元老院を「寝技」で締め上げる、コンスル・カエサルの改革
執政官(コンスル)に当選したカエサルは、この後10数年にわたってほとんどローマに戻らず、戦争を続けます。深井さんによると、カエサルは遠い属州にいながら中央ローマの政治をコントロールするという、きわめて難しいことをやってのけます。
(カエサルは属州から)SlackとZOOMでずっと指示出してる。
コンスルになったカエサルがまず手をつけたのは、元老院での発言や決議を書き留めて、翌日にすべて公表する改革です。深井さんは、この改革によって元老院議員が平民に都合の悪い発言をしづらくなったと説明します。
楊さんによると、民衆にとって元老院はエリートが国のことを考えて決めてくれる権威ある組織で、元老院の判断は民衆の投票行動にも大きく影響していました。カエサルは、その元老院の話し合いの過程までを民衆に見せてしまったわけです。
カエサルはさらに、かつてグラックス兄弟 ── 紀元前2世紀後半のローマの政治家兄弟。土地を持たない市民への土地分配などの改革を試みましたが、元老院派との対立の末、2人とも殺害されましたが実現しようとして殺された、土地を持たない兵士への農地分配も、三頭政治の数の力で成立させます。
ポンペイウスの部下に有利な決定や、属州の徴税を請け負うクラッスス側に有利な決定もカエサルは通しました。ただ深井さんがすごいと語るのは、カエサルが必ず「ローマにとっても良い」状態に着地させていた点です。
WINWINの状態を作るのが相当うまい。
カエサルは元老院の権力を削ぎながらも、元老院にも花を持たせ、完全な敵にはならないように振る舞いました。楊さんは、議論の過程を民衆にチェックされている元老院の状態を「ハメられてる感じ」と表現しています。
グラックスはなんか打撃してきてる感じなんですけど、カエサル多分寝技で関節技決められてる感じだと思います。
荒削りに元老院を攻撃する「打撃」型。農地分配を試みて殺された
元老院の権力を削ぎつつ花も持たせる「寝技」型。農地分配を成立させ、ローマ全体にも利益が出る形で着地させた
楊さんによると、三頭政治を組んだポンペイウスとクラッススはビジネスや戦闘のセンスはあっても、政治センスはあまりありませんでした。深井さんも、政治センスの面ではこの時代にカエサルに勝る人物はいなかったと話しています。
カエサルの強さはどこから来たのか? 過去の失敗に学ぶケーススタディ
樋口さんは、スッラやマリウスの時代の粛清で、優秀な人材が多く殺されていたことを指摘します。深井さんによると、カエサル自身もスッラについて「全然政治わかってねえ」という趣旨のことを言っていたそうです。
深井さんは、カエサルの強みを、ローマ人らしく過去のケーススタディを客観的に考察し、同じ轍を踏まないようにしていたことだと考えています。グラックス兄弟の失敗、マリウスの政策の影響、スッラが元老院派に寄せた体制がその後崩されていった経緯を、カエサルは学んでいたのではないかという見立てです。
過去起きたケーススタディをかなりしっかりと勉強して、客観的に考察をして、同じ轍を踏まないようにしてるっていうのがあるんじゃないかなと思います。
だって(カエサルは)借金してでも本読んでたぐらいですからね。
カエサルは地盤を固めるため、娘のユリアをポンペイウスに嫁がせます。花嫁が22歳、ポンペイウスが47歳という年の差の結婚でしたが、深井さんによると2人はかなり相性が良く、幸せな夫婦だったようです。
属州総督を3つ兼任、任期は5年
コンスルの任期は1年で、任期後は属州総督として各地へ派遣されるのが基本でした。ところが元老院は、カエサルのコンスル後の仕事として、森林や街道の整備のような地味な仕事を割り当てようとしていました。
カエサルは三頭政治の力で法律を通し、任地をガリア・キサルピナ ── 「アルプスのこちら側のガリア」を意味するローマの属州名。現在のイタリア北部にあたる地域を指しますに変えさせます。かつてヒスパニア ── 現在のスペインやポルトガルにあたるイベリア半島のローマ時代の呼び名で大きく稼いだ経験から、ガリアに行けば再び大きな利益を得られるという狙いもありました。
さらに、もう1つのガリア・トランサルピナの属州総督がたまたま亡くなると、カエサルはその後任も自分が務める法案を通します。最終的には3つ目の属州も獲得し、任期5年で3つの属州総督を兼任することになりました。
