借金まみれの国で、なぜペルシアへ攻め込んだのか
20歳で王位に就いたアレクサンドロスは、相次ぐ反乱を抑え込んだあと、父フィリッポス2世と同じくペルシアへ攻め込むと宣言します。深井さんによると、ペルシア攻めは父の時代からの悲願で、暗殺される直前のフィリッポス2世がやろうとしていたことでした。
この遠征は、東を征服するという意味で東征 ── アレクサンドロスが紀元前334年に始めたペルシア帝国への遠征。のちにインダス川流域まで及び、大帝国の形成につながりましたと呼ばれます。ところが東征を始める時点で、マケドニアの国家財政は借金だらけで崩壊寸前だったといいます。
深井さんは当時の通貨単位であるタラントンを使って、マケドニアの財政を数字で示します。単位の大きさは深井さん自身も「わからない」と笑いますが、手持ちに対する借金の大きさははっきり伝わります。
樋口さんが「レバレッジマックス」と表現したように、アレクサンドロスの東征は一歩間違えればマケドニア王国ごと吹き飛ぶ賭けでした。
アレクサンドロスはアリストテレス ── 古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子で、論理学・自然学・政治学など幅広い学問の基礎を築きました。少年時代のアレクサンドロスの家庭教師を務めましたの弟子なので、財政の実態を知らなかったとは考えにくい、と深井さんは見ています。そのうえで、ペルシアの財宝を奪うつもりで戦争を選んだのではないか、という解釈が語られます。
ファクトを認識して正しく解釈するっていう能力は死ぬほど鍛えられてるはずなんですよ、彼は。
騎兵とヒュパスピスタイ、マケドニア軍は何が違ったのか
深井さんは、マケドニア軍の大きな特徴として2つを挙げます。1つ目は騎兵の多さ、2つ目はヒュパスピスタイ ── マケドニア軍の精鋭歩兵部隊。「盾を持つ者」を意味し、重装歩兵の密集隊と騎兵をつなぐ柔軟な役割を担ったとされますという特殊部隊の存在です。
騎兵が多いのは、良質な馬を産するテッサリアを治めたことによるものです。ヒュパスピスタイについては、王の指示に何でも従う「何でも屋さん」のような部隊と説明され、樋口さんは「忍者みたい」と例えています。
重装歩兵を中心とした歩兵主体の軍
騎兵が多く、王に従う特殊部隊ヒュパスピスタイも持つ機動的な軍
当時はまだ鐙 ── 馬の鞍から下げて足を掛ける馬具。乗り手が踏ん張れるようになり、騎乗での戦闘が大きく安定しましたが発明されておらず、騎兵は踏ん張りが利かないまま馬に乗っていました。そのため騎兵で敵陣に突入するのは本来難しいことでしたが、アレクサンドロスはそれでも突入させたといいます。
記者、通訳、学者まで。アレクサンドロスは何を連れて行ったのか
深井さんがアリストテレスの弟子らしいと感じたのが、アレクサンドロスが東征に大勢の専門家を連れて行ったことです。2400年前の出来事なのにこれほど詳しく語れるのは、記録係を多く同行させていたからだといいます。
アレクサンドロスが同行させた人々は、役割ごとに次のように整理されます。
| 同行者 | 役割 |
|---|---|
| 記者 | 遠征や自身の活躍の記録 |
| 通訳 | ペルシア軍の偵察、情報収集、捕虜の尋問 |
| 技術者 | 兵器の製作や修理、その場での改善 |
| 医者 | 病気や怪我をした兵士の治療 |
| 地理・歴史・動植物の学者 | 世界地図がない時代に未知の土地を研究 |
| 哲学者 | 同行の理由は不明 |
