カンナエ大勝の後、ハンニバルはなぜローマへ進軍しなかった?
カンナエの戦いで大勝し、ローマは壊滅寸前にも見える状況でした。ところがハンニバルはローマ市へ進軍しませんでした。深井さんによると、この判断は歴史上の謎の一つとされ、理由にはいくつかの説があるといいます。
カルタゴ軍の指揮官たちは進軍を強く主張し、特に騎兵隊長マハルバルは激しく迫ったと伝わります。それでもハンニバルは首を縦に振らず、マハルバルは「あなたは勝つ術は知っているが、勝利の果実を刈り取ることはできない」と言い残したとされます。
説の一つは、ハンニバルがローマ市を落とせないと考えていたというものです。都市を本気で陥落させようとすれば相手も死に物狂いになり、時間がかかるうちに不利になる、という見立てです。
楊さんは、ハンニバルの大戦略はそもそもローマの同盟システムを弱らせることだったと補足します。ローマに近づくほど周辺の結束は固くなるので、いきなり乗り込めば自滅しかねない、と考えたのかもしれないという見方です。
深井さんも、ハンニバルを慎重で戦略的な人物と見ています。実際にカンパニア地方の中心都市カプアがローマから離反しており、ハンニバルは同盟の崩壊が近いと感じたはずだ、というのが深井さんの考察です。
(ローマに手を出して)相手の何て言うか、その底力みたいなのを引き出しちゃってもしょうがないよねと。
なんかノリで言うといっちゃえいっちゃえって思いがちだけど、そもそもの目的は(同盟都市を)離反させることやから。
さらに深井さんは、戦い方の違いも挙げます。ハンニバルはこれまで地の利のある場所を自分で選び、騎兵を懐刀にして勝ってきました。しかし都市攻めは歩兵と攻城兵器が中心で、騎兵はほとんど生かせません。
戦略目標
狙いはローマ市の陥落ではなく、ローマ連合の瓦解
手応え
カプアの離反で、同盟の崩壊が近いと感じた
リスク
都市攻めは長期化し、ローマの底力を引き出しかねない
戦い方
主力の騎兵は攻城戦では生かしにくい
天才が「システム」に負けた瞬間
進軍しない判断そのものは妥当だった、と深井さんは言います。ただ恐ろしいことに、ハンニバルが期待したローマ連合の瓦解は起こりませんでした。この戦略が成り立たなければ、それまでの勝利がすべて意味を失いかねない誤算でした。
深井さんは、カルタゴがイタリア半島の人々に好かれていれば結果は違ったかもしれないと話します。一方のローマも、ひどく嫌われていたわけではありませんでした。
楊さんによると、ローマは同盟都市に自治権を与え、道路も通していました。そのため「誰の味方になるか」という究極の二択で、同盟都市はカルタゴを選ばなかったのです。
今で乱暴に例えるとさ、(ローマを裏切るのは)日米安保を破棄して中国と軍事同盟結ぶみたいな、それぐらいの結構ね。
一度ローマを裏切れば、以後はローマを敵に回し続けることになります。同盟都市の多くは、そのリスクを取らなかったと番組では整理されています。
負けた将軍を称えるローマの打たれ強さ
ローマ連合が崩れなかったもう一つの理由として、深井さんはローマ人の気質を挙げます。普通の人間は形勢が悪くなるとすぐ諦めるのに、ローマ人は恐慌状態から逆にスイッチが入ったというのです。
象徴的なのが、カンナエで敗れて逃げ帰った将軍ウァロワロへの対応です。ローマは「よく戦った、よく生きて帰った」と彼に感謝しました。カンナエの敗北はウァロの判断ミスによるものだったにもかかわらずです。
これを褒め称えながら普通によっしゃ、次はどうしたらいいかって考える。これがやっぱり僕ね、本当はこれが一番強いと思う。
深井さんは、ローマ人にとって大事なのは結果よりも「勇敢に戦ったか」というスタンスだったと見ています。ビジョンに従って行動したかを問い、失敗を必ずしも責めないので、意気消沈して負けなくていい戦に負けることがありません。会社にも通じる話だと深井さんは言います。
一方でカルタゴは、敗れた将軍を磔にする国でした。深井さんは、立場が逆ならカルタゴはとっくに降伏していたはずだと話します。
逃げ帰った将軍に感謝し、次の手を考える。くじけない態度を見て同盟も崩れない
敗れた将軍は磔。同じ立場ならすぐ降伏していたと番組では推測されている
「グズ」から見直されたファビウスと、勇将マルケルス
打たれ強いローマが次に頼ったのは、かつて「グズ作戦」と揶揄された持久戦のファビウスでした。よく考えるとハンニバルをちゃんと困らせたのはファビウスだけだった、とローマ人が気づいたのです。