すげえ政治力だよ。外部取締役三社やってるじゃないですか。
三頭政治は後任のコンスルや護民官 ── 平民の権利を守るために置かれたローマの官職。元老院の決定に拒否権を行使できる強い権限を持っていましたにも自分たちの派閥の人物を就けました。深井さんは、この時点で「帝国的なもの」ができてしまっていると表現します。
周囲はカエサルが王政を敷くつもりではないかと疑い始めますが、深井さんによると、カエサル自身は共和政の限界を冷静に分析し、次の仕組みを作ろうとしていたのではないかとも言われているそうです。ただし本当の考えはわからないと、深井さんは留保しています。
ガリアとはどんな土地だったのか
カエサルが総督として派遣されたガリアは、今のフランス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、ドイツ、スイスあたりから、イタリア北部までを含む広大な地域です。深井さんは「西ヨーロッパらへん全部」とまとめています。
ローマから見たガリアは都市が少なく、森林や沼、河川の多い未開発の土地でした。それでも人口は1200万人ほどいたと言われ、部族ごとに首都もあり、部族長が乱立する部族社会だったといいます。
ガリア人はさらに外側のゲルマン人に押され、押し出される形でローマを攻撃することもありました。ローマにとっての憂いをなくすために、カエサルはガリアを制圧して傘下に入れる一大事業に乗り出します。
楊さんは、ガリア人が南下してきた理由について、ポンペイウスの東方遠征に原因を求める研究を紹介します。黒海沿岸の王国が持っていた交易ネットワークに、ガリアの人々も生活物資や商売を頼っていたという説です。
東方遠征
ポンペイウスが黒海沿岸の王国を支配下に入れる
交易網の破壊
ガリアの人々が頼っていた交易ネットワークが壊れる
社会不安
ガリアの部族同士で略奪、戦争、移住が起きる
ローマへの波及
そのあおりを、ローマ自身が受ける
戦争が戦争を呼ぶって、結構歴史上でも結構あって
ガリア人をなめなかった将軍カエサル
ガリアに入ったカエサルは、初年度に2戦2勝を挙げます。深井さんは、カエサルが戦略立案、戦争指揮、兵士の人心掌握のすべてに長けていたと評価しています。
ガリア遠征ではゲルマン人とも戦い、ブリタンニア ── 現在のイギリス、グレートブリテン島のローマ時代の呼び名まで遠征しました。当初5年だった任期は途中で延び、ガリアの平定には最終的に8年ほどかかります。
カエサルはこの遠征を、自分を「カエサルは」と三人称で書く『ガリア戦記』として出版しています。深井さんはかなり脚色されているだろうとしたうえで、カエサルが野蛮とされたガリア人を細かく観察し、優れた点をきちんと褒めていることに注目します。
楊さんが言うように、ローマのほうが先進国という立場でした。深井さんは、それでも相手をなめずに観察して戦い、勝つ点がカエサルのすごさだと語ります。
まとまりのない小部族の集まりだったガリアに対して、カエサルは1部族ずつ戦い、離間工作も使いながら制圧を進めます。ところが遠征の5〜6年目ごろ、全ガリアをまとめる英雄ウェルキンゲトリクスが現れます。
強そう。ラスボス。
しかもカエサルは、ガリアで戦いながら、ローマで勢いを増す元老院派を遠隔で牽制し続けなければなりませんでした。深井さんは、この二正面の状況がカエサルの人生でいちばん面白いところだと話しています。
揺れるポンペイウスと、軍事力で中央を囲むルッカ会談
ガリア遠征の1年目は、戦争でもローマ政治でもカエサルが優勢でした。カエサルがローマに残した民衆派の政治家が、小カトーやキケロといった元老院派の有力政治家と戦い、勝っていたからです。
2年目になると元老院派が反撃し、執政官の1人も元老院派になります。カエサル派のクロディウスが暴走して、追放していた元老院派の人物が戻ってくる事態も起きました。
戻ってきた元老院派は、ポンペイウスとカエサルの離間工作を始めます。もともと元老院派だったポンペイウスは、カエサルが遠くにいる間に元老院から歩み寄られ、気持ちが揺れていきます。
ローマの元老院の議員ってみんな弁論術のバリバリのプロなんですよ。
危機を察したカエサルは、3人で集まり直そうと持ちかけます。ただし、軍隊を持つ属州総督は、軍を率いたままルビコン川を越えてイタリアに入ると反乱とみなされるため、ローマで会うことはできませんでした。
