プワシフ収容所の解体で、レオン少年一家はどうなった?
第二次世界大戦の終盤、ナチスドイツはソ連との戦争で押し返され、負け始めていました。深井さんによると、ソ連軍が強制収容所まで来ると世界にホロコーストが露見するため、証拠隠滅のためにプワシフ収容所の解体が決まったといいます。
負けて、そのソ連軍がさ、強制収容所のところとかまで来ちゃうとバレるじゃん、世界に。これ(ユダヤ人の虐殺)をやってたことが。
プワシフ収容所の解体は、シンドラーの工場で働くレオン少年の一家にも影を落とします。シンドラーが工場を閉鎖して人員整理をするという噂が流れ、収容所へ送り返される人のリストに、レオン少年本人と父、兄の名前が載っていたのです。
アーモン・ゲートがいて、いつ殺されるかわからないプワシフ収容所に戻ることは、レオン少年にとって死を意味していました。母だけは工場の閉鎖を手伝うため残ることになっていましたが、家族が連れ戻されることに泣き崩れたといいます。
そんな中、レオン少年の父だけは、シンドラーは工場をチェコスロバキアへ移すからきっと連れて行ってくれると家族を励ましました。しかしレオン少年は、大工場を建て直してまで自分たちを呼び寄せる理由などないし、アーモン・ゲートも許さないだろうと考えていました。
魔法瓶の音が命をつないだ瞬間
プワシフ収容所へ戻る列の途中、見送りに姿を見せたシンドラーを見つけたレオン少年は、衝動的に列をかき分けて前へ出ました。監視員に怒鳴られ、ライフルで殴りつけられた拍子に、持っていた魔法瓶が跳ね飛ばされて音を立てます。
あの魔法瓶がね、跳ね飛ばされてカランカランって音するんですよ。その音を聞いてシンドラーが振り返るんですよね。
振り返ったシンドラーに、レオン少年は父も兄も自分も送られてしまうと訴えました。シンドラーは「残れ」と言い、一家を残してくれたといいます。深井さんは、これが本人の証言に基づく史実だと強調しています。
この魔法瓶は、ゲットーで同じ部屋になったルフィティシュ夫妻から譲り受けたものでした。夫妻は後に収容所で殺されてしまいますが、その形見が少年の命を救ったことになります。
すごいやろ。これマジで。ちょっと映画やん。
残留者のリストに一家全員が入ったと知らせに行ったのは、シンドラー自身でした。レオン少年の母は、シンドラーが3人を自分の家族だと把握していたことに驚いたといいます。楊さんは、人間扱いされない環境だったからこその驚きだと受け止めています。
シンドラーのリストは誰が作ったのか
工場の移転先に連れて行くユダヤ人の名簿こそが、いわゆるシンドラーのリスト ── オスカー・シンドラーが工場の移転に伴って保護したユダヤ人の名簿。1993年にスティーヴン・スピルバーグ監督が同名の映画を制作し、広く知られるようになりましたです。ここに名前が載った人が助かり、載らなかった人はプワシフ収容所へ送り返され、基本的に亡くなっています。
映画ではシンドラーが1人ずつ名前を挙げてリストを作る場面がありますが、深井さんによると、これは史実ではありません。シンドラーは移送を実現するための対外交渉に専念し、名簿作りはユダヤ人に任せていたといいます。
誰かに任せた。ユダヤ人に任せて。で、そのユダヤ人の人はなんか賄賂とかもらいながらリスト操作しちゃったりしてたんですけどね。
そのため、シンドラーと親しかったレオン少年でさえ当初はリストに入っていませんでした。救われた人数は変わらないものの、名簿の作成者の操作で外された人や入れられた人がいたと、深井さんは説明しています。
楊さんは、工場に入るときも収容所へ戻されかけたときもギリギリで生き延びたレオン少年について、行動力と運の良さだと評しています。
アーモン・ゲートはなぜ逮捕されたのか
工場移転の交渉が進む最中、プワシフ収容所長アーモン・ゲートがドイツ当局に逮捕されます。理由はユダヤ人の虐殺ではなく、賄賂の受け取りすぎや囚人の財産の横領といった不正でした。
別にユダヤ人を殺しすぎたわけじゃなくて、単に不正。
深井さんによると、アーモン・ゲートは休暇でウィーンの実家に戻っていたところをSS ── ナチス親衛隊(Schutzstaffel)の略称。ヒトラーの護衛部隊から発展し、強制収容所の運営やホロコーストの実行を担った組織ですに捕らえられ、別に借りていたアパートから横領した金が見つかりました。理由もなく人を殺し、拷問していた人物の逮捕は、収容所の人々には寝耳に水の朗報だったといいます。この出来事は映画では描かれていません。
全財産を投げ打ったシンドラーの謎
