銀行が生まれたのは、なぜ中国ではなく中世ヨーロッパだったのか?
前回の紙幣の誕生に続き、今回のコテンラジオが扱うのは銀行の誕生です。深井さんによると、強大な権力がなく経済が落ち込んでいたはずの中世ヨーロッパで、銀行は生まれました。
だから全部意外な動きをし続けるんですけど。
深井さんはまず、銀行の特徴として大きく4つを挙げます。顧客から預金を受け入れること、顧客に口座を提供すること、貸付や当座貸越などの融資を行うこと、そして小切手や手形の取り立てと支払い、つまり決済を管理していることです。
こうした銀行に近い仕組みは、実は古代からありました。メソポタミアには利息を伴う預かりがあり、ギリシャのアテネにも同様の仕組みがあり、聖書にもエルサレムの両替商が登場します。
ただ、銀行の本質が見出され、金融技術が一気に変わるのは中世ヨーロッパだと深井さんは話します。その鍵になったのが、手形の交換制度という新しい専門技術でした。
閉じこもった中世ヨーロッパは、どうやって再び動き出したのか
深井さんは、中世ヨーロッパの状況から説明を始めます。7世紀以降のヨーロッパは政治的に不安定で、局地的な戦争や外からの侵入が続き、まともに貿易ができる状態ではありませんでした。
9世紀にはノルマン人 ── スカンディナビアなどを拠点に、8〜11世紀ごろヨーロッパ各地へ進出した人々。ヴァイキングとも呼ばれますが、10世紀以降にはマジャール人 ── 現在のハンガリー人の祖先にあたる遊牧系の人々。10世紀ごろ西ヨーロッパへたびたび侵攻しましたがやってきて、イスラム教国も迫ってきます。中世ヨーロッパは、攻めるよりも閉じこもって守る時代に入っていきました。
強大な国家権力がないため、各都市はギリシャのポリスのような都市国家になり、経済は大きく衰退します。生まれた富も都市の有力者に吸い上げられ、交易で取引される品へのニーズ自体がなくなっていきました。
状況が変わるのは11世紀ごろです。農業技術の発達で生産性が上がり、自分たちの土地だけでそこそこの余剰生産が出るようになりました。海に面したイタリアの都市では、交易が少しずつ再開し始めます。
そこに重なったのが十字軍です。深井さんは十字軍を、聖地エルサレムを取り戻すという名目で行われたキリスト教対イスラム教の戦いだと簡単に説明し、実際には経済的理由などさまざまな理由が絡んでいたと補っています。
小さく分かれて争っていた勢力が久しぶりに連合して攻めるとなると、莫大なお金が必要になります。本来なら帝国でなければ払えない額ですが、中世ヨーロッパには帝国がありませんでした。
じゃあここに誰がお金を払うことができたか。イタリア商人しかいなかったんです。
君主たちは、ベネチア、ジェノヴァ、ピサといったイタリアの有力商人からお金を借りて軍を作りました。深井さんはこれを「投資」と表現します。十字軍は初期に成功し、トルコ沿岸を押さえたことで、イタリアとの間の海を安全に行き来できるようになりました。
投資の成功によって、イタリアには数百年ぶりの莫大な収入が生まれます。自給自足で精一杯だった中世から、イタリアだけが急に抜け出し始めたのです。
中世ヨーロッパの停滞から、イタリアが抜け出すまでの流れを整理すると、次のようになります。
7世紀以降
政治不安や外部からの侵入で、閉じこもって守る時代に
11世紀
農業生産性が向上し、余剰生産が生まれる
十字軍
君主がイタリア商人から借金して軍を作る
投資の成功
トルコ沿岸を押さえ、海上交易が安全になる
イタリアの富
数百年ぶりの莫大な収入で貿易が広がる
重いコインを運びたくない商人たちが生んだ「手形」
豊かになったイタリア商人たちは、他国へ出かけて貿易を始めます。そこで困ったのが、当時まだ使っていたローマ時代などのコインを運ぶことでした。
商人にとって、遠くへ行くなら一度に大量の取引をして帰るほうが移動コストが少なく済みます。けれど大量取引には大量の金属を持ち歩く必要があり、強盗に奪われるリスクも重さの負担も大きくなりました。
深井さんは、ドイツなど北ヨーロッパで開かれていた市(いち)を「幕張メッセ」や「ビッグサイト」にたとえます。さまざまな商人が集まり、商品を見せ合って買い合う展示会のような場です。
(ドイツに)いろんな商人がバーンと集まって、自分たちの商品を見せ合って買い合うみたいな。
この市で、貴金属をもう持ち歩きたくないという商人たちのニーズがはっきり生まれます。そこで、お金と交換できることを示す紙を発行し、それでやりとりする仕組みとして手形が生まれました。深井さんは、これは紙幣とは少し違うものだと強調しています。
利子禁止の壁を、両替手数料はどうすり抜けたのか?
