ライト兄弟は「飛行機を発明した人」ではない?
この回はコテンラジオのショート編で、いつもより「ゆるり」とした雰囲気で始まります。テーマは「飛べ!ライト兄弟」です。
ライト兄弟について聞かれた樋口さんは、「飛行機で飛んだ人」と答えます。楊さんはそれを大筋で認めつつ、飛行機を「発明」した人ではないと訂正します。
え、違うんや。
楊さんによると、人間が空を飛ぼうとする挑戦の歴史は何百年も前から続いており、ライト兄弟は最初に空を飛んだ人でもありません。さまざまな物語と技術発展の歴史が絡み合い、それがライト兄弟に集約して、彼らを航空史の偉人に押し上げたといいます。
楊さんは、一般的な偉人漫画ではライト兄弟の努力の物語が描かれる一方で、技術的に何を達成したのかや、時代背景との関係はあまり知られていないのではないかと話します。
ライト兄弟ってもう本当に小学生ぐらいの時に、漫画のめっちゃ簡単なやつでちょっと読んで「すげえ」ぐらいで止まってますね、情報が。
楊さんは先に結論として、ライト兄弟は飛行機のエンジニアとして一度成功したものの、ビジネスには失敗したと明かします。偉業を達成した後の黄金期と転落期も合わせて語ることで、人生の何とも言えない味が伝わるのではないかといいます。
樋口さんは、以前番組で取り上げたグーテンベルク ── 15世紀ドイツの人物で、活版印刷術を実用化したことで知られます。技術的には大きな革新を起こしましたが、事業では資金面の問題を抱えたとされていますも同じ構図だったと指摘します。楊さんは、技術者としての能力とビジネスマンとしての能力を両方兼ね備えた人は意外と少ないのではないか、と応じています。
人類社会のOSを変えた航空技術
楊さんはまず、ライト兄弟が空を飛んだことの意味を、歴史を踏まえて考えます。人間は翼のない陸上動物なのに空を飛び、今では宇宙や月まで人を送り出しています。
楊さんによれば、航空技術は鉄道、電信、印刷術と同じく、人類社会のOSを変えた技術革新です。飛行機というインフラが世界に埋め込まれ、それが世界を構成する前提になったため、飛行機のない世界の形はもう想像しにくくなっているといいます。
具体的な変化として楊さんが挙げるのは、移動の速度と効率です。かつて外国へ行くには船や徒歩、馬で数週間から数カ月かかりましたが、飛行機の普及で数時間から数日で移動できるようになりました。
遠く離れた場所へは船・徒歩・馬で数週間から数カ月かかった
数時間から数日で移動でき、国々の物流と人の移動がネットワークとしてつながった
楊さんがより重要だと強調するのは、飛行機によって国々の物流と人の移動を連結するネットワークが形成された点です。移動手段、運搬手段、さらに戦争の攻撃手段としても、飛行機は世界の前提になりました。
一方で楊さんは、航空技術は何百年もかけて蓄積されてきたものだと繰り返します。そのうえで、ライト兄弟がやったことを表面張力ギリギリのコップの水に最後の一滴を垂らしたことだと表現します。
そうかそうか。積み重ねてきた歴史があってのことだよね。
兄の名前はウィルバー・ライト、弟の名前はオーヴィル・ライトです。楊さんは、この構造はグーテンベルクと似ているかもしれないと付け加えます。
19世紀末はどんな時代だったのか
ライト兄弟の時代は、19世紀が終わり20世紀が始まる頃です。楊さんは、航空技術はまさに20世紀的な技術だといいます。
楊さんによると、ある歴史家は19世紀と20世紀の境目を第一次世界大戦 ── 1914年から1918年にかけて主にヨーロッパを戦場に行われた大戦。戦車や毒ガス、航空機などの新兵器が大規模に使われましたの開始に求めています。第一次世界大戦は飛行機が兵器として大規模に投入された初めての戦争で、そこから飛行機の歴史がどんどん動き出していきます。
19世紀はパックス・ブリタニカ ── 「イギリスによる平和」の意味。19世紀に大英帝国が圧倒的な経済力と海軍力で世界の秩序を主導した状態を指す言葉ですと呼ばれ、工業化で生産力を高めたイギリスが覇権を握った時代でした。兄ウィルバーが生まれた1867年は、日本では明治維新の前年にあたります。
19世紀の終わりには、イギリスの覇権が揺らいでいきます。地下資源の豊富なアメリカが台頭し、ドイツは重化学工業で目覚ましい成果を上げ、ロシアは南下政策でトルコと戦い、日本も日清戦争を始めるという帝国主義拡大の時代でした。
番組では、同じ時期の科学技術や出来事も年号で並べられます。
