若く歓迎されたカリグラ、その大盤振る舞い
帝政ローマ編第七回は、第二代皇帝ティベリウスの死から始まります。次に立ったのが、本名をガイウスといい、カリグラという愛称で呼ばれた人物です。
カリグラという愛称は、幼い頃に父ゲルマニクスの遠征に連れられていた時に由来すると話されています。幼児用の軍靴をカリグラと呼び、それを履いた姿が兵士たちに印象的だったようです。
まあクックみたいな感じかもね。靴のこと。クック履いてるみたいな。なんかそんな感じで呼ばれてるみたいなのが愛称になってますね。
カリグラは、肉親が次々と非業の死を迎えるのを思春期に経験しています。よほど傷ついたと予測され、誰も信頼しない猜疑心の強い性格になったと話されています。
一方で、残された妹たちには異常なほどの愛情を注いだと言われ、近親相姦を疑われるほどだったとされています。
二十四歳で即位した時、民衆は熱狂しました。七十代後半のティベリウスの陰鬱な雰囲気の後に、ゲルマニクスの血を引く若く凛々しい皇帝が来たからです。
治世当初の六ヶ月間、カリグラは期待に応えます。政治犯を釈放して元老院を喜ばせ、兵士への祝儀を倍増して支払い、民衆にも現金をばらまきました。
さらに減税を行い、久しく途絶えていた見せ物を再開しました。ティベリウスが渋ったことを、次々と実現していったのです。
これができた背景には、節約家だったティベリウスが大量の資金を残していたことがあると話されています。
ここでちょっと内部留保を残しすぎて、ちょっとバランスというか、民衆っていうステークホルダーをちょっとないがしろに。
豊富な資金は水道などのインフラにも投入されました。クラウディア水道は今もローマ市内に水道橋として現存し、二千年前のものとは思えない巨大さだと話されています。
ただし一方で、極めて個人的な好みや遊びのためにも多額を浪費しました。
エジプトから三百トンを超すオベリスクを運んで競馬場に設置し、湖に巨大な船を浮かべ、湾に輸送船を並べて三キロを超える船橋まで作りました。しかもそれは、たった二日間の見せ物のためでした。
これはアウグストゥスでもティベリウスでもやらなかった。
精神の変調と、生きながら神を名乗る暴君
理想的な君主に見えたカリグラですが、それは束の間でした。即位から六ヶ月後、重病に倒れて二ヶ月を病床で過ごします。
回復後、奇妙な言動が目立つようになりました。後世では、おそらく精神疾患に陥ったのではないかと言われています。
暗殺や陰謀の被害妄想に取り憑かれ、多くの元老院議員を処刑し始めます。政治を代行していた後見人たちも、統治権の横取りを画策したと思い込んで処刑しました。
残虐なエピソードも残っています。歴史家スエトニウスによれば、神像の隣に立って役者に「神と自分のどちらが偉く見えるか」と尋ね、答えをためらう相手を鞭で肌が裂けるほど叩き続けたとされます。
さらにカリグラは、生きているうちに自分を神格化するよう要求し始めます。これはローマの建前を根底から壊す行為でした。
なぜなら、皇帝は建前上、市民の中の第一人者にすぎないからです。生前に自分が神だと名乗ることはありえないことだったと説明されています。
皇帝ってさ、建前上、市民の中の第一人者に過ぎないんです。だからローマ市民たちと建前上同じ立場なんですよね。だから生きてるうちに神格化するっていうことはもうありえないわけですよね。
カリグラは最高神ユピテルを名乗り、月の女神と寝たと語り、神々のファッションで人前に現れました。ある元老院議員には「今月の女神と話していたが、そちに彼女は見えるか」と尋ねたと言われています。
元老院は恐怖に震えながら、伏し目がちに「神様は神様にしか見えません」という風に返答するのがやったそうです。
初代アウグストゥスが恐れて絶対にやらなかったことを、カリグラは次々にやってしまったと話されています。
愛馬をコンスルに、そして親衛隊による暗殺
カリグラの奇行は加速します。異常に愛していた妹ドルシラが亡くなると、国家総出で喪に服すことを命じ、妹の神格化まで要求しました。
お気に入りの競走馬インキタトゥスには、大理石の厩舎を与えて貴人のように待遇し、コンスルにしようとしたとまで言われています。
コンスルってだってほら、インペリウム持ってんのにさ。あの軍事指揮権持って。そう、コンスルにしようとする。
晩餐会でのエピソードも残っています。隣のコンスルの前で急に大笑いし、理由を聞かれると「私が一つ頷きさえすれば、今ここでお前たちの首を掻き切られるかと思うとね」と答えたとされます。