手形とともに銀行が発達し、融資も生まれます。しかし融資には大きな壁がありました。宗教的な理由で、利子を受け取ることが禁じられていたのです。
イスラムもキリストもユダヤも全部ダメなわけ。だから古代って利子受け取っちゃダメなんですよね。
古代にも銀行に近いものはあったのに発達しきらなかったのは、この利子禁止のためだと深井さんは説明します。楊さんも「アリストテレス ── 古代ギリシャの哲学者。お金がお金を生む利子の取り立てを、自然に反するものとして批判したことで知られますも全否定してますからね」と応じています。
利子が禁じられた理由について、深井さんは「言われている」説として紹介します。お金を持つ者がお金を生む状況を許すと、国家権力から見て地方の有力者が力をつけすぎてしまうため、それを防ぐ目的で宗教に利子禁止を組み込んだのではないか、というものです。
例外はユダヤ教でした。ユダヤ教はユダヤ人以外から利子を受け取ることを認めていたため、少数民族のユダヤ人が各地で金貸し業を担います。深井さんは、ここにロスチャイルド ── 18世紀以降ヨーロッパで巨大な富を築いたユダヤ系の金融一族が生まれるルーツがあると話し、富が集まったことが反ユダヤ主義につながったという話にも触れています。
ただ、ユダヤ人は数が少なく、キリスト教徒にとって十分なお客さんにはなりません。キリスト教徒同士で金融ができなければ、銀行は大きく育たなかったわけです。
突破口になったのは、ヨーロッパが都市国家に分かれ、通貨がバラバラだったことでした。通貨が違えば必ず両替が発生します。両替の換算レートの中に利子を入れることで、「これは利子ではない」という名目のまま利子分を受け取れるようになったのです。
これは帝国が統一してたらできなかった。
経済が落ち込んでいた時代にはこの工夫も使いようがありませんでしたが、イタリアが偶発的に豊かになったことで、金融が発達する素地が整いました。ここから銀行はイタリアと北ヨーロッパで一気に広がっていきます。
為替手形で、離れた場所にどうやってお金を送るのか
利子の問題に加えて、為替手形という新しい発明が遠隔地での決済を可能にしました。深井さんは、ベネチアとドイツのフランクフルトを例に、その仕組みを説明します。
深井さんがベネチア銀行に、樋口さんがフランクフルト銀行に口座を持っているとします。深井さんが樋口さんから100万円で何かを買ったものの、現金を持ってフランクフルトまで行くのは大変です。
僕の口座から100万円下ろしていいよっていう手形を(樋口さんに)渡す。
この例での為替手形による支払いを、手順として並べると次のとおりです。
深井さんは、国が別々だった当時、別々の銀行の間でこれができたこと、銀行に支店が多かったこと、口座があったことがどれも大切だったと話します。楊さんは、離れた場所にお金を送る技術であり、経済圏が拡大すると受け止めました。
こうした仕組みの土台には、イスラム世界から取り入れた会計や簿記の技術、アラビア数字もありました。銀行の利用者は、これまでの君主中心から、商人や事業家へと広がり、利用回数が大きく増えていきます。
