古代の王権はどんな仕組みで成り立っていた?
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この回は、いきなり鎌倉時代へ入るのではなく、古代の王権と中世の王権が「質的に変化した」という前提を押さえるところから始まります。深井さんは、その変化を理解した上で鎌倉時代の出現を構造的に捉えようと呼びかけます。
古代の日本は、中国の唐で実施されていた中央集権的な官僚制を律令制 ── 唐の律令をモデルに日本が導入した法体系と統治制度。天皇を頂点とする中央集権的な官僚制を目指したもので、遣唐使などを通じて模倣されましたとして模倣していました。律令制の前は豪族の盟主として天皇が立つ王義制でしたが、それを天皇中心の中央集権国家へ作り替えようとした流れです。
奈良から平安にかけての古代では、天皇が租調庸などの税を集め、それを全国の神社仏閣に班幣 ── 天皇が神社などに幣帛(へいはく)を分け与えること。神々への奉献を統括することで、天皇の権威の正当性を示す宗教的な行為とされましたとして配っていました。神々への祭祀を統括することで、天皇の王権の正当性が担保されていたと深井さんは説明します。
ここで深井さんが強調するのは、律令制は本来とても現実的な官僚制だったのに、日本ではそれを駆動させた天皇が宗教色を帯びていた、という点です。税を払うこと自体が、民衆にとっては宗教的行為だったというのです。
なんていうかな、捧げものを神に渡すみたいな感覚で税を払ってるわけです。
つまり古代の王権は、徴税という現実の制度と、神への奉献という宗教性が一体化した、天皇個人の神聖性に支えられたものでした。これが、その後どう崩れていくかがこの回の軸になります。
租調庸を徴税し、律令制という官僚制を駆動させる中央集権のシステム
集めた税を神社仏閣へ班幣として配り、天皇が神祇祭祀を統括して王権を正当化
徴税から宗教色が抜けたとき、王権に何が起きた?
平安時代の後半になると、税を集めて神社に配るという行為が、地方の官僚である国司に委ねられていきます。神への捧げものだった徴税行為が、単なる徴税へと変わっていったのです。
天皇が直接徴税している感覚が民衆から消え、役人が集めて朝廷に吸い上げるという感覚に変わりました。深井さんは、これによって王権の「質」がじわじわ変わっていったと指摘します。
樋口さんは、状況が変わったことで王権の正当性を補強し直す必要が出てきた、と受け止めます。宗教色を帯びていた王権が、新しい正当性を示すよう迫られていったという流れです。
正当性を補強してメンテナンスしないといけないんですよね。状況が変わってきたから。
さらに同じ時期、中国では唐と渤海という国が相次いで滅亡します。これによって、数百年ぶりに天命思想 ── 徳を失った皇帝が、徳のある者に倒されて王朝が交代するのは天の意志だとする中国の思想。武力で王朝を交代させる易姓革命の理論的な支えになりましたが中国で盛り上がりました。
絶対的だと思われていた王朝が倒れる衝撃は、フランス革命が周辺国に波及したように、日本にも影響を与えます。「新しい王朝を作ってもいいのではないか」という風潮が芽生えてきたのです。
平将門の乱と、偶然が積み上げた天皇の神聖性
王権の質が変化した上に、外からの影響が重なり、日本の王権は一時的に揺らぎます。神聖性を失いかけたところに、「交代してもいいのでは」という論理が隣国で実際に起きていたためです。
その論理を真似た人物が平将門でした。深井さんによれば、平将門の乱は教科書では簡単に鎮圧された印象で書かれていますが、実際には朝廷はかなり強い危機感を抱いていたといいます。
これもしかして唐とか渤海滅亡したけど、僕たちも滅亡するんじゃない?ってやっぱり朝廷は思ったみたい。
将門の論理は、武力で王朝を交代させる易姓革命の話と、天皇から分かれた平氏という自分の血筋の話が混ざっており、深井さんは「バグっている」と表現します。それでも将門は挙兵しました。
乱の鎮圧にあたり、天皇や貴族は武士を派遣する一方で、神や仏の加護を期待して必死に祈りました。そして、祈ったら勝った、という出来事が起きます。
この結果、神という存在と、その祭祀を主催する天皇の地位が改めて重要になりました。「天皇が祈ったら勝った」という理由で、天皇の神聖性が再評価されたのです。楊さんは思わず「サンプル数少な」と反応します。
めちゃくちゃ危なかったのに、天皇が祈ったら勝ったから、やっぱ天皇の神聖性ってすげえんだみたいになったんですよ。
樋口さんは、権威のポイントが積み上がっていくと表現します。この偶然をきっかけに、天照大御神の子孫としての天皇が再びブランド化され、神の国や神風といった概念もこの頃から強まっていきました。
王権の揺らぎ
徴税の宗教色が抜け、天命思想の影響で「交代してもいい」という空気が生まれる
平将門の乱
易姓革命を掲げた将門が挙兵し、朝廷は滅亡の危機感を強める
祈りと勝利
天皇や貴族が神仏に祈り、乱が鎮圧される
神聖性の再評価
「祈ったら勝った」ことで天皇の神聖性が以前より強く注目される
仏教が「国際共通言語」として使われたのはなぜ?