こうした振る舞いの末、カリグラは宮殿の回廊を歩いていた時に、親衛隊の将校に暗殺されます。この親衛隊は、かつてカリグラに侮辱された恨みを持っていたと話されています。
即位からわずか四年、享年二十八歳。カリグラは暗殺された初のローマ皇帝となりました。
ある学者は、カリグラの功績は国庫を空にしたことと、皇帝廃位の際に親衛隊の協力が必要だと証明したことの二点しかない、と皮肉を込めて述べたと紹介されています。
これが嫌だからアウグストゥスとかは四十年もかけて、じわっとこう自分の立場を作っていったんですけど、何もわかってないですね。
止められるシステムが存在しなかったことも問題だったと話されています。そのシステムは、他ならぬアウグストゥス自身が権力集中のために外していったものでした。
親衛隊が選ぶ皇帝、まともだったクラウディウス
カリグラを殺した親衛隊は、次の皇帝をすぐ用意する必要に迫られます。皇帝を守る存在が、自ら皇帝を殺してしまったからです。
そこで担ぎ上げられたのが、ゲルマニクスの弟クラウディウスでした。親衛隊を怖がって隠れ震えていたところを見つけられ、殺される代わりに皇帝になれと言われたと話されています。
本来であれば元老院とかが担うべき任命ではないのか
国のシステム上は元老院が皇帝を承認するのが妥当だが、この時期は親衛隊が武力を持ちすぎて実質的に任命できてしまう状態になっていたと説明されています。皇帝でさえ殺される中、元老院も親衛隊に逆らえませんでした。
究極な状況になった時に効くのが武力だよな。本当に悲しいことに。
こうして五十一歳のクラウディウスが四代目の皇帝に即位します。親衛隊の各兵士に一万セステルティウスを払う約束もしました。以前の千という額から大きく上がっています。
クラウディウスは誰の目にも第一候補ではありませんでした。生まれつき足が不自由で、言葉にも障害があったと言われ、マッチョ文化のローマでは想像しづらい存在だったからです。
しかし実際の彼は、行政実務においても常識人だったと話されています。トラキアとブリタニアを属州に加えるなど、意外とまともな統治を行いました。
属州の力とローマとは何か、そして解放奴隷の登用
クラウディウスは、元老院に新しい人材を入れることにも取り組みました。特に、まだローマに参入していなかった北ガリア出身者を元老院に入れようとしました。
これには元老院内から反対がありました。属州出身者の祖先はかつてローマの敵だった、これ以上入れればローマが占領されたようになる、というロジックです。
クラウディウス自身も北ガリアのルグドゥヌム出身でした。彼は演説で、属州の人であっても元老院を飾れるなら拒否しない、ガリアの人々も過去百年ローマに服従してきたではないか、と説得したと紹介されています。
この動きは大きな意味を持ちました。深井さんは、これが現代の移民問題と重なると指摘しています。
そして皮肉なことに、この後の五賢帝の出身地は基本的に属州でした。ローマ出身の皇帝が暴走し、属州から賢帝が出てくるという構図です。
ローマは何を広げ、何を維持したのかっていうのがほんとわかんなくなっていくんで、どんどんでかくはなってるし、共和制も失ってさ、自分たちのスピリットである一人に権力集中させないっていうこともなし崩し的に崩れてさ。それでいて最大で繁栄してるのはその時だからね。
クラウディウスは、解放奴隷たちも国政に重用しました。血縁も他の寄る辺もない彼らは皇帝に忠実になりやすく、金庫の管理や請願の審査などを任せたと話されています。
なお、クラウディウスは妻に振り回された人生だったとも紹介されます。三度の結婚に失敗し、四番目には法を改定してまで姪のアグリッピナと結婚しました。
そのアグリッピナは、連れ子ネロを何としても皇帝にしたいと考え、島流しになっていた哲学者セネカを家庭教師に呼び戻して帝王学を授けました。
十六歳の若き皇帝ネロと、力の重心の移動
アグリッピナとネロは、まずクラウディウスの実子ブリタニクスを毒殺しようとしますが、その前にクラウディウス本人を毒殺します。皇帝が毒殺されるところまで来たのです。
ネロは養子になっていたため、クラウディウスが死ねば自動的に次の皇帝でした。こうして十六歳のネロが即位します。
即位の承認をまず求めるのは、ここでも元老院ではなく近衛隊でした。楊さんは、この順番こそ味わい深いと語ります。
即位の承認を求めるのが、最初は元老院じゃなくて、やっぱ近衛隊なんですよ。ここはやっぱ結構味わい深いところなんですよね。
