経済が止まると福祉も止まる?サッチャーと新自由主義の登場
コテンラジオの社会福祉の歴史編は、前回までで社会福祉のルーツ、福祉国家の出現、イギリスとアメリカの比較を扱ってきました。第3回のテーマは、せっかく登場した福祉国家が行き詰まっていく過程です。
深井さんによると、行き詰まりの理由の一つは、イギリスで経済成長が止まったことでした。福祉国家モデルのおかげでイギリスには手厚い社会保障がありましたが、お金がなければ福祉は続けられないという現実に直面し、財政はひっ迫します。
そこで登場したのが、イギリスの首相マーガレット・サッチャーです。サッチャーが唱えたのは、新自由主義 ── 政府による市場への介入を最小限にし、規制緩和や民営化、自由競争によって経済成長を目指す考え方。英語ではネオリベラリズムと呼ばれますと呼ばれる考え方でした。
新自由主義の立場からすると、ケインズ ── 20世紀イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズ。不況時には政府が財政支出で需要を生み出すべきだと説き、戦後の福祉国家の経済政策を支えました的な経済政策は市場に介入しすぎだということになります。国の介入は最小限にして、自由市場が生み出すイノベーションにもっと価値を見出すべきだ、という主張です。
深井さんは、前回話した「生存権を守ることは、ある意味で所有権の制限だ」という話と対比させます。新自由主義は、人々が経済に参画する能力、つまり所有権のほうを保護して経済成長を生み出そうとするので、削られる財源は社会保障費になっていきます。
政府が主体となって運営する社会福祉は、景気次第になってしまいます。深井さんは、その問題が現代の社会に表れた例として、日本の世代間格差と、移民の保護をめぐる是非を挙げます。
移民の問題について深井さんは、共同体の構成員と見なすかどうかが分かれ目になると説明します。移民を仲間と見なさなければ、その人たちへの分配はいらないという話になってしまうからです。
深井さんはあわせて、2023年の今、新自由主義は経済格差や貧困を広げたとして批判されるのが主流で、特に社会福祉の研究者や従事者はとても批判的だと断ります。そのため、これからの話はやや新自由主義に批判的に傾くかもしれないが、なるべく色がつかないように整理して話すつもりだとしています。
転換点は1970年代。オイルショックとブレトンウッズ体制の崩壊
深井さんが福祉国家の転換点として挙げるのは1970年代です。1945年に第二次世界大戦が終わってから30年にわたり、福祉国家は社会保障を拡大し続けてきました。
ところが1970年代に入ると経済危機が起き、財政的に社会保障を回せなくなります。そこで社会保障を政府の役割から外し、市場に任せる流れが生まれました。もう一つの理由として、工業化社会が終わりポスト工業化社会へ移っていったことも挙げられますが、この点は後半で説明されます。
1970年代のアメリカとイギリスでは、どちらも景気が後退していきます。拍車をかけたのが、1973年にOPEC ── 石油輸出国機構。産油国が石油政策を協調するために1960年に設立した組織ですが石油価格をつり上げたことでした。
深井さんの説明では、中東戦争の影響でアラブ諸国もお金が必要になり、石油価格を上げました。ガソリンがなくなるという恐慌状態が大衆に広がり、金融危機のような状況が起きます。
僕らはね、経験した。テレビで見たことありますから。トイレットペーパーがなくなったっていうやつか。
深井さんは、オイルショックと同じくらい重要な出来事として、ブレトンウッズ体制 ── 第二次世界大戦後に築かれた国際通貨体制。各国通貨をアメリカドルとの交換比率で固定し、ドルを金と交換できるようにしていましたの瓦解を挙げます。要点は、各国の通貨がアメリカドルを中心に交換比率を固定されていたことです。
たとえば日本円は1ドル360円で固定されていました。収録時点では1ドル125円から150円ぐらいを行き来しているので、当時はかなりの円安です。この円安で輸出しやすかったことが、日本経済の復興を支えた側面があるといいます。
為替が固定されていると、各国は為替変動のリスクを気にせず、自国の経済政策に集中できました。現在の円安がアメリカの利上げと日本の金融政策のギャップから生じているように、変動相場制のもとでは他国の動きを見ながらでないと政策を打てません。
