科学革命はルネサンスや宗教改革より大きな事件なのか
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今回のエピソードで中心になるのは、16世紀半ばから17世紀にかけての約150年間、ヨーロッパを中心に起きた科学革命です。深井さんは、これをアリストテレス的な自然観が崩れ去っていった知的変革の大事件だと説明します。
科学革命の位置づけとして、深井さんはケンブリッジ大学のハーバート・バターフィールドの評価を紹介します。それによれば、この出来事はキリスト教の出現以来、他に例を見ない目覚ましいものだとされています。
つまり科学革命は、ルネサンスや宗教改革よりも圧倒的に影響が大きいと語られている、という整理です。
科学革命の核心を、深井さんは一言でまとめます。それまで実験をせずに実証していた人類が、実験を経て実証するようになったという違いだと言います。ただし、それだけではないと前置きした上で、以下の話が続きます。
新大陸で「アリストテレスと違うこと」だらけになった
科学革命が起きたきっかけとして、深井さんは大航海時代の新大陸発見を挙げます。そこには、アリストテレスや聖書の世界観では説明できないことがたくさんあると、当時のヨーロッパの人たちが気づいたからだと言います。
16世紀以前の感覚では、科学的な知識はほぼすべて古代の文書の中に書いてあるものでした。アリストテレスや聖書ですでに説明されているため、今の人が新しいものを書くという発想自体がなかったと深井さんは説明します。
中世ヨーロッパの大学で学ぶ学生たちは、古代ギリシャやローマの著作を読んで暗唱し、それについて議論することに時間を使っていました。観測や実験を行うという発想は、もともとなかったと語られます。
樋口さんは、ここでいう実験の意味を補足します。職人が石を削るような日常の小さな実験ではなく、人工的な環境をセッティングして、そこから普遍的な理論を抽出するという意味での実験だと言います。
新大陸での衝撃の例として、深井さんはイタリア人探検家アメリゴ・ヴェスプッチの手紙を紹介します。アメリゴ・ヴェスプッチ ── 15〜16世紀のイタリア人探検家。新大陸を「新世界」として報告したことで知られ、アメリカという地名の由来になったとされる。1499年に新大陸の航海から戻った彼は、フィレンツェの友人に宛てて、信じられないような動物を見たと書き送っています。
多様な羽毛をまとったたくさんの種類の鳥が数え切れないほどいて、驚きで目を丸くした
それまでヨーロッパで権威とされていたのは、プリニウスが書いた博物誌でした。プリニウスの博物誌 ── 古代ローマのプリニウス(大プリニウス)が著した百科事典的な書物。動植物や地理などが網羅され、ヨーロッパで長く自然の知識の権威とされた。世界のあらゆるものが書いてあるという感覚だったものが、新大陸には博物誌に載っていない動物が大量にいたわけです。
あれ、あそこで学んでたやつって一部ってこと?ってなるじゃん
もう一つの例として、深井さんはスペイン人司祭ホセ・デ・アコスタを挙げます。アリストテレスによれば世界は寒帯・熱帯・温帯の3つに分かれ、人間が住めるのは温帯だけで、赤道付近は焼けるように暑いとされていました。
アコスタは赤道に近づくにつれて、その暑さを恐れていました。ところが実際に赤道を越えている最中は、凍えそうなほど寒かったと言います。
アリストテレス何もわかってないじゃんってなるんですよ
楊さんは、砂漠のように赤道直下でも夜は寒い地域があると補足します。深井さんは、机上の考えだけで到達していたアリストテレスと違う体験をしてしまった点が重要だと語ります。
人間は特別な存在から「観察対象」へ変わった
新大陸で動植物だけでなく先住民と出会ったことで、当時のヨーロッパの人たちには深刻な問いが生まれた、と深井さんは言います。目の前の先住民は同じ人間なのか、それとも怪物なのか、という問いです。
同じ人間だとすれば、聖書によれば全員がアダムの子孫のはずです。ではこの人たちもアダムの子孫なのか、だとすればどうやってこの土地まで来たのか、という問いが連鎖していきました。
こうした問いによって、アリストテレスも聖書も信じられなくなる人が出始めます。深井さんは、ここでヨーロッパの学者が重要なメタ認知を得たと指摘します。人間は自然界から切り離された存在ではなく、自然界の一部だという認識です。
聖書の中で人間は、神の似姿として作られた特別な存在であり、自然界のマネージャーでした。ところが自分と同じ人間なのにどこか違う人々を見たことで、自分たち自身も自然を観察するようなメタ的な視点で見られるようになった、と深井さんは説明します。
