ローマ滅亡後、ゲルマン人社会の性はどう変わった?
前回までの古代ローマの性に続き、この回では中世ヨーロッパの性を扱います。深井さんはまず、ローマにキリスト教が入って一般化したことで、性の概念が大きく変わったと前置きします。
○世紀頃に西ローマ帝国が滅びると、ヨーロッパではゲルマン人の社会が広がっていきます。その中でも、キリスト教は浸透を続けました。
楊さんによると、ローマはもともとガリア人、ゲルマン人、ケルト人などの異民族を支配していました。これらの民族は、それぞれ別の文化と性習慣を持っていたといいます。
ローマがキリスト教に国教化したからといって、ゲルマン人とかガリア人とかケルト人が一気にキリスト教化するわけじゃないんですよ。
異民族はそれまでの性習慣を持ったまま、少しずつキリスト教を受け入れました。性習慣が変わっていく様子は、中世初期の裁判記録からわかるそうです。
教会が「これは違法」と禁じていった行為を見ると、それ以前の人々が実際にしていたことが逆にわかります。禁止されたのは、婚前交渉、姦通 ── 配偶者のある人が配偶者以外と性的関係を持つこと。現代でいう不倫に近い概念です、近親相姦、同性愛などでした。
楊さんによれば、禁欲の考え方が最初に広まったのはインテリ層でした。一方で普通の民衆は、禁欲は体に悪く、セックスはしたほうがよいと考えていました。当時の医者が、ある種の病気の治療としてセックスを勧めることもあったといいます。
セックスは殺人と同じ罪?パウロとヒエロニムスの極端な禁欲
初期のおおらかな性習慣は、その後キリスト教によって塗り替えられていきます。深井さんは、ユダヤ教の厳しい性規制がキリスト教に受け継がれたという前回までの話を、ここでもう少し掘り下げます。
深井さんによると、イエス・キリスト自身は愛について多く語りましたが、セックスについてはほとんど言及していません。性について厳しく語り出したのは、イエスの弟子たちでした。
中でもパウロ ── 初期キリスト教の伝道者。各地の信徒に宛てた手紙が新約聖書に収められ、後のキリスト教神学に大きな影響を与えましたは、性的な行為は殺人と同じくらい罪深いという、きわめて極端な主張をしたといいます。楊さんも、パウロの影響が後の時代まで長く続いたと補足します。
パウロの考えでは、男色、マスターベーション、不貞など、性的満足のためだけに行為に走る人は「神の国から締め出されている」状態でした。結婚も、セックスを完全に放棄できない信仰心の薄い人がすがる「松葉杖」のようなものだとされます。
めちゃくちゃ言うな。
本当は(パウロの考えでは)しない方がいいってことですよね。セックスも結婚も。
パウロは信者に、処女や童貞ならそのまま守り、既婚者なら今の相手と結婚したままでいるよう説きました。離婚、再婚、売春、内縁の妻を持つことは、さらに良くないとされます。独身は来世の救済に備える良い方法だけれど、意思が強くないと難しい、というのがパウロの見方でした。
深井さんはここで、宗教の解釈は多様なので、紹介しているのはあくまで「この本にはこう書いてある」という内容だと断ります。書いてあるから正しいと受け取るのではなく、ある本にこう書いてあると認識することが、こうした分野を学ぶうえで大切だといいます。
パウロの後に現れた聖ヒエロニムス ── 4〜5世紀の神学者。聖書のラテン語訳で知られ、カトリック教会で聖人とされていますも、同じ方向の主張をしました。性的な関係は、たとえ夫婦であってもすべて不浄であり、性的快楽につながるものはすべて害悪だと説いたといいます。
深井さんによると、禁欲の思想はキリスト教徒以外にもあります。ただ当時のキリスト教徒の特徴は、禁欲のための苦労をいとわず、むしろ積極的に引き受けようとした点でした。性にとらわれるくらいなら拷問されたほうがいい、という人も出てきたそうです。
室越さんは、ヒエロニムスの考えが後々まで夫婦観に影響したと補足します。16世紀のあるキリスト教徒は、性的に妻を激しく求める夫は罪だと書き残しました。結婚は神聖な儀式であり、夫婦の関係は個人の感情ではなく、神に対する義務だと考えられていたためです。
