火薬を発明したのは誰か
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火薬を発明したのは中国だと、今では言われています。深井さんによれば、1960〜70年代ごろまで、ヨーロッパの人たちは火薬もヨーロッパ人が発明したと考えていたそうです。
当時のヨーロッパの文献では、ドイツのベルトルト・シュヴァルツ、イギリスのロジャー・ベーコンといった、半ば伝説的な人物が発明したと語られていたと紹介されます。
しかし調査が進むと、火薬は1500年ほど前に中国の錬丹術師たちが作ったのではないかと、今は考えられているといいます。
その錬丹術師とは何かというと、不老不死の霊薬を求める人たちのことだと深井さんは説明します。仙人や天女といった世界観のルーツにある道教から来ています。
不老不死をめぐる道教の世界観
不老不死は道教が求めるものだと深井さんは言います。道教は老子をルーツにしつつ、老子とはもはや全然違うことを言っている思想だとも補足されます。
道教の中では、老化は「三屍(さんし)」と呼ばれる三つの虫のような何かが悪さして起こると考えられているそうです。逆にこの三屍を追い出せば、肉体が永遠に若く生きられるとされます。
その永遠に若く生きる存在が仙人です。深井さんは、仙人にはおじいちゃんだけでなく、封神演義に出てくるような若く強い男性もいると付け加えます。
道教では精神と肉体がつながっていると考えられ、精神を鍛えることで究極的には不老不死になれるとされます。ただ、その修練はあまりに大変なので、薬で一発でなれる方法はないかと考える人たちが現れました。
いやドーピングやん。そんなことある?全然無為自然じゃねえ。
樋口さんは、それはもう老子の思想からかけ離れていると指摘します。深井さんも、老子から離れた思想になっているが、一応は道教なのだと応じます。
水銀を飲む――命を賭けたトライアンドエラー
不老不死を探求するため、錬丹術師たちはさまざまな霊薬を調合し始めます。深井さんは、日本に来たとも言われる徐福 ── 秦の始皇帝に不老不死の薬を求められ、大勢の子どもを連れて船出したと伝わる人物。日本各地に上陸伝説が残る。も錬丹術師と言えるのではないかと話します。
彼らは不老不死になるために、ヒ素や水銀を抽出して飲ませたりしていました。始皇帝も実際に水銀を飲んで死んだと言われています。
ところが、飲んで体調が悪くなると、その苦しみに耐えないと不老不死になれない、という理屈になってしまうと深井さんは説明します。苦しみに耐えれば三屍が追い出されるという発想です。
でも当時の人の感覚からすればさ、液体なのに銀色でキラキラしてるっていう風に、なんかすごいものだっていう感覚が絶対あったと思うんですよ。
深井さんは、切羽詰まって死期を感じているときはそうなりやすいのではないかと言います。根拠はないが「なんかすごそう」「行った方がいいかも」と思わせる何かが、神秘的なものには常にあるという見方です。
当時は有害かどうかもわかっていなかったため、なぜ死んだのかもわかっていなかったと深井さんは付け加えます。実際にはヒ素と水銀で死んでいても、それが原因とは思われていなかったのです。
「火の薬」――火薬はこうして見つかった
錬丹術師たちは、ヒ素・水銀・鉛などを抽出して飲むだけでなく、あらゆる化学物質を混ぜ合わせる実験を繰り返しました。いろいろこねくり回すうちに、火薬が発見されます。
火薬さ、火の薬じゃないですか。なんで薬が入ってるって思ったことないですか?