地下鉄が建設された2年後に新選組が結成されていることに、樋口さんは驚きます。楊さんも、当時のイギリスの人々と江戸の人々が目にしていた風景の違いを想像すると面白いと話しています。
なんか全然感覚違うな。
さらにメンデルの遺伝学、エジソンやニコラ・テスラの電気に関わる発明、ノーベルのダイナマイト、マクスウェルの物理学など、今日の科学技術の基礎がこの19世紀に次々と生まれました。ライト兄弟はその中で生まれてきたと語られます。
ここで楊さんは、今回の勉強を通じて、偉人はスタンドアロンで出てこないとよくわかったと話します。技術や先人の蓄積があり、たまたまライト兄弟が一番波の高いポイントに立ち、歴史のスポットライトが当たったという構造です。
国を滅ぼした王様がいて、そいつのせいだけで滅ぼしたのかっていうとそうじゃないし、逆に勃興した方もそいつのおかげだけじゃないみたいなところがあって。
楊さんは、それでも属人的な理由で解釈したほうが物語として盛り上がるから、偉人の話はそう語られがちなのだと応じています。
飛行機の条件と、命がけの鳥人間たち
ライト兄弟以前の空への挑戦を語る前に、楊さんは現代の飛行機の機能や特徴を分解して並べます。
- 機体を操縦して、地面からいつでも飛び立てる
- 高度の上げ下げや方向転換が自由にできる
- 目標地点を設定して、そこに向かって飛べる
- 落ちずに継続して安定飛行できる
- エンジンの力を使う
- 人を乗せられる
楊さんによると、人類の航空技術の発展は、これらのピースを揃えていく試行錯誤の歴史でした。いくつかは達成できても全部は揃わない状況が長く続き、そもそもどの技術があれば飛べるのかを探ること自体が大変だったといいます。
そうか。しかも空飛んで失敗したら死ぬもんな。
物を飛ばす技術は紀元前からありました。紀元前5世紀、春秋戦国時代の中国で凧が発明されたとされ、以前番組で取り上げた墨子 ── 中国の春秋戦国時代の思想家で、墨家の祖。兼愛や非攻を説き、防御のための技術者集団を率いたことでも知られますも凧を作った記録があります。信号や風向・風力の測定など、軍事目的で使われたようです。
竹とんぼや、熱気球の一種であるスカイランタンも昔からありました。けれども、人間を空に飛ばす技術はなかなか生まれませんでした。
人間が最初に試みたのは、鳥の真似をして羽をつけ、高いところから飛び降りる方法です。イスラム世界の学者イブン・フィルナースは羽ばたき式のグライダーで山から飛んで墜落し、背中を痛めました。
イングランドの修道士エイルマーは西暦1000年頃、布の翼を背に約45メートルの修道院の塔から飛び降りて両足を骨折しました。アラビア語の辞書を最初に編纂したとされる学者ジャウハリは、木製の翼でモスクの屋根から飛び降り、即死したといいます。
四十五メーター結構や。
楊さんは、人間の空への挑戦は死と怪我と隣り合わせの人体実験だったと話します。生への執着を克服した、少しネジが緩んだ人でなければ手を出さなかったのではないか、というのが楊さんの見立てです。
俺ら普通にフグ食えるのは、フグ食って失敗した人がいっぱいいるから。
ダ・ヴィンチから熱気球、飛行船へ
飛ぶことへの科学的なアプローチは、15世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチから始まったといわれます。ダ・ヴィンチは人間を飛ばす機械について極限までアイデアを出し、図面に起こしましたが、実際に作って実験はしなかったようです。
楊さんが読んだ本によれば、ダ・ヴィンチは空を飛ぶのは難しいとわかったうえで、知恵熱を発散するためにアイデアを出していたそうです。それでも、伸びたロープが戻る力を翼に伝えて羽ばたかせるなど、実用性のあるメカニカルなデザインだったといいます。
ただ、ダ・ヴィンチの死後も飛行技術の進歩は長くなく、鳥の真似をする時代が続きました。空への壁が科学によってこじ開けられるのは、もっと後の時代です。
まず登場するのが、フランスの紙職人だったモンゴルフィエ兄弟です。商売道具の紙で気球を作り、世界初の熱気球による有人飛行を成功させました。
次にフランスのエンジニア、アンリ・ジファールが、空気より軽い気体を袋に詰めて浮き、エンジンで前進する飛行船を作りました。熱気球にはエンジンがないため、ジファールの飛行船が人類初の動力飛行とされています。
