王の中の王ダレイオスは、なぜ草むらに捨てられたのか
ペルシア統治の話に入る前に、深井さんは敗れたペルシア王ダレイオス ── アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世。アレクサンドロスとの会戦で2度戦場から逃れ、最後は逃亡中に命を落としましたのその後を紹介します。ダレイオスは戦場から逃げ続け、アレクサンドロスは偵察で行方を探らせていました。
ダレイオスの居場所がわかったのは5か月後ぐらいで、意外なほど近くにいたといいます。そしてダレイオスは、一緒に逃げていた側近に殺されてしまいます。
まあでも(ダレイオスは)そうなるでしょうねって感じですよね。だって戦場で2回逃げてますから。
深井さんによれば、ダレイオスの遺体は草むらに捨てられていたそうです。樋口さんは「王の中の王」がただの人になっていく落ち方に、考えさせられると反応しています。
アレクサンドロスは、王を殺したその部下を許しませんでした。鼻と耳を削いでから処刑しており、深井さんはこれがペルシア式の処刑方法だった点が「実は鍵」だと話します。
なぜアレクサンドロスはペルシア風の服を着たのか
ダレイオスの死後、アレクサンドロスは、自分たちよりはるかに人口の多いペルシア大帝国をどう治めるかという段階に入ります。それまでは仲間と勇敢に戦うという1つのビジョンに、全員のエネルギーを集められていました。
ところが統治は軍人の仕事ではないため、アレクサンドロスが担い、ほかの人たちはそこにあまり関心がありませんでした。深井さんはこのずれを、社長と社員が見ている景色の違いにたとえています。
アレクサンドロスだけが見てる景色と、彼ら(部下)が見てる景色が変わっていくんですよ。社長と社員が見ている景色が違う。
アレクサンドロスが取った方針は、ペルシアの文化を積極的に取り入れることでした。遠征軍には、マケドニアやギリシャのやり方を押しつけて起きる反乱を抑える力がなく、相手に歩み寄るほうが統治コストは圧倒的に低いという判断です。
人数の多いペルシア人の反乱を招きやすく、遠征軍には抑える実力がないためコストが大きい
下手に出て相手を落ち着かせられるため統治コストが低い。アレクサンドロスはこちらを選んだ
しかし側近たちは、戦争に勝ったのは自分たちなのに、なぜペルシア風に合わせなければならないのかと反発します。楊さんはこの感情を、日本人にとって天皇陛下がチマチョゴリを着るようなものだとたとえました。
なんか感情的にちょっと受け入れられないです。
深井さんによると、アレクサンドロス自身がペルシア風の服を着て、豪華な儀式を行い始めます。ギリシャには権威付けの文脈があり、エジプトではそれがファラオ ── 古代エジプトの王の称号。アレクサンドロスはエジプトでファラオとして迎えられ、現地の権威を取り込みましたになることでしたが、恨まれているペルシアの官僚を従わせるには、ペルシア風の権威付けを踏襲する必要があったのです。
一方でギリシャ人は、自分たち以外を野蛮人とみなしていました。深井さんは、ペルシアの文化はギリシャと変わらないか、むしろ進んでいた面も多いと補足します。マケドニア兵の目には、同じ釜の飯を食った王が堕落したように映りました。
理解しない側近を許せなかった英雄と、自分を折れた劉備の違い
深井さんは、アレクサンドロスの合理的なロジックは一兵士にはもちろん、側近にさえ理解されなかったと話します。側近はアレクサンドロスを理解する側としない側の2つに割れ、アレクサンドロスは反抗する側近を許せませんでした。
許せるほど人間力なかった。ここが許せてたらね、全然違ったと思う。俺は。
深井さんは、アレクサンドロスが33歳で病死しなければ、どこかで暗殺されていた可能性が高いとみています。織田信長や古代中国の布礼王に近い、「それは殺されるわ」という生き方だというのです。