かつてハンニバルと数万の軍を率いて戦っていた元老院が、今や目の前の近衛兵にすら文句を言えず、勝手に皇帝を選ばれる立場になっていました。
一方、属州の軍隊はまだ動きません。ただし深井さんは、この後さらに時代が進むと、前線の軍人が自分の指揮官を皇帝に推す軍人皇帝時代が来ると説明しています。
権力の重心点がどんどん終焉に移っていくってことよ。その時のホット議題をさばいている実力ある人間に移っていくってことです。
善政から暴走へ、暴君ネロの最期
ネロの治世は、最初の五年間は元老院と協調した善政でした。後の五賢帝と比べても悪くない政治だったと話されています。
セネカと勇将ブルースに補佐され、民衆に税を軽減し、お金を分配し、困窮した元老院身分の人にも施しました。死刑執行の署名を嫌がるような一面も、周囲にはいい皇帝と映ったようです。
しかし徐々にボロが出ます。美しい人妻ポッパエアに夢中になり、口を出してくる母アグリッピナを疎ましく思い始めました。
ネロは、船を沈める海難事故に見せかけて母を殺そうとします。毒殺を選ばなかったのは、アグリッピナが日頃から解毒剤を飲んでいたからだと話されています。
泳ぎが得意なアグリッピナは岸にたどり着いて逃げますが、送られた刺客に殺されます。母は腹を出して子宮を指さし、ネロが生まれたここを刺せと言ったと伝えられています。
その後ネロは、妻オクタウィアに冤罪を着せて処刑し、ポッパエアと再婚しますが、身重のポッパエアを癇癪から蹴り殺してしまいます。
母親殺して妊婦を蹴って殺してんだよこの人。だからこれほんとここまでひどい皇帝ってなかなかいないですよね。世界史上でもトップ級だと思いますけど。
諫めたであろう教育係のセネカや側近ブルースも失います。当代随一の教養人だったセネカも処刑され、ブルースも薬を飲んで死んだという噂まであると紹介されています。
さらにネロには、ローマ大火の放火を疑う声が当時からありました。日頃から首都を美しく再建したいと語っていたためです。
ネロは容疑を、得体が知れないと思われていた新興のキリスト教徒になすりつけ、十字架にかけて火であぶったと言われています。
火事で焼けた住民の家を復旧するのではなく、目の前で高さ三十六メートルのブロンズ像が入る玄関を持つ黄金宮殿を建て、そのために富豪を処刑し財産を没収し増税しました。
極めつけは、この状況でギリシャ旅行に出発したことです。動機は、詩人・音楽家としての自分の才能を試すためでした。
詩人として、音楽家としての自分の才能を試すために、ギリシャの各地の舞台に立ちたいっつって、ギリシャ旅行行くんですよ。俺のアーティストとしての才能を試したいって言って。
各地で軍隊が立ち上がり、元老院からも公敵と宣言されます。逃げ場を失ったネロは自ら首を切り、享年三十歳で死にました。
ネロの死をもって、カエサルの家系の延長であるユリウス・クラウディウス朝は終焉します。
ただし、民衆の評価は一色ではありません。ネロの墓に花を供える人が長く続き、催し物への感謝からその死を嘆いた人もいました。
元老院議員みたいな政治家から見た愚帝と、民衆から見た愚帝っていうのは、必ずしも評価が一致しないっていう構図があります。
そして残るのが大きな問いです。これほど暴君や愚帝が続いても、なぜローマ帝国は崩れず、共和政にも戻らなかったのか。
なぜこんなに総崩れした皇帝制がなくならないのか。むしろこの後最高の時代を迎えますから。パクスロマーナはこの後ですから。なぜ?となるじゃん。
まとめ
カリグラ、クラウディウス、ネロと続く帝政ローマ初期は、暴君と常識人が入り混じる混乱の時代でした。それでも帝国は崩れず、力の重心は元老院から親衛隊や属州の軍へと静かに移っていきます。次回は、この王朝の終焉の先を追います。
- カリグラは即位当初こそ歓迎されたが、精神の変調とともに神を名乗り暴君化し、親衛隊に暗殺された初の皇帝となった
- 親衛隊が次の皇帝を選ぶという事態が生まれ、元老院は武力を持つ者の前で無力になっていった
- クラウディウスは足や言葉に障害を抱えつつ常識人として統治し、属州出身者や解放奴隷を登用した
- 多様な人材の登用はローマの繁栄を支えた一方で、ローマというアイデンティティを曖昧にし、後の滅びの一因にもなったと指摘される
- ネロは最初の五年こそ善政を敷いたが、母や妻を殺し、大火をキリスト教徒になすりつけ、暴君として自死しユリウス・クラウディウス朝を終わらせた