深井さんの答えはシンプルで、火薬は不老不死の薬を求めていたときに作った薬だから「火の薬」なのだと説明します。燃やすと爆発するとわかっていたので、火薬という名前がついたのです。
最初にできた火薬は、木炭・硫黄・硝石などの混合物だったようです。今の火薬より爆発物としての機能は少ないものの、よく燃えるので火薬と名づけられたといいます。
硝石は硝酸カリウムのことで、穴蔵や牛小屋のようなあたたかく多湿な場所、排泄物が分解されるようなところにあるそうです。錬丹術師たちは、そうしたところの硝石を削って飲んでみたりもしていました。
漢方も火薬も、その先にあったもの
楊さんは、漢方も普通なら食べないものをあえて煮込んだりする点で似ていると話します。深井さんも、殷の時代の吉凶占いに使う亀の甲羅を削って飲んだ例を挙げます。
何だろうと思って壺の中覗いたらセミの殻とムカデがあったんだよ。
楊さんは、幼い頃に祖母の家で漢方を飲まされた思い出を語ります。魔女が汁を作るように壺でいろいろ煮込んでいて、覗くとセミの殻とムカデが入っていて、衝撃で記憶があいまいになったといいます。
一方で深井さんは、漢方を今でも飲んでいて、効くときは効くと話します。あらゆることを試したからこそ効果がわかっているのだ、という点で火薬と共通しています。
薬から兵器へ――中国の火薬兵器
火薬が薬として見つかったのは、時代を下って7〜9世紀ごろのようです。650年頃に錬丹術師の孫思邈が最初の形態を、808年頃に趙泰安が火薬らしい記述を残したとされ、800年頃ではないかと指摘されています。
爆発するとわかった時点で、すぐに軍事利用できるのではと考えられました。800年頃に発見されてからすぐに軍事利用が始まったらしいのですが、詳しいことはよくわかっていないと深井さんは言います。
それから約400年後の1200年頃には、中国はすでにありとあらゆる爆発兵器を持っていました。焼夷弾、火炎放射器、爆弾、ロケット、大砲、そして銃までも作っていたそうです。
不老不死であらゆるものを混ぜまくってたら、(人の命を縮めるものができてる)。
ただし、この400年間の火薬は今のような爆発力ではなかったと深井さんは補足します。硝石の含有量が少なく、最初は発火装置のような使い方をされていました。
その後、硝石の割合を増やせるようになると、投石機や弩(クロスボウ)の投射物に混ぜて着弾時に爆発させたり、火矢や火炎放射器、手榴弾、ロケット花火のように段階的に強い使い方へと進化していきます。
中二病のようなネーミング――火矢から飛雲霹靂砲まで
深井さんは、中国の火薬兵器には「中二病みたいな」名前が多いと紹介します。楊さんに中国語読みも交えてもらいながら、いくつかの兵器を挙げていきます。
- 火矢――竹の棒の先に容器を付けて火を出す火槍もある
- 霹靂砲――光や煙を出すスモーク・フラッシュグレネード
- 震天雷――元寇で「鉄砲」として教科書に載るグレネード
- 地老鼠――地を走るネズミの名を持つロケット
- 飛雲霹靂砲――「飛ぶ雲の霹靂砲」という名の大砲
火槍は竹の棒の先に容器を縛り付け、そこから数分間ほど炎が出続ける火炎放射器だと説明されます。派手なイメージほどの炎ではないものの、向けられたら困る武器です。
震天雷は、元寇の際に元軍が使い、日本の教科書に「鉄砲」として載っている爆弾だと深井さんは指摘します。殺傷というより音や光の効果を狙ったもので、走ってくる馬を止める効果もありました。
鉄×火薬=大砲、そして国家機密
こうした兵器のあとに大砲が登場します。大砲には火薬の爆発力に耐える鉄が必要ですが、中国は早くから鋳造ができたため、大砲も比較的いち早く作れたそうです。
鉄砲・大砲の技術は中国でも「すげえぞ」とされ、明の公式の歴史書にも国家機密で絶対に言ってはいけないと書かれているほどだったといいます。
最初期の大砲は1280年代ごろに中国で使われ、ヨーロッパで初めて登場するのはその50年ほど後です。さらに200年ほど前から中国で砲が使われていたという説もあり、中国の方が早いことは間違いないとされます。
火薬は中国の社会をあまり変えなかった
兵器利用は社会に大きな影響を与えますが、深井さんによれば、中国では火薬によって戦争の勝敗が決まったことはあまりないといいます。ヨーロッパとは対照的です。
理由の一つは、当時の火薬兵器がまだ未発達で、何千個も用意できなかったこと。中国は元々すごい物量で戦うため、局地的には強くても勝敗を決めるほどにはなりにくかったと説明されます。
戦略的に効果を出せるものっていえば馬とかの方が強いんだよね。大量に準備できるから。
