ホロコーストの実務責任者はなぜエルサレムで裁かれたのか
シンドラーの話を終えたコテンラジオのシンドラー編で、楊さんが次に取り上げたのはアドルフ・アイヒマンです。アイヒマンはナチス親衛隊(SS)の中佐で、最高幹部ではないものの、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所へ移送する実務を取り仕切った人物でした。
戦後、ナチスの主な幹部の多くはニュルンベルク国際軍事法廷 ── 第二次世界大戦後、連合国がナチス・ドイツの主要戦争犯罪人を裁いた国際軍事裁判。1945年から翌年にかけてドイツのニュルンベルクで開かれましたで裁かれ、死刑になりました。しかしアイヒマンはアルゼンチンへ逃げ延び、1960年ごろまで逃亡生活を続けていたといいます。
アイヒマンを見つけたのは、すでに建国されていたイスラエルの諜報機関モサド ── イスラエルの対外情報機関。国外での情報収集や秘密工作を担うことで知られていますでした。モサドはアイヒマンをアルゼンチンからイスラエルへ強制連行し、エルサレムの法廷で裁判を開いて、最終的に死刑にしています。
イスラエルってそのユダヤ人が作った国だよね。で、もう仇敵だよね、アイヒマンとかめちゃくちゃ。
このエルサレムの裁判を傍聴したのが、女性の哲学者ハンナ・アーレントです。アーレントはユダヤ系ドイツ人で、迫害が本格化する前に出国できた4分の1ほどの人々の一人でした。各国を経てアメリカに渡り、哲学者として大成します。
楊さんによれば、アーレントは「あんなひどいことがなぜできるのか」に関心を持ち、自ら手を挙げて出版社経由で裁判の取材に向かったといいます。
国民をひとつにするための「世論裁判」
アイヒマン裁判は、世界中のメディアに公開された一種の世論裁判でした。深井さんは、裁判を主導したイスラエルには、自国に有利な国際世論と国内世論をつくる政治的な目的が強かったという分析を紹介します。
その象徴が、ホロコーストの生存者を証人として呼んだことです。深井さんによれば、アイヒマンを有罪にするには文書資料だけで十分でした。それでも生存者一人ひとりにインタビューし、法廷で証言させる人を選ぶ作業まで行われたといいます。
アイヒマンを有罪にするためには、文章の資料だけで十分だったんです。ドキュメントだけで十分だったんです。
でも、それ(文書だけ)はイスラエルにとっては不十分なんですよね。
国内向けにも、アイヒマン裁判には意味がありました。建国間もないイスラエルには、ヨーロッパや東欧、アジア、アフリカなど各地のユダヤ人が移り住み、社会の中に上流と下層の階層ができてギスギスしていたといいます。
深井さんは、イスラエルがアイヒマン裁判を通じて国民に「共通の被害者としての記憶」を持たせ、国民国家をつくろうとしたと説明します。
生存者を証人に
文書だけで有罪にできたが、感情に訴えるため生存者に証言させた
世界へ公開
ナチスの非道とイスラエルの重要性を国際世論に訴えた
国内の分断
各地から集まったユダヤ人の間に階層ができていた
国民の統合
共通の被害者としての記憶で国民をまとめようとした
楊さんは、ひどいことをした人物であるのはもちろんだとしたうえで、アイヒマンにはスケープゴート的な立ち位置もあったと話します。アルゼンチンからの強制連行も本来は主権侵害でしたが、国際世論は「ホロコーストを起こした人ならしょうがない」と受け止めたといいます。
要はホモサピエンスがよくやることのうちの一つってやつだよね。
裁判にはアーレントが雑誌『ニューヨーカー』の特派員として志願して参加し、その傍聴をもとに『エルサレムのアイヒマン』を書きました。
アイヒマンは「悪人でなければならなかった」
アーレントの『エルサレムのアイヒマン』は物議を醸しました。人々はアイヒマンを、ユダヤ人を死ぬほど憎み、保身に走る「わかりやすい悪人」だと思っていたからです。
悪人でなければならなかった。
しかし、法廷でアイヒマンの話を聞いたアーレントの印象はまったく違いました。アーレントはそれを正直に書き、「ナチスの肩を持つのか」と批判されたといいます。
