禁止事項だけで200条以上?律の二重構造
コテンラジオの鑑真編は、第3回で「戒律」をさらに細かく見ていきます。前回の話では、律は僧侶の集団であるサンガを支える仕組みとされていました。律には、修行の質を保つ役割と、世間にサンガの存続を認めてもらう役割があります。
今回、楊睿之さんは戒律の具体的な事例を挙げます。鑑真をはじめとする出家者がどんな世界で生きていたのかを、体感できるようにするのが狙いです。
楊さんによると、律は大きく2つに分かれます。1つは「やっちゃダメ系」の禁止事項で、もう1つは「なになにすべき」という行動マニュアルです。
禁止事項の部分は、さらに2つのパートでできています。条文を並べたリストである波羅提木叉 ── サンスクリット語プラーティモークシャの音写。出家者が守るべき禁止条項を列挙したもので、定期的な集会で読み上げられましたと、各条文を解説する経分別 ── 律の中で、条文ごとに制定の由来・語の定義・具体的な事例を解説する部分です。
経分別には、なぜその規則が作られたのか、条文の言葉の定義は何か、どんな事例があるのかが書かれています。樋口さんは、この2つの関係を「目次と本文」のようだと表現しました。
「なになにしてはいけない」という条文を並べたリスト
条文ごとの由来、言葉の定義、具体的な事例を解説するパート
禁止事項の条文の数を問われた樋口さんは「100」と答えます。楊さんの答えは、およそ200条です。尼僧はもっと多く、律のバージョンによって多少のばらつきもあるといいます。
これだから(200条も)覚えとくだけでも結構厳しいですよね。
楊さんは、これだけの条文をすべて守らなければならないため、律の専門家が必要になるのだと答えています。
追放に値する4つの大罪、まずは性行為の禁止
楊さんは例として、禁止事項の中でも最も重い「4つの大罪」を挙げます。この罪は波羅夷 ── サンスクリット語パーラージカの音写。律で最も重い罪で、犯した僧侶は教団から追放され、出家者としての資格を失いますと呼ばれ、破ればサンガから追放されます。もはや出家者ではない、という扱いになる罪です。
4つの大罪は、性行為の禁止、盗みの禁止、殺人の禁止、嘘の禁止です。樋口さんは、戒の話で出てきた五戒と近いと指摘し、楊さんも重なる部分があると認めます。女性の場合はこの大罪が8個あり、規律がより厳しくなっています。
1つ目の性行為の禁止は、僧侶はどのような形であっても性行為を行ってはならない、というものです。昔は結婚が性行為や子作りと直結していたため、僧侶が結婚できない理由もここから導けると楊さんは説明します。
楊さんによると、修行で精神を鍛えている人が性行為に関わると、その精神の力を一挙に失ってしまうと考えられていました。ただし、釈迦にも出家前に生まれた息子ラーフラがいます。この規則は出家後に守るべきものなので、出家前の子は問題にならないという扱いです。
性行為の禁止には、世間との関係という理由もあります。楊さんは、世間の人々が「僧侶は性的に潔白であるべきだ」と考えている以上、その通念に逆らうのは難しいと話します。
一般の人と同じように結婚し子どもを作る人に、タダで施しを与える納得感は生まれにくいかもしれません。楊さんはそう述べたうえで、日本のお坊さんがなぜ結婚できるのかは、後の回で出てくると予告しました。
抜け道まで想定された条文
性行為の禁止には、意外な例外もあります。肉体的にどうしても我慢できないとき、誰かに「規則が守れません」と告白すれば、その後の性行為に限って無罪になるというものです。
(その例外なら)全部それを言えるやん。
楊さんも同じことを思ったそうです。ただ、この例外が想定しているのは、女性信者に一方的に惚れられた僧侶が、計略にはまって追い込まれたような緊急事態です。抜け道を悪用する僧侶を罰する規定も、律の中に別に用意されています。
この規則には、制定の由来も書かれています。釈迦の弟子スディンナは大金持ちの家の出身で、両親から還俗して家を継ぐよう頼まれました。スディンナが断ると、両親はせめて跡継ぎを残してほしいと言い、スディンナの元の妻を連れてきます。
スディンナは仕方なく元の妻と交わり、子どもを作りました。そのことが釈迦の耳に入り、二度と起きないように性行為の禁止が定められたという逸話です。
楊さんは、由来が併記されていることで、規則をさまざまなケースに当てはめるときの「立ち返るべき基準」になったと考えています。樋口さんはこれを「コンテクスト」と言い換えました。サンガの中では、由来をたたき台に「このケースに当てはまるか」が議論されたのではないか、と楊さんは推測しています。
経分別には語の定義もあります。「僧侶とは何か」「性行為とは何か」が定められ、同性同士の場合や、人に化けた竜との場合といった個別ケースまで判断が示されています。