樋口さんは、アレクサンドロスは失敗したことがないから反省する必要がなかったのでは、と指摘します。深井さんも、できない人やわからない人の気持ちがわからず、「なぜこんな合理的な判断を理解できないんだ」という感覚があったのではないかと応じます。
ここで対比として挙がるのが劉備 ── 中国の三国時代に蜀を建てた人物。自身の才覚より、人を惹きつけ優秀な家臣を集めた器量で知られますや劉邦です。
圧倒的な英雄で人を動かす才能もあるが、理解しない側近を許せなかった。周りに自分よりすごい人はいない
自分では何の才能もないが、自分を折ることができる。だから周りに自分よりすごい人が集まる
それでも樋口さんが「どっちがかっこいいか」と問うと、深井さんはアレクサンドロスのほうがかっこいいと答えます。さらに、カリスマが強すぎて周りは判断せず従うだけでよく、この人の言うことが間違いだという発想が生じにくかったとも話しています。
パルメニオン、カリステネス、クレイトス。側近粛清はどう進んだのか
反抗する側近たちへの不満は、やがて処刑という形をとります。最初に衝撃だったのは、父フィリッポス2世の代から歩兵部隊を率いてきたパルメニオンの息子、フィロータスの処刑でした。
フィロータスはペルシア迎合に反対し、表でも裏でも文句を言っていました。ある日フィロータスがアレクサンドロスを暗殺するのではという噂が流れ、アレクサンドロスは許さずに処刑します。かつて暗殺の手紙を見せながら医者を信じて薬を飲んだ時とは対照的です。
パルメニオンのほかの2人の息子はすでに亡くなっており、残っていたのは最も優秀とされたフィロータスだけでした。息子が犯罪者とされたことで、パルメニオンも自害に追い込まれます。
さらに、アリストテレスの甥で、遠征を記録するライターの1人だったカリステネスも、ペルシア迎合に反対していたため処刑されます。
極めつけは、父フィリッポス2世が「突っ込みすぎる息子を守ってくれ」とつけた護衛クレイトスです。飲み会の席でクレイトスは、自分だけの功績でここまで来たと思っているのかと、酒の勢いでアレクサンドロスに食ってかかりました。
仲が良かったからこそ王相手でも言ってしまったクレイトスに、アレクサンドロスは激怒し、槍を投げて殺してしまいます。ただその後は激しく後悔し、3日間何も食べられず、4日目にようやく気持ちを切り替えて出てきたそうです。
方針転換
アレクサンドロスがペルシア風の服装や儀式を取り入れる
反発
フィロータスやカリステネスら側近が反対する
処刑
暗殺の噂でフィロータスを処刑し、父パルメニオンも自害に追い込まれる
激情
飲み会で口論になったクレイトスを槍で殺し、深く後悔する
統治のストレスと「誰も悪くない」悲劇
深井さんは、この時期のアレクサンドロスには心の余裕がなかったとみています。戦争ならカリスマ性を示すテンプレートがありましたが、統治で人に言うことを聞かせる方法はわからなかったというのです。
カリスマ性を示すやり方の型があり、相手を倒せばすぐに結果が出る
すぐに結果が出ず、意見が衝突した仲間を辛抱強く説得する必要がある
樋口さんは「苦手なことをやってストレスが溜まっていた」とまとめ、深井さんも同意します。理解してほしかった仲間に批判されたからカッとなり、仲間だからこそ殺したことを強く後悔する。深井さんはそこにドラマ的な悲しさを見ています。
僕はアレクサンドロス、すごくよくやってると思います。すごく合理的な判断をして、すごく頑張ってペルシアを統治しようとしてると思うんだけど。
一方で、クレイトスやフィロータスが理解できなかったこともわかると深井さんは言います。一部隊長の立場では、ペルシアを統治するという思考をたどったことがないからです。
樋口さんは、思い悩むところにこそ人間味があると受け止め、深井さんは「ここで人間の限界を見た」と語っています。
インド王ポロスはなぜアレクサンドロスの友になったのか
側近を粛清しながらも、アレクサンドロスはさらに東へ進もうとします。ペルシア帝国を倒し、遠征の大義名分はすべて果たしていたにもかかわらず、インドの端まで来てなお、インドの奥へ攻めようとしたのです。