第二次世界大戦後の世界経済を安定させるための固定相場を、普通に戻そうと変動相場制にしたところ、通貨市場の安定性が崩れて経済が混乱した、というのが深井さんの整理です。
不況が生んだ「犯人探し」と分断
ブレトンウッズ体制の崩壊で各国の支出が増え、お金を刷った結果インフレが起きました。一方で世界経済は混乱しているので、景気は回復しません。景気が悪いのに物価が上がる、スタグフレーション ── 景気停滞(スタグネーション)と物価上昇(インフレーション)が同時に起きる状態。通常の景気対策が効きにくくなりますの状態です。
深井さんはここで、モーニング娘。の歌詞「世の中は不景気でも恋はインフレ」はスタグフレーションだと渾身のボケを放ちますが、樋口さんの反応は薄く、スベってしまいます。
景気が悪くなると、労使関係も対立していきます。深井さんによると、景気がいい時は雇用主と労働者が協調できますが、景気が悪くなるとパイの奪い合いになり、ストライキやデモが増える闘争の時代に入っていきました。
失業率が上がると、税収や社会保険の拠出金が減る一方、失業保険や社会保障の給付は増えます。福祉国家の財源は、入りが減って出が増える形で圧迫されていきました。
失業は社会の連帯も脅かします。西ヨーロッパでは経済成長期に労働力として大量の移民を受け入れ、移民たちは家賃の安い公営住宅に住んでいました。不況で最初に失業したのが移民たちで、公営住宅は貧困者や長期失業者の集まる場所として見られるようになります。
深井さんは、社会不安が起こると往々にしてマジョリティ側による「犯人探し」が起きると話します。以前のゲッベルスの回で扱った「結局ユダヤ人が悪いんだ」という短絡的な結論と同じ構図だといいます。
特定の地域に集中するマイノリティや移民の失業者は、被害者ではなく社会に害を与える存在として見られ、「あいつらへの給付を打ち切るべきだ」という声も出てきます。憎悪を向けられた移民の側も憎悪をたぎらせ、悪循環に陥っていきました。
誰かのせいにしないと、まず納得できないんだろうな。
もう一つの分断が、高齢者と現役世代の世代間対立です。深井さんによると、少子高齢化が進んだ先進国では1970年以降、「働かない年寄りが増えて若者の負担が増えている」という声が出るようになりました。深井さんは、その良し悪しは言っていないと断ったうえで、今の日本でも同じ言論があると指摘します。
失業かインフレか。政府の優先順位の転換と小さな政府
前回の不況では、ケインズ主義的な財政出動で失業率を改善しようとしました。しかし財政出動をすれば市場にお金が出回り、インフレが進みます。失業率を下げたいのに、下げようとするほど経済が混乱するという困った状態に、各国政府は陥りました。
深井さんは、この状況で政府の優先順位に歴史的な転換が起きたと説明します。もともと一番大事だったのは失業率を下げることでしたが、それを諦め、インフレのコントロールが政府の目標になりました。
失業率を下げることが最優先。財政出動で雇用を守る
インフレ抑制が最優先。通貨を刷るのをやめ、失業率は上がっていく
両方を同時に改善することはできないため、失業は野放しになります。その結果、福祉国家を運営してきた左派政権は支持を失い、右派政党が躍進しました。
その代表が、イギリスのマーガレット・サッチャーとアメリカのロナルド・レーガンです。二人はフリードリヒ・ハイエク ── オーストリア出身の経済学者。計画経済や政府の過度な介入を批判し、自由市場の意義を説きましたやミルトン・フリードマン ── アメリカの経済学者。シカゴ学派を代表し、市場の働きを重視して政府介入の縮小を主張しましたらの理論と、それを支持する右派シンクタンクの見解を頼りに、新自由主義的な改革を進めます。
具体的には、社会保障と公共セクターを削減していきました。深井さんは日本の例として郵政民営化、タバコ公社、NTT、そして樋口さんが挙げたJRを紹介します。日本の場合は新自由主義の方策として打たれたわけではないものの、国がやっていたことを民間に任せる「小さい政府」の動きが、この時期にイギリスやアメリカでも取られました。
新自由主義の側は、福祉国家を企業経営や産業活動の邪魔をするものとして捉えるようになります。深井さんは良し悪しの判断は難しいとし、国鉄時代はサービスがひどかったと聞く一方で、民営化後は安くサービスが良くなった代わりに不採算路線がなくなったと、一長一短を示します。