楊さんは、飛ぶ行為の一部を動力が担ったことがポイントだと話します。それまで気球やグライダーは浮く力や風の流れに任されていましたが、飛行船はガスで浮き、蒸気機関で進むハイブリッドで、人間の意志をある程度反映して空を移動できるようになりました。
物を飛ばす
凧、竹とんぼ、スカイランタンなど。紀元前から存在した
鳥の真似
羽をつけて高所から飛び降りる。怪我や死と隣り合わせだった
熱気球
モンゴルフィエ兄弟が有人飛行に成功。ただし動力はない
飛行船
ジファールが動力飛行を達成。ツェッペリンが実用化した
飛行機
エンジンと固定翼を持つ有人動力飛行。技術者たちの目標
飛行船を実用化まで持っていったのが、ドイツの軍人で発明家、企業家のツェッペリン伯爵です。ツェッペリン号はドイツだけで累計3万人以上の旅客を運び、20世紀初めは巨大飛行船の黄金時代になりました。
しかし飛行船はその後衰退します。楊さんは、ガスによる爆発や墜落事故の危険性に加え、遅くて目立ち、好きな場所へピンポイントで行けないため軍事利用に向かなかったこと、コストが高いことを挙げます。
飛行機の定義と、3つの開発グループ
人類が夢見ていたのは、あくまで鳥のように自由に素早く飛ぶことでした。技術者たちが目指したゴールは、有人動力飛行ができる飛行機です。
楊さんは、航空機と飛行機の違いも説明します。航空機は飛行船やヘリコプター、グライダーを含む上位概念で、飛行機はその中でもエンジンを装備し、固定した翼を持つものを指します。
飛行船、ヘリコプター、グライダーなども含む上位概念
航空機のうち、エンジンを装備し固定翼を持つもの。翼が回転するヘリコプターは含まない
楊さんによると、飛行機の開発者たちは、飛ぶことへのアプローチの違いで3つのグループに分けられます。樋口さんはそれぞれに『HUNTER×HUNTER』風の呼び名をつけて楽しんでいます。
| グループ | 考え方 | 樋口さんの呼び方 |
|---|---|---|
| 動力中心派 | 強力なエンジンを積めば飛行機は飛ぶ | パワー型 |
| 模型派 | エンジン付き模型を飛ばし、それをスケールアップする | 具現化系 |
| グライダー派 | 人が操縦するグライダーで飛べるようになってからエンジンを付ける | 操作系 |
ライト兄弟は、このうち3番目のグライダー派に属していました。
オラオラでいくのか、ちゃんとテクニックとか頭使ってやるのか。それか人間のあれに頼るのかみたいな。全部違いますね。
ジョージ・ケイリーが解き明かした「飛ぶ原理」
最初に紹介される先駆者は、航空学の父と呼ばれるイギリスの工学者ジョージ・ケイリーです。ケイリーは、凧がなぜ空中に浮いて安定するのかという原理を初めて特定しました。
ケイリーによれば、凧には浮き上がる力、進行を妨げる力、押し出す力、重力の4つが働き、それらが釣り合って空中に浮きます。楊さんは、この発見がその後のすべての飛行機設計の基礎になったと話します。
ケイリーはこの原理をグライダー製作に落とし込み、人間を飛ばせる最初のグライダーを作ったと記録されています。そのデザインは、固定翼、横に広がる主翼、尾翼を備えた、今の飛行機のプロトタイプのような形でした。
さらにケイリーは、翼に上半角 ── 翼を水平ではなく、先端に向かってわずかに上向きに取り付けたときの角度。機体が傾いたときに水平へ戻ろうとする安定性を生みますをつけました。気流の乱れで機体が傾いても、水平姿勢に戻す力が働くようにする工夫です。
ちなみにケイリー自身はグライダーに乗らず、使用人の息子を乗せて飛行実験をさせたといいます。
ちょっと。かわいそうに。息子。
番組では、ケイリーの意義は鳥人間的な発想から離れ、流体の中で物にどんな力が働くかを考えた点にあると語られます。揚力の原理が解明されたことで、より長く安全に飛べるグライダーを設計できるようになりました。
リリエンタールはなぜ人を熱くさせたのか
次に登場するのは、ユダヤ系ドイツ人のオットー・リリエンタールです。リリエンタールはケイリーのグライダーを実際に作り、自ら乗り込んで徹底的に実験し、データを取りました。
楊さんによれば、それまでの飛行技術は機体のハードをどう作るかが重視されていました。リリエンタールは、人間が乗って操縦する飛行機はどうあるべきかという観点を突き詰めた人です。
UI、UI。
機体のハードをうまく作り、飛ばしたり安定させたりすることが重視された
操縦者が体を動かして重心を移し、機体の安定を保つ。人間の操縦ありきで機体を組み立てる