手をつないだらもうそれは浮気とかいう人もあるし、キスまではOKとかいう人もいるし。
楊さんは、あり得るすべての場合を想定し、適切な判断を下すためのデータベースが律だとまとめます。樋口さんの感想は「本当に法律ですね」というものでした。
盗みの基準は国の法律、僧侶の脱税も大罪
2つ目の大罪は盗みの禁止です。他人の物を盗み、それが国家の法律で厳しく罰せられるほど価値の高いものだった場合に、波羅夷の罪となります。
楊さんが注目するのは、盗めばすぐに大罪になるわけではない点です。律は国の法律を判断基準にしていて、安いものを盗んだ場合は、罪がもっと軽くなることもあります。
つまり国が変わったりとか、時代が変わったら盗んでいいものが変わるんですね。
樋口さんは、盗みの基準が時代のトレンドに自動的に合わせられる仕組みになっていると解釈しました。楊さんも、そういう解釈もできるかもしれないと応じています。
盗みの禁止には、脱税の事例も含まれます。旅で通る関所では本来税金を納めますが、高価な物を持たない僧侶はノーチェックで通れたそうです。
この仕組みを悪用しようと、ある人が同行する僧侶に「私の商品をあなたの鉢に隠して関所を通ってください、後でお布施をあげます」と持ちかけました。誘いに乗った僧侶は波羅夷の罪になる、という事例が示されています。
しかも、関所の境界線を足1歩分越えた瞬間に罪になる、と厳密に決められています。樋口さんは、そこまで細かく決まっているのが面白いと反応しました。
殺人の禁止で問われるのは結果より「故意」
3つ目の大罪は、人を故意に殺した者を波羅夷とする殺人の禁止です。自分で直接殺す場合だけでなく、他人に殺させること、「死ねば幸せになれる」と嘘を言って殺人や自殺をそそのかすことも含まれます。
条文には、さまざまな殺人の方法も紹介されています。突然大声を出して驚かせて殺す、階段の手すりに切り込みを入れて落とす、苦しむ人を安楽死させる方法を家族に教える、といったものです。
なんか殺人マニュアル?これ。
一方で、過失致死は波羅夷になりません。もっと軽い罪か、場合によっては無罪です。楊さんは、この条文のポイントは「故意」であり、結果よりも動機を重視していると説明します。
直接の殺人、他人に殺させること、殺人や自殺の教唆も含めて波羅夷の罪
寺の建設中に投げた石が誤って人に当たった場合など。より軽い罪か無罪
寺の建設を手伝っていて、投げた石が誤って人の頭に当たり死なせてしまった事例が挙げられています。樋口さんは、この点は現代と同じだと受け止めました。
「悟った」という嘘は、なぜ自白した時だけ罪なのか
4つ目の大罪である嘘の禁止について、楊さんは「結構仏教的な決まり」だと言います。自覚もないのに「悟った」「悟りに近づいている」と人に語り、後で嘘だったと自白した者が波羅夷の罪になります。
この規則にも例外があります。本当に悟りに近づいたと思い込んで話し、後で間違いに気づいた場合は無罪です。ここでも動機で判断する軸が出ています。
楊さんによると、この規則の目的は世間との関係性の1点です。問題は僧侶が悟ったかどうかではなく、悟ったと嘘をついてお布施を余計にもらう行為にあります。
信者はどうせなら立派な僧侶にお布施をし、その見返りとして幸福を期待します。その僧侶が「実は悟っていませんでした」と言えば、信者は怒り、詐欺師だと言うこともあり得ます。
(僧侶が)10人いて、本当に悟ってる僧侶は誰なのかみたいなものを一般人が判断しないといけなくなるから、簡単にお布施できなくなりますよね。
嘘の発覚
悟ったと語った僧侶が、実は嘘だったと自白する
信用の喪失
お布施をした信者が怒り、詐欺師だと見なす
支援の途絶
サンガが世間から見放され、養ってもらえなくなる
サンガの崩壊
危険度の高い罪として重罪に位置づけられる
では、自白しなければよいのでしょうか。楊さんが読んだ本の学者によると、悟りは自覚の問題で客観的に計測できず、悟ったふりをし続ける人を他人がロジカルに否定するのは難しいといいます。嘘だとわかるのは本人が自白した場合だけなので、規則も自白した場合に限って罪としています。
楊さんは、この規則が重視しているのは、悟ったという嘘が表に出ることだろうと考えています。性行為も一般社会では必ずしも重い犯罪ではありませんが、サンガでは殺人と同じ4つの大罪にまとめられています。
4つの大罪はいずれも、サンガに危機をもたらす罪として重罪にされています。罪を負う相手はサンガであり、国家や国民ではないというのが楊さんの整理です。
SNS時代の「信用貯金」と、懺悔の人数で決まる罰
樋口さんは、4つの大罪の考え方は今の世の中を見ているとピンとくると話します。SNSの発達によって、嫌われたりダメ人間と思われたりすることが大きなリスクになっているからです。
いわゆる信用貯金みたいなものがいかに重要かっていう、その、こいつ嫌われるとか、こいつダメ人間って思われることが、SNSの発達によってめっちゃリスクになってきてるじゃないですか。