楊さんは、福祉国家は自由市場のリスクから生まれたのに、今度は逆に自由市場の側から攻撃されるようになった点を面白いと話します。
どうすれば福祉国家を維持できたのかという問いに、樋口さんは「全員でめちゃくちゃ頑張れば」と冗談で返します。すると楊さんが、サッチャーも同じことを言っていると指摘し、サッチャーの言葉として「私たちの人生の質は、一人一人がどのくらい自分自身に対する責任を負う用意があるかどうか」を紹介しました。
深井さんは、日本でも「失われた30年」をめぐって政府への批判があり、批判はあってしかるべきだとしつつ、国家の経済政策は誰がやっても難しい問題だと感じると話しています。
工場がなくなると、なぜ労働者の声が届かなくなるのか
深井さんは、福祉国家を終焉に向かわせたもう一つの要因として、ポスト工業化社会の影響を挙げます。工業化社会とは、大量生産の工場でたくさんの労働者が一緒に働く体制のことです。
グローバリゼーションやブレトンウッズ体制の瓦解による為替の自由化などで、産業構造全体が変わり、工業製品づくりが国の産業の中心ではなくなっていきました。労働集約型の経済ではなくなったということです。
深井さんは、社会保障を手厚くしてきたのは労働者の社会運動だったと振り返ります。選挙権が欲しい、生活を保障してほしいという要望が政府の政策に反映されてきたのは、同じ境遇の労働者が工場に集まり、声を一つにまとめやすかったからでした。
一方で、産業構造が変わると労働者はまとまれなくなります。深井さんは、完全テレワークのコテンや、中国の工場とアメリカ本社で働くAppleの労働者を例に、国も境遇も給料も違う人たちが一つの声を政府に届けるのは難しいと説明します。
産業構造の変化
グローバル化や為替自由化で、工業が国の産業の中心でなくなる
工場の海外移転
国内の労働者は失業し、国外で新たな労働者が雇われる
連帯の喪失
同じ境遇の労働者が一か所に集まらず、声をまとめられない
社会運動の弱体化
社会保障を求める動きが政府にうまく届かなくなる
1970年代の脱工業化で特に起きたのは、工場の海外移転でした。国内で声を上げていた労働者はただの失業者になり、連帯もできず打ち捨てられていきます。国外で雇われた労働者が改善を訴えても、本社はアメリカやイギリスにあるため、声はうまく伝わりませんでした。
「底辺への競争」と、北欧だけが福祉を守れた理由
楊さんは、アメリカの経済学者アラン・トネルソンアラン・トネルソンがこの状況を表した言葉として「底辺への競争」を紹介します。
グローバリゼーションが進む中で、世界規模で経済競争が繰り広げられてるわけなんですよね。それに従って、労働者の賃金も社会保障も最低水準まで落ち込んでいくと。
楊さんによると、海外移転のハードルが下がった企業は、人件費のかからない国へ移っていきます。労働者に国内へ残ってもらうには給料を抑えつけるしかなく、みんなが底辺を目指して競争する状況が生まれました。
深井さんは、この時期に起きた出来事をさらに2つ挙げます。1つ目は人口動態の変化です。人口ピラミッドがピラミッド型なら多い生産人口で子どもや高齢者を支えられますが、少子高齢化では支えきれません。今の日本と同じことが、1970年代の西欧諸国ですでに起きていました。
2つ目は移住や移民です。社会福祉は仲間への幸福の提供なので、イギリスやアメリカのような多様性の高い社会では、誰を仲間と見なすかで合意が形成できず、社会保障が手薄になっていきました。
多様性が高く、誰を仲間と見なすかで合意が得にくい。社会保障を復活させる動きにならなかった
小さく同質性が高く、合意が得やすい。社会保障を堅持する動きが出た
深井さんは全体をこうまとめます。1970年代まではイギリスもアメリカも北欧も福祉政策を推進してきましたが、為替の仕組みの変化やオイルショックで経済が混乱し、福祉国家は維持できなくなりました。さらに社会構造の変化で、社会保障を守ろうとする人たちも分断されていきます。
多元的な社会では合意形成が難しく、英米では社会保障を復活させる動きが起きませんでした。一方、同質性の高い北欧は社会保障を守ったため、今も手厚い社会保障の国として知られている、という整理です。楊さんは、スウェーデンも移民を受け入れたことでさまざまな問題が起きており、次回で扱うと予告しています。
工場で働かないことが福祉国家を揺らす、歴史のバタフライエフェクト