リリエンタールは、操縦者が体や足を動かしてバランスや向きを調整し、可能な限り滑空を続けることを開発方針として貫きました。楊さんは、これが現代の機械工学でいうマンマシンシステム ── 人間と機械、両者の接点であるインターフェースを1つのシステムとして捉える考え方。操作ミスを減らす設計などに使われますに近い発想だったといわれている、と紹介します。
まあでも、よく考えたら自転車とかバイクはそうか。
リリエンタールは5年間で2500回の飛行実験を行い、詳細な記録を残しました。数十キロのグライダーを毎回丘の頂上まで担ぎ上げていた計算です。飛行時間は累計5時間でしたが、当時としては前人未到だったといいます。
記録を取るっていうところがやっぱすごいよね。
楊さんは、リリエンタールの挑戦は技術以上に、精神的な次元で後の挑戦者たちの情熱を刺激したと話します。「鳥の飛ぶ能力を得たいという思いを願いのままにとどめてはならない」という趣旨の言葉も残しています。
リリエンタールは最後の実験で墜落して背骨を折り、48歳で亡くなりました。死の直前には「犠牲はつきものだよ」と言い残したと伝えられています。
2500回命かけてやって、最後本当に墜落して、そのせいで死ぬんや。
情報をつないだ「ハブ」オクターヴ・シャヌート
3人目はフランス系アメリカ人のオクターヴ・シャヌートです。もともとアメリカで土木技師をしていましたが、晩年に航空技術に関心を持ち、他の技術者とは異質な活動をしました。
当時は各国でエンジン付きの模型や試作機が作られましたが、一瞬浮いたりジャンプしたりはしても、継続飛行やコントロールされた飛行はできませんでした。楊さんによると、人間を乗せると体重や離着陸の安全性など考える要素が一気に増え、何かが足りないとわかっていてもそれが何かわからない状態だったといいます。
シャヌートは、こうした膨大な試行錯誤と実験データを体系的に整理した人です。楊さんは、シャヌートには4つの顔があったと紹介します。
シャヌートの出版物は、空を目指す技術者たちのバイブルになりました。フランス出身でヨーロッパとのつながりがあり、パリやロンドンの会議に出て国内外の研究者と頻繁に情報交換していたといいます。
すげえ人見つけてつなげて、それをうまく言語化して。
特筆すべきは、シャヌートがアメリカのライト兄弟の情報をヨーロッパに伝えたことです。楊さんは、シャヌートがライト兄弟のイノベーションの意義を理解し、適切な言葉で伝えられたのではないかと話します。こうした技術と人の流れが、ライト兄弟に集結していきます。
完成品しか知らない飛行機の、無数の「別の形」
ライト兄弟本人は、この第1話ではまだ登場しません。楊さんは、2話目から登場すると予告します。
樋口さんは、普段飛行機に乗るときには、完成するまでの歴史をまったく想像していないと振り返ります。楊さんは、それだけ飛行機というインフラが世界に埋め込まれ、当たり前になっているからだと応じ、歴史を掘ると当たり前ではなかったとわかるのが面白いと話します。
樋口さんが「パラレルワールドなら、あの形じゃないものが飛んでいるかもしれない」と言うと、ダ・ヴィンチのスケッチはミキサーやトルネードのような形で、翼以外のもので飛ぼうとしていたという話も出ます。今の形の飛行機にならなかった可能性は十分にあった、というわけです。
次回はライト兄弟の生い立ちと飛行機の設計思想が語られる予定です。
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まとめ
ライト兄弟は飛行機を発明した人でも、最初に空を飛んだ人でもありません。数百年にわたる空への挑戦、19世紀の科学技術の蓄積、ケイリーやリリエンタール、シャヌートといった先駆者の仕事があり、その流れの最後の一滴を垂らしたのがライト兄弟だった、というのがこの回の見取り図です。
- 航空技術は、鉄道や印刷術と同じく人類社会のOSを変えた技術として語られた
- 人類の空への挑戦は、凧から鳥の真似、熱気球、飛行船へと続き、有人動力飛行の飛行機が最終目標だった
- 開発者は動力中心派・模型派・グライダー派に分かれ、ライト兄弟はグライダー派だった
- ケイリーは飛ぶ原理を、リリエンタールは人間の操縦という観点を、シャヌートは情報のネットワークをもたらした
- 偉人は単独で現れるのではなく、時代と先人の蓄積の上に立っているという視点が示された