超特別な存在だと自分たちのことを思ってたところから、観察対象そのものに切り替わっていく
それまで人間は、常に観察する主体でしかありませんでした。ここで初めて、第三者視点から自分たち自身を観察する視点が獲得された、というのが深井さんの整理です。
神の似姿として作られた特別な存在。自然界のマネージャーであり、常に観察する主体
自然界の一部である一つの生き物。自分自身も第三者視点で観察される対象
古代の書物がよりどころを失っていく
出発点となったのは、アリストテレスや聖書に書いてあることが全てではないという気づきでした。深井さんは、それが分かると全ロジックがドミノ式に崩れる恐怖につながったと言います。
樋口さんは、アリストテレスが当時のヨーロッパ人にとって人類の教科書のような存在だったと補足します。教科書で学んだことと目の前の現実が違えば、教科書が意味のないものになってしまいます。
よりどころを失った人々は、標本を採集して測量したり、実験を行ったりすることで、新しいよりどころを見つけようとしました。深井さんは、これが近代科学の勃興であり科学革命だと語ります。
深井さんはここで補足を加えます。近代科学の勃興がヨーロッパのみで起こったというのが一般的な解釈ですが、ある本によれば、農耕や天文学、医学などの分野では中世の段階でアメリカ先住民やアジアのほうが先に進んでいた面もあると言います。
つまり科学の勃興はヨーロッパ単独で起きたというより、世界中の知性が相互作用して生じたものだ、という指摘です。深井さんは、ヨーロッパ中心主義ではないという最近の見方だと付け加えています。
さらに時を同じくして印刷術が確立されました。古代の著作がより多くの人に読めるようになったことが、かえって現実と古代の著作との矛盾を見つけるきっかけになった、と深井さんは言います。
いろんな人の目にさらされるから、ギャップに気づく人がめっちゃ増えて
天動説への反論から始まる思考の転換
アリストテレスは天動説を唱えていました。透明な天球に天体が張り付き、その天球が動いているという説です。これに対してコペルニクスは、何回観測しても説明がつかないと主張しました。
深井さんは、これが古代からの権威ある主張に対して、観察と観測の結果をもとに反論する状態だと指摘します。直感に反していても実験や観測を重視する、近代科学の姿勢への転換です。
当時の天文学では、古代ギリシャのプトレマイオスが提唱した説が常識でした。そこには2つの大前提がありました。天体の運動は円運動であること、そして地球が宇宙の中心であることです。
この2つの前提のもとで、観測データを整合的に説明することが求められていました。深井さんは、これが「現象を救う」という表現で語られていたと紹介します。
コペルニクスは、地球ではなく太陽が宇宙の中心で、地球はその周りを回っていると唱えました。さらにケプラーが、惑星の運動は円ではなく楕円ではないかと指摘し、天文学に疑義を投げかけていきます。
ガリレオが直面した「学問のヒエラルキー」
イタリアではガリレオ・ガリレイが登場し、コペルニクスの地動説を擁護する立場で「二大世界体系についての対話」を書きました。この本はローマ教皇庁の異端審問で有罪とされ、禁書となります。深井さんは、新しい科学が出てきたとき世界は反発したと語ります。
ガリレオはアリストテレスの物体運動にも反論し、落下は重さに比例していないと主張しました。さらに数学を使い、物体が放物線の軌跡を描くことや、水平方向と垂直方向の運動が独立であることを示していきます。
深井さんは、これがアリストテレス的な思考方法とはまったく違うタイプの思考だと強調します。数学を用いて、理論上こうにしかならないはずだと証明する方法です。
樋口さんは、ガリレオが直面した壁として学問のヒエラルキーを挙げます。哲学と神学が最上位で、数学や天文学はそのサブに置かれていました。
自分たちの方が立場が上で、世界の正しさを担保してるから
数学を使って真理を見つけ出そうとするガリレオは、哲学や神学の側から見れば、格下の者が生意気なことをしているように映った、というのが樋口さんの説明です。
デカルトが確立した「機械のように世界を見る」視点
フランスではルネ・デカルトが登場します。深井さんは、この文脈でのデカルトのインパクトを、数学的な方法論を用いて世界を見ることを確立した点にあると説明します。