もう一つ、この時期に仏教の地位が大きく上がっていきます。最澄や空海の後で、すでに国家仏教として仏教は入ってきていました。
仏教の地位が上がった理由を、深井さんは国際外交の観点から説明します。宗教色を強めた天皇が、新しく誕生した中国皇帝などと外交する際、自分の神聖性や王権を説明しようとしました。
そのとき、天照大御神の話をしても中国には全く通じません。ところが仏教の話をすると、国際的に通じるのです。仏教は、東アジアで通用する国際共通言語だったというわけです。
全く通じないけど、仏教の話すると通じるんですよ、国際的に。なんで仏教の話もしようってなるんです。
樋口さんは、これを明治維新のときに日本が列強のフォーマットを導入した挙動と重ねます。相手と同じ土俵で振る舞うために、共通の枠組みを取り入れるという構図が似ているという指摘です。
こうして天皇は、仏教の時間概念や論理性を使って自分の神聖性を裏付け、仏教を天皇権威の裏付けとして位置づけていきました。
天皇個人から天皇家へ、神聖性はどこに宿ったか
天命思想の流入は、王権の質そのものも変えていきます。古代の王権では、天皇個人がすごい人物かどうかが重視されていました。桓武天皇や天智天皇、天武天皇など、古代の天皇の名前が有名なのはそのためです。
一方で中世になると、上皇の名前は残っても、天皇個人の名前はあまり知られなくなります。天皇個人の影響力が小さくなっていったからだ、と深井さんは説明します。
(古代は天皇の)個人性がすごく強かった。
天命思想の影響で、悪い天皇なら変えてもいいという概念が入ってきます。ただし王朝ごと交代させるのではなく、同じ天皇家から新しい天皇を出せばいい、という形になりました。
その結果、神聖性は天皇個人ではなく、天皇家という血筋に属するものへと移っていきます。個人の属人性を剥がしつつ、家に神聖性を宿すという絶妙なバランスです。
天皇個人の属人性と神聖性が重要で、徴税という制度と密接に結びついていた
徴税から切り離された純粋な神聖性が神道と仏教で裏付けられ、天皇家という血筋に神聖性が宿る
天皇家が大事なら貴族の家も大事、という論理
律令制はもともと皇帝制の模倣なので、個人の能力が重視され、貴族が役職を世襲することは本来認められません。世襲は官僚制の理念と相容れないからです。
ところが王権の質が変化し、「天皇は家が大事」となると、自然と「貴族の家も大事だ」という発想につながっていきます。世襲への抵抗がなくなっていったのです。
天皇が家が大事なんだったら、貴族の家も大事だよねって自然となっていくんです。
教育機関も十分に整っていなかったため、重要な役職の官僚は貴族が世襲で担っていく状態になります。これは律令制がうまく機能していない状態だ、と深井さんは指摘します。
楊さんは、建前上は官僚制なのに、実際は家族ばかりが役職を占めていると受け止めます。特定の家がどの位につくかが暗黙の了解として固定化し、既得権益になっていきました。
暗黙の了解みたいな。それが既得権益化していくんですね。
伊勢神宮の式年遷宮が民衆に王権を浸透させた?