その結果として現れたのが、強大な銀行家です。深井さんは、世界史の教科書に太字で出てくるメディチ家 ── 15世紀ごろフィレンツェで銀行業によって財を成し、政治や芸術にも大きな影響を与えた一族やフッガー家 ── 15〜16世紀に南ドイツのアウクスブルクを拠点に、鉱山経営や金融で巨富を築いた一族を挙げ、もともとギャングのような人たちが銀行で財を成して大きくなったと語ります。イタリアで生まれた銀行はドイツなど北ヨーロッパ、さらにイギリスやオランダへ渡っていきました。
銀行の本質は「貸す」ではなく「作る」?信用創造の正体
深井さんは、為替手形よりもさらに大きな変化として、17世紀の出来事を取り上げます。当初はオランダで1609年にできたアムステルダム銀行として話し始めましたが、途中で、信用創造を始めたのは1657年のストックホルム銀行だったと言い直しています。
それまでの銀行は、実際に預かったお金の中から人に貸していました。ところが現在の銀行は、持っている預金以上のお金を貸しています。
今は自分が持ってる預金以上にお金貸してるんですよ。
この仕組みは信用創造と呼ばれ、深井さんは、これができるようになったことで資本主義に突入していくと話します。
深井さんは自分を銀行に見立てて説明します。中央銀行から100万円を借り、そのうち90万円を樋口さんに貸します。樋口さんに貸した90万円は預金口座として銀行に残っているので、さらに楊さんにも80万円を貸すことができます。
この時点で、樋口さんは90万円、楊さんは80万円を引き出す権利を持っています。銀行が最初に受け取った現金は100万円だけなのに、市場に流通するお金は増えていることになります。
もちろん、全員が一斉に引き出せば銀行は倒産します。ただ、国が安定していればお金が必要なタイミングはずれるので、基本的に一斉に引き出されることはない、というのが前提です。
深井さんによると、その前提に立って、銀行は預金の3割ほどだけを現金で持っていればよいという考え方があり、100万円あれば330万円ぐらい貸してよいことになります。銀行が市場に流通するお金の量を増やせてしまうことが本質であり、バブルが起こるのも究極的にはこれが理由だと話しています。
深井さん自身、この説明には語弊があり経済に詳しい人に怒られるかもしれない、と断っています。
深井さんは最後に、手形などによる銀行間のキャッシュレス決済、信用創造、そして次回扱う中央銀行の登場によって、資本主義の体制が整っていくと予告します。
ないはずのお金が存在するみたいな、その、ちょっとこう感覚的にパッと理解できないところに。
楊さんは、目に見えるお金の話から概念的な話へ移ってきたと感じ、自分たちがいかにお金を理解せずに使っているかがわかり始めたと語って、この回を締めています。
まとめ
中世ヨーロッパで銀行が育ったのは、十字軍でイタリア商人が富を得たこと、分裂した都市国家で両替が不可欠だったこと、そして重いコインを運ばずに済む手形が求められたことが重なった結果でした。さらに17世紀のストックホルム銀行から信用創造が始まり、銀行はお金を「貸す」存在から「作る」存在へと変わっていきます。
- 銀行に近い仕組みは古代からあったが、利子禁止のため発達しきらなかった
- 十字軍への融資に成功したイタリア商人が富を得て、中世の停滞を抜け出した
- 通貨がバラバラな都市国家では、両替手数料に利子分を含めて宗教的制約を回避できた
- 為替手形によって、別々の国や銀行の間でも遠隔地決済が可能になった
- 信用創造により、銀行は預金以上に貸し出して市場のお金の量を増やし、資本主義の起点となった