デカルトは世界の捉え方だけでなく、人間自身の捉え方も変えました。それまで人間は神が創造したものであり、そもそも考えることすら許されていなかったところから、スコラ哲学のトマス・アクィナスを経て考えてよくなり、多くの矛盾が見つかっていた流れの延長にあります。スコラ哲学 ── 中世ヨーロッパで発展した、キリスト教神学と古代哲学(特にアリストテレス)を結びつけた学問体系。トマス・アクィナスが代表的な人物とされる。
デカルトは、聖書によらない説明をしていきました。深井さんは、人間を機械のように扱って考えた点を挙げます。神の御業といった意味的なエモさを除き、現象と現象のつながりで説明する態度です。
心臓は血液のポンプでしょ、みたいな感じ
深井さんは、これが凄まじい転換点であり科学革命だと語ります。神の御業ではなく、現象と現象がつながって結果としてこうなっている、という説明への転換です。
楊さんは、この変化を人間を特別なものとして見ていた時代から、人間を一個の自然物として物理的な態度で見ようとする転換だとまとめます。深井さんは、この考え方が今の医学の発展の土台になっていると補足します。中世ヨーロッパでは人体が神聖なものとされ、解剖が禁じられていたのが、こうした転換によって変わっていったと言います。
ニュートンの「右ストレートパンチ」で不可侵領域が消えた
次に登場するのがニュートンです。深井さんは、これを科学革命の最後の右ストレートパンチのようなものだと表現します。万有引力の法則を論じた「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」を書いた人物です。
ニュートンのすごさは、アリストテレスが月上界と月下界を別の法則で動くと説明していたものを、すべて同じ法則で動いていると示した点にある、と深井さんは言います。一つの原理で全部が説明できるという感覚を初めて生んだのです。
それまで月上界にはエーテルのような完璧な存在があり、人間の力が及ばない神秘的な領域だとされていました。エーテル ── アリストテレスの自然観で、天上界を満たすとされた完全で不変の第五元素。地上の四元素とは異なるものとされた。ニュートンの説明では、自然現象は定量的・数学的にすべて扱え、観測に基づいて証明できるとされ、不可侵領域がなくなります。
深井さんは、この帰結を強調します。宇宙全体が、我々の理性を駆動させれば判明可能だと言ったのと同じことになった、というのです。それまでは人間が頑張っても限界があり、そこは神の不可侵領域だと考えられていました。
樋口さんは、この転換を思考の起点が変わったことだとまとめます。数学や天文学、数字や観測を、世界を解釈する起点にしようという変化です。当たり前になりすぎて、そのすごさを体感しにくいとも語られます。
科学革命が生んだ「世界は良くできる」という感覚
深井さんは、科学革命の後にルソーやジョン・ロックが登場し、個々人の力のエンパワーメントを語ったことに触れます。政治の世界も自分たちで変えられる、人権があり、幸福を追求してよいという考え方です。
ニュートンらが科学の領域を切り開いたことで、人類は初めてある感覚を得た、と深井さんは言います。科学や思想を理性で駆動させれば、世界は良くなっていくという感覚です。
それまで人間は、自分たちで世界を良くできるとは思っていませんでした。中世に限らず、世の中は殺伐として滅びていくという末法思想や終末思想のほうが強かったと語られます。
樋口さんは、この世界観を端的に言い換えます。この世は全て理屈で説明でき、理屈で説明できれば計算で答えが出て、計算できればコントロールできる、そして人間にはその能力があるという感覚です。
深井さんは、これが啓蒙思想の誕生だと位置づけます。理性で獲得した真理を世界に敷衍させていく感覚が生まれる一方で、発見していない人を見下す現象もここで起こったと指摘します。
ただし初期の科学は、神の存在を前提にしていました。デカルトも神の存在を否定せず、著書の中で神の存在証明を行っているほどです。神の計画や意思を知り、その威光を明らかにするために理論を学ぶ、という態度がとられていました。
18〜19世紀まで時代が下ると、ついに神を説明にまったく使わないところまで段階的に進みます。深井さんは、ニーチェの「神は死んだ」という言葉を、キリスト教世界で神を説明に使わなくなったことを指すものだと解説します。
神の説明を手放すのに600年かかった
樋口さんは、この変化が長い期間をかけて進んだことを強調します。コンテンツ上はすぐに変わったように伝わるかもしれませんが、実際には人間の価値観の中で神以外のエンジンが少しずつ増えていったと言います。
