普通の人が電気ショックを押し続ける?ミルグラム実験のおさらい
シンドラー編の前回までは、ホロコーストの実務を担ったアドルフ・アイヒマンの話が続き、出演者たちもモヤモヤを抱えたまま終わっていました。今回の深井さんは、以前ヒトラー編で紹介したミルグラム実験を取り上げ直します。
深井さんがミルグラム実験を取り上げ直す理由は、放送後に出た本によって、この実験に疑義が生じているからです。過去に紹介した内容に新しい情報が加わったため、改めて整理しようという趣旨です。
ミルグラム実験は、アイヒマン裁判の翌年の1962年に、アメリカのイェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラムが行ったものです。ナチス戦犯の心理に関心を持って企画され、アイヒマン実験とも呼ばれます。
ミルグラムは当時28歳ぐらいの助教授でした。新聞に全面広告を出し、1時間4ドルの謝礼で理髪師やバーテンダー、ビジネスマンなど一般人500人を募集し、実際に何百人もの人がイェール大学の研究室を訪れたといいます。
実験では、訪れた被験者が先生役になり、生徒役が問題を間違えるたびに電気ショックを与えるよう指示されます。白衣の男性が権威者として同席し、生徒役が苦しんでも「与えてください」と促し続けます。
電圧は15ボルトから始まり、350ボルトぐらいまで上がると、生徒役は壁を激しく叩き、その後は何も聞こえなくなります。生徒役の反応は音声だけで伝えられる仕組みでした。
で、この嘘なんですよ。本当はそんな電気ボルト流してないんだよ。
ミルグラム実験で本当に試されていたのは、権威者に促された被験者がいつまでスイッチを押し続けるかでした。事前にミルグラムが仲間の心理学者40人ぐらいに予想を聞くと、最大まで上げるのはせいぜい1〜2パーセントで、それは精神異常者だけだろうという見立てでした。
ところが実験結果では、65パーセントの人が電圧を上げ続けました。本によっては62.5パーセントとする記述もあり、生徒役がもはや声を発していない状態でも電気ショックを与え続けた人もいたとされます。
ミルグラム実験は、普通の人でも一定の条件の下では権威者の命令に服従し、自分の倫理観では止められないまま残虐なことをしてしまう、と示すものとして受け取られました。被験者がアメリカ人だったため、ドイツ人が特殊だったからホロコーストが起きたという見方への反証にもなったといいます。
正義になる理屈を権威から与えられると、人はどんなことでもやってしまうみたいなことを言いたかった実験です。
深井さんは、ホロコーストがなぜ起きたのかを多くの人が知りたがり、怖がっていたからこそ、ミルグラム実験がセンセーショナルに受け入れられたと見ています。ミルグラム自身も意図して結果を喧伝し、さまざまなメディアに載りました。
さらに、当時の社会心理学の背景も補足されます。1950年代から1970年代は社会心理学の黄金時代で、仮説を検証するというより、企画者の理論を示すためのデモンストレーションとしての実験が多く、ミルグラム実験もその流れの中にあったといいます。
アーレントが説いた「複数性」とは
ミルグラム実験が正しいという前提に立つと、ハンナ・アーレント ── ドイツ出身のユダヤ系政治哲学者。アイヒマン裁判を傍聴して『エルサレムのアイヒマン』を著し、「悪の凡庸さ」という言葉で知られますも、条件が揃えば誰でもアイヒマンになり得ると示唆していることになります。では、そこで何が大事なのかについて、アーレントは「複数性」という言葉で説明しています。
深井さんはアーレントの複数性を、かなり単純化したうえで、自分たちの言葉でいうメタ認知 ── 自分の考えや判断そのものを、一段上の視点から客観的に捉えること。思い込みに気づくための力とされますに近いと説明します。いろいろな立場から物事を見る力や胆力があれば、1つのことを信じ込んで実行してしまう事態を避けられる、という考え方です。
一つのストーリーをナラティブでみんなで信じて、それをやりましょうみたいなやつだからさ、人間から考えるっていう営みを奪うものが全体主義である
アーレントが複数性を持ち出したのは、全体主義 ── 個人の自由や多様性を認めず、国家や単一の思想のもとに社会全体を統制しようとする体制。ナチス・ドイツがその代表例とされますがまさに複数性の正反対だからだと深井さんは説明します。権威に従って考えずに残酷なことをしてしまう人間を、複数性やメタ認知で止めるという構図です。
