奴隷解放宣言の人・リンカンと、避けて通れない奴隷制の話
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リンカン編も第5回に入ります。前回は奴隷制度の成り立ちと、当初から反対者がいたという話が語られました。
今回のテーマは、独立後のアメリカが西へ拡大していく過程です。深井さんは、リンカンが奴隷解放宣言を出した人物であるため、奴隷制はこのシリーズで避けて通れないと話します。
奴隷制がどういう感覚で当時の人たちに受け入れられたり批判されてたのかを、今までで一番解像度高く紹介していくことになるんで。
独立戦争が終わってひと段落し、話は再び時系列に沿って進みます。当時のアメリカは、東部のごく狭い範囲にある13植民地から西へと少しずつ広がっていた段階でした。
日本の6倍がボンっと増えた、史上最大の不動産取引
第3代大統領トマス・ジェファソンの時代に、アメリカ史上最大級の領土拡大が起こります。舞台となるのはミシシッピ川より西の「ルイジアナ」と呼ばれた地域です。
番組では、ミシシッピ川以東・以西のルイジアナという長い呼び方を、便宜的に「東ヒッピ」「西ヒッピ」と呼んでいます。
ミシシッピ以東(のルイジアナ)が東ヒッピですね。で、以西が西ヒッピです。絶対こっちの方が分かりやすいけど。
当時この西ヒッピを領有していたのはフランスでした。ナポレオン統治下のフランスは、遠く離れたこの地域を実質的にほとんど開拓できずにいました。
一方でフランスは資金を必要としていました。樋口さんは、その背景としてカリブ海のハイチでの奴隷反乱鎮圧や、ヨーロッパでのナポレオン戦争にかかる巨額の軍事費を挙げます。
だったら安値でルイジアナを処分できればそれでもありがたいっていう風に考えてたみたい。
他国に取られるより売った方がましというフランスと、借金してでも買いたいアメリカの思惑が一致します。こうして、フランスから広大な西ヒッピが買い取られました。
憲法にない権限をどう乗り切ったのか
領土拡大の際には、新たな領土の併合が連邦政府の権限内にあるのかという議論も起きました。深井さんは、これはチャーチ型とセクト型のせめぎ合いだと整理します。
アメリカ憲法では、憲法に記載のない権限は州または国民に属するとされ、大統領に海外領土の購入権を与える条項はありませんでした。ジェファソンもこの点に気づいていたと樋口さんは話します。
結局ジェファソンは、憲法を修正するのではなく拡大解釈で乗り切りました。憲法前文の「国の防衛」「国民の福祉増進」という目的や、大統領の条約締結権をよりどころにしたのです。
外国との条約を締結する権限も、まあこれによって付与されるんじゃないのっていう拡大解釈で一応乗り切ったっていう。
購入後、ジェファソンは新領土の実情調査のため探検隊を派遣します。メリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークを隊長とする一行は、約2年かけて往復8000マイル、およそ1万3800キロを踏破しました。
探検隊は土壌、動植物、化石、鉱物、火山活動、気候などを記録して回りました。深井さんは、これを未探検の暗いマップを少しずつ明るくしていく作業にたとえます。
ゲームの暗くなってるマップの未探検の暗くなってるとこ。行ったところかわかんないみたいな状態を、何があるかわかる状態まで持っていく。
なぜアメリカだけが「オープンワールドの国」だったのか
深井さんは、この探検の感覚を捉えてほしいと言います。通常この時代、他国の領土に進軍すれば戦いが避けられません。しかしアメリカ大陸では事情が違いました。
そこにはネイティブアメリカンが暮らしていましたが、アメリカ側は彼らの土地とは見なさず、フランスと勝手に売り買いをしていました。深井さんは、その根底にキリスト教徒がいない空白地帯という感覚があったと指摘します。
ネイティブアメリカンがいるのにも関わらず、それはキリスト教徒がいないからなんだよね。空白地帯だっていう感覚で進めてるんだと思う。
ネイティブアメリカン側には、そもそも土地を所有するという概念がなく、土地は人間を含むみんなのものだと考えられていたと樋口さんは補足します。所有の概念を持つ側だけが、一方的に領有を広げていきました。
船を止められて激怒、再びのイギリスとの戦争
この状況の中で、アメリカは再びイギリスと戦争します。1812年に始まったこの戦争は米英戦争、あるいは1812年戦争と呼ばれます。
当時ヨーロッパではナポレオン戦争が続いており、アメリカは中立を保っていました。しかし第4代大統領ジェームズ・マディソンの時代、アメリカ国内でイギリスへの反感が強まっていきます。