深井さんは、12世紀ごろから段階的に約600年かけてここまで来たと補足します。アラビアからギリシャ哲学を受容し始めてから、神の説明を手放すまでにそれだけの時間がかかったのです。
一方で、ニュートン力学が17世紀末に完成すると、18世紀前半の啓蒙主義の時代には、もう新しい原理の探求は終わったと言われることもありました。深井さんは、この時の人類が全部わかってしまったと思っていたと語ります。
楊さんは、これを30代半ばの自分に重ねて、大体わかったと思ってしまう感覚だと笑います。深井さんは、分かれば分かるほど分からなくなるダニング・クルーガー効果に触れ、当時は谷に落ちる前の状態だったと表現します。ダニング・クルーガー効果 ── 能力の低い段階ほど自分を過大評価しやすく、学びが進むと逆に自分の無知を自覚していくとされる認知バイアス。
今も続く進歩への楽観主義とそのルーツ
科学や思想で世界を良くしていけるという楽観主義的な態度は、その後もずっと続いてきた、と深井さんは指摘します。この感覚に疑義が生じたのは、世界大戦のころだと言います。
特に原子爆弾の登場が、科学が世界を良くしないこともあるかもしれない、と人類に思わせました。それまではずっと、良くなると信じ続けてきたのです。深井さんは、ビジネスパーソンにも今なおこの感覚があると語ります。
楊さんは、生まれた時から科学が進化し続けているから、これが未来永劫続いて良くなると思ってしまうと述べます。深井さんは、科学が良くなると世界が良くなるという関連性を盲目的に信じるフェーズにいたと応じます。
深井さんは、良くなることも多いが悪くなることもある、と釘を刺します。それでも悪くなることをあまり考えず、楽観的な姿勢をとりやすいのが現代人だと言います。良い悪いの評価ではなく、メタ的に見ればそういう状態だという整理です。
楊さんは、株式会社がものを作り、エアコンや車が便利になる恩恵を享受しているから、科学が進んだ方がいいと考える人が多くなると指摘します。深井さんは、17〜19世紀に生産量が増え、その恩恵を受けた一部の人々の実感が、経済やお金儲けと結びついて強化されていったと説明します。
そこに対する強烈な楽観性みたいなのが我々の特徴だ
深井さんは、すべてが連関していると語ります。資本主義の勃興ともつながり、その楽観性が人々をビジネスに駆り立てている、というのです。
頑張れば頑張るほど良くなると思ってるから頑張れるわけで
樋口さんは、現実問題として科学技術の勃興にはマイナスの面も出てきていると補足します。環境問題などがその例ですが、そこにフォーカスするのはこの後の回の話だと整理します。
次回予告──科学の限界と、各技術の各論へ
深井さんは、ここまで科学の実証性や実験による確からしさを話してきたと振り返ります。次回はその科学にも限界があるという話をした上で、その後は各論の技術に入っていく予定だと言います。
取り上げる技術として、深井さんは先に一覧を挙げます。それぞれがワンシリーズになるほどのテーマだと楊さんは反応しています。
- 金属
- 汎用動力(蒸気機関などの動力)
- 産業革命そのもの
- 火薬
- 農耕と食料生産の技術
- 原子力
- コンピューターとインターネット
- AI
これらを1つずつ見ていくために、参考文献となる書籍は320ページになったと深井さんは語ります。樋口さんは、それでもだいぶピックアップして削った結果だと補足しています。
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まとめ
科学革命は、新大陸との遭遇でアリストテレスと聖書のよりどころが崩れ、人間が自然の一部として観察対象になったことから始まりました。コペルニクスからニュートンへと続く流れで不可侵領域が消え、理性で世界を良くできるという楽観主義が生まれ、それが現代のビジネスや進歩主義にまで続いていることが語られました。
- 科学革命は16〜17世紀の約150年で起き、宗教改革やルネサンスより大きな事件だと評価される
- 新大陸で古代の書物と違う現実に直面し、人間は特別な存在から観察対象へと位置づけが変わった
- ガリレオやデカルトは数学を用いる新しい思考で、アリストテレス的な思考方法を覆した
- ニュートンが一つの原理で世界を説明し、神の不可侵領域が消え「人間が頑張れば全部いける」感覚が生まれた
- 理性で世界を良くできるという楽観主義は600年かけて根づき、今のビジネスや進歩主義のルーツになっている