楊さんは、ホロコーストの実務をした人物なら死刑は当然だと感情的には思うと認めます。それでも、証言を聞くと「何をもってこの人を死刑にできるのか」は難しいと感じさせられる、と話します。
レオン君の家族とかに感情移入するような勉強までして、(アイヒマンは)殺されてしょうがないなと思うんだけど。
パッとしない青年がナチ党で居場所を見つけるまで
楊さんはアイヒマンの生い立ちを、重要なところに絞って紹介します。アイヒマンはドイツの刃物で有名な街ゾリンゲンで生まれ、幼いころにオーストリアへ引っ越しました。
オーストリアはカトリックを庇護するハプスブルク家のお膝元でしたが、アイヒマンの父はプロテスタントの信徒会の代表でした。そのためアイヒマンは学校で少数派として育ち、パッとしない学校生活を送ったといいます。
アイヒマンは工業専門学校を父の命令で中退し、働き始めます。若くして鉱山の採掘のマネジメントを任されたものの、鉱物が出ずに倒産したり、父の紹介で電気起動工業会社に入ったりと、仕事でもうまくいきませんでした。
楊さんによれば、裁判記録の中でアイヒマンは、このころ「なんで自分ばかりこんなに苦労しないといけないのか」と思っていたと語っているようです。
一方でアイヒマンは、中学校のころからドイツとオーストリアの統合を目指す青年戦闘同盟に入り、のちに吸収先のドイツ・オーストリア統合戦闘同盟の青年部門で真剣に活動していました。オーストリアに住むドイツ人として、ドイツと統一されるべきだという思想で、これはナチスと同じものでした。
石油会社に勤めていたアイヒマンは、ナチスが政権を掌握する直前の年にナチ党に入り、親衛隊員になります。オスカー・シンドラーより早い入党でした。当時のオーストリアではナチ系のライバル勢力が強く、入党したことで石油会社をクビになりました。
クビになるんだけど、なんかホッとしたらしい。
石油会社だからガソリン売ってたらしいんだけど、ガソリン人より多く売ったから何なんだよって思ってたと。
その後、アイヒマンはナチ党の中で働くようになり、SS長官直属の諜報機関として新設された公安部(SD)に志願します。
「ユダヤ人問題の専門家」としての出世とホロコースト
SDに配属されたアイヒマンは、ユダヤ人問題に関する資料や情報の収集を担当し、ナチ党内で「ユダヤ人問題の専門家」として扱われるようになります。
深井さんと楊さんは、アイヒマンが特別にユダヤ人を憎んでいたわけではなく、たまたまの配属がきっかけだったと強調します。専門家として認知され、昇進を重ねた結果、ホロコーストの実務を任されたという流れです。
だからホロコーストの実務を担当したいって思ってたわけでもないそうなんですよ。したくないとも思ってないですよ。
それまでパッとしなかったアイヒマンにとって、ユダヤ人問題は頑張るほど昇進できるテーマでした。アイヒマンは出世のため、ユダヤ人問題の「解決」に全振りしていきます。
仕事での挫折
父の言う仕事を続けるも、鉱山経営の失敗などパッとしない
ナチ党入党
入党で石油会社をクビになり、ナチ党内の仕事へ
SDへ配属
ユダヤ人問題の資料・情報収集を担当する
専門家として昇進
ユダヤ人問題の専門家と見なされ、出世を重ねる
実務を任される
ホロコーストの移送実務を取り仕切る立場に
樋口さんが「ここで言うユダヤ人問題とは排除のことか」と確認すると、楊さんは、ナチス・ドイツがユダヤ人を存在するだけで問題だと勝手に考え、国外追放などで遠ざけようとした、その方法がユダヤ人問題であり、最終解決がガス室だったと答えます。
アイヒマンはヴァンゼー会議 ── 1942年にベルリン郊外のヴァンゼーでナチス高官が集まり、ユダヤ人問題の「最終解決」の実施について協議した会議。アイヒマンは議事録の作成などを担いましたにも下っ端として出席しており、その後アイヒマンの指揮下で収容所へ送られたユダヤ人は数百万人に上るといわれます。