王権の質的変化が民衆の中に浸透していく仕組みとして、深井さんは、自身も確かさは判断しかねるとしつつ説得力があった説として、伊勢神宮の式年遷宮 ── 伊勢神宮で定期的に社殿を新しく建て替える神事。ここでは、その費用を民衆から徴発する行為を通じて、人々が宗教的権威への参加感覚を持ったと説明されていますを紹介します。
式年遷宮のための資金を民衆から徴発すると、税を払った人々は自分たちが宗教的行為に参加したという感覚を持ちます。この主体的な参加が、天皇の宗教的権威を民衆に浸透させたという説です。
当時の伊勢神宮は、国家の安全保障を担う存在でもありました。深井さんは、今でいうミサイル防衛費や自衛隊のような軍事費にお金を払う感覚に近いと例えます。
普段の税とは別に徴発されることで、民衆は主体性を持って天皇の宗教的権威を認識しました。楊さんは、お金も取れて権威も高められる仕組みだと反応します。
めっちゃ一石二鳥じゃないですか。お金も取れて、権威も高めることができて。
深井さんは、これは古代に税を捧げ物として払っていた民衆と実は同じことをしていると補足します。ただし今回は国家システムではなく、純粋な宗教的行為として行われ、国家運営は官僚に委託され分離している点が中世の特徴です。
摂関政治はなぜうまく機能したのに腐敗したのか
こうした変化が民衆にも浸透した結果、中央政治で大きな変化が起こります。それが、天皇よりも貴族が力を握る摂関政治という貴族政治です。
古代の天皇家は、皇后を天皇家の中から出しており、家族同士で血を濃くしていました。そこへ、有力な貴族である藤原氏から安定的に后が出されるようになります。
藤原氏は外戚として政権を安定的に確保していきます。これをやったのが藤原道長で、次の天皇を誰にするかも決めるほどの権力を握りました。深井さんは、これが摂関政治だと説明します。
注目すべきは、摂関政治が古代の王権では成立し得なかった点です。天皇個人が大事だった時代なら「なぜ出しゃばるのか」となりますが、天皇家の神聖性だけが大事になったからこそ、外戚による操作が可能になったのです。
さらに面白いのは、摂関政治が意外にうまく機能した点です。それ以前は王位継承で激しく揉めていましたが、藤原氏が勝手に決めるので誰も文句を言わなくなり、政権が安定しました。
勝手に藤原氏が決めてるから誰も文句言わなくなったから。(逆に)政権安定するっていう現象が起こるんだけど、政治は腐敗していくんですよ。
揉め事はなくなる一方で、藤原氏が好きなように振る舞うため政治は腐敗します。それでも成り立ったのは、外圧がなかったからだ、と深井さんは強調します。外国が攻めてくれば腐敗政治は滅ぼされて終わりですが、その相手がいなかったのです。
なお、摂政と関白という役職も、中国の律令制には定めがありません。日本の統治の実情に合わない部分をローカルにカスタマイズする中で、勝手に作られたオリジナルの役職でした。
律令の条文とかには書いてないんですよ。勝手に自分たちで作ったオリジナルな役職なんですよ。
藤原道長は宗教と天皇の権威をどう利用したか
藤原道長がどのように権力を強化したかというと、実は天皇と全く同じロジックで、宗教を使って王権を強化しました。天皇自身も仏教などを使って王権を強化していた構図です。
藤原氏は財力を使って寺社仏閣を数多く建てました。これは天皇にとっても王権強化につながります。神聖性を使って民衆に権威を浸透させていたからです。
道長は、国家の安全保障を担う鎮護国家 ── 仏教の力で国家を守り安泰にするという思想。この考えに基づく寺院を建てることが、王権や自身の権力の裏付けとして利用されましたの概念を持つ仏教寺院を数多く建てることで、朝廷内での権力を確保していきました。これによって天皇と道長は相互補完的に権力を保証し合う関係になります。
ただし、両者は仲がいいという関係ではありません。藤原氏は自分たちの権力を欲しいままにしようとしますが、そのためには天皇の神聖性を利用するしかない、という構図です。
そうしない限り彼らも上げれないので、その相互補完的であるっていう、対立的ではないってことなんです。
深井さんは、この点がとても日本的だと言います。だから天皇はいなくならないのです。藤原氏にとっても、天皇がいてくれないと自分の権力を上げられないという構造があったためです。
摂政と関白というポジションも、天皇を前提にしています。建前上は全ての政治の話を一度天皇に申し上げ、天皇のOKで初めて実効性を持つ構造でした。摂政や関白の権勢も、あくまで天皇の権威によって認められているのです。
受領を家臣化し、賄賂を合法化した藤原家
藤原道長はさらに重要なことをしています。国司として地方に赴任する受領 ── 地方に派遣され、その国の統治と徴税の実務を担った国司の最上席の官僚。任国から得られる収入が大きく、任命をめぐって摂関家への賄賂が横行しましたと呼ばれる官僚を、まるで自分の家臣のように扱い始めたのです。
これは律令制の基本理念と真っ向から対立する動きです。律令制では、全てが天皇の土地であり、官僚は天皇が任命して成り立つ天皇の家臣のはずでした。それが、王権の質的変化によって、有力貴族の藤原氏が実質的な権力を握り、官僚と主従的な関係を結び始めます。
その主従関係は、官僚を評価する会議で、どの官僚が良かったかを賄賂によって決めるという形で結ばれました。深井さんは、これをはっきり腐敗政治だと言い切ります。
