カエサル暗殺後に公開された遺言状
紀元前四年三月十五日、カエサルが暗殺されました。そのほどなく後に、カエサルの遺言状が公開されます。
当時のローマには、遺言を書くというカルチャーが普及していたようです。いつ病気で死ぬかわからない時代なので、早めに相続の内容を決めておいたと考えられます。
死ぬ前、いつ死ぬかわかんないじゃん、この時代って。盲腸なっても死ぬからさ。なんで結構多分早めの段階で、その相続をどういうふうにするかみたいなことを決める遺言書を書くカルチャーがあったようです。
遺言状にはカエサルの後継者が示されていました。カエサルには男子の子供がいなかったとされています。
クレオパトラとの間にカエサリオンという男の子はいましたが、認知していなかったため、相続の対象にはなりませんでした。
そのため、誰を後継者と見なすかが、みんなの注目点になっていました。
後継者候補と目されていたアントニウス
後継者として一番可能性が高いと本人も周りも思っていたのが、アントニウスという人でした。
正式にはマルクス・アントニウスといいます。前回のクレオパトラ編に出てきた人物で、クレオパトラの彼氏だった人です。
アントニウスはカエサルとともにコンスル、つまり執政官の地位にありました。同僚でありつつ、右腕の部下に近い存在だったと語られています。
アントニウスのキャラを紹介すると、若い頃から遊び癖があり、資産をすぐ使い果たして負債まみれだったとされます。
父親の代からすでに浪費家だったようで、父の死で多額の借金を背負わされたという、かわいそうな側面もありました。
ただ本人は借金を全然気にせず、自分も普通に借金をしていったといいます。生涯にわたって放蕩者という評判に付きまとわれました。
外見については記録が残っています。見事な髭、広い額、鷲鼻を備え、高貴な威厳があり、彫刻にあるヘラクレスのようだったと伝わります。
これはアントニウスの家が、自分たちの先祖はヘラクレスだというアイデンティティを持っていたこととも関係しています。名門生まれで、自分はいずれローマの指導者になるという確信があったようです。
当時のローマでは、実力よりも血筋や家柄が重視されたと語られています。あわせて勇敢であるかどうかも、大きな評価軸でした。
遊び人から右腕へ、アントニウスの経歴
アントニウスは戦闘のために体を鍛え、演説の練習に励んだとされます。ギリシャに留学し、演説の技術である修辞学も学んだようです。
その後、シリアやエジプトへの遠征軍に参加し、勇敢に活躍しました。戦争の天才というより、奇襲で成功したという記録が残っています。
二十八歳のとき、カエサル率いるガリア遠征軍に従軍します。いざとなれば力を発揮するアントニウスの姿に、カエサルも興味を抱いたのではないかと学者は見ています。
普段は遊び人でも、やるときはやる。かなり勇敢だった人物として重用され、およそ四年間カエサルの遠征軍で戦いました。
その後ローマに帰還し、財務官や護民官といった官職に選出されていきます。護民官は平民を守るための官職で、立法に対して拒否権を持つ強い権限がありました。
重要なのは、カエサルがルビコン川を渡るときの名目です。カエサルは、元老院が護民官の拒否権を無視したことを口実に攻め込みました。
その無視された護民官こそがアントニウスでした。カエサルのために元老院へ拒否権を発動し、それを無視されたという構図です。
うちの若い衆に何してくれとんじゃっつって。
ニュアンスは少し違うものの、護民官の権限を無視した元老院に対して攻めていったという流れです。ここでもアントニウスの右腕感がうかがえます。
楊さんは、カエサルに人々がついていった理由も補足しています。カリスマ性に惹かれた人もいましたが、カエサルは金払いがよく、それが兵士にとって大事だったといいます。
当時カエサルはローマ世界で最も裕福な男でした。ガリアを抑え、その富を吸い上げていたからです。
そのため、負債を抱えた兵士たちが多く集まってきました。カエサルに仕えれば給料で借金を返せると考えた人が多かったようです。アントニウスもおそらくその一人でした。
アントニウスのモチベーションは、大きく二つに整理できます。名門生まれとして出世したいという野心と、借金を返したいという現実的な目的です。
その後もアントニウスは活躍します。カエサルがポンペイウスを追ってギリシャに行く間、本拠であるイタリア半島の統治を任されました。これは強い信頼の表れです。
さらにファルサロスの戦いでは軍の左翼を任され、奮戦しました。まさに右腕といえる人物だったのです。
後継者に指名された無名の少年オクタビアヌス
アントニウス自身は、後継者は自分だろうと思っていました。ところが遺言状で指名されたのは、無名のオクタビアヌスという人物でした。
オクタビアヌスは何の役職に就いたこともなく、戦争で活躍したこともない、まだ十八歳ほどの少年でした。
これだからカエサルが遺言に書いたってこと?