楊さんは数字も紹介します。1939年に世界に1600万人ほどいたユダヤ人は、終戦の年には1050万人に減ったとされ、単純な引き算では550万人です。自然増なども考えると、犠牲者の総数は600万人ほどと言われているそうです。
終戦後、アイヒマンは米軍に逮捕されますが、1946年に脱走してアルゼンチンへ逃げました。リカルド・クレメンテという偽名でブエノスアイレス郊外に家族と潜伏していたところを、モサドに拘束されたといいます。
楊さんは、ヨーロッパの人々にもホロコーストを防げなかった後ろめたさがあったと本に書かれていたと紹介し、アイヒマンは個人としてだけでなく、ナチスの象徴として裁かれる立場にあったと話します。
凶悪でも残忍でもない「普通の人間」と、法への忠実さ
アーレントが法廷で見たアイヒマンは、善良ではないにしても、凶悪で残忍な人間でもありませんでした。どこにでもいそうな普通の人間で、父や組織に言われたことをきちんとやる凡人だったといいます。
アーレントによれば、アイヒマンは自分の昇進にだけは恐ろしく熱心で、その意志のなさに驚いたと書いているそうです。
ユダヤ人を強く憎む、凶悪で残忍な狂信者。あるいは命が惜しくてうろたえる情けない男
言われたことをきちんとこなす凡人。昇進にだけは熱心で、意志のなさが際立つ
こういう性格の人別にいるよね。普通に自分もそうだし。
裁判でアイヒマンは、上役の命令に従っただけでなく、自分なりの正義感で「法」に従ったと主張しました。楊さんは、この法は法律というより、自分を律する感覚に近いと説明します。
さらにアイヒマンは、自分は全生涯をカント ── 18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カント。人は自ら立てた普遍的な道徳法則に従うべきだとする義務論的な倫理学で知られますの道徳の格律、特にカントによる義務の定義にのっとって生きてきたと、力を込めて宣言したといいます。
哲学者のアーレントは「それはカントの道徳哲学ではない」と思ったそうです。ただ楊さんは、理解の正しさよりも、アイヒマンが自分なりの道徳に従ってやったと主張したことが重要だと話します。コテンラジオのヒトラーのシリーズで、ヒトラーが実は正義感でやっていたと知ったときと似た驚きだといいます。
アイヒマンは、民主的に選ばれたヒトラーがニュルンベルク人種法 ── 1935年に制定された、ユダヤ人の公民権を奪い、ドイツ人との婚姻などを禁じたナチス・ドイツの法律群や悪意法などを定めた以上、官僚として従ったのだと語りました。定められていない領域でも、ヒトラーならこう考えるだろうと自分にインストールして動いたと主張したそうです。
(アイヒマンは)自分の道徳としては、やっぱ法律、そうやって世の中で守るべきって言われたことに従うっていうことが一番大事だったから、それを克服したんだと、良心を。
楊さんが特に注目するのは、アイヒマンが嫌々ではなく、誇りを持ってわずかな良心を克服し、最も効率のいい殺し方を粛々と実行したと語った点です。
(嫌々やっていれば)自分は悪をやってるっていう感覚ももしかして持てたかもしれないもんね。
よくある言い訳か、真実を語る官僚か
深井さんは、アイヒマンの論理には別の見方もあると紹介します。「自分は直接殺していない」「上司の命令に従っただけ」という主張は、加害者が無実を訴えるときによく使われるロジックだという見方です。
深井さんによれば、「押し付けられただけ」「仕方なくやっただけ」「法にのっとっただけ」といった言い方は、犯罪者によくあるものだと書かれた本もあるそうです。
一方で楊さんは、アイヒマンの法廷での態度も紹介します。アイヒマンは泣き叫ぶことも怒鳴ることもなく冷静に臨み、自分の罪状が記された1600点に及ぶ文書をすべて読み、警察の尋問にも協力的だったといいます。
死刑を前提とした裁判だとアイヒマン本人もわかっていたはずだ、とアーレントは述べています。それでもアイヒマンは、ナチスについての嘘と真実が裁判で明らかになるのは嬉しいと語り、自分の考えと立場を懇切丁寧に説明しました。
いやーそう言われたらそうって思っちゃう人もいるやろうなと思いますね。