シンドラーのリストには男性700人、女性300人の名前が書かれ、ほかにも200人以上の囚人を工場で匿っていたとされます。深井さんは、合計1200人ほどを助けたのではないかと紹介しています。
注目すべきは、シンドラーが移転直前まで工場で儲けていたことです。何もしなければ利益を得て終われたはずなのに、シンドラーはその金をすべて移転に注ぎ込みました。移転先の工場は未完成でほとんど稼働せず、ただ人を匿うための場所になっていきます。
工場で利益を上げながら、目の前で虐げられる人を救っていた
全財産を移転に注ぎ込み、ほぼ稼働しない工場で人を匿う
ここからね、このアクションはね、もう本当にただ命救うためにやってるんです。
不思議なのは、救われたユダヤ人自身も、なぜシンドラーがそこまでしたのかわからないと語っていることです。楊さんは、人道主義で助けたという見方のほか、ドイツの敗戦を見越して連合国に訴えられないための自己保身だったという説も紹介しています。
これに対して深井さんは、十字軍 ── 11世紀末から中世ヨーロッパのキリスト教勢力が、聖地エルサレム奪還を掲げて行った遠征。コテンラジオでも過去にシリーズとして扱われていますの回で学んだように、人間の動機は1つではなく複合的だろうと話します。
「かわいそうだった」から命がけの救済へ
シンドラー本人は、なぜ救ったのかについて、基本的に「かわいそうだった」「ほっとけなかった」という言い方をしていたといいます。計算づくで行動したという語り方ではなかったようです。
アーモン・ゲートの秘書をさせられていたユダヤ人のミーテク・ペンパーは、シンドラーと密に連携してユダヤ人救済に動いた人物です。ペンパーは、シンドラーも最初は儲けようとしていたが、徐々に助けてくれるようになっていったと証言しています。
だからマジでちょっとずつほっとけなくなったんだろうね。
深井さんは、全財産を投じる以前から、シンドラーは発覚すれば処刑されかねない救済を重ねていたと指摘します。樋口さんは、ナチス側の立場から安全にやっていたと思い込んでいたと驚きます。
終戦時にシンドラーに残ったのは、敗戦国のナチ党員という肩書と、財産がまったくない状態でした。
楊さんは別の証言も紹介します。脱走した女性をアーモン・ゲートが見せしめに吊るし、最後はライフルで撃った場に居合わせたシンドラーは、嘔吐して「もう二度とドイツ人のために働かない」と言ったといいます。ナチスへの反抗心も動機の1つだった可能性があるわけです。
当初
工場で儲けることが主な目的だった
徐々に
目の前の迫害を放っておけず、ペンパーらと命がけの救済を重ねる
残虐の目撃
アーモン・ゲートの処刑を見て、ナチスのために働かないと口にする
最終局面
全財産を投じて移転を実現し、1200人ほどを匿う
ブリンリッツへの移転を可能にした交渉力
移送先はズデーテン地方のブリンリッツにある新工場でした。移送の方法や、プワシフ収容所の解体に間に合わない場合の行き先など課題は山積みで、シンドラーは最後の1週間ほど、ナチスの役人らと交渉を続けたといいます。
ミーテク・ペンパーによれば、それはお金を渡せば済むレベルではない難しい仕事でした。深井さんは、人の気持ちをつかんで動かすなど、お金以外のあらゆる能力が必要だったと解釈しています。
この人のそのいろんな愛人作ってとかさ、あの能力がさ、多分ここで生きてるんですよ。面白いよね、人生って。
深井さんは、シンドラーがアーモン・ゲートを内心軽蔑しながら、最後まで友達だと思わせていた点にも触れます。楊さんは、収容所内に工場を建てさせた交渉力や、いざというときに勝負に出る姿勢も挙げました。深井さんは意志の力に加え、適性もあったのだろうと話しています。
アウシュヴィッツに送られた女性たちを取り戻す
レオン少年たちはブリンリッツに行く前に、いったんグロスローゼン収容所へ送られました。髪を刈られ、ひどい扱いを受け、夜の闇の中で貨車に乗せられて、着いた先はアウシュヴィッツではないかと恐れていたといいます。
実際に着いたのはブリンリッツで、そこにはシンドラーが待っていました。ところが、先に着いたのは男性たちだけで、レオン少年の母を含む女性たちはアウシュヴィッツに誤って送られ、殺される寸前でした。知らせを聞いたレオン少年の父は、血の気が引くほど苦しんだといいます。
シンドラーは、別の女性300人をあてがえばよいと言われかねない状況で、この女性たちは高度な訓練を受けた専門家で代わりがきかないと力説しました。深井さんは、相手も信じていなかっただろうが、賄賂を渡して押し通したのではないかとみています。