学者の同行について、深井さんは好奇心の強さと、世界をちゃんと観察することに価値を置くアリストテレスの教えの影響を挙げます。聞き手からは、軍人や王の顔だけでなく「冒険者的なエンジン」があったのでは、という見方も出ました。
戦争にね、哲学者連れてってるんです。アレクサンドロス。面白いですよね。
深井さんは、ペルシアを倒した後に現地を観察して統治に生かす場面でも、こうした人々が役立ったと考えています。自分の世界でとどまらない姿勢こそリベラルアーツだ、と深井さんは語ります。
傭兵隊長メムノンの焦土作戦は、なぜ実行されなかったのか
東征で最初の大きな戦いとなったのがグラニコスの会戦です。ペルシア側で重要な役割を担ったのは、傭兵隊長メムノンというギリシャ人でした。
当時のペルシアは大量のギリシャ人傭兵を雇っており、グラニコスの会戦でアレクサンドロスが戦った相手の主力もギリシャ人でした。メムノンはペルシア王ダレイオス3世 ── アケメネス朝ペルシア最後の王。アレクサンドロスとの戦いに敗れ、帝国は滅亡しましたから厚く信頼されていた人物で、聞き手たちは「中ボス」と呼んで盛り上がります。
メムノンは、約4万人で遠征してくるアレクサンドロス軍は食料の補給に苦しむはずだと考えました。そこで上陸地点である今のトルコの端あたりの農地を焼き、現地で食料を得られなくする焦土作戦を提案します。
守る側ってね、本当にリスク取らないんですよね。
ペルシア側では、知事にあたるサトラペ ── アケメネス朝ペルシアで各州を治めた総督。徴税や軍事を担い、地方で大きな権力を持っていましたたちが、自分の土地を焼けば収入が下がるうえ、まだアレクサンドロスに一度も負けていないとして反対しました。メムノンはダレイオス3世には信頼されていても、同僚からはギリシャ人として信頼されておらず、ペルシア軍には一致団結感がなかったといいます。
守る側でリスクを取れず、外国人の隊長メムノンは同僚から信頼されていない
英雄の王が先頭に立ち士気が高く、指示が明確で、各部隊の側近は王の親友
アレクサンドロス軍の各部隊に配属された側近は幼少期からの親友ばかりで、言わなくても王の意図がわかる関係でした。兵力はアレクサンドロス軍がこの戦いで1万8000、ペルシア軍は深井さんが最も信頼できるとする文献で1万5000とされ、アレクサンドロス側がやや上回っていたようです。
川を渡る不利を、アレクサンドロスはどう覆したのか
守る側のペルシア軍は戦場を選べるため、グラニコスの平原に先に布陣しました。21歳のアレクサンドロスは、斥候の騎兵を大量に先行させ、敵の情報をリアルタイムで受け取りながら自軍の陣形を整え、戦場に着いた時点で布陣を終えていたといいます。
両軍は川を挟んで向き合いましたが、攻め込む側のアレクサンドロス軍が川を渡らなければなりません。渡河中は狙い撃ちされるため、非常に危険な状況でした。
アレクサンドロスがとったのは囮作戦です。哲学者と同名のソクラテスという将軍に500人の騎兵を率いさせて先に川を渡らせ、ペルシア軍の攻撃をそこに集中させました。
情報収集
大量の斥候で敵の布陣と装備を把握し、事前に陣形を整える
囮の渡河
ソクラテス率いる500騎が川を渡り、敵の攻撃と投げ槍を引きつける
本隊の渡河
軍の全容を隠したまま、本隊が離れた場所から川を渡る
騎兵の突撃
アレクサンドロスが先頭に立って騎兵で敵中枢へ突っ込み、陣形を崩す
総崩れ
混乱したところに本隊がぶつかり、ペルシア軍が総崩れになる
ソクラテス隊は3分の1から半分ほどが戦死したとされます。ペルシア軍の武器が投げ槍であることも事前に把握しており、囮に投げ尽くさせてから騎兵で突っ込む狙いがあったと深井さんは説明します。