騎乗位は禁止、許されるのは月4日。懺悔で裁かれた夫婦の営み
深井さんによると、キリスト教をベースにした国々では、セックスそのものを悪とする考えに基づいて法律が作られていきました。セックスをせずに子どもが作れればベストですが、その方法はありません。そこで、セックスはしてもよいが、快楽を味わうのは罪だという理屈になります。
こうして、快楽を伴うセックスは「悪いセックス」とされました。気持ちいい、楽しい、嬉しいという感情を持つこと自体が罪になります。
罪を監視する役割を担ったのが聖職者です。信者は告解 ── カトリックで、信者が聖職者に自らの罪を告白し、神の赦しを受ける儀式。懺悔とも呼ばれますの場で、セックスを楽しんでしまったこと、許されていない体位をとったことなどを細かく打ち明け、許してもらわなければなりませんでした。
行為の一つひとつについて、罪の重さが決められていきました。室越さんによると、騎乗位では精液が届かず子作りにつながらないと考えられ、それは快楽を味わっている証拠だというロジックで禁じられたといいます。
やっぱり(性規制を)真面目にそう思ってる社会だったわけですよね。
セックスをしてはいけない日も、数多く決められていました。深井さんが本から紹介した主な禁止期間は次のとおりです。
- 結婚から3日間
- 復活祭後の数週間
- クリスマス前後の2ヶ月間
- 聖日と呼ばれる聖なる日
- 妊娠中、授乳期、生理中
これらに従うと、セックスしてよい日は月に4日ほどしかなかったそうです。ただし深井さんは、ヨーロッパの一部の話なのか全体の話なのかは本に細かく書かれておらず、少なくともこういう考え方の中で生きていたということだと断っています。
日中のセックス、性器の愛撫、性的なキスも禁止されました。妻の裸を見ることが禁じられた時期もあり、体位は正常位だけが許されたといいます。室越さんによると、自然の法則に反したセックスや生理中のセックスで子どもができると、子どもが病気になると考えられることもあったそうです。
セックスの後は穢れているので教会に行ってはいけない、という決まりもありました。フェラチオやアナルセックスをすると、25年間の節食と禁欲を課されたという記録もあるといいます。深井さんは、どこまで守られていたかはわからないが、そう禁止された記録がある、と念を押します。
このギリシアとの違いよ。
妊娠できないのは神の罰。結婚生活に囲い込まれた性欲
一方で、子どもを授かることは神が与える最大の祝福とされていました。その裏返しとして、セックスしても妊娠できない状況は、神からの罰だと解釈されたといいます。
お前が何か罪を犯したからセックスしても妊娠できないんだぞっていう解釈になってるんですよ。
これは結構きつい話ですよ。
厳しい規範を作っても、人間に性欲があることは変わりません。そこで教会は、性欲をまず結婚生活の中で処理してほしいと考えました。深井さんの言葉でいえば、それはベストではなく「一番マシ」な形で、性欲を結婚の中に囲い込んでいったといいます。
のちにルターの時代に問題になる贖宥状 ── カトリック教会が発行した、罪の償いを軽くするとされる証書。日本では免罪符とも呼ばれ、宗教改革のきっかけになりましたに近い考え方も、性の規制にありました。本来は結婚初夜のセックスは禁じられていましたが、教会にいくらか寄進すれば、神から許されたものとして行えたといいます。
深井さんによると、こうした規定は人口にも影響しました。規定が強い影響力を持っていた西暦○年から○年の間は、ヨーロッパ全体の人口が減る傾向にあり、規定が変わると人口が増えたそうです。
樋口さんは、悪いことをしている気持ちになるのだから、しなくなるのは当然だと受け止めます。深井さんは、神学者の中にも夫の性欲を妻が受け止めるべきだとする意見などがあったと補足しつつ、多くの社会をまとめて話しているので例外はあるものの、全体の傾向としてはこうだったと整理します。
なぜキリスト教は性をここまで禁じたのか?
