ネロの死後、一年で皇帝が入れ替わる内乱
帝政ローマ編は、前回までのカリグラからネロにかけての胸糞悪い話が続いたところから再開します。
樋口さんはネロに共感すると口にしていましたが、それは「どこまでいけるのか、いききってしまう感覚」が情報として理解できるという意味だと説明されています。
どこまでやれるんやっていう感覚は、人間生きてたらたまに(あります)。やりたいとかじゃないです。
ネロが死ぬと、その後一年間、皇帝位をめぐる内乱が勃発します。
有力者たちが競い合い、全国規模の内乱の中で、一年のうちに皇帝が次々と入れ替わったと語られています。
最終的に、一年後にウェスパシアヌスが即位し、この人がローマを持ち直させる名君として登場します。
覇権を争った三人の属州総督
ウェスパシアヌス即位の前に、何人かの候補が登場します。全員が属州総督で、自分の軍団を持ち、兵からも推されたり、本人の野心もあって名乗りを上げた人たちです。
名前を挙げると、ヒスパニア総督のガルバ、ゲルマニア軍団の総督ウィテリウス、そしてヒスパニア方面のオトです。
深井さんは、それぞれキャラが立っていると紹介します。尊い人と書いて貴人ガルバ、気取り屋オト、そして大食漢ウィテリウスです。
あの、尊い人って書いて、貴人ガルバ、気取り屋オト、大食漢ウィテリウス。三バカみたいな。
ウィテリウスは実際に太っていて、今も残る胸像が太っているのでこう呼ばれています。
逆に言えば、この時代は属州総督以外に、近衛兵たちに対抗できる武力を持つ者が誰もいなくなっていたことを意味します。
樋口さんは、結局ある程度の武力で対抗できないと物が言えない時代だと指摘します。
もともと属州総督は、皇帝が信頼できる人間だけに軍団を握らせて派遣したポジションです。その上司である皇帝が死んだことで、命令する者がいなくなり、自分の軍隊で争えるようになったと説明されています。
最初にガルバ、次に裏切ったオト、そしてウィテリウスと帝位が移り、いずれも元老院に承認されました。最終的にウェスパシアヌスがウィテリウスを倒して安定します。
田舎の名家から出た初の平民皇帝
ウェスパシアヌスはフラウィウス家の出身です。ローマから遠くないサビニ地方の田舎町の名家でした。
楊さんによると、本によっては名家といっても所詮は騎士身分の家系で、元老院議員を出したことがなく、父は徴税請負人にすぎなかったとされています。
兄が先に元老院議員になり、ウェスパシアヌス本人も自分の代で初めて元老院に入った「元老院一年生」でした。そんな人物が皇帝になれるほど、混乱した時代だったとも言えます。
ウェスパシアヌス自身は、当初あまり権力欲がなかったようです。良い位置に就けるタイミングでも気乗りせず、母親に叱責されて渋々ポジションに就いたというエピソードが残っています。
その母親は、ウェスパシアヌスを嘲りながら追い込むタイプで、兄を主人にたとえ、彼を「アンテアンブロ」と呼んでいたと語られています。
一方で、ウェスパシアヌスは根っからの軍人らしい軍人でした。行進中に馬で兵の間を駆け抜け、兵士を励まし、安全や健康に気を配る、兵に好かれるリーダー像だったとされます。
ユダヤに従軍した際には、ガリラヤの城壁の守備隊に足を矢で射られても、そのまま立ち上がったという逸話が残り、兵士たちに勇敢さを印象づけたと語られています。
記録では、体格が良く精力的だがハンサムではなく、ぶっきらぼうで素朴、平民的で、ブルドッグに似た顔立ちの軍人風の人物だったと書かれています。
元老院議員でもなく貴族でもない家から出たため、ウェスパシアヌスは初の平民の皇帝ということになります。
ネロの機嫌を損ねても生き残れた理由
楊さんによると、ウェスパシアヌスの出世は、カエサルなどに比べれば決してパッとしたものではありませんでした。
コンスルを務め、ブリテン遠征で軍団長として活躍し、アフリカ総督も経験しましたが、その評判も芳しくなかったと語られています。