独立からまだ数十年で、もともとイギリスへの感情的なしこりが残っていた上に、イギリス側はアメリカをまだ田舎者、自分たちの子ども扱いしていたと深井さんは話します。
決定的だったのは、公海上でイギリス海軍がアメリカの商船を勝手に停止させ、船員を強制的に徴用していたことです。脱走兵を探す名目でしたが、アメリカ人まで巻き込まれ、なめられていると受け取られました。
自分たちの自由独立をまた侵してくるんじゃんみたいな。やめろやみたいな。
連邦議会では、ヘンリー・クレイやジョン・C・カルフーンといった政治家が台頭していました。西部や南部出身の彼らは血気盛んな好戦派で、イギリス領カナダやスペイン領フロリダまで手に入れたいと考えていました。
取れるもん全部取ったろぐらいの感じなんですよ。
世論の怒りと好戦派の勢いを背景に、アメリカはイギリスに宣戦布告します。船を止められた程度で開戦するのはやや過剰にも見えますが、樋口さんは弱小国としての危機感もあったと見ています。
自分たちが弱小だっていう自覚があるから、ここでパツンとやらないと、めっちゃ侵されるっていう危機感もあったかもしれない。
ホワイトハウスの名前の由来と、戦争が残したもの
米英戦争でアメリカはカナダの奪取をねらいますが、失敗します。カナダ側はイギリスの援軍とともに侵攻を押しとどめ、この過程でカナダも国としてのまとまりを強めていきました。
1814年には首都ワシントンがイギリス海軍に攻略され、大統領官邸や連邦議会の建物が焼き討ちにあいました。マディソンは焼け残った外壁を使い、ほぼ元通りの官邸を再建します。
この時、焼け焦げた外壁を白く塗装したことが、ホワイトハウスという呼び名の由来になったと深井さんは紹介します。
戦争は1814年に講和条約が調印されて終結します。ただ、その情報が届く前に、アンドリュー・ジャクソン将軍がニューオーリンズでイギリス軍を撃破し、大勝利をおさめました。
電信もない時代のため、講和成立を知らないまま戦闘が起きたのです。ジャクソンはこの勝利で国民的英雄となり、後に第7代大統領、20ドル札の顔となります。
深井さんは、この米英戦争が持った意義は非常に大きかったと整理します。1つ目はナショナリズムの高まりです。
戦争って我々と彼らとの境界線を明確にするっていう機能があるんですよね。仲間と敵を明確にね。
2つ目は産業への影響です。敵国イギリスの工業製品の流入が止まったことで、もともと奴隷制にほぼ頼らず資本主義に踏み出していた北部の製造業が大きく発展し、アメリカは内需で自立し始めます。
3つ目はネイティブアメリカンへの影響です。彼らはイギリス側で参戦しましたが敗れ、力を大きく削がれました。これが、西へ広がる西漸運動に拍車をかけることになります。
イギリスの奴隷貿易廃止が、なぜ奴隷制を延命させたのか
この時期、イギリスは国際的に奴隷貿易禁止キャンペーンを進めていました。深井さんは、その裏に自国をブランディングする思惑があったと指摘します。
奴隷を救出し、解放する慈悲深い帝国であるみたいなアイデンティティを生んで、ブランディングしていこうみたいな思惑がイギリスにあったりする。
自由の擁護者として道徳的優位を演出し、新しい欧州秩序を牽引する国というブランディングです。深井さんは、その裏でアヘン戦争を行っていた実態にも触れ、複雑さを指摘します。
問題は、その主張を掲げるイギリスがアメリカの敵だった点です。イギリスに同調したくないという感情から、アメリカ国内の反奴隷制の勢いはかえって下火になりました。
結果として、奴隷制存続の方向がしばらく続き、南北戦争での爆発まで問題が先送りされる形になったと深井さんは説明します。
深井さんは、この心理を現代の企業にたとえます。競争相手の大企業がSDGsやESGを大々的に掲げると、そのまま真似したくないと感じる感覚に近いといいます。
続いて深井さんは、そもそもイギリスがなぜ奴隷貿易を廃止できたのか、主に3つの理由を補足します。
砂糖の値崩れ
生産量が世界規模で拡大し、奴隷を使う商材として儲からなくなっていった
人道主義の高まり
キリスト教に根づく人道主義・博愛主義から、奴隷は良くないという考えが強まった
元奴隷の活動
イギリスに渡った元奴隷が自伝や講演、訴訟を通じて世論を動かした
1つ目は、砂糖の生産拡大による値崩れで、サトウキビ農園の倒産も相次ぎ、奴隷制を維持するメリットが薄れたことです。2つ目は人道的な観点、3つ目は元奴隷たち自身の主体的な運動でした。
人口6倍、三つに割れるアメリカ