一回送って殺そうとしてるこの人たち三百人だけをこうやってまた連れ戻してって。それがバイネームで指定されててみたいな。
こうして女性たちもブリンリッツに合流し、終戦までの8か月間を軍需工場で過ごしました。その間、工場はほとんど製造しておらず、シンドラーはユダヤ人の人件費をナチスに払い続けたため、最後にはほぼ無一文になります。
楊さんは補足として、本によっては初めからアウシュヴィッツを経由する予定だったという見解や、シンドラー本人ではなく女性秘書に土産物を持たせて交渉させたという見解もあると紹介しています。
「君たちは自由だ」終戦とシンドラーの別れ
ソ連軍が迫り、アウシュヴィッツ収容所さえ解放される中、シンドラーは戦況を工場のユダヤ人に伝えていました。1945年4月、SSから工場のユダヤ人全員を殺せという命令が出ますが、シンドラーは殺すより逃げたほうが兵士たちも生き残れると説き、阻止したとされます。
シンドラーは工場を離れる前、ユダヤ人に別れの挨拶をし、「君たちは自由だ」と告げました。長い恐怖の中にいたレオン少年は、その言葉をなかなか実感できなかったといいます。スピーチでは犠牲者への3分間の黙祷を求め、SS大尉やドイツ人の同僚への感謝も述べていました。
シンドラーはユダヤ人1人ひとりにウォッカ1瓶と布1反を配りました。食料と交換できる物資であると同時に、楊さんによればシンドラーは、解放された人間としての第一歩のために身なりを整えてほしいと説明したそうです。
なんか、なんすかね、かっこいいっていうか、なんか貴族だなと思って。
ある囚人は自分の金歯を溶かして指輪を作り、ユダヤ教の言葉「ひとつの命を救う者は全世界を救う」をヘブライ語で刻んでシンドラーに贈りました。シンドラーは車で去り、その後は囚人の格好をして逃げたといいます。
深井さんによると、シンドラーがユダヤ人労働者の救済に費やした額は105万6000ドルと推計されており、深井さんは今の価値で1億5000万円とか、あるいはもっとではないかと話しています。
ポーランドのユダヤ人の87%が失われた現実
収容所はソ連軍によって解放され、ユダヤ人たちはパレスチナへ向かったり、かつての住まいに戻ったりしました。深井さんは、数字には諸説あると断ったうえで、戦前のポーランドにいた約330万人のユダヤ人のうち、87%がホロコーストで亡くなったと紹介します。
深井さんは、犠牲者数は今も論争の的だが、ホロコーストがあったこと自体は事実だと強調しました。楊さんは、ポーランドだけで300万人近くが亡くなった計算になると受け止めています。
アーモン・ゲートはアメリカ軍に捕まり、ポーランド政府に引き渡されて裁判にかけられました。ミーテク・ペンパーらの証言によって死刑が宣告され、1946年9月13日に絞首刑が執行されます。
楊さんによると、裁判はスピーカーで外に中継され、数百人が聞いていました。証人として呼ばれたユダヤ人を見たアーモン・ゲートは暴言を吐き、そのうえで罪を否認したといいます。
否定して、俺には罪はない。俺はただ単に上司の命令に従っただけなんだと。
アーモン・ゲートの最後の言葉は「ハイル・ヒトラー」だったと、楊さんは紹介しています。
パッとしなかった戦後のシンドラー
戦時中に辣腕をふるったシンドラーですが、戦後は事業を起こしては失敗し、何度も破産しました。アルゼンチンではヌートリア ── 南米原産の大型のげっ歯類。毛皮を目的に世界各地で飼育され、日本でも野生化して特定外来生物に指定されていますの毛皮をとる牧場を10年で潰し、セメント会社もすぐに潰したといいます。
ミーテク・ペンパーは、シンドラーの輝ける時代は戦争中の6年間で、1939年以前にも1945年以降にも特別なことは成し遂げなかったと語っています。楊さんは「乱世で輝く人だった」と受け止めました。
無一文になったシンドラーは西ドイツ政府に補償金を求めましたが、これも認められなかったと楊さんは紹介しています。
救った命に救われた晩年
生前は評価されなかったシンドラーを支えたのは、救われたユダヤ人たちでした。晩年はユダヤ人コミュニティに面倒を見てもらい、家まで建ててもらったといいます。
たまらんなんかそれ。
救われたユダヤ人たちは各方面に働きかけ、1967年ごろにはイスラエル政府によって「正義の人々の並木道」にシンドラーの木が植えられました。イスラエル政府は、ユダヤ人を助けた人々を「諸国民の中の正義の人」として綿密な調査のうえで認定しており、楊さんによると2019年時点で約2万人が認定されています。