ヒューマンカインドが突きつけた疑義
ミルグラム実験への疑義を大きく取り上げたのが、2021年ぐらいに出た『ヒューマンカインド』という本です。人間には善性があることを示そうとする本で、ジャーナリストが書いており、それ以前の論文などの指摘も受けて書かれているといいます。
『ヒューマンカインド』によれば、ミルグラム実験は結論ありきで、かなり無理やり結果に持っていったのではないかという疑問があります。台本どおりに動かない被験者には強いプレッシャーがかけ続けられ、口論になって帰る人もいたとされます。
もう1つの重要な指摘は、被験者が本当に電気ショックを与えていると信じていたのか、という点です。ミルグラム自身が取ったアンケートでは、半分以上が本当だと思っていなかったのに、それを公表していなかったといいます。
そんな拷問みたいなことを、こんな名門校の科学者が見守る中で、罪もない人を拷問して殺すなんてことやるわけないから。
これ嘘なんだろうけど、押してって言われてるから押そうつって押してるってことだよね。
被験者の多くが嘘だと思って押していたなら、ミルグラム実験は何も証明できていない、というのが『ヒューマンカインド』の指摘です。楊さんも、被験者が謝礼を受け取っていたことも影響していそうだと付け加えます。
普通の人でも権威に促されれば、考えずに残虐なことをしてしまう
被験者は実験者を信用して役に立ちたかった。半分ほどは嘘だと思って押し、信じた人の中には帰った人も多かった
『ヒューマンカインド』の結論は、人は何も考えずに悪事をするのではなく、それが正義だと信じ込ませるか強く強要されない限りやらない、というものです。人間は悪事を簡単にできる存在ではない、という見方になります。
新説をそのまま信じるのも複数性の欠如
深井さん自身は、『ヒューマンカインド』の指摘もそのまま信じるのは違うと考えています。著者は心理学者ではなく、学術の領域で本当に否定されたのかは、その本を読んだ限りではわからなかったからです。
要はミルグラム実験がどうだろうが、ヒューマンカインドで言うことがどうだろうが、それをそのまんま受け取るっていうことが、まさに複数性の欠如だと思うんですよね。
社会学出身の深井さんは、自然科学と違って答えがはっきり出ない社会科学を、最初から絶対だと思って受け取らないといいます。そのうえで、『ヒューマンカインド』の指摘を裏返すと、言われたら押した人がいたこと自体は変わらない、とも考えました。
深井さんは、実験者の役に立ちたかった人、正しいことだと思った人、実態を知らなかった人がいたという状況は、ナチスに協力した人たちの挙動と同じではないかと見ています。そのため「人は善だと思えばやる」と言われても、「だから何?」と感じたそうです。
それが分かってもまだ何も止めれないよねとは思ってて。
深井さんにとって歴史を学ぶ意味は、どうすれば止められたのかを考えることにあります。将来もう一度ナチスのようなことが起きたら、後の時代の人から「勉強していたのに防げなかったのか」と思われるだろう、という感覚です。
その意味で、『ヒューマンカインド』の指摘は「どう防ぐか」にはあまりつながっていないと深井さんはモヤモヤしたそうです。それでも、こういう意見があるという紹介として取り上げています。
法的人格から個性まで。アーレントが描いた段階的な人格の破壊
続いて深井さんは、ハンナ・アーレントがホロコーストをどう分析したかを紹介します。迫害は以前からあったものの、あれほどの規模で大量の人間が1つの目的に向かって効率的に動き、大量の人を殺す事態は、それまでなかなか起きなかったといいます。
アーレントはホロコーストを、人間の理解を超えるかもしれない事態と表現しつつ、一言でいえば人格の破壊だったと分析しています。その破壊は段階的に進んだとされます。
法的人格の剥奪
特定のカテゴリーの人間が法的保護から排除され、法手続きの外に置かれる
道徳的人格の破壊
追悼や追憶が禁じられ、犠牲者が匿名化されて、死が一生の終わりという意味さえ奪われる
個性の抹消
家畜用の貨車での移送、坊主頭、同じ囚人服などで個別性が消される
道徳的人格の破壊について、深井さんは助ける側の状況にも触れます。ユダヤ人を助ければ自分や家族を危険にさらすため、どちらをリスクにさらすかという選択を迫られ、良心が適切に機能しない条件が作られていきました。