もう一つ皮肉なのは、大砲ができた直後ぐらいから明帝国の時代になり、約300年間わりと平和で戦争が少なかったことだと深井さんは指摘します。そのぶん、火薬はのちにヨーロッパで発達していきました。
トイレ侵入権と中央集権国家
中国で火薬が社会を大きく変えなかったもう一つの理由として、深井さんは硝石の集め方を挙げます。硝石は牛小屋やトイレのような限られた場所でしか取れません。
これを広範囲から集めるには、いろいろな場所に立ち入れる権利――深井さんの言う「トイレ侵入権」――が必要です。一地主では硝石の量が足りず、国家全体から集める必要があるといいます。
結論として、中国は最初から中央集権国家だったから火薬で社会構造が変わらず、ヨーロッパは地方分権だったから火薬で中央集権国家化していったと深井さんはまとめます。
楊さんは、火薬は中央集権国家を形成した複合的な要因の一つであり、そのなかで大きな役割を果たした物質の一つだと補足します。
さらに、爆発兵器や大砲は製造コストが高く、大量生産しないと割に合いません。大量生産体制を取れるのも国家しかなく、それができる人に力が集まる現象が起きました。当時は株式会社がなく、大きなリソースをまとめられるのが国家だけだったのです。
硝石が必要
火薬の原料はトイレや牛小屋など広範囲からしか集められない
国家しか集められない
横断的に立ち入れる権利を持つのは中央集権国家だけ
兵器は高コスト
爆弾・大砲の大量生産も国家しか担えない
国家が強くなる
火薬を運用できる国家が戦争で有利になる
中央集権化が進む
どの国も中央集権国家化へ向かう
イスラム世界からヨーロッパへ
中国で大砲ができた後、まず伝わったのは地理的に近いイスラム世界でした。火薬自体はヨーロッパまで伝わっていたものの、軍事利用の概念はまだなかったようです。
きっかけはモンゴル軍です。1240年頃、モンゴル軍が焼夷矢のような火薬兵器を使っていたのを見て、イスラム世界が「こう使えばいいのか」と気づいたと深井さんは説明します。
そうか。いくら国家機密でも戦争で使ったらバレちゃうもんね。
モンゴルは中国統治下で中国人技術者の裏切りを恐れ、アラビア人やムスリムの顧問を多数使っていたといいます。グローバルな人材を通じて、火薬の軍事利用技術がアラビア世界へ伝わっていきました。
そこからさらにヨーロッパへ伝わります。サラディンと十字軍が戦った時にも火薬が使われていたそうで、十字軍を通じてヨーロッパにも火薬兵器が広がっていきました。
大砲で自軍が死ぬ――扱いの難しい兵器
初期の火薬兵器や大砲は誤作動が多く、爆発することもありました。銃も手の近くで爆発するため、非常に危険だったと深井さんは言います。
楊さんは、火薬は固体が一気に気体になって体積が約3000倍に膨れ上がる代物であり、コントロールするための技術の蓄積が必要だったと補足します。
その後、オスマン帝国はイエニチェリの火縄銃や、コンスタンティノープル陥落時のウルバン砲などで大々的に火薬を活用し、戦争を有利に進めていきました。
ヨーロッパはなぜ中央集権化したのか
ヨーロッパで火薬兵器はまず海の上で使われました。ジェノヴァのガレー船や百年戦争のジャンヌ・ダルクの場面などです。ただ初期の艦上大砲は威力が弱く、船を壊すより乗組員に当てて殺す使い方だったといいます。
当時のヨーロッパは地方分権的な領邦国家でした。しかも気候が低温で、中国南部に比べ硝石が土壌でできにくく、集める難易度がより高かったのです。
その難しい硝石を集められる中央集権国家ほど火薬を多く持て、戦争で有利になります。結果として、どの国も「中央集権国家化しなきゃ」という方向に動いていったと深井さんは説明します。
実際、エリザベス1世の時代のイングランドでは、16〜17世紀に「政府の人間は自由に便所に入っても良い」とする法律まで作られたそうです。硝石はただそこにあるだけなのに、人間によって意味を与えられてしまったのです。
火薬の進化――コーニングから無煙火薬へ
火薬自体も進化します。深井さんは「コーニング」という技術を紹介します。粉状だった火薬をペースト状にして任意の大きさにまとめ、乾燥させることで、狙った爆発力を出しやすくする技術です。
これにより燃焼効率や爆発力が高まり、銃も作りやすくなりました。どのくらいの粒の大きさが銃に最適か、といった調整ができるようになり、マスケット銃などへ進化していきます。
銃の機構も進化します。火縄銃にトリガーがあるのは、自分が撃ちたいタイミングで発射させ、点火から発射までの時間を固定したいからだと深井さんは説明します。
火をつければいくはずなのに、指でなんでトリガーを引くかっていうと、自分が発射したいタイミングで発射してくれないと困るじゃないですか。