ただし、シンドラーはユダヤ人を搾取したのではないかという声もあり、生前は称号の授与に至らず、認定されたのは死後でした。シンドラーはエルサレムに葬られることを望み、ナチ党員でありながらエルサレムに眠る唯一の人物として、今も墓があるといいます。
レオン・レイソンとシンドラーの再会
生き延びたレオン少年はアメリカに渡り、一時軍人となった後に教師として働きました。アメリカ人から「自分たちも配給で大変だった」と言われても、体験のレベルが違いすぎて何も言えなかったといいます。
1965年、35歳になったレオン・レイソンさんは、アメリカを訪れたシンドラーと再会します。自分のことを覚えていないのではと胃が痛くなるほど怖かったものの、握手をするとシンドラーは覚えていてくれました。
本当はレイヴなんだよね、彼の名前。(中略)お前チビのレイヴだなって言われて。言ってくれてめっちゃ嬉しかったらしいです。
楊さんは、人の顔と名前を覚えられなければ営業活動もできないと指摘し、深井さんもシンドラーにはその才能があったと話しています。
妻エミーリエは何を許したのか
シンドラーの妻エミーリエは、夫とともにアルゼンチンへ渡りました。しかし事業の失敗後、シンドラーは妻をアルゼンチンに残したまま単身帰国します。2人は離婚こそしませんでしたが、生きて再会することはなく、エミーリエは2001年に滞在先のドイツで亡くなりました。
人の命を救った男は妻一人幸せにできない。
深井さんは、そうしたことを同時にできるのが人間なのだろうと話しています。
楊さんによると、エミーリエは映画『シンドラーのリスト』の撮影中、救われたユダヤ人たちとともにエルサレムのシンドラーの墓を訪れました。自伝では、なぜ捨てられたのかわからないとしつつも、まだ結婚していることは死や老いでも変わらないとし、「私はあなたのすべてを許します」と記しています。
エミーリエもクラクフで労働者の食料調達に奔走するなどしており、夫婦そろって諸国民の中の正義の人に認定されています。
救った人が「どんな人だったか」は問われるべきか
ミーテク・ペンパーは晩年の講演で、シンドラーは浮気ばかりしていたではないかと問われることがありました。そのときペンパーは逆に、溺れかけている自分たちを助けようと飛び込む男に、浮気しているかを尋ねるのかと問い返したといいます。
レオンさんもペンパーも、大切なのは彼が自分たちを救ってくれたことであり、彼がどんな人だったかではないと語っています。深井さんは、どんなつもりで救ったかさえ究極的にはどうでもいいのだと共感しました。
ペンパーによれば、シンドラーに救われた人々の子や孫は、ペンパーの晩年には6000人ほどになっていたといいます。シンドラーがいなければ存在しなかった命だというのが、ペンパーの強調した点でした。
次回アイヒマンへ、人間の善悪を単純化しない
シリーズは全12話で、今回の第7回で過半数を越えました。次回は迫害した側の人物としてアドルフ・アイヒマンを取り上げ、今後は杉原千畝も登場すると予告されます。
深井さんは、なぜシンドラーが救ったのかという不思議と同じように、迫害した側にも不思議があると話します。1つの現象に関わる人々の単純でない部分を見て、人間の善性に問いを持つことがリベラルアーツらしい学びだといいます。
シンドラーいい人で、アイヒマンクソで、アーモンゲートクソとかじゃないんだよね。
深井さんは最後に、なぜシンドラーは救ったのか、結局のところ誰にもわからないので、次回までの間に考えてみてほしいと投げかけています。
まとめ
オスカー・シンドラーは、儲けを求めて始めた工場経営から、次第に命がけの救済へと進み、全財産を投じて1200人ほどを救いました。戦後は成功に恵まれませんでしたが、救われた人々に支えられ、死後に正義の人として認められています。
- シンドラーのリストはシンドラー本人ではなくユダヤ人に作成を任せたもので、シンドラーは移送実現の交渉に専念していた
- 救済の動機は人道主義、自己保身、ナチスへの反抗など諸説あり、救われた本人たちにもわからないとされる
- アウシュヴィッツに送られた女性300人の奪還など、お金だけでは不可能な交渉をシンドラーの人たらしの能力が支えた
- 戦後は事業に失敗し妻も置き去りにしたが、救われたユダヤ人たちが晩年を支え、名誉回復に動いた
- ミーテク・ペンパーは、救ってくれた人がどんな人物だったかより、救ってくれた事実が大切だと語った