極めつけは、ネロの機嫌を損ねた一件です。アーティストとしての才能を試すというネロのギリシャ旅行に部下として同行した際、ネロのリサイタルの最中に居眠りをしてしまったといいます。
(ネロのリサイタルの途中に)寝てたらしい。居眠りとかやってて、ネロに追放されちゃったんですよ。よく殺されなかったねと思ったんですけど。
なぜ殺されなかったのか。出身が超名門でもなく、業績もパッとしないため、ネロから脅威と見なされず警戒されなかったからではないか、という考察が本の中にあると紹介されています。
ユダヤ戦争で司令官に抜擢したのもネロでした。自分にとって脅威にならないから任せた、という無害さが、結果的に首の皮一枚をつないだことになります。
血統ではなく身分の低さで結びついた支持
これまでの皇帝はゲルマニクスの家系など、血筋の良さが重視されてきました。カエサルもアウグストゥスも血が良かったところに、まったく毛色の違う人物が現れたことになります。
深井さんは、これが時代を強く反映していると語ります。日本の戦国時代で織田家や豊臣家が名家ではなかったのと同じで、乱世だからこそ田舎名家出身の人物が台頭できたという見方です。
ゲルマニクスの家系がドクズすぎて、もう家柄重んじなくなってきてるのよ。血統とかじゃなくて、なんかもう堅実な軍人みたいなやつの方がいいわみたいな、ちょっとなってるんで。
ウェスパシアヌスには優れた部下がいました。一人は息子ティトゥスです。背は低いがハンサムで若く、六十歳ほどのウェスパシアヌスは、次はティトゥスだとブランディングにも使ったと語られています。
支持者には、シリア総督ムキアヌスや、エジプト総督ユリウス・アレクサンデルがいました。彼らと配下の軍団がいち早く支持を表明したことから、綿密な計画のもとで動いたのではという説も出されています。
注目すべきは、支持した総督たちもウェスパシアヌス同様に名門ではなかった点です。ムキアヌスは「俺たちも血筋の低い人たちだ」と語り、ウェスパシアヌス自身も即位後、あえて家系の低さをアピールしたとされます。
樋口さんは、名門の血筋こそふさわしいという社会通念に対し、そうでない者同士が連帯し、むしろ夢を見られる状況になっている点を面白いと語ります。
ウィテリウスとの戦いでは、戦争経験豊富な軍団を持つウェスパシアヌスが勝利します。ウィテリウスは捕まって拷問を受けて殺され、元老院がウェスパシアヌスを承認しました。
フラウィウス朝の始まりとカリグラ・ネロの除名
即位したウェスパシアヌスは、皇帝を意味するアウグストゥスの称号を継ぎ、副皇帝を意味するカエサルの称号を息子のティトゥスとドミティアヌスに与えました。
長男ティトゥス、続いてドミティアヌスへと継がれ、三人とも皇帝になります。これがフラウィウス朝です。
ウェスパシアヌスは血縁でつながっていないため、即位には法律による継承の裏づけが必要でした。その法律は青銅板に刻まれています。
その文言では、初代アウグストゥス、二代ティベリウス、四代クラウディウスの権威が並べて認められる一方で、カリグラとネロがナチュラルに飛ばされ、なかったことにされていると深井さんは指摘します。
この文章の中にナチュラルにカリグラとネロがなかったことにされてるんですよ。飛ばされてるんですよ。あれ皇帝じゃなかったよなってなってるんだよね。
弱った元老院を立て直す
ウェスパシアヌスとティトゥスは、いずれも元老院と良好な関係を築きます。血筋が変わったからこそ、元老院に認めてもらわないと皇帝として君臨しづらいという事情がありました。
深井さんは、力だけで押さえつけ続けるのは大変であり、権威が必要で、ローマではその発生源が元老院だったと説明します。日本でいえば天皇にあたる存在です。
そのためウェスパシアヌスは、元老院の会議に自ら直接出席し、軍団司令官など自分の手の者を送り込んで、好意的な議員の割合を増やしていきました。