火縄銃はS字型の金具の片方に火縄をつけ、トリガーを引くと点火する仕組みでした。これが進化すると、トリガーで火打ち石が回転し火花を出して発砲するマスケット銃になります。火縄より安定し、発砲までが短くなりました。
19世紀、化学革命以降には無煙火薬が登場します。煙が出ないため、大砲を連射しても視界が遮られず、そうした優位さから一気に広がりました。この頃には科学が関与し、元素の組み合わせを頭の中で考えて開発できるようになっていました。
歩兵が騎兵を超え、軍と国家が変わる
火薬のもう一つの大きな影響は、軍隊のあり方の変化です。銃の登場によって、それまで強かった騎兵より歩兵が強くなりました。
武器を持たせるほど強いので人数を増やした方がよく、大規模な軍隊に大規模な銃を持たせて動かすことが重要になります。大砲を撃つには角度や火薬量の計算も必要で、教養と教育、つまり訓練が求められるようになりました。
それまでのヨーロッパは、お金で戦争のときだけ雇う傭兵文化でした。しかし火薬に関しては、訓練した常備軍を持つ方が強いという現象が起きます。
こうして中央集権国家が常備軍を持つようになり、絶対王政が出てきます。深井さんは、火薬をきっかけに国家が大きい方がよく、常備軍があった方がよく、教育が必要で歩兵が強くなる、という変化がなし崩し的に起きたと語ります。
さらに、絶対王政が出たからこそ後の民主主義があり、帝政時代があったからこそ第一次世界大戦が起きたと深井さんは言います。鉄も火薬も、その全てに影響しているという見方です。
騎士の没落、城の巨大化、官僚制
傭兵時代の中世ヨーロッパには騎士がいましたが、彼らが歩兵より弱くなり、権威が失墜して騎士階級が消えていく、という社会変容も起きたと深井さんは指摘します。
城のスタイルも変わりました。大砲で壊せるため、小さな要塞ではなく大砲でも壊せない巨大な城が必要になります。巨大な城を作れるのも中央集権的な大国家だけなので、バラバラだった人々がまとまる方が有利になっていきました。
楊さんは、中国は小さなイノベーションが起きても物量でクリアできてしまうため、小さなイノベーションがパフォーマンスを発揮しにくい環境だったのではないかと私見を述べます。
一方、オスマン帝国やムガル帝国は火薬を大いに使い、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はコンスタンティノープル陥落によって滅んでいきました。火薬の登場で国の版図まで塗り替えられたのです。
中央集権化と軍事コストの増大は、税金徴収体制の強化を迫ります。これによってヨーロッパで官僚制が育っていきました。中国はもともと官僚制だったため、ここでも影響は小さかったといいます。
不老不死の薬が、宇宙まで届いた
深井さんは、中国人が不老不死の薬を探していたら、最終的にヨーロッパで中央集権国家ができた、という連鎖を「風が吹けば桶屋が儲かる」だと表現します。バタフライエフェクトの見事な例です。
しまいにはさ、ロケットをさ、宇宙に飛ばすみたいなところに繋がるわけ。
火薬の技術の延長線上には、宇宙へ飛ぶロケットや、進化し続ける銃があります。第一次世界大戦のマシンガンのように、人を大量に殺せる方向への進化もありました。
火薬の用途を尋ねられた深井さんは、武器と花火のほか、土木建築で大きく崩す際のダイナマイトやダム建設などを挙げます。楊さんは「人の死に方が変わった」とも言えると付け加えます。
最後に深井さんは、火薬がある世界とない世界では歴史が全く変わっていただろうと締めくくります。次回のテーマは、武器には使わない農耕技術です。
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まとめ
火薬は、不老不死を求めた中国の錬丹術という思わぬ場所から生まれ、兵器化を経てヨーロッパの中央集権国家化、官僚制、絶対王政、さらには宇宙開発にまで連なる長い連鎖を引き起こしました。同じ火薬でも、社会構造の違いによって中国とヨーロッパでは影響が大きく異なった点が、この回の核心です。
- 火薬は「火の薬」で、不老不死の霊薬を調合していた中国の錬丹術師の実験から生まれた
- 硝石は限られた場所からしか集められず、それを担える中央集権国家ほど火薬を運用できて有利になった
- 最初から中央集権だった中国は火薬で社会が変わらず、地方分権のヨーロッパは火薬で中央集権化した
- 銃と大砲は歩兵を強くし、常備軍・訓練・教育・巨大な城・官僚制を必要とし、絶対王政へつながった
- 火薬の連鎖は騎士の没落や東ローマ帝国の滅亡、そしてロケットや土木建築にまで及んだ