深井さんは、囮になる役割はソクラテス本人にも伝えられていたと考えています。戦死者の家族には年金を与えたり、銅像を作って半ば神のように扱ったりしたため、兵士たちは名誉と家族の安寧を得られると考えて戦えたといいます。
王が先頭で突っ込む、速攻撹乱という戦い方
深井さんによると、アレクサンドロスの戦略は基本的に速攻して撹乱することでした。グラニコスの会戦でも、本隊が到着する前にアレクサンドロスの騎兵隊がいきなり敵陣に突っ込んでいます。
しかも先頭にいたのは、巨大な愛馬ブケファラス ── アレクサンドロスの愛馬。少年時代の彼が乗りこなしたという逸話で知られ、多くの戦いを共にしましたに乗った王自身でした。王が先頭にいるため、騎兵たちも怖くても行かざるを得ません。
槍で(腹を)グサってやられたら終わりじゃないですか。それをなんで一国の主が突っ込んでいけるのかのもうメンタルがわかんないです。
アレクサンドロスはこの戦いで、敵の指揮官であるサトラペを2人倒しています。その最中に背後から刺されかけたところを、一緒に育った側近クレイトスが防ぎました。クレイトスは、無茶な戦い方をする息子を心配したフィリッポス2世が護衛としてつけた人物で、深井さんは「クレイトスいなかったら死んでますからね」と話します。
アレクサンドロス軍の死者が115人と極端に少ないのは、死者がほぼ囮のソクラテス隊に限られていたためではないか、と深井さんは推測します。ペルシア軍は指揮官を殺されて統制が取れなくなり、多くが逃げたと考えられます。
ギリシャ人傭兵を許さなかった判断は、何をもたらしたのか
グラニコスの会戦のあと、アレクサンドロスはペルシア側の傭兵として戦ったギリシャ人を「裏切り者」として許さず、多くを殺し、奴隷にしました。
深井さんは、この厳しい判断がその後の戦いに影響したと見ています。ここで許していればアレクサンドロス軍に合流したかもしれないギリシャ人傭兵たちは、もう許されないと考え、残る2度のダレイオス3世との会戦で死ぬ気で戦う強敵になっていきます。
ペルシアに雇われているが、許されればアレクサンドロス軍に合流した可能性もあった
許されないと悟り、以降の会戦で死ぬ気で戦う強敵になる
性格出てるんですけど、許さなかったんですよ。
聞き手は、中ボス、英雄、因縁の敵がそろう展開を「マジで漫画」と表現しました。深井さんは、今の物語や漫画のキャラクター作りや出来事は、アレクサンドロスの伝説から来ているものが多いと応じます。
次回は2度目の会戦であるイッソスの戦いで、ついにダレイオス3世本人が出てきます。グラニコスの会戦のペルシア軍は1万5000にすぎず、ここからペルシアが本気を出してくる、と予告されて回は終わります。
まとめ
アレクサンドロスの東征は、手持ちを大きく上回る借金を抱えたまま始めた賭けでした。グラニコスの会戦では、徹底した情報収集、囮を使った渡河、王が先頭に立つ速攻撹乱によって圧勝しますが、ギリシャ人傭兵を許さなかった判断は、のちの強敵を生むことにもなりました。
- 東征開始時のマケドニアは、金庫の60タラントンに対し借金が500タラントンあり、さらに800タラントンを借りて遠征した
- マケドニア軍は騎兵の多さと特殊部隊ヒュパスピスタイが特徴で、遠征には記者・通訳・技術者・医者・学者・哲学者まで同行させた
- ペルシア側はメムノンの焦土作戦をサトラペの反対で採用できず、一致団結を欠いていた
- グラニコスの会戦では、斥候による情報収集、ソクラテス隊の囮、王自ら先頭の騎兵突撃で敵陣を崩し、死者115人で圧勝した
- ギリシャ人傭兵を許さなかったことで、彼らは以降の会戦で死ぬ気で戦う強敵になった