ネロの時代に貴族の財産没収や処刑で弱っていた元老院に、新しい人材を入れて回復させ、その相手と良好な関係を築いたことになります。
このとき元老院に引き上げられた家系の孫の世代から、次回以降に登場する五賢帝が出てくると語られています。
一方で、元老院の中身が入れ替わり、属州出身者も混ざっていく状況を見て、深井さんはカエサル以前のローマ人からすれば、もはやここはローマではないかもしれないと問いを投げかけます。
一番最初の冒頭でヨーロッパ人がローマをルーツにしてるって言ってたじゃん。ローマのどれをルーツにしてると思ってんだろうね。
樋口さんは、それが民族なのか文化なのか場所なのか、あるいは何もないのかもしれないと応じ、ローマという実体の曖昧さが話題になります。
臭い金でも財政を立て直す
ウェスパシアヌスは、お金に執着したことで知られています。ただし番組では、使うべきところに使い、使うべきでないところには使わなかっただけの節約家ではないか、と整理されています。
一方で、宮廷に女性を連れ込んで大金を渡し、その出所を国庫から出していたという逸話も語られます。理由を問われると「自分のような人を好きになってくれたことへの謝礼だ」と答えたそうです。
ネロの浪費のあとを受け、財政を立て直す必要がありました。ウェスパシアヌスは新しい税を次々と課しますが、これは評判が悪かったと語られています。
公衆便所への課税は、当時、染料を塗った衣類を洗うのに尿が使われ、尿が売り物だったことに由来します。トイレのくみ取り業者に課税して徴収したと語られています。
これがあまりに強欲だと思われ、現在でもイタリア語で公衆便所をウェスパシアノと呼ぶそうです。頑張ったのに便所の名になってしまったと一同は同情します。
息子ティトゥスが「情けないし民衆の不評も懸念される」とやめるよう進言したときも、ウェスパシアヌスは財政の健全化を優先しました。
そのとき彼は、徴収した税の貨幣を取り出して「臭い金」ではないと語り、ちゃんとした財源になると示したと伝えられています。
軍を優遇せず、コロッセオを建てる
ウェスパシアヌスは軍隊に担ぎ上げられた皇帝ですが、軍を優遇しませんでした。数を増やさず、お金もばらまかず、給料も上げていません。
楊さんは、軍団との関係が親分子分のような深い結びつきではなく、成り上がろうという政治目的が一致しただけのビジネスライクな関係だったのではないか、という観点を紹介します。
そのため戦いが終わった後も、シリア総督ムキアヌスが「俺とお前は同格だろう」という態度をとり、ウェスパシアヌスをイラつかせた記述もあったと語られています。
一方で、最も有名な建物であるコロッセオを建てたのもウェスパシアヌスです。ケチと言われながら、使うべきところには使っていたことになります。
面白いのは、コロッセオは剣闘士が殺し合うショーの場ですが、ウェスパシアヌス自身は戦争で本物の殺し合いを見てきたからこそ、これが嫌いだったという点です。
ウェスパシアヌスはね、自分自身が戦争行って、もう本物の殺し合い何度も見てるからこそ嫌いだったらしい。自分が好きだから作ってるんじゃないんですよ。民衆が喜ぶから金出して作ったんですよね。
もともとローマ市には小さな円形闘技場しかなく、それもネロ帝時代の火事で焼失していました。そこへ新しく大きな闘技場を建てたことになります。
この地にはかつてネロの巨像であるコロッススが立っており、そこから名を取ってコロッセウムと呼ばれます。当時はフラウィウス闘技場と呼ばれていました。
収容人員は東京ドームと同じほどで、完成したのは息子ティトゥスの時代でした。出来上がった際には記念コインが発行され、連続興行が行われたと語られています。
剣闘士の試合はどう見られていたか
コロッセオでは、負けた剣闘士を殺すか生かすかを、民衆の人気で決めることもありました。殺すときは指を上に、生かすときは下に下げていたのではと言われています。