プリーモ・レーヴィが残した「我々と同じ顔」
深井さんは、アーレントと似た見解を持っていたユダヤ人の生還者として、プリーモ・レーヴィ ── イタリアのユダヤ系作家。アウシュビッツから生還し、その体験を記した『これが人間か』などで知られますを紹介します。レーヴィはアウシュビッツに収容され、奇跡的に生還して、戦後はイタリアの現代文化を代表する作家の一人になりましたが、後に自殺しています。
深井さんが示唆深いとするのは、虐待をした者たちは常軌を逸した異常な人間ではなく、我々と同じ普通の人間だった、と虐待された本人が書いていることです。
深井さんによれば、レーヴィは、ナチスの人々は頭脳も意地悪さも普通だったと書いています。狂信者は一部で、多くは無関心か、罰を恐れているか、出世したいか、あまりに従順で、悪い教育を受けていただけだったというのです。
深井さんは、レーヴィが言いたかったのは、同じ条件が揃えば我々も同じ罪に加担しうるということだと説明します。人を善人と悪人に二分する見方では、この考え方は生まれないといいます。
深井さんは、これはあくまで見解の一つだと断ったうえで紹介しています。樋口さんは「めちゃくちゃわかる」と応じました。
自分がアイヒマンの立場なら、どこで何を拒めたのか
楊さんはアイヒマンを擁護する気はまったくないとしたうえで、当時のドイツは社会全体が反ユダヤ主義で、ユダヤ人を迫害しなければ自分が迫害されかねない環境だったと指摘します。
そのうえで楊さんは、ホロコーストの実務を命じられた瞬間、アイヒマンはどうすればよかったのかという問いを投げかけます。
じゃあそれ(実務)を拒否して、いや、ユダヤ人なんて迫害される対象ではないってことを宣言し、捕まればよかったのか。
最初からナチスに入ることがもうすでに死刑が確定しているのか。難しいよね、それは。
深井さんは、自分がアイヒマンの立場だったら倫理性の高い決断ができるか想像すると、個人としてはあまり自信がないと話します。
楊さんは、その決断は周りから支持されないことを忘れてはならないと言います。結論が出たあとの1960年の社会でアイヒマンを裁くのは簡単ですが、もしナチスが負けていなければ、アイヒマンは天寿を全うした可能性もあるといいます。
古代の中国の将軍でさ、めちゃくちゃ人殺した人をさ、大虐殺者だとして認識してるかっていうと、古代の中国の将軍として認識してるわけですよ。
樋口さんは、自分も社会が決めた正解を基本的に正解だと思って生きていると話します。友達を裏切らない、人を殴らないといった正解と同じ場所に「ユダヤ人を迫害すべき」が置かれたら、抗うのはとても難しいと考えていたそうです。
楊さんは、アイヒマンはホロコーストの実務を自ら選んだわけではなく、選ばれなければ死刑にならなかった可能性もあると述べます。アイヒマンに何が足りず、シンドラーに何の善性があったのかは単純ではない、と話しました。
楊さんによれば、こうした問いはシリーズの最後にみんなで考える予定で、次回もアイヒマンに関連した別の話をするそうです。樋口さんが「すげえモヤモヤした回」と言うと、楊さんは最後までモヤモヤして終わればいいと応じます。
まとめ
アイヒマンは、ユダヤ人を憎む怪物ではなく、昇進に熱心で言われたことをこなす凡庸な官僚として法廷に現れました。アーレントやレーヴィの見解は、条件次第で普通の人が巨大な悪を担いうることを示し、この回は「自分ならどこで何を拒めたか」という答えの出ない問いを残して終わります。
- アイヒマン裁判は、国際世論の形成や国民統合というイスラエルの政治的意図を帯びた世論裁判でもありました
- アイヒマンは、たまたまの配属からユダヤ人問題の専門家となり、出世のためにホロコーストの実務を担いました
- アイヒマンは法と義務に従ったと主張し、アーレントはその凡庸さと意志のなさに驚きました
- プリーモ・レーヴィは、加害者は怪物ではなく我々と同じ普通の人間だったと書き残しています
- 社会が正解を規定した中で抗う難しさは、今を生きる自分たちの問いでもあると語られました


