだといいます。
三宝の残り2つについて、楊さんは次のように説明します。仏はもともと釈迦のことで、釈迦を信頼しついていく思いがもともとの仏教の必須条件でした。釈迦の死後、仏の概念は仏像や仏画などのシンボルへと広がります。
法は釈迦が説いた教えで、口伝だったものが文字化されてお経になりました。お経はその後、多くの人による加筆や編集、翻訳を経て、さまざまな文明圏に広がっていきます。
時代が下ると、大乗仏教 ── 紀元前後から興った仏教の大きな流れ。広く衆生の救済を重視し、多くの仏や菩薩が信仰されるようになりましたの登場で仏や菩薩など信仰対象が多様化し、釈迦の言葉という建前で経典も大量に生まれました。それでも僧、つまりサンガだけはほとんど変わらず、釈迦の時代と基本的に同じ形で運営されてきたといいます。
楊さんは、サンガのこうした継続は今も同じで、日本の仏教だけは諸事情で異なるが、その話は後に回すと付け加えています。
| 要素 | もともとの意味 | 時代による変化 |
|---|---|---|
| 仏 | 釈迦その人 | 仏像・仏画などのシンボルや、多くの仏・菩薩へ広がった |
| 法 | 釈迦が説いた教え | 口伝からお経になり、経典が大量に増えた |
| 僧 | 4人以上で修行するサンガ | 律に基づく生活形態はほとんど変わらなかった |
へー。これ面白いですね。(サンガの)手法だけは変わらずに、ソフトとかは変わってってんすね。
1人で修行してはいけない理由は「効率化」
続いて楊さんは、そもそもなぜ仏教にサンガが必要なのかを問います。年に1回集まって説法を聞き、あとは各自が好きな場所で1人で修行するスタイルでもいいのでは、という問いかけに、樋口さんも「いいと思いますけどね」と応じます。
本来の仏教が修行者に必ずサンガへの所属を求める理由について、楊さんの答えは「修行生活の効率化」でした。今のビジネス用語とはニュアンスが違うものの、1人よりも協力し合ったほうが修行はスムーズに進むといいます。
楊さんによると、学者によってはこれがサンガを作った唯一の理由とされ、おそらく釈迦自身のアイデアだろうと考えられています。釈迦は1人で何年も試行錯誤して悟りを開いたため、弟子には同じ苦労をさせたくなかったらしい、というのが学者の見方です。
釈迦の伝記には、悟った後の初めての説法の場面が残っています。5人の弟子のうち2人が教えを聞く間、残る3人は托鉢 ── 僧侶が鉢を持って家々を回り、食べ物などの施しを受ける修行の一つに出て食べ物を集め、次は役割を交代したそうです。修行と生活維持を役割分担で同時にこなしていたわけです。
楊さんは、集団で暮らす効率性を次のように整理しています。
集団を形成することで効率が生まれ、修行の密度を担保できる。楊さんは、質の高い修行が仏教では超重要だからこそ、それを生むサンガの形成もマストだったのだろうと述べます。
樋口さんは、現代では学び方を規則にまではしていないと指摘しつつ、自身の経験にも引き寄せます。
樋口塾とかポッドキャストラボ福岡とかやってますけど、僕、コミュニティ。やっぱり仲間がいるだけで全然違うんですよね。
楊さんは、美しい仏像や大量のお経があっても、僧侶が独立組織として律に従って修行していなければ本来の仏教ではないと言います。ただし、1人で修行する仏教徒が悪いという価値判断ではなく、オリジナルとカスタマイズされた形を対比しているだけで、中国の麻婆豆腐が良くて日本のがダメと言いたいわけではない、と断りを入れています。
働かない僧侶はなぜ食べていけたのか?