樋口さんは、王様なのに全然国にいないとあきれます。そこで現れたのが、深井さんが『北斗の拳』のラオウの後に出てくる敵のようだとたとえる、インド王ポロスでした。
ヒダスペスの会戦 ── 紀元前326年、現在のパキスタン付近のヒダスペス川でアレクサンドロスとポロスが戦った会戦。象部隊を擁するポロス軍を破りましたで、ポロスは本場の強力な象部隊や戦車、騎兵、歩兵の大軍で迎え撃ちます。逃げたダレイオスと違い、ポロスはアレクサンドロスに負けず劣らず勇敢に戦いました。
アレクサンドロスはこれまでと同じ、速攻で敵戦力を無力化する戦略で勝利します。それでも最後まで逃げなかったポロスに、アレクサンドロスは感動しました。
重傷を負って横たわるポロスに、アレクサンドロスは感謝を伝え、どうしてほしいかと尋ねます。ポロスが王であり続けたいと答えると、アレクサンドロスは「いいよ」と認め、配下に置かず同盟関係を結びました。
同じ風景を見ているやつがおったつって。
樋口さんは、優秀すぎるアレクサンドロスは孤独だったのかもしれないと話し、深井さんも本気で戦えた感覚があったのだろうと同意します。ライバルとして認め、友情で結ばれる展開に、深井さんは「マジでジャンプみたいな人」と評しています。
兵士の「もう帰りたい」に、カリスマが効かなくなった日
ポロスを倒した後もさらに東へ進もうとしたアレクサンドロスは、人生で究極の挫折を味わいます。これまで反対していたのは側近でしたが、ついに一兵士たちが「もう嫌だ、家に帰りたい」と言い出したのです。
兵士たちはもともとペルシアを倒すために出征しており、倒した後は家族のもとへ帰れると思っていました。樋口さんはこれを、マラソンでゴールテープを切ったのに「あと何キロ?」と言われるようなものだとたとえます。
それまで兵士から不満が出た時、アレクサンドロスは「俺たちは仲間だ」と熱く語りかけ、皆を奮い立たせてきました。ところがこの時は、同じように語っても全員が黙り込んだままでした。
カリスマ効かなくなったんですね。
樋口さんは、政治でつまずいた後、ポロス戦で戦いという主戦場の成果を出した直後だったからこそ、唯一の柱を折られたのではないかと推測します。深井さんによれば、アレクサンドロスは一度自暴自棄になります。
東進の継続
ペルシア打倒後もインドへ進み、ポロスと戦う
兵士の拒絶
これ以上進まないと拒まれ、説得が効かなくなる
撤退
帰らざるを得なくなるが、寄り道して戦いながら帰る
自暴自棄
一人で敵陣に突っ込み、瀕死の重傷を負う
帰路のアレクサンドロスは、まっすぐ帰らず戦いながら進み、普段以上に戦場へ突っ込んで死にかけます。深井さんは、アキレウスのような神話の英雄を思い出して自分を奮い立たせていたという説も紹介しています。
樋口さんは、戦って勝つことが回復の道筋だったのだろうと述べ、深井さんもアイデンティティの確立の仕方がそこだったのだろうと応じます。こうしてアレクサンドロスのやり方に陰りが見え始めた頃、彼は病で急死することになり、その話は次回に続きます。
まとめ
ペルシア帝国を倒したアレクサンドロスは、統治コストの低いペルシア迎合という合理的な方針を取りましたが、側近や兵士には理解されませんでした。戦争の型が通じない統治で余裕を失い、側近を粛清し、最後には兵士の心まで離れていきます。
- ダレイオスは逃亡の末に側近に殺され、アレクサンドロスはペルシア統治という新しい課題に入った
- ペルシア風の服装や儀式は合理的な統治策だったが、マケドニアの側近や兵士には堕落に見えた
- 理解しない側近を許せず、フィロータスやクレイトスらを死に追いやった点に、劉備・劉邦との違いがある
- 勇敢なインド王ポロスとは友情を結んだが、その後の東進は兵士に拒まれ、カリスマが効かなくなった
- 深井さんは、立場の違いが生んだすれ違いで「誰も悪くない」悲劇だと語っている