ポスト工業化と福祉国家の関係がつながったことに、樋口さんは「マジバタフライエフェクト」だと驚きます。工場で働く人は頼まれたから作っているだけで、それが福祉国家に影響するとは誰も思っていない、という感想です。
樋口さんはさらに、ポスト工業化と福祉国家の行き詰まりという2つの事実を知っていても、自分ならつなげられないと話します。深井さんも、社会学者や歴史学者の洞察はすごく、コテンラジオはそのインサイトを整理しているだけだと応じます。
深井さんはここで、ゆる言語学ラジオで扱われた科学的推論の3種類を紹介します。データから一般ルールを見つける帰納、ルールを当てはめる演繹に加えて、全く関係のない2つを結びつけて仮説を立てるアブダクション ── 観察された事実を最もよく説明する仮説を立てる推論の方法。アメリカの哲学者パースが提唱し、発見の論理とも呼ばれますが大事だという話です。人文学の研究者もこの推論をしているから、こうした洞察につながると深井さんは考えています。
樋口さんは話を広げ、コンビニのレジ前に置いた商品が理由もわからず売れることや、AIが何億回も将棋を指して理由不明の良い一手を見つけることを挙げます。理由がわからない因果もあるなら、人間が認識できている歴史の因果はほとんどないのでは、とも感じたそうです。
福祉国家を支えていたのは誰か。家事労働とフェミニスト経済学
楊さんは最後に、個々の家庭へ視点を下ろした論点を提示します。戦後の福祉国家は、一家の大黒柱である男性の稼ぎで生計を立て、女性が家事や子育て、高齢の親族の介護を担うという家族モデルを前提に設計されていました。日本でも高度経済成長期に、男は外で働き女は専業主婦という形が一般化しました。
フェミニズムの側からは、家の中で無償労働をしてきた女性の価値が、福祉国家の中で評価されていないという批判がなされています。楊さんは、福祉国家を支えてきたのは外で稼ぐ男性だけでなく、家庭内で無償労働をしてきた女性でもあると強調します。
旦那がですね、妻に対してさ、お前は誰のおかげで飯を食えてんだみたいなことを言ったりとかしますよね。
自分の労働力が誰のおかげで維持できるか全く理解してない旦那ですよね。
この無償労働に光が当たったのは1990年代で、経済学の分野からでした。家庭内の家事やケアを経済的に分析し、労働を再定義して無償労働を測定・評価し、政策に落とし込むフェミニスト経済学 ── ジェンダーの視点から経済を捉え直す経済学の分野。家事やケアなどの無償労働を分析の対象に含めますが立ち上がります。樋口さんはこれを聞いて、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を思い出していました。
番組では、福祉国家は万能のケアを提供していたわけではなく、女性の無償労働に支えられていたこと、それが理解されたのは1990年代とごく最近だったことが確認されます。楊さんは、当たり前の前提の中にある矛盾に気づくにはタイムラグがあると話します。経済が落ち込んで共働きが必要になり、女性が家庭の外に出るようになって、見えなかった矛盾が表に出てきたという流れです。
樋口さんは、自身の核家族での経験から考えを述べます。夫婦2人で子どもを支えると、家事育児と仕事の時間を同じテーブルに載せて配分することになります。一方、役割が固定されていると、家事育児と労働は同じ時間と同じ人を使っているのに、別の次元のもののように感じられてしまう、という指摘です。
楊さんは、そこにあるジェンダーバイアスをどう修正していくかが問われていると応じ、第3回は締めくくられました。
まとめ
戦後に拡大した福祉国家は、1970年代の経済危機と社会構造の変化によって行き詰まり、英米では新自由主義による小さい政府へと転換しました。その背景には、経済だけでなく、労働者の連帯の喪失、社会の多様化、家庭内の無償労働という見えにくい前提もありました。
- 政府が担う社会福祉は景気次第で、パイが小さくなれば分配も縮む
- オイルショックとブレトンウッズ体制の崩壊がスタグフレーションを招き、政府は失業よりインフレ抑制を優先するようになった
- 不況は移民への「犯人探し」や世代間対立などの分断を生んだ
- 工場の海外移転で労働者がまとまれなくなり、社会保障を求める声が届きにくくなった
- 福祉国家は女性の無償労働に支えられており、その価値が注目されたのは1990年代のフェミニスト経済学から