そうです。カエサルには息子がいなかったため、姪の息子であるオクタビアヌスを指名したのです。親戚には男の子が彼くらいしかいませんでした。
学者との対話では、カエサルにとって血筋で継ぐことは父祖の威風にもつながり、非常に重要だったと語られています。親戚に男の子がオクタビアヌスしか残っていなかったことが理由ではないかとのことです。
ここで生まれた構図が興味深いところです。実力とキャリアがあるのはアントニウス、法的な大義名分があるのは無名の少年オクタビアヌスでした。
カエサルの右腕。コンスルを務め戦争でも活躍した実力者だが、遺言による指名はなかった
何者でもない十八歳ほどの少年だが、遺言状でカエサルの後継者として指名された
なお、オクタビアヌスはのちに初代皇帝アウグストゥスとなる人物です。アウグストゥスは称号なので、番組ではオクタビアヌスと呼び続けます。
勉学と忍耐、オクタビアヌスの人物像
オクタビアヌスは少年の頃からカエサルに見いだされていたと言われます。十二歳のとき、祖母ユリアの葬儀で立派な弔辞を述べました。
この祖母ユリアのきょうだいがカエサルでした。カエサルはこのとき、この子は相当賢いと思ったようです。実際にとても賢い人物だったと深井さんは語ります。
ポンペイウス残党と戦うヒスパニア遠征にも従軍しました。少ない従者で敵だらけの道を突破し、船が難破しても進軍を諦めないという勇敢さもあったとされます。
一方で、体が弱いという弱点がありました。特にお腹が弱く、いつも腹巻きをつけていたと伝わります。虚弱体質は、古代においてはリアルに死の危険につながる弱点でした。
留学先のアポロニアでは、生涯の友であるアグリッパに出会います。このアグリッパが戦争の天才でした。
この人がいないと、マジでオクタビアヌスどうにもならなかったって言われてるぐらい、マジ超活躍するんです、アグリッパが。
オクタビアヌスは忍耐強く思慮深い一方、体が弱く戦争はそれほど強くありませんでした。戦争に強いアグリッパと組むことで、互いを補い合う関係になっていきます。
後継者を名乗ったオクタビアヌスの前途多難
共和政ローマでは、コンスルや独裁官を血筋でそのまま継ぐという概念はありませんでした。だからこそアントニウスは、後継者は自分だと思っていたのです。
それでもカエサルは、自分の血統で継がせようとしました。帝政化していく流れの中で、親戚に継がせたいという欲求が働いたと考えられます。
オクタビアヌスは遺言の内容を知ると、自分がガイウス・ユリウス・カエサルだと名乗ってしまいます。相続手続きは済んでおらず、この名乗り自体に法的な有効性はありませんでした。
学者の中には、この名乗りに政治経験の乏しい若者の無鉄砲さが表れていると見る人もいます。暗殺されたばかりのカエサルの名を名乗るのは、かなりリスキーな行動でした。
何か考えて名乗ってるのか、それともそのなんか無鉄砲さで、よし、俺がカエサルの名を継ぐぞつって名乗ってるのかって言ってよくわかんないんですけど、僕が読んだ本の中では、この名乗りは結構無謀なんじゃないっていう解釈がありました。
この名乗りは、両方向からの反発を招きます。元老院の反カエサル派からも、自分が継ぐと思っていたアントニウスからも反発がありそうでした。
内乱の一世紀はまだ終わっておらず、まさに内乱中でした。周りには名乗りを止めた人もたくさんいましたが、オクタビアヌスは名乗ったといいます。ここには一つのエイヤーが働いていたのでしょう。
彼にはいくつかの選択肢がありました。軍事的に蜂起することも、政治的に進出することもできましたが、この時点で選んだのは政治的進出でした。いきなり暗殺者を殺しに行くのではなく、正当な方法で進める道です。
書類を握ったアントニウスと妨害される相続
一方でアントニウスは、カエサルの遺言書や相続のための文書を接収し、渡さないようにします。文書が渡れば手続きが進み、なし崩し的にオクタビアヌスへ権力が移るからです。