ここで樋口さんが、そもそもなぜキリスト教は性をこれほど禁じたのか、とあらためて尋ねます。
深井さんによると、もとはユダヤ教が非常に厳しかったことにあります。ヘブライ人 ── 古代イスラエルの民族を指す呼称。ユダヤ教を生んだ人々で、ユダヤ人の祖先にあたりますの性への規制は、周囲の民族と比べて突出して厳しいものでした。理由はわかっていませんが、一説には、周囲が性に寛容な文明だったため、差別化として厳しくしたのではないかといわれています。
樋口さんは、社会的なメリットや生物学的な理由があるわけではなく、差別化や特定の人物の主張が今の社会にまで続いているのかと疑問を投げかけます。深井さんも、論理的ではないと認めます。
深井さんの説明では、彼らにとって大事なのは神との「契約」でした。契約の流れを整理すると、次のようになります。
神との契約
人間と神が契約を結んでおり、救われるにはそれを履行する必要がある
聖書に定められた内容
契約の中身が聖書に細かく決められている
守らなければ全体が割を食う
一人が破ると、本人だけでなく人類全体が損をするという世界観
厳しい生活規範
性だけでなく、食べ物なども厳しく規制される
さらに深井さんは私見として、ストイックな性質の人が初期キリスト教の上層に立ち、その性質が濃く受け継がれたのではないかと話します。
なんかね、ちょっとわかるんですよ、実は。なんか僕もなんか無意味に制限したりしがちなんで、僕。
深井さんは、これはあくまで自分の解釈なので聞き手は自由に考えてほしいとしたうえで、事実としては性の規制がこのように厳しくなっていった、とまとめます。
売春は「宮殿の汚水だめ」。必要悪として認められた売春宿
次の話題は、この世界で売春がどう扱われたかです。中世では、性を売り物にすることは最も嫌悪すべき存在とされました。深井さんは、イエス・キリストは売春婦に優しかったのに、と疑問も口にします。
ただ深井さんによると、売春はとても儲かるうえ、完全に禁止しても管理の外で必ず行われるため、根絶できません。そこで、娼婦は呪われて地獄に落ちるが、社会全体を良くするためには彼女たちの魂を犠牲にしたほうがまだマシだ、という考え方になりました。
売春がなくなって欲望が暴走したり、離婚などが起きたりするよりは良い、という理屈です。有名な神学者トマス・アクイナス ── 13世紀イタリアの神学者。『神学大全』を著し、キリスト教神学とアリストテレス哲学を体系的に結びつけましたは、売春を宮殿の汚水だめにたとえたといいます。汚水だめがなければ、宮殿全体が不潔で悪臭に満ちてしまう、という意味です。
こうして売春は必要悪とされ、地域によっては公的に認められた売春宿が生まれました。民間の売春宿に加え、地方自治体が持つ売春宿もあったそうです。ただ理念としては許されないため、根絶を求める派閥も常に存在しました。
多くの場所では、娼婦と一般の女性が見分けられる服装をするよう定められていました。また7世紀にはボニファティウス ── ゲルマン人への布教で知られる聖職者。「ドイツ人の使徒」と呼ばれますが、ローマへの巡礼に出たはずの修道女が街道沿いの売春宿で働いていると嘆いた記述もあるといいます。
深井さんによると、当時の教会は、思春期の男の子に妻を娶るか聖職に就くかの選択を強いました。女性についても、修道院に入るか結婚するかを父親が決めます。望まずに修道女になった人も多く、自らセックスを望んで売春宿で働いた人もいたと本には書かれているそうです。
深井さんは、メソポタミアやオリエントでは売春に神聖性があったのに対し、中世ヨーロッパではそれが完全に消え、汚水だめとして扱われるようになったと指摘します。
男色は必要悪ですらない。ペストまで罪のせいにされた同性愛
同性愛も、中世ヨーロッパでは徹底的に否定されました。深井さんによると、行為ごとに決められた罪の中で、アナルセックスは何年もの贖罪を課される重い罪でした。フェラチオはさらに重く、死ぬまでの贖罪と書かれているといいます。
ドイツの贖罪規定書では、レズビアン行為がレイプと同じ罪とされていたそうです。楊さんは「厳しい世界やな」と驚きます。
ローマ時代の後半には、すでに男色を制限する法律ができていました。深井さんによると、その後キリスト教世界でも男色を厳しく罰する法律が整っていきますが、それはローマ時代の法から800年ほど後のことです。火あぶりにされることもあったといいます。
売春と男色の扱いの違いを、深井さんの説明に沿って並べると次のようになります。
罪深いが、欲望の暴走を防ぐ必要悪として、地域によっては公的な売春宿も認められた
必要悪でさえなく、絶対に許されない異端的な行為として、処刑や火あぶりの対象になった
深井さんは、ペストが流行した時期のヴェネツィア ── イタリア北東部の海上交易都市。中世には地中海交易で栄え、ペストでも大きな被害を受けましたの例を挙げます。船の上には女性がいないため男色が多かったとされ、ペストはそのせいで下された神の罰ではないか、と考えられたといいます。
深井さんは、罪を犯す人がいると本人だけでなく全体が割を食う、という考え方がここにも表れていると話します。一方で室越さんは、身分の高い人やその庇護を受けた人は罰を免れた例もあったと補足し、深井さんもそれはローマでも同じだったと応じます。
「射精秩序」と、二重に罰せられた強姦の被害者