深井さんは、これを現代のSNSと重ねます。グロテスクなものは特定の中毒系の脳内物質が出やすく、他のことを忘れられる。それをハックされている状態ではないかという見方です。
当時の価値観では、剣闘士の試合には別の意味づけがありました。楊さんは、戦争での負傷や戦死の恐怖を弱め、武勇を尊ぶ気風をかき立てる効果があるとされていたと紹介します。
一方で、少ないながら批判の声もありました。ただしその内容は、残酷さや人権ではなく、政治家や民衆がこうしたイベントに夢中になり、政治に無関心になるのが良くない、というものでした。
樋口さんは、これをゲームのしすぎで勉強がおろそかになる、という程度の感覚だったのかもしれないと応じます。当時は人権の概念がなかったことが背景にあります。
ローマンジョークを残して死ぬ晩年
ウェスパシアヌスは晩年、規則正しくストイックな生活を送っていました。明るくなる前に起床し、ベッドで書簡を読み、起床後は自分で靴を履いたといいます。
自分で靴を履くのは珍しく、ほとんどの皇帝は奴隷にやらせていたと語られています。昼には愛人と休息し、風呂に入って夕食を取る生活でした。
南方を旅している最中に病にかかり、治癒力があるとされたサビニの丘の湖に向かいますが、効き目はなく亡くなります。
その死に際に、ジョークを飛ばして亡くなったと伝えられています。「私は神になりつつあるようだ」という冗談です。
楊さんは、皇帝になる前の反乱時、支持者が「ウェスパシアヌスは神々に皇帝として認められた」というプロパガンダを流し、本人もそれを利用して出自の低さを補っていた記録があると補足します。
神と皇帝をめぐるこうした文脈があってのジョークであり、周囲も笑うというより噛みしめて聞いたのではないか、と語られています。
地味だが乱世を立て直した名君
治世は十年と短かったものの、ウェスパシアヌスの功績はローマを存続させたことにあると深井さんは語ります。この人がいなければどうなっていたか分からない、という評価です。
内乱を終結させ、ネロの時代にぐちゃぐちゃになっていた元老院を立て直し、コロッセオの建設を始め、安定した社会を回復させました。
一方で、アウグストゥスのように完璧すぎて人物像が見えにくいのではなく、昼間から愛人と過ごすような人間臭さもあり、バランスの良い人柄が見えると評されています。
さらに重要なのは、血筋が入れ替わっても皇帝という役職を継げるという前例をつくった点です。王朝が切り替わっても皇帝は続く、ということが自明になっていきました。
血筋が入れ替わったけど、皇帝であるっていうことが継げたっていうこともすごく重要なポイントで、そういうことがあるという前例ができたわけだよね。
由緒ある家柄ではなかったことも大きく、ウェスパシアヌスの登場は一つの分水嶺になっていると位置づけられます。ネロほど有名ではありませんが、ネロの次に覚えておいてよい皇帝です。
この後、息子ティトゥス、弟ドミティアヌスへと継がれ、ついに次回から五賢帝の時代に突入します。
まとめ
ネロ亡き後の内乱を制したウェスパシアヌスは、血統ではなく実力と身分の近さで支持を集め、新しい税で財政を立て直し、弱った元老院を再建し、コロッセオを残しました。派手さはないものの、乱世を地道に整え、王朝が変わっても皇帝が続く前例を作った名君として振り返られています。
- ネロの死後、一年間の内乱を経て、田舎名家出身のウェスパシアヌスが即位し、混乱を安定させた。
- この時代は血統より軍事力と実力が問われ、身分の低い者同士が連帯してウェスパシアヌスを支持した。
- 評判の悪い税まで課して財政を立て直し、公衆便所への課税から「臭い金ではない」という言葉が残った。
- 軍を優遇せず、自分は嫌いな剣闘士興行のためのコロッセオを民衆のために建てた。
- 血筋が変わっても皇帝が継承されるという前例を作り、五賢帝への橋渡し役となった。