さまざまな変化の中で深井さんが特に重要だと言うのが、西部開拓、すなわち西漸運動です。まだ十三州や東ヒッピの開拓すら不十分な段階で、人々はさらに西をめざしていきました。
十三州と東ヒッピの間にはアパラチア山脈が横たわり、越えるのは大変でした。しかしネイティブアメリカンの力が削がれ、人口も増えたことで、移住が本格化します。
約39万人
約20年で約242万人(およそ6倍)
この移住によって西部という概念が生まれ、アメリカの中に北部・南部・西部という文化も産業も異なる3つのエリアが立ち上がりました。深井さんは、これがやがて利害の不一致を生むと指摘します。
エリアの拡大と並行して交通革命も進みます。1810年代の有料道路、1820年代の運河、1840年以降の鉄道と、段階的に発展していきました。
なぜ土地が余っているのにこれほど移住するのか。深井さんは、その原動力として強烈な独立心とフロンティア精神を挙げます。
権力が固まってるところにいたくないとか。自分の思想が守れるところにいたいとか。
自分の考えに合わない共同体から離れ、空白地帯に新しい生活を築くこと自体が、彼らにとって聖性を帯びたものだったと深井さんは話します。これはセクト型の最たるものだといいます。
一方で西部では土地の投機ブームも起き、行政が未整備なため同じ土地が複数人に売られることもありました。揉めて負けた者がさらに西へ向かうという世界観だったと深井さんは説明します。
ミズーリで火がついた「奴隷州か自由州か」問題
ミシシッピに新しくできた領域は、州になる前の段階として準州と呼ばれました。準州がやがて州になるとき、その州を奴隷制ありにするか否かが連邦の大問題になります。
最大の焦点は上院でした。上院議員は各州から2人ずつと決まっており、当時は奴隷制を認めない自由州と奴隷州の数がちょうど半々だったのです。
ここでミシシッピの準州ミズーリが問題になります。ミズーリが奴隷州になれば奴隷州が過半数を占め、逆に自由州になれば反奴隷制の側が有利になります。上院の勢力バランスを揺るがす死活問題でした。
独立戦争や米英戦争の頃まで、議会は奴隷制問題の本格的な議論を避けてきました。深井さんは、これを見て見ぬふりをして先送りしてきたと表現します。
こんなんもうのっぴきならなすぎて、やべえわつって先送りしてるわけ。
しかしミズーリが州になるタイミングで、どちらにするのかが具体的な問題として浮上します。連邦議会はこの後2年半ほど、奴隷制問題一色で議論を続けました。
決着がつかず、結局ここでも先延ばしが選ばれます。ミズーリは奴隷州とする一方、マサチューセッツ州からメーン州を分離して自由州とし、議員数の均衡を保ちました。
さらに今後のために、北緯36度30分の線を引き、そこから北は自由州、南は奴隷州とする取り決めがなされます。これによって半々問題は当面おさまりました。
樋口さんは、これが政治の現場で争点になった事実そのものが重要だと言います。自由州と奴隷州の双方が互いへの警戒を強め、後にこの対立がエスカレートしていきます。
丸太小屋出身の大統領・ジャクソンと反知性の感覚
この頃、アメリカの大統領の性格が変わってきます。第6代までは当時のインテリ層が就いていましたが、第7代のアンドリュー・ジャクソンから毛色が変わり、現代までその傾向が続いていると深井さんは言います。
背景にはセクト型の感覚があります。大統領が6代続いてエリート化してきたことへの反発が生まれ、権力の固定化に対抗する人物としてジャクソンが求められました。
ジャクソンはサウスカロライナの丸太小屋という貧しい家に生まれました。スコットランド移民の父を早くに亡くし、十分な教育を受けられず、生涯ほとんど本を読まなかったといいます。
独立戦争が始まると13歳で軍に加わり、捕虜となってイギリス軍将校に切りつけられる逸話も残っています。深井さんは、生まれの貧しさと13歳からの死線を強調します。
その後ジャクソンはテネシー州ナッシュビルへ移り、綿花プランテーションを築きました。100人を超える黒人奴隷を抱える大農園を経営し、まさにアメリカンドリームを達成します。
黒人奴隷100人規模で保有するっていうのは、プランターの中でも上澄み中の上澄みなんですよね。
さらにこの時期、財産による制限が撤廃され、おおむね21歳以上の白人男子普通選挙が制度化されました。米英戦争で活躍した人々にも選挙権を渡すという流れです。女性参政権はまだありません。
拡大した選挙権で人気を集めたのはエリートではなく、丸太小屋出身の叩き上げでした。深井さんは、これを英語でセルフメイドマンと呼び、このブームがリンカンまで続くと話します。