楊さんは、サンガの違いは何がダメで何がよいかを明文化している点だと応じます。現代社会はふわっとした道徳感で動き、その時々の発言力の強い人の判断に引っ張られることもあります。樋口さんも、そこは完全に違うと認めました。
4つの大罪より軽い罪にも、さまざまな罰があります。一定期間の僧侶資格の停止、4人以上の僧侶の前での懺悔、1人の僧侶の前での懺悔、心の中での懺悔などです。
樋口さんは、懺悔する相手の人数が増えるほど罰が重くなる仕組みを面白がりました。楊さんは、サンガがそれほどシステマチックな「超法治社会」だと強調しています。
授戒と布薩、「しなければいけない系」のルール
後半は、サンガのメンバーが「しなければいけない」決まりの話に移ります。これらは犍度 ── 律のうち、出家の儀式や集会、日常生活の作法など、教団運営の規則をまとめた部分と呼ばれ、特に重要なのは集団行事です。
楊さんによると、集団行事が正しく行われないと、サンガの運営が止まってしまいます。指揮系統や運営方法を決めておかないと、烏合の衆になってしまうからです。
最も重要な行事の1つが、出家の儀式である授戒です。サンガは本来、血筋で跡継ぎを作れない世界なので、常に俗世間から新しい人を迎え入れる必要があります。
授戒が正しく行われないと、入門者はサンガのメンバーとして認められません。儀式が無効になる事例や、やむを得ず正式な儀式ができないときの緊急措置まで想定されています。
楊さんは、授戒は一般人が僧侶になる唯一の方法で、この後の鑑真の話でたくさん出てくると念を押します。タイやスリランカなどの上座部仏教 ── スリランカや東南アジアに広まった仏教の系統。初期の教団の戒律や伝統を比較的よく保っているとされますの国でも、韓国・ベトナム・中国などの大乗仏教の国でも、僧侶は必ずこの儀式を受けているそうです。
楊さんは、授戒が残っているのは「日本以外」だと付け加えました。樋口さんは、そこが結構重要そうだと反応しています。
授戒のほかに大事にされているのが、定期的な反省会です。毎月の満月と新月の日、月に2回サンガのメンバー全員が集まり、200条あまりの禁止事項に違反していないかを1つずつ確認し合います。
これ僕あの、毎月妻と家族会議をやってるんですよ。
(家族会議では)今月何か大変なことあった?とか、家庭内の家事の割り振り大丈夫?みたいな話をするんですけど、なんかそういう、だからPDCA回してるんですね。
楊さんも、この反省会はPDCAのチェックを回しているようなものだと応じます。全員が集まる合議制である点を、楊さんは「すごくない?」と評価しました。
「しなければいけない系」には、ほかにも細かなルールがあります。
- 油や蜂蜜などの薬の貯蔵は7日間を限度とする
- 土地や建物などの不動産はサンガの共有財産とし、個人所有を禁じる
- 共同生活で起きる人間関係のトラブルの解決法を定める
樋口さんは、人生をよりよく生きるマニュアルのようだと感想を述べます。楊さんはそれを、修行のために内面も外面もすべて明文化した「もう一つのOS」だと表現しました。
2500年続いた屋台骨と、鑑真が崇められた理由
楊さんによると、戒律は2500年にわたり仏教の土台として屋台骨を支えてきました。鑑真のいた中国では皇帝の権力が絶大で、中国の仏教は皇帝とどう折り合いをつけるかに大きなエネルギーを費やしてきた歴史があります。
時代によってサンガや仏教の力、腐敗の度合いには波がありました。それでも、全体として見ればサンガは独立した組織で、自治を目指していたことは変わらなかったと楊さんは話します。
鑑真がトップクラスの僧として崇められたのは、ギッチギチの戒律の世界で自分の身を律して生きていたからです。楊さんは「それは手を合わせたくなりますよ」と表現しました。
でもそれ(戒律)もでもずっと守ってきた人たちなんや。
樋口さんは戒律の話に夢中になり、鑑真のことを完全に忘れていたと笑います。次回は鑑真の人生に戻り、鑑真がこの戒律の世界とどう関わったのかが語られる予定です。
まとめ
鑑真編第3回では、約200条の禁止事項を持つ律が、由来・定義・事例まで備えた法体系であることが示されました。4つの大罪はいずれもサンガの存続を脅かす罪として重く扱われ、授戒や月2回の反省会がサンガの運営を支えています。
- 律は条文リストの波羅提木叉と、由来・定義・事例を解説する経分別で成り立っている
- 性行為・盗み・殺人・嘘の4つの大罪は、サンガへの危機をもたらすため追放の対象になる
- 盗みは国の法律を基準にし、殺人は故意かどうか、嘘は自白の有無で判断される
- 授戒は一般人が僧侶になる唯一の方法で、日本以外の仏教国では今も残っている
- 鑑真は、この厳格な戒律の世界で身を律していたからこそ崇められた