3人はルビコン川の北にあるルッカで会談します。翌年のコンスル選挙にはポンペイウスとクラッススが立候補し、その翌年には2人がそれぞれの属州に赴くこと、カエサルの任期も延ばすことが決まりました。
| 人物 | 任地 | ローマから見た方角 |
|---|---|---|
| ポンペイウス | ヒスパニア | 西 |
| カエサル | ガリア | 北 |
| クラッスス | シリア | 東 |
3人がそれぞれ軍隊を持ってローマを囲むことで、中央政治に強い圧力をかけられるようになります。スッラが軍を率いてローマに入った前例があるため、元老院は「最悪、軍が来てもおかしくない」と判断していたといいます。
三頭政治の足が折れる。クラッスス戦死とユリアの死
ルッカ会談の決定どおり、ポンペイウスとクラッススはコンスルに当選し、カエサルの任期も延長されます。ところが、ここで大きな変化が起きます。深井さんによると、クラッススは商売人で、戦争の才能がなかったのです。
楊さんは、軍功のないクラッススが他の2人と同じ立場に立とうと焦り、強国パルティア ── 現在のイランを中心に栄えた王国。騎兵を主力とする強力な軍を持ち、ローマと東方で何度も衝突しましたを攻めたのではないかと言われていると説明します。
クラッススは、カエサルの右腕としてガリアで活躍していた息子を呼び戻し、親子でパルティアへ向かいます。しかしパルティアにはスレナスという英雄が現れ、クラッススは親子ともども戦死しました。
楊さんによると、クラッススの首は戦利品として宮殿に送られ、ローマ軍の軍旗も奪われました。深井さんは、ローマが最も嫌う屈辱的な敗北だったと話します。
同じころ、ポンペイウスの妻でカエサルの娘でもあるユリアが、出産の際に子どもとともに亡くなります。
クラッスス戦死
3人のバランサーの1人がいなくなる
ユリアの死
ポンペイウスとカエサルをつなぐ存在がいなくなる
元老院派の接近
元老院派がポンペイウスに歩み寄り、離間工作を始める
情勢の逆転
ガリア遠征の後半、カエサル側が元老院派に押される
椅子の足が1本なくなった。
三頭派は序盤に優勢で、中盤に押し返され、ルッカ会談で盛り返したものの、後半に再び元老院派に押されていきます。ウェルキンゲトリクスが現れたのは、まさにこの時期でした。
HPが残りあんまり少ない時にボスが出てきた感じかな。
無政府状態のローマと、異例の単独コンスル
このころのローマでは、元老院派と三頭派の争いでまともな政治ができなくなっていました。共和政末期と呼ばれる時期で、深井さんは殺し合いが起きる状況を、楊さんの言葉を借りて「幕末みたい」と表現します。
事態を収めるため、属州総督だったポンペイウスが属州へ行かず、1人だけでコンスルを務めることになります。2人のコンスルを置くことを信条としてきたローマにとって、これは極めて異例のことでした。
民衆はポンペイウスに独裁官になってほしいと考えていましたが、元老院派は独裁官を出したくありませんでした。その妥協策として、属州総督との兼任で、前回のコンスル就任から10年も空けずに、ポンペイウス1人がコンスルに就いたのです。
もうこの時点で共和制は崩壊してますね。
ポンペイウスの人気で民衆は落ち着きますが、ポンペイウスとカエサルは対立していきます。深井さんは、離間工作に加えて、クラッススもユリアもいない中で、もともと元老院派だったポンペイウスの気持ちが元老院に傾いたのだろうと話しています。
全ガリアを束ねた英雄ウェルキンゲトリクス
深井さんは、ガリアがローマの政情不安を「今こそ攻め時」と捉えたのではないかと推測します。そうした中、小さな部族からウェルキンゲトリクスが現れました。
ウェルキンゲトリクスは、それまで誰もできなかった部族の統合を実現します。約束を破った者は殺すほど厳しいルールで組織を作り、ローマの遠征軍をはるかに上回る、何十万という大軍を作り上げました。
カエサルはこのウェルキンゲトリクスに初めて敗れます。何年もかけて恭順させてきた部族が反乱に加わり、それまでの成果が水の泡になりかけました。
ローマに戻っても、元老院から敗北を責められるだけの状況でした。カエサルは、ガリアとローマ本国の両方から攻められる絶体絶命の危機に立たされます。それでも深井さんによると、カエサルは撤退を選びませんでした。
5万対34万。勝敗を分けた「再現性」
1度敗れたカエサルは、ウェルキンゲトリクスとの一大決戦に挑みます。兵力はカエサルが5万、ガリアが34万で、7倍近い差がありました。