楊さんは、アントニウスが政界で主導権を握れた理由を細かく解説しています。まず、カエサルが残した書類を掌握できたことが大きな要因でした。
この書類には、カエサルが生前にやろうとしていた政治的な意思決定や法律の覚書が記されていました。公表済みのものと未公表のものがあり、独裁官カエサルの意向が示された超重要な文書です。
アントニウスはこれを政治資源として使いました。自分は独裁官カエサルの意思の代行者だ、これはカエサルの意思だからこの決定をしようと言える立場を得たのです。
なぜ握れたのかというと、カエサルの妻カルプルニアがアントニウスを信頼して書類を渡したからでした。カエサルの秘書ファデリウスもアントニウスを信用していたとされます。
カエサル暗殺直後で、周囲の人々も身の危険を感じ、誰かの庇護下に入りたいという動機があったのかもしれません。頼れる相手がアントニウスだったのです。財産の管理も任され、政治的なイニシアティブを握りました。
当時から、アントニウスがカエサルの意図を改竄・捏造し、あたかもカエサルが決定していたかのように元老院へ実行させているという疑いも持たれていました。
だから日本の昔でいうと、例えば天皇の勅許を勝手に作るみたいな、そういうムーブをこの時点でアントニウスができるようになったんですよね。
さらにアントニウスは、オクタビアヌスの相続手続きも妨害します。相続には民会での立法が必要でしたが、アントニウスはその立法を邪魔しようとしました。
最終的に立法は成立しますが、相続は大きく遅れました。こうして地味な政治闘争が始まっていきます。
マイナススタートからの頭角と第二次三頭政治
相続の妨害はオクタビアヌスを困らせました。カエサルが兵士たちに約束していた金の支払いも、後継者として引き継がなければならなかったからです。
しかし、支払いの原資であるカエサルの財産が相続されないため、自腹を切って払うしかありませんでした。マイナスからのスタートです。それでも実際に払ったことが、逆に信頼につながりました。
楊さんによれば、オクタビアヌスは支払いの金を確保するため自分の所領も売ったといいます。これはローマ社会で恥ずべき行為とされ、落ちぶれていると見られる状態でした。
さらにアントニウスは、オクタビアヌスの曽祖父は奴隷だ、母親はパン職人の娘だといった中傷を流します。右腕だった人物の中傷は影響力があり、空気を悪くしました。
分が悪いね、本当に。
この不利な状況から、オクタビアヌスは頭角を現していきます。当初はまとまった自前の兵力さえ持っていませんでしたが、少しずつ私兵を集めることに成功しました。
楊さんは、軍の掌握が政治闘争で重要なムーブだと説明します。カエサルの死後、彼に忠誠を誓った複数の巨大な軍団がそのまま残っていたからです。
元カエサル軍団をどれだけ自分の陣営に引っ張ってこられるかという競争が、オクタビアヌスとアントニウスの間で始まりました。
オクタビアヌスは、アントニウスの提示額の五倍や十倍を払うと言って引き抜くやり方も取りました。まさに札束での戦いです。
当時の軍団では、指揮官が兵士の給料だけでなくボーナスや退役後の農地まで面倒を見ました。だから兵士は、すべてを保証してくれる人についていきたがったのです。
資金源については、元から金を持つ家だったことに加え、金を持つグループがオクタビアヌスを支援し始めたという記述もあります。
こうして凄まじい金を集めた結果、三頭政治がもう一度訪れます。突出した三人が元老院に代わって政局を決める体制です。
第二次三頭政治の三人は、オクタビアヌス、アントニウス、そしてレピドゥスです。レピドゥスはカエサルの左腕にあたる実力者でした。実力者二人と、指名された無名のオクタビアヌスという構図です。
カエサル・ポンペイウス・クラッススの3人による体制
オクタビアヌス・アントニウス・レピドゥスの3人による体制
なぜ元老院は詰んでいたのか