個性が完全に破壊されると、サディズムがはびこり、拷問をするような人物も現れたと深井さんは話します。例としてアーモン・ゲートの名前が挙がりました。
こういう個性を破壊するっていうこと、そして自発性を破壊するっていうことが、やっぱすごいポイントとしてでかいってことだよね。
アーレントのいう自発性とは、環境や出来事への反応からは説明できない新しいことを始める力です。その力が奪われた結果、ガス室に送られるときに抵抗するユダヤ人もほとんど出なかったといいます。剥奪される側もそう振る舞ってしまうことに、出演者は人間の不思議さを感じていました。
アーレントも自分たちの意見ではない。モヤモヤに耐えるということ
深井さんは、ここまで紹介したアーレントの説明も、ミルグラム実験への疑義も、自分たちの意見ではないと改めて強調します。自分たちの意見はまだ言っておらず、いくつかの選択肢として紹介している状態だといいます。
アーレントの本は、アイヒマン研究では基礎文献にあたるため引用したものであり、100パーセント正しいと信奉しているわけではない、という補足もされます。
正しいものを獲得しようという感覚じゃなくて、自分の思考を深めるためのヒントとしてハンナアレントも読んでみようみたいな感じなんですね。
出演者の一人が「どう思えばいいかわからない」と漏らすと、深井さんは、そこで番組が示す答えに「そうだな」と乗ってしまうのも危ういと答えます。権威の言うことをそのまま受け取るのと同じ構造だからです。
なんでどう思えばいいかわかんないまま次行くみたいなのに今結構初めてやってるんですけど、なんかちょっと楽しいですね。
ここで、アウシュビッツの生還者プリーモ・レーヴィ ── イタリアのユダヤ系化学者・作家。アウシュビッツを生き延び、『これが人間か』などで強制収容所の体験と人間の灰色の領域を描きましたの言葉も紹介されます。レーヴィは、明確な区分に安心を求めてはいけない、人間のありのままの混乱を受け入れて灰色の領域でもがくべきだと語っていたといいます。
整理整頓できないカオスに耐えることが思考を豊かにする、という考えに対し、出演者からは「とりあえず答えを出したくなる」「その状態に耐えるのは難しい」という率直な声も上がります。
ビジネスでは悩むな、人生では悩んでいい
答えを出したくなる理由について、深井さんは、判断しないとアクションができないからだと話します。深井さん自身、仕事では悩む時間は無駄だから、悩むくらいなら何かやってほしいと伝えているそうです。
だってインディージョーンズのさ、後ろからさ、岩がゴロゴロ転がってきて逃げるシーンとかあるじゃん。あん時にさ、お前立ち止まってどうしようかなとか思うの?って。
だけどさ、人生単位ではさ、死ぬまで悩んで答え出ずに死んでいいことってあるじゃん。
決断して現実に対処する必要があるため、勤務時間中は悩まずに動く
死ぬまで悩み、答えが出ないままでいい問いもある
深井さんは、仕事での発言を聞いた人から「そういう思想の人なんだ」と思われがちなことに触れ、それはサッカーのオフサイドのようなゲームルールにすぎないと説明します。ビジネスのルールと人生の問いを分けて考えることを学ぶ時代に、今の人類はいるのではないかと話します。
出演者からは、人は多面的で矛盾するのが当たり前なのに、他人にも自分にも一貫性を求めてしまうという指摘が出ます。生きることは決断を迫られ続ける感覚があるため、答えを出さないストレスに耐えるには体力や根性がいる、という声も上がりました。
次回は杉原千畝の救済観の話に移ると予告され、今回はモヤモヤしたまま締めくくられます。
まとめ
今回のコテンラジオは、ミルグラム実験とそれへの疑義、アーレントの人格破壊論を並べながら、どれも真理として受け取らず、思考のヒントとして扱う姿勢を示した回でした。
- ミルグラム実験は、普通の人でも権威に従えば残虐なことをしてしまうことを示すものとして広まった
- 『ヒューマンカインド』は、被験者の半分以上が電気ショックを本物と思っていなかった点などから、実験の妥当性に疑義を示している
- 深井さんは、新説をそのまま信じることも複数性の欠如だと考え、どうすれば防げるかを考えることこそ歴史を学ぶ意味だと話す
- アーレントは、法的人格、道徳的人格、個性と、人格が段階的に破壊されたことがホロコーストを可能にしたと分析した
- 仕事では悩まず動く一方で、人生には答えが出ないまま悩んでいい問いもある