終わった。終わったこれ。
それでもカエサルは、この戦いに勝ちます。深井さんは細かい戦況は扱わず、勝敗を分けたのは、自分と相手の強み・弱みを観察する力だったと語ります。
深井さんによると、ウェルキンゲトリクスは1度勝ったものの、なぜ勝てたのかを理解していなかったため、勝ちを再現できませんでした。一方のカエサルは負けた理由を理解していたので、次の戦いで負けない戦い方ができたのです。
この話は、第2セクションの「過去のケーススタディに学ぶ」というカエサル像とつながります。勝敗を左右したのは、なぜ勝ち、なぜ負けたかを理解する力だったと言えそうです。
カエサルはこの戦いを『ガリア戦記』にまとめて出版します。楊さんは、民衆や元老院に読ませる政治工作という面もあったと見ています。
誇りを保って散った敵将と、カエサルの寛容「クレメンティア」
ウェルキンゲトリクスは敗北後、部族を集めて、全責任は自分にあると語りました。自分を生け捕りにするか殺すかしてカエサルに引き渡し、皆は生き延びるようにと伝えたといいます。
超かっこいいと思う。
ウェルキンゲトリクスは実際に生け捕りにされます。ポンペイウスとの内戦で凱旋式がなかなか開けなかったため、5〜6年ほど幽閉され、最後は凱旋式で処刑されました。
一方で、1度恭順した後に再び反抗したガリアの部族に対して、カエサルは厳しい処罰を科しました。降伏した兵士の腕を切り落とすこともあったといいます。楊さんは、カエサルが100万人ほどを殺したとも言われると紹介しますが、深井さんはこうした数字は盛られているだろうと留保しています。
楊さんによると、殺しすぎについて、元老院から人道的な面を問われることもあったようです。
その一方で、裏切らない相手に対しては、カエサルはとても寛容でした。降伏すれば厚遇するのが、カエサルのやり方でした。
楊さんは、カエサルの寛容には本心からの部分もあれば、美徳を示して自分のブランドを上げる計算もあったと説明します。ローマではこの寛容をクレメンティア ── ラテン語で「寛容」「慈悲」を意味する言葉。カエサルは敵を許す姿勢を政治的な美徳として打ち出しましたと呼び、楊さんは論語の「仁」のような徳目にたとえています。
ガリア平定の英雄が、国家の敵になる
ガリアをようやく平定し、カエサルがローマに目を向けられるようになったその時、元老院はカエサルを国家の敵として反逆罪に問います。ポンペイウスと元老院が手を組み、カエサルを追放しようとしたのです。
えー、だって(カエサルは)結構貢献したよ、ローマに。
深井さんは、カエサルが貢献したからこそ狙われたと説明します。クラッススの敗北で意気消沈していた民衆は、ガリア全土を治めたカエサルに熱狂しました。軍隊を持ったカエサルをそのまま帰せば、再びカエサルの独壇場になると、元老院とポンペイウスは恐れたのです。
元老院は、カエサルがガリア遠征中にしたことから罪を作り上げ、グラックス兄弟のガイウスの時に出された緊急事態宣言のような元老院最終勧告 ── 国家の非常時に、政務官に必要なあらゆる手段を取ることを認める元老院の決議。事実上、対象者を国家の敵とみなす効果を持ちましたを再び出します。
カエサルがこれに抵抗したことで、ローマは最終的な内戦に突入していきます。次回は、そのローマ内戦が語られる予定です。
また戦うじゃん。もうずっと大変やん、この人。
まとめ
コンスルとしての改革から、ガリアの平定、元老院最終勧告までを通して、カエサルの政治力と軍事力、そして過去や敗北から学ぶ姿勢が浮かび上がる回でした。三頭政治のバランスが崩れた後、カエサルはガリアの英雄とローマの元老院という2つの敵に、同時に向き合うことになります。
- カエサルは議事の公開や農地分配を実現しながら、元老院も完全な敵にしない「寝技」でローマ政治を動かした
- 属州総督を3つ兼任し、8年ほどかけてガリアを平定。相手をなめずに観察する姿勢が強さの源だったと語られる
- クラッススの戦死とユリアの死で三頭政治が崩れ、ローマは無政府状態になり、ポンペイウスが異例の単独コンスルに就いた
- 5万対34万の決戦でウェルキンゲトリクスに勝てた理由は、敗因を理解して勝ちを再現する力にあったとされる
- ガリア平定で民衆の人気を集めたカエサルは、ポンペイウスと結んだ元老院から元老院最終勧告を出され、内戦へ向かう




