リチャード到着前のアッコンはどんな状況だった?
第3回十字軍とサラディン軍の戦いは、アッコンという街の攻防から始まります。サラディンはすでにアッコンを取っていましたが、エルサレム王国はサラディンに滅ぼされていました。元エルサレム王のギーがそのアッコンを包囲し、さらにその背後にアッコンを救援するサラディン軍が来ているという二重の包囲の構図でした。
楊さんによると、アッコンはこの時点で2年近くも十字軍の包囲を受けていました。守備隊はサラディンの兵士3000名ほどで、どちらの側も決め手に欠け、戦況は膠着していたといいます。
(アッコンは)この時点で既に2年近くも十字軍の包囲を受けてるんだって。大変だよね。
そこへイングランド・フランス・ドイツの連合軍が十字軍として向かってきます。サラディンにとっては非常に危険な状況でしたが、ここで幸運が起きます。
神聖ローマ皇帝で「赤髭王」と呼ばれたバルバロッサ ── 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の異名で、イタリア語で「赤い髭」を意味します。第3回十字軍に大軍を率いて参加しましたは、15万ほどの兵を集めたとも言われていました。ところが小アジアを移動する途中、川を渡っている最中に心臓発作で動けなくなり、溺死したと考えられています。
うわ、そんなことある?
65歳という当時としては高齢の皇帝を失ったドイツ軍は、撤退こそしないものの統率を失い、勢いをなくしてしまったと楊さんは説明します。
一方でフランス王フィリップ2世は、シチリアでリチャードと折り合わずに先に出発していたため、リチャードより2か月早くアッコンに着きます。包囲していたギーたちには、神の使いのように見えたそうです。
リチャード・ライオンハート上陸、そして髪も歯も抜ける奇病
フィリップ2世の到着から2か月後、ついにリチャードが25隻のガレー船と数千名の人員を率いてアッコンに到着します。年代記作者は、トランペットや管楽器を鳴らし、ワインと歌で賑やかに過ごし、誰もが希望に満ちていたと記しているそうです。
リチャードは移動中に、サラディンのアイユーブ朝の大型輸送船を沈めるといった戦果も上げていました。楊さんは、イスラム側の記録でも「勇敢で抜け目なく、不動で忍耐強い稀代の傑物」とリチャードが恐れられ、称賛されていたと紹介します。
へー、イスラム側から?
ところが、十字軍が盛り上がるなかで病気が流行します。発疹チフスや、髪・爪・歯が抜け落ちる壊血病のような奇病で、フィリップ2世もこれにかかり、髪が二度と生えてこなかったといいます。
楊さんが驚きとともに紹介したのは、サラディンが病気の十字軍側を気の毒に思い、毎日新鮮な果物を届けたという話です。敵に果物を送る意図について、出演者たちの見方は分かれます。
もしかして何かこう心理作戦かもしれない。(十字軍が)苦しんでるでしょ。うちこういうものを与えますから、もうちゃんと仲良くしましょうみたいな、そういった意図もあったかもしれない。
それかシンプルにムスリムの教義の気持ちでそれをやってるかもしれないし。
アッコン陥落の直後、なぜみんな帰ってしまったのか
果物を送りつつも、戦いは続いていました。十字軍は巨大なカタパルトでアッコンを攻撃し、サラディンは救援を試みます。しかしギーだけでも拮抗していた戦力に、フィリップ2世とリチャードが加わったことで、物量的にサラディン側は勝てなくなります。
アッコンの市民も飢え始め、サラディンは休戦協定を結んで敗北を受け入れます。アッコンは十字軍に引き渡され、聖十字架の返還、数千名の捕虜交換、20万ベザント ── ビザンツ帝国の金貨を指す西欧での呼び名。中世の地中海世界で広く流通した高価値の通貨でしたをリチャードとフィリップ2世に支払うことが決まりました。