カエサルという終身独裁官がいなくなった以上、元老院が統治体制を回復してもよかったはずです。しかしそうはなりませんでした。
その理由は、共和政がそもそも現状を裁けなくなっていたことにあります。旧システムでは諸問題を処理できず、だからこそ内乱の一世紀に突入していたのです。
加えて、カエサルは独裁のプロセスで元老院を弱体化させていました。手の者を送り込みまくり、定数を六百人から九百人まで増やしていたのです。
新しい人が増えた結果、政務官を出す元老院の平均能力は下がっていました。最も難しい政局のなかで、元老院が何かをすることは誰から見ても無理だと自明でした。
うわ、これ面白いですね。
だから能力のあるアントニウス、レピドゥス、オクタビアヌスの三人が実権を握るために競争するのは、ある意味で自然な流れでした。止める能力も権限も、元老院からは失われていたのです。
楊さんは、もう一つの視点も加えます。三人は互いに相手を滅ぼしきれる力を持っていませんでした。三頭政治の前に、フォルムガッロルムの戦いとムティナの戦いで、アントニウス陣営とオクタビアヌスを含む元老院派陣営が一度戦っています。
この戦いでアントニウスは負けましたが、生き残りました。滅ぼしきれない以上、和解して三頭政治に落ち着いたのです。絶妙な政治バランスの状態でした。
勢力図は複雑でした。元老院から見れば三人とも伝統的には好ましくありませんが、アントニウスとレピドゥスはカエサルの右腕・左腕で、いかにも独裁しそうです。三人の中では、オクタビアヌスが最もベターだと見られました。
元老院のご意見番だったキケロも、オクタビアヌスが一番マシだと判断していたようです。こうしてオクタビアヌスと元老院がまず組み、アントニウスと戦います。しかし決着はつきませんでした。
決着がつかないと、今度は三人が三頭政治を築き、まず共通の敵として元老院内の反カエサル派を倒しにいきます。敵と味方が縦横無尽に入れ替わる展開です。
三頭政治の成立には、オクタビアヌスの地位が上がる必要がありました。アントニウスやレピドゥスはすでに政務官でしたが、オクタビアヌスは何者でもなかったからです。
皮肉なことに、その地位を一気に押し上げたのは元老院でした。アントニウスと戦うため、法務官相当の軍の命令権であるプロプラエトルを与え、私兵ではなく正式に軍団を率いる権利を与えたのです。
さらに、その戦いで執政官二人が戦死すると、オクタビアヌスは空いた執政官の座を自分にと求めます。元老院を軍事力で脅すようにして、執政官にまで一気に上りつめました。
元老院マジ、オクタウィアヌスあげんかったらよかったのにってなるな。
三人がそろってコンスル級になったことで三頭政治が成立し、元老院はさらに追い込まれていきます。誰を選んでも詰んでいたというのが、深井さんが最も面白いと感じた点でした。
深井さんは、これは現代の組織や国家でも見られる構図だと語ります。旧体制では裁けないが、本人にはそれを変える力がなく、外部の力を持つ者が台頭して変えていくという流れです。
まとめ
カエサルの遺言状は、実力者アントニウスではなく無名の少年オクタビアヌスを後継者に指名しました。マイナスからのスタートを金と名乗りとしたたかさで押し返したオクタビアヌスは、詰んだ元老院の中で急速に台頭し、第二次三頭政治に至ります。次回は、その三頭政治がどう展開するかが語られます。
- 紀元前四年三月十五日のカエサル暗殺後、遺言状は姪の息子で無名の少年オクタビアヌスを後継者に指名した
- 右腕アントニウスは実力とキャリアを持ちながら指名されず、カエサルの書類を握って政治的主導権を狙った
- オクタビアヌスは相続妨害と中傷という不利な状況から、金で私兵を集め頭角を現した
- オクタビアヌス・アントニウス・レピドゥスによる第二次三頭政治が成立し、共通の敵として反カエサル派を狙った
- 共和政ローマの元老院は現状を裁く力を失い、皮肉にも自らオクタビアヌスの地位を押し上げてしまった