楊さんは、ガチガチの規則に縛られた集団生活には、効率化のほかにもう1つ大きな意味があると続けます。それはサンガの存続です。仏教徒の生活は一般社会からのお布施で成り立っており、尊い対象として見てもらえなければサンガは崩壊します。
そうかそうか。だから(サンガは世間に)好かれてないとダメなの。ずっと。
楊さんの説明では、僧侶たちは仕事も家庭も財産も生産活動も捨て、身一つで釈迦の周りに集まりました。釈迦は修行だけが心を改良する唯一の方法と考えたため、労働を極力排除し、生活の糧は天然のものか、一般の人から余り物をもらうよう説いたそうです。
楊さんは本に書かれていた言葉として、これは「虫のいい」考え方だと紹介します。働かずに恵んでもらう立場だからこそ、「この人たちになら余ったご飯をあげてもいい」と思われる立派な生き方が求められました。
律を守ることで僧侶の神聖さを担保し、一般人とは違う証しを示す。修行の基礎条件を確保するために世間に恥ずかしくない僧侶になる必要があり、そのための律なのだと楊さんは説明します。
変なことやってる人は入れませんし、あなたたちはサンガではありませんということによって、サンガに入ってるイコール変な人ではないっていう一定基準を作ってるんですね。
楊さんはこれに同意し、サンガのブランド価値は今の商品のブランド以上に重要だと言います。差別化できなければ、僧侶として死ぬからです。
とはいえ、何十人、何百人と暮らすサンガには、だらしない者も新米もいます。放っておけば世間のひんしゅくを買い、サンガが壊滅しかねないため、行儀作法や僧侶としての振る舞いを新米のうちから徹底して教え、守らせるのが律の役割です。
守らない僧侶はサンガを危険にさらす人物として罰せられ、最も重い罰はサンガからの永久追放でした。
律を守る
僧侶としての振る舞いを徹底し、神聖さを示す
尊敬される
世間が「この人たちになら施してもいい」と感じる
お布施が集まる
働かない僧侶でも生活の糧を得られる
サンガが存続
修行の環境が保たれる。破る者は永久追放で排除する
なんかこれ今でいうとタレント事務所とかでも結構似たようなことあってる気がしますね。やっぱりイメージで売っているから、タレントって。
楊さんは、サンガは完璧な法治社会だと表現します。生産性ゼロの集団が尊敬されてお布施を受け、潰されずに2500年ぐらい存続してきたのは、見方によっては律の力のおかげだといいます。
楊さんはさらに、膨大で緻密な戒律の世界が鑑真をはじめとする仏教徒を包んでおり、戒律を守ることは、戒律によって守られることでもあったとまとめています。
律の専門家「律師」は、今でいう弁護士
楊さんは、律がなければ仏教は続かなかったか、今の形にはならなかったかもしれないと述べたうえで、律の量について語ります。律のボリュームは刑法や民法のように膨大で、よほど勉強しない限り全ては覚えられません。
そのため、サンガの中でも律を全て知っているのは専門的に学んだ特別な僧侶だけでした。彼らは持律者や律師と呼ばれ、今の中国語でも弁護士のことを「律師」と呼ぶそうです。
楊さんによると、サンガは必要最低限の規則だけ覚えて暮らす一般の僧侶と、何かあれば専門知識で問題解決に当たる律専門の僧侶という二重構造でした。一般社会でも、人は最低限の法律だけを覚えて暮らし、特別なときに弁護士や税理士に頼るのと同じです。
膨大な法体系や事例を修めた律の専門家は権威があり、難関資格の士業が社会的地位を持つのと似ています。楊さんは、鑑真がまさにそのような存在だったと位置づけます。
律はなぜ骨抜きにされずに続いたのか
樋口さんは、歴史上の国のルールが権力者の解釈で変えられてきたことと比べ、律の持続力に驚きます。
今まで歴史見てたら国のルールとかって結構権力者が解釈次第だとか言って結構変えてきたじゃないですか。
律がそういう解釈のブレみたいなものをそんなに許さずに続けてきてるの結構すごいなと思いました。
楊さんは、ここまでの話は1つの理想状態だと補足します。2000年以上の間には権力者とのコンフリクトや仏教内部の腐敗もあり、時代や国によっては運用が甘かったり崩壊したりもしました。それでも全体として見れば、律が果たした役割は大きかったと言いたいのだといいます。
律が消えなかった理由について、楊さんは鑑真のような人たちがいたからだと答えます。樋口さんは、律が細かく決められていたからこそ相当勉強しないとわからず、トップクラスの人が管理し、その人たちが自分の立ち位置を守るためにも律を守ったのでは、と推測しました。
楊さんはその見方もありうるとしつつ、より根源的には、律を守らなければサンガが崩壊し仏教徒でなくなるという責任感や危機感があったのではないかと述べます。仏教をやりたくて入ったのに、修行の環境が一挙に崩れてしまうからです。
楊さんは、本来の仏教は自分の意思で入るものだとも指摘します。出家者は性行為ができず子どもが生まれないため、サンガで跡継ぎが育つことは原理的にありません。俗世で育った人が自ら決断して入るため、サンガはモチベーションの高い人だけで構成されていたのです。
楊さんは、戒律への解像度を極限まで上げて生き、修行し、社会と関わってきたのが鑑真であり、だからこそ誰もが敬いたくなる権威あるお坊さんなのだと締めくくります。次回は律の具体的な中身を例とともに見ていく予定で、樋口さんが「ちょっと4人集めよう」と冗談を言って回を終えています。
まとめ
鑑真の軸である戒律は、仏教徒全員の道徳的な「戒」と、出家者集団サンガを維持する罰則付きの「律」からなります。働かない僧侶が社会の尊敬とお布施を得て2500年ぐらい続いてきた背景に、この律の力があったというのが今回の中心的な話です。
- 戒は罰のない道徳的ルール、律はサンガを維持するための罰則付きの法律
- サンガは4人以上の修行集団で、三宝のうちほとんど形を変えなかった唯一の要素
- 集団修行は教育・相互扶助・雑務の分担などで修行の効率と密度を高める
- 律は僧侶の神聖さを示す「ブランド価値の担保」で、お布施に頼るサンガの存続に不可欠だった
- 膨大な律を修めた律師は弁護士のような権威で、鑑真はその代表的な存在