ゼロから自分で身を立てて上り詰めていくっていう物語にすごくシンパシーを感じる労働者層とかね、そういった人たちの支持を獲得していく。
深井さんは、この感覚が現代のトランプ大統領やブッシュ大統領にも通じると指摘します。気軽に対等に話せて頼りがいがある人物が求められる傾向です。
気軽に対等に話せるけど、頼りがいがめちゃくちゃある人みたいな。
拒否権12回、大統領権限を強めたジャクソン
選挙権の拡大により、大統領は国民の直接的な代表者と位置づけられ、権限も強化されました。ジャクソンはこの流れの中で大統領権限を強めていきます。
象徴的なのが拒否権の行使です。歴代6人の大統領が合計9回しか使わなかった拒否権を、ジャクソンは1期の間に12回使いました。人民の代表者だという強い自負のあらわれです。
もう1つがスポイルズ・システムの導入です。それまでエリート層が世襲的に官職を独占していたのに対し、ジャクソンは自分に近い人物を重要な役職に登用しました。
深井さんは、これを日本のニュースが悪いことのように報じがちだと言いつつ、当時の感覚は違うと説明します。ここにも反知性主義的な発想があるといいます。
金持ちがより金持ちになり、権力者がさらに大きな権力を持ち続けるっていうシステムにするぐらいだったら、叩き上げの人が自分の周りの人を選んでやってくれた方が良いっていう感覚がある。
大統領の当選に協力した支持者がそのまま長官などに就くのは、その社会を実現してほしいという意味を持つと深井さんは整理します。ここには権力の固定化を防ぐという使命感があるといいます。
なお番組内では、2人がトランプ大統領を支持しているわけではないと明言した上で、あくまで支持者の感覚を説明していると断っています。
深井さんは、この感覚がわからないと相手をただ愚かに見てしまうと注意を促します。バカだと思ったらね、本当に二度と分かり合えませんとして、そのルーツにある宗教を学ぶ意義を強調します。
今と同じ、関税をめぐる南部と北部の対立
ジャクソン政権の時代には関税問題も争点になりました。深井さんは、これが現代とそっくりだと指摘します。
北部では工業が育ちつつあり、進んだイギリス製品に対抗して国内産業を守るため、平均税率40%ほどの高関税が歓迎されていました。
一方で南部は正反対でした。綿花を輸出したい上に、綿花産業以外をほとんど持たないため、安いイギリス製品を輸入したかったのです。高関税はその妨げになりました。
工業が育ちつつあり、国内産業を守るため高関税を歓迎した
綿花を輸出し、安いイギリス製品を輸入したいため高関税に反対した
樋口さんは、この対立がさらに複雑な現象を生んだと補足します。関税で高くなったイギリス製品を避け、南部は北部から工業製品を買うようになりました。
すると北部は、南部がどのみち買うのだからと値段を上乗せしました。南部からすれば、関税は払っていないのに関税以上の値段で買わされる形になり、これに反発したのです。
結局関税は俺ら払ってないけど、関税以上の値段で買わされてるじゃないか、なんだこれはみたいな。
こうして北部・南部・西部の3つの地域で利害が一致しない場面が増えていきました。樋口さんは、これによって統治の難易度が上がっていると指摘します。
深井さんは、州の独立性が高く利害が一致しない中で連邦がまとまりを求めるという構図こそが根本にあると整理します。連邦が関税を課そうとすると、各州は自州の利害に合わないと反発するのです。
関税とか課されたらダメでしょ、そんなことを連邦にする権利ないでしょみたいなこと言ってくる。
深井さんは、これがチャーチ型とセクト型のせめぎ合いの繰り返しであり、日本にはなじみのない感覚だと強調します。次回は、南部で発展していく綿花産業を詳しく見ていく予定です。
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まとめ
独立後のアメリカは、ルイジアナ購入と米英戦争を経て一気に領土と自意識を広げましたが、その拡大がそのまま奴隷州か自由州かという問題や地域対立を膨らませ、決着を先送りしていきました。
- ジェファソンは憲法の拡大解釈でルイジアナを購入し、日本の約6倍の領土が一気に加わった
- 米英戦争はナショナリズムを高め、北部産業を育て、ネイティブアメリカンの力を削いで西漸運動を後押しした
- ミズーリ協定は上院の勢力均衡を保つための妥協策であり、奴隷制問題の先送りにすぎなかった
- 丸太小屋出身のジャクソン登場は、権力の固定化を嫌う反知性的な感覚とアメリカンドリームの象徴だった
- 関税をめぐる南部・北部・西部の利害対立は、チャーチ型とセクト型のせめぎ合いとして繰り返し表面化した