このアッコン陥落で、第3回十字軍はいったん終結したような空気になります。楊さんは、十字軍の本来の動機が贖罪にあり、1つ成果を出せばそれが満たされることを理由に挙げます。各国の王にとって、エルサレム奪還そのものには大きなメリットがなかったからです。
さらに戦利品の分配で揉め、オーストリアのレオポルト5世がリチャードに恨みを抱きます。フィリップ2世ももともとリチャードを嫌っていたうえに病気で消耗しており、帰国を選びました。
一番強えのにみんな人望がないっていう。人望がない。
楊さんは、リチャードの高圧的な態度、軽々しい利益供与、ころころ変わる戦略、勝手に物事を進める性質が周囲を苛立たせたと語ります。結果としてリチャード軍しか残らず、楊さんはこれもサラディンの幸運だと見ています。
捕虜2600名の処刑から、アルスーフの会戦へ
残ったリチャードをさらに苛立たせたのは、サラディンが約束した聖十字架の返還と捕虜交換をなかなか実行しなかったことでした。しびれを切らしたリチャードは、捕らえていたイスラム軍の戦闘捕虜2600名ほどを全員処刑します。
リチャードが全員首切って処刑して、ふざけんなよっていうことでエルサレムを目指して南下していきます。
リチャード軍は3週間で120キロほどを南下します。楊さんは、スパルタ軍が1日で70キロ進んだ話と比べて決して速くはないとしつつ、慣れない土地でサラディン軍の小競り合いを押しのけながら進んだと説明します。
そしてアッコンとエルサレムのちょうど中間にあるアルスーフで、両軍は大規模な会戦に臨みます。リチャードは重騎兵による攻撃を指揮し、戦いは十字軍の圧勝に終わりました。
リチャードに比べるとやっぱあんま強くないんだろうね。リチャードがやっぱ強いんだろうね、本当に。
野戦だったため領地を得たわけではありませんが、サラディン側には「勝てないのか」という衝撃が走ったと楊さんは語ります。その3日後には十字軍がヤッファを解放し、両軍は再び休戦交渉に入ります。
休戦交渉で飛び出した「妹と結婚したら?」
休戦交渉の相手は、サラディンの弟でサファディンとも呼ばれたアル・アーディルでした。リチャードはアル・アーディルを気に入ったらしく、まさかの提案をします。自分の妹ジョーンと結婚したらどうか、というものです。
楊さんによると、キリスト教徒がムスリムに嫁ぐことはイデオロギー的にありえない話で、ジョーン本人も強く嫌がったようです。サラディン側も苦笑いで、この提案を一蹴に付したといいます。
リチャードがその妹をちょっと嫁がせるから仲良くなろうやみたいなこと多分言ったんだよ。
楊さんはリチャードを、周りが呆れるような行動をいきなりする、何かの能力に突出したタイプの人だと見ています。フィリップ2世との関係も、同じような行動の積み重ねで壊れたのかもしれないと推測します。
でも本人は多分すごい純粋な気持ちで多分やってんだと思うんだよね、リチャードは。これやればいいかなみたいな。ピカーみたいな。
交渉は決裂します。楊さんは、残った相手がリチャードしかいなかったことで、うまく落着させたいサラディンも話が通じずに困ったのだろうと語っています。
エルサレムに届かなかったリチャード、守り切ったサラディン
交渉が決裂すると、リチャードはエルサレムを落とそうと進軍し、2度戦います。しかしリチャード側も限界に近づいていました。遠征は長期化し、本国ではリチャードの弟とフィリップ2世が組んで、リチャードを排斥しようとする動きが噂されていたのです。
物量も足りず、エルサレム攻略には時間がかかりすぎる状況でした。リチャードは再び休戦協定に応じ、ヤッファとアッコンの間の沿岸都市の一部は十字軍側に戻されましたが、エルサレムは取れませんでした。