ファビウスはこの後、2年続けてコンスル ── 共和政ローマの最高官職で、定員2名・任期1年。平時の政治と戦時の軍の指揮を担いましたに選ばれます。もう一人のコンスルには、攻めに出るタイプの勇将マルケルスが選ばれ、慎重派と攻勢派のバランスを取った布陣になりました。
ファビウスについては、息子がコンスルになった際、父として偉そうな態度を一切取らなかったという逸話も紹介されます。深井さんは、ファビウスの私心のなさを示すエピソードだと話しています。
シラクサ攻略とアルキメデスの発明
ハンニバルがローマ市を攻めてこない間に、マルケルスはシチリア島のシラクサ攻略に乗り出します。シラクサは開戦直後はローマ側でしたが、カルタゴ優勢と見て寝返っていました。シチリアを押さえてカルタゴ本国を視野に入れ、ハンニバルを揺さぶる狙いがあったと深井さんは説明します。
このシラクサにいたのが、古代屈指の物理学者アルキメデス ── 紀元前3世紀のシラクサの数学者・物理学者。てこの原理や浮力の原理で知られ、円周率の近似などの業績も残しましたです。アルキメデスは力学を応用した兵器でローマ軍を撃退し続けたといいます。
深井さんは真偽はわからないとしつつ、射程や威力を調整できる投石機、城壁に張り付いた敵兵を払い落とす装置などを挙げます。なかでも、巨大な鉄のくちばしで敵の軍船をつかんで城壁に叩きつける兵器があったとされ、ローマ兵は城壁に妙なものが見えただけで逃げたそうです。
超かっこいいアルキメデス。
それでもマルケルスの用兵によってシラクサは陥落します。そのときアルキメデスは砂に図形を描いて数学の問題を解いており、図形を消しそうになったローマ兵に「邪魔するな」と怒って、その場で殺されたと伝わります。
マルケルスはアルキメデスを殺すなと命じ、会うことを望んでいたため、その死をひどく残念がったといいます。
カプアの見せしめと、ローマの「盾」と「剣」
ローマは、寝返った大都市カプアを許しませんでした。深井さんによると、ローマ連合は瓦解さえしなければ75万もの兵を動員できる力を持っており、何度全滅しても底力は残っていました。
カプアを失えば、ハンニバルは補給面で痛手を受け、同盟の瓦解もさらに遠のきます。裏切った都市が罰されれば、他の都市は「裏切らないでおこう」となるからです。そこでハンニバルは、ローマ市を攻めるそぶりを見せてカプア包囲を解かせようとしました。
ファビウスはこれを罠だと見抜き、動揺する民衆を落ち着かせました。ハンニバルは包囲軍を破れないと判断してカプアを見捨て、カプアのカルタゴ派貴族は全員斬首され、全イタリアへの見せしめにされたといいます。
一方、マルケルスは積極的にハンニバルを苦しめました。ハンニバルはファビウスを「教師のような人」と評し、ファビウスは自分の失策に罰を与えるが、マルケルスは常に危害を加えようとする、と語ったとされます。
マルケルスは数年後、ハンニバル軍の手で討たれます。ハンニバルは遺体を火葬し、遺骨を息子のもとへ丁寧に届けたそうです。ローマの民衆は慎重なファビウスを「ローマの盾」、攻勢のマルケルスを「ローマの剣」と呼んで功績を称えました。
慎重な持久戦。ハンニバルの罠を見抜き、失策に罰を与える「教師」と評された
攻勢派の勇将。シラクサを落とし、ハンニバルに常に危害を与えようとした
ハンニバル絶対倒すマン、スキピオの登場
ローマ連合が崩れないまま戦争が長引くと、敵地にいるハンニバルは物資も兵員も補充できず、じわじわ不利になります。そこに現れたのが、深井さんいわく「ハンニバル絶対倒すマン」、スキピオです。
このスキピオは、北イタリアでの戦いで重傷を負った将軍の息子です。第二次ポエニ戦争 ── 紀元前218〜前201年のローマとカルタゴの戦争。ハンニバルがイタリアに攻め込んだことから、ハンニバル戦争とも呼ばれますが始まった頃はまだ10代で、父の負傷した戦いで初陣を飾り、ヌミディア騎兵に敗れた父を救ったといいます。カンナエの戦いにも参加し、命からがら逃げ延びていました。
スキピオの父と叔父は、イベリア半島にいるハンニバルの弟ハスドルバルを牽制していました。ローマにとって最悪なのは、優秀なハスドルバルがイタリアでハンニバルと合流することだったからです。
スキピオ兄弟は現地の住民と仲良くし、クリエンテス ── ローマ貴族(パトロヌス)と、その庇護を受ける従属者との個人的な結びつき。保護と引き換えに支持や奉仕を捧げる関係ですを築いていました。子分の結婚式の費用まで面倒を見る代わりに、親分が困ったら命を懸けて助けてもらう関係です。
しかしカルタゴの大攻勢で父も叔父も戦死します。後任として、コンスル経験もない24歳か25歳のスキピオが異例の抜擢を受けました。ハンニバルがイベリアの軍を任されたのも26歳で、ほぼ同じ年頃です。