中世ヨーロッパでは、避妊も禁止されていました。室越さんによると、トマス・アクイナスは射精についてもロジカルに考え、膣外射精などで精液を無駄にすることは人類全体の利益を侵害する、と述べていたそうです。
深井さんによると、この考え方は本の中で「射精秩序」と表現されています。
正直、僕一回笑いました。射精秩序。
続いて強姦の扱いです。先史社会では、強姦は性犯罪ではなく財産の侵害、いわば器物損壊として扱われていました。キリスト教世界では強姦は性犯罪とされましたが、深井さんは、容認はされないものの大きな問題ともされない、女性の人権がない状態だったと話します。レイプされたら加害者と結婚しろ、という話になることもあったそうです。
強姦を有罪とする地域でも、本人がどれほど否定しても、女性は同意していたのではないかという男性側の論理が語られました。深井さんは、いまだに裁判でこの話をしていると指摘し、ここは変わっていないと話します。
先史社会と比べて、中世ではさらに厳しくなった点もあります。セックスそのものが禁じられているため、強姦であれ性行為を受けたこと自体が「汚れ」とみなされ、性的虐待の被害者まで処罰されることがあったといいます。樋口さんは「二重に被害者」だと受け止めます。
さらに、以前の回で紹介されたガレノス ── 2世紀ローマ帝国の医学者。その医学理論は中世ヨーロッパでも長く権威とされましたの、女性も快楽の中で射精しなければ妊娠しないという説が、中世でも持ち出されました。そのため、強姦で妊娠した女性は女性も楽しんだとみなされ、裁判で訴えても勝ち目がなかったといいます。
室越さんは、人の気持ちを重視せず、状況だけで判断する社会だったと評しています。深井さんによると、強姦のこうした扱いは、この後の時代も長く続いたそうです。
自慰は「やり方」で罪が変わる。中世の告解と少年への問いかけ
最後の話題はマスターベーションです。深井さんによると、キリスト教はマスターベーションも罪として扱い、やり方によって罪の重さを変えていました。より楽しんだほど罪が重い、というのが基本的な考え方です。
深井さんが紹介した例を並べると、次のようになります。
| 方法 | 罪の重さ | 補足 |
|---|---|---|
| 考えただけで射精した | 比較的軽い | まだマシとされた |
| 女性が疑似ペニスを使った | 贖罪の期間が1年 | 道具を使うと重くなる |
| 他の女性と共有した | 贖罪の期間が3年 | 同時に行う意味と考えられる |
楊さんは、それだけで3倍になるのかと首をかしげます。深井さんによると、時代が下るほどマスターベーションへの見方は厳しくなりました。○年頃、フランスの神学者ジャン・ジェルソン ── 14〜15世紀フランスの神学者。パリ大学の学長を務め、教会改革や信仰指導に関する著作を残しましたは、少年の自慰はソドミー、つまり肛門性交につながりかねない危険な行為だと考えたそうです。
自慰は人に知られにくいため、聖職者はそれを見つけ出す必要がありました。そこで、告白を引き出す聞き方の技術も磨かれていったといいます。室越さんは、性を規制する立場だからこそ聖職者が性に詳しくなっていくのが面白いと話し、深井さんも、規制する側はすべてを知らないと規制できないと応じます。
(聖職者は少年に)友よ、少年たちがよくするように、自らのものに触れたりさすったりしなかったかって聞いたらしい。
ストレートやな。
答えにくそうな少年には、嘘をつけば信仰上もっと深刻な状態になると諭したそうです。マスターベーションの代わりに、祈る、自分の体に鞭を打つ、冷水を浴びる、悪魔に対して地面に唾を吐く、といった方法が勧められました。自慰は悪魔にそそのかされた行為だと考えられていたためです。
獣姦も、自慰の一種として扱われ、処罰は次第に重くなりました。ただ深井さんによると、ある贖罪規定書は、動物で試したがる少年に理解を示しつつ大人になったら卒業するよう諭し、告白した少年への処罰は○日と短かったそうです。室越さんによると、大人は1年だったといいます。
深井さんは、結婚前はセックスも自慰も禁じられている以上、どうしても耐えられない少年へのガス抜きだったのだろうと推測します。
ひととおり話を聞いた楊さんは、中世ヨーロッパの性は一貫して、すべてに対して厳しいと感想を述べます。
深井さんによると、こうした状況はキリスト教会が優位だった時代のものです。この後、ルターによる宗教改革が起こり、性の考え方は少しずつ変わっていきます。その変化は次回で語られる予定です。
まとめ
中世ヨーロッパでは、パウロやヒエロニムスの禁欲思想を受け継いだキリスト教が、性の快楽そのものを罪としました。夫婦の営みから売春、同性愛、強姦、自慰に至るまで、細かな規定と重い罰で性を管理していたことが、この回では語られています。
- キリスト教の浸透により、ゲルマン人社会のおおらかな性習慣は、快楽を罪とする規範に塗り替えられていった
- 夫婦間でも体位や日取りが細かく制限され、告解で罪を打ち明けて許しを得る必要があった
- 売春は必要悪として一部で公認された一方、男色は絶対に許されず、ペストの原因とまでみなされた
- 強姦の被害者まで「汚れ」として罰せられ、自慰はやり方によって罪の重さが変えられた
- こうした厳しさは宗教改革以降に少しずつ変わっていき、その変化は次回で語られる