楊さんの整理では、戦闘ではリチャードが優勢でした。それでもサラディンは、エルサレムを取って取り返されなかったことで英雄になります。リチャード側は交渉の下手さ、伸びすぎた戦線、人望のなさによる協調の失敗が響きました。
戦闘では優勢でアルスーフでも圧勝。しかし交渉が下手で人望がなく、戦線も伸びすぎた
戦闘では押されたが、持久戦で負けず、エルサレムを取り返されずに守り切った
地味な勝ち方だよね、ここ。なんかこう派手に打ち負かしてワーって感じよりは、持久戦で負けなかった。
ギリギリだったのはサラディン側も同じ
和平が成立すると、リチャード側だけでなくサラディン側の兵士も喜びに包まれたといいます。サラディン側も戦いを長引かせたくない事情を抱えていました。
戦争のためにエジプトとシリアには重い税が課され、民も軍も疲弊していました。配下のアミール ── アラビア語で「司令官」「長」を意味する称号。イスラム世界では軍の指揮官や地方の有力者を指して使われました、つまりイスラムの有力者や軍人たちも熱意を失い、離反の気配さえ見せていたとされます。
このため、サラディンが達成した最大の功績は、苦しい状況のなかでムスリム側を総崩れにさせず、なんとかエルサレムを守ったことだと語られます。
だから本当になんかチキンレースみたいな。リチャード側もさ、その、なんか別に余裕があって戦ってるわけじゃないです。
さらにサラディンは、この手打ちの締結のすぐ後に病気で亡くなります。サラディンに仕えた学者は、もしサラディンの死が戦争の最中であればイスラム世界は危険な状態に陥っていたはずだ、という言葉を残しているそうです。
もし戦争中にサラディンが亡くなってアイユーブ朝が内部崩壊していたら、サラディンはこれほどの英雄にはならなかったかもしれない、と出演者たちは振り返ります。
サラディンはどんな英雄だったのか
最後に楊さんは、サラディンを「なんとも言えない感じ」の英雄だと表現します。リチャードやアレクサンドロスのような強く派手なタイプに比べ、サラディンはするっとしていて、狙ってやったのかわからないことを続けた人物だというのです。
狙ってやったのかな、よくわかんないなみたいなことをずっとやり続けてる感じ。
サラディンはイスラム世界全体を統一したわけではなく、エジプトとシリアはイスラム帝国の一部にすぎません。それでも楊さんは、エルサレムを取って取り返されなかったという一点にサラディンの偉大さを見ています。
楊さんはベンチャー企業の例を挙げ、外的な危機に陥ると組織は内部から崩壊しがちだと話します。そのなかで団結を保てたことを、サラディンの人徳によるものだと考えています。
アイユーブ朝はサラディンの死後に衰え、短命に終わります。それでも流星のような一瞬の輝きが、エルサレムを長くイスラム圏にとどめる結果につながったと楊さんは語ります。深井さんはそんなサラディンの魅力を、出汁のような旨味、渋さにたとえました。
いやーなんかこう、出汁みたいな味がしますね。
次回はサラディンの死後と、帰国したリチャード獅子心王のその後が語られる予定です。
まとめ
第3回十字軍では、戦闘でリチャードが優勢だったにもかかわらず、サラディンは持久戦で崩れず、エルサレムを守り切りました。その背景には、バルバロッサの溺死やリチャードの人望のなさといった幸運と、疲弊した味方をまとめ続けた人徳があったと語られています。
- アッコンは物量差で十字軍に奪われ、サラディンはいったん敗北した
- アッコン陥落後、贖罪の達成感とリチャードへの反感から諸侯が帰国し、リチャード軍だけが残った
- アルスーフの会戦で圧勝したリチャードも、交渉の失敗や本国の不穏な動きでエルサレムには届かなかった
- 両軍とも限界のチキンレースで、サラディンは離反の気配のなか組織を崩さず勝ち残った
- 派手さのない人徳型の英雄として、サラディンは「英雄の中では珍しい英雄」と評された