官僚を賄賂によって決めることによって、その財力みたいなのを藤原道長は獲得することができる。
藤原氏が強かったのは、人事権を握っていたからだと樋口さんは補足します。朝廷で誰がどのポジションにつくかを決める人事のイベントが年に二回ほどあり、摂関家の発言力が非常に強かったのです。
樋口さんは、そこで回っていたエコシステムを説明します。摂関家の推薦で税が多く取れる豊かな国に赴任した人が、そこで財産を貯め、次のいいポジションを求めて再び摂関家に貢ぎ物をする、という循環です。
既得権益があるから、それで得て、で、また奉納というか、貢げばさらにもっと得れてという。
この腐敗を、道長の次の代の頼通はさらに進めます。道長の息子である頼通は、受領が自分のポケットマネーから払っていた賄賂を、国の財源を使って払っていいと合法化してしまうのです。
これを国の財源使って賄賂払っていいみたいにするんです。
樋口さんが「領収書切れるんや」と驚くほどの制度で、律令制を掲げた人たちからすれば理解を超えた壊れ方でした。
摂関家の推薦
藤原氏の人事権で、受領が税の多い豊かな国へ赴任する
財産の蓄積
赴任先で財産を貯める
摂関家への貢納
より良いポジションを求めて摂関家へ賄賂を贈る
さらなる昇進
再びいい官職を得て、循環が続く
なぜ日本は律令制を守れなかったのか
樋口さんは、日本は律令制というルールベースがなくてもやっていけた国だと振り返ります。中華王朝なら、これほど腐敗すればすぐに滅ぼされていたはずです。
深井さんは、日本好きの日本人だと前置きした上で、日本は国家で定めたルールをずっと守れていないと冷静に評します。日露戦争のときにも、近代化した瞬間に末端の役人が勝手に動くことがあったと指摘します。
その理由を、深井さんは対外的な危機感の薄さに求めます。異民族に常に攻め滅ぼされる危機感が歴史的になかったため、自分たちで定めたルールを運用しきれなかったというのです。
だからね、やっぱりね、定めたルール、自分で運用できないんですよね。それほどの対外的危機感を持ってないんだよね。
深井さんは、中国を持ち上げる意図ではないと繰り返しつつ、中国の官僚制のすごさを日本史を通じて感じたと語ります。広大な土地と大量の人口を治めながら、あの程度の腐敗で治まっているのは他国にはできないだろう、という見立てです。
樋口さんが「外的要因がいなかったから、まとまらなくても存続できたのか」と確認すると、深井さんは「滅びなかっただけ」だと答えます。もし外圧があれば滅んでいたレベルの運営だった、という評価です。
その上で深井さんは、藤原道長には国家ビジョンがなく、自分の家のためにやっていただけだと指摘します。国を強くするとか、国家レベルでどう運営すべきかは、ほとんど考えていなかったというのです。
善悪ではなく「OSが違う」として中世を読む
楊さんは、国力を強くする必要もなかったのではと受け止めます。深井さんは、コテンラジオではこうした話を善悪の文脈で語らないことを重視していると説明します。
この時代の貴族や朝廷は、あくまでその環境に最適化しただけだと深井さんは言います。善悪だけで見ると、彼らはただの「クソ」になってしまい、かえって理解できなくなるのです。
悪いか悪くないかだけの観点で見てしまうとどうしても理解できないんですよ。
樋口さんは、中世の歴史が理解しづらい理由を、現代人が抱く法治国家のイメージに求めます。ルールを守り、官僚組織がかっちりしている国家像を前提にすると、この時代がうまく読めないのです。
当時の人々が話していたのは、天下国家や民を豊かにすることではなく、あくまで自分たちの家の話でした。国家や国民という意識すら、そもそもなかったというわけです。
全くそのプラットフォームっていうか、OSが違うっていう前提で、この時代の話を読むと、すごくスッと入りやすいかもしれない。
最後に深井さんは、今回が国家の中枢から見た王権の質的変化の話だったとまとめます。次回は、地方も含めた土地の所有のあり方、いわゆる荘園がどう変わっていくかを扱うと予告します。
王権の質的変化と土地所有の変化というダブルパンチによって、あらゆる政治的な出来事が起こっていきます。この二つを理解しないと、なぜ頼朝が出てきて勝つのかがわからない、と深井さんは次回への橋渡しをします。
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まとめ
古代の天皇は、徴税と神への奉献が一体化した個人の神聖性で王権を支えていました。それが平安後半に徴税の宗教色を失い、平将門の乱での「祈ったら勝った」という偶然や仏教の国際性、天命思想の流入を経て、神聖性は天皇個人から天皇家へと移ります。この土壌の上に藤原道長の摂関政治が成立し、腐敗しながらも外圧のなさゆえに存続しました。
- 古代の王権は、徴税という制度と神への奉献という宗教性が一体化し、天皇個人の神聖性に支えられていた
- 徴税の宗教色が抜け、天命思想と平将門の乱が重なって王権が揺らいだが、「祈って勝った」ことで神聖性が再評価された
- 仏教は東アジアで通じる国際共通言語として、天皇の権威の裏付けに使われた
- 神聖性が天皇家という血筋に移ったことで、外戚の藤原氏が天皇を操作する摂関政治が成立した
- 藤原道長・頼通は宗教と人事権、賄賂で権力を独占したが、外圧のなさが腐敗政治の存続を許した