深井さんは、この抜擢は評価というより「仇討ちしてこい」というエモい意味合いが強く、父と叔父のクリエンテスを受け継ぐ意味もあったと見ています。
カルタゴ・ノバ陥落、「実家」を襲ったスキピオ
楊さんは、現地民との関係構築は戦争に勝つための必須要素だったと補足します。現地の部族は常に強い側につく傾向があり、部族ごとに同盟や威圧を使い分ける細やかな対応が求められました。ハンニバルもスキピオも、このスキルを持っていたといいます。
スキピオはイベリア到着後、現地住民から情報を集め、主要都市カルタゴ・ノバを急襲します。援軍が間に合わないという分析どおり、わずか2日間で陥落させました。夢に神が現れ守護を約束したと語って兵士を奮い立たせる、スピリチュアルな一面もあったそうです。
ハンニバルの、なんつうかね、こう、実家を襲ったみたいな感じ。
急襲
情報分析で援軍が間に合わない時機を突き、2日間で陥落
カルタゴの損失
要人の捕縛、銀山、金や兵器、現地民との協力関係を失う
スキピオの求心力
兵士の信頼と忠誠がスキピオに集まる
スキピオは人心掌握も続けました。ある部族との戦いに勝った際、部族長から美貌の娘を捕虜として差し出されますが、スキピオは何もせず婚約者のもとへ返します。さらに身代金として両親が用意した金銀を、結婚祝いとして届けました。
深井さんは、これを戦略的なふるまいだと説明します。普通の人がそこまでしないことをやって、厚い忠誠を得ていく、スキピオのクリエンテスの築き方を示すエピソードです。
弟ハスドルバルの死と、陣中に投げ込まれた首
カルタゴ・ノバを失ったハスドルバルは、スペインで消耗するより兄と合流すべきだと判断し、ピレネー山脈とアルプスを越えて北イタリアに入ります。兄のハンニバルが秋から冬前に越えたのに対し、ハスドルバルは春に越えたそうで、比較的やすやすと越えたといいます。
しかしハスドルバルが兄に送った使いがローマ軍に捕まり、行軍ルートは筒抜けでした。待ち伏せを受けたハスドルバルは奮戦しますが、包囲殲滅されて戦死します。
ローマ軍はハスドルバルの首に防腐処理を施し、ハンニバルの陣中へ投げ込みました。ハンニバルはそれを見て、唯一の望みだった弟との合流が絶たれたことを知ります。深井さんは、ここでハンニバルの勝ちがかなり遠のいたと話しています。
ヌミディア王マシニッサの懐柔と、孤立するハンニバル
スキピオはさらに、強力な騎兵で知られるヌミディア ── 北アフリカ、現在のアルジェリア周辺にあった王国。機動力の高い騎兵で知られ、カルタゴ軍でも重要な戦力でしたに手を伸ばします。キーパーソンはマシニッサとシュファックスの2人で、スキピオはマシニッサの懐柔に成功しました。
焦ったカルタゴは、シュファックスに政略結婚を持ちかけます。花嫁は、ハンニバルの弟とは別人のハスドルバル・ギスコの娘ソフォニバでした。ところがソフォニバはマシニッサの婚約者で、相思相愛だったといいます。婚約者を奪われたマシニッサは、カルタゴを激しく恨むことになります。
スキピオは外交でも外堀を埋めます。カルタゴはカンナエ後、マケドニアのフィリッポス5世やシラクサと同盟を組んでいましたが、シラクサはすでに陥落しており、残るマケドニアもローマと講和させてカルタゴを孤立させました。
ヌミディアの半分を味方につけ、イベリア半島を押さえ、ハスドルバルを倒したことで、ハンニバルはイタリアで孤立していきます。
自腹のアフリカ遠征と、カルタゴへの過酷な講和条件
功績を上げて帰国したスキピオはコンスルに選ばれ、イタリアのハンニバルを放置してカルタゴ本国を攻めるアフリカ遠征を提案します。ファビウスをはじめ元老院 ── ローマの有力者で構成される統治機関。法的には助言機関ですが、外交・財政・戦争方針に大きな影響力を持っていましたの多くは消極的でした。
元老院の結論は、軍団も予算も出さないので自分で集めて行け、というものでした。それでもスキピオは人柄と名声で大量の兵を集め、ハンニバルとぶつからないようシチリア島で1年間新兵を訓練してから、アフリカへ上陸します。
アフリカではマシニッサが合流し、シュファックスを破って捕らえ、ソフォニバを取り戻します。しかしソフォニバはカルタゴ要人の娘であるため、ローマ側はこの結婚を認めませんでした。ソフォニバは人生を悲観し、毒で命を絶ったといいます。深井さんによると、マシニッサの恨みはローマではなくすべてカルタゴに向かいました。
スキピオは要衝チュニスを占拠し、講和条件を突きつけます。カルタゴでは30人の長老が大地に身を投げ出して和を乞うほど、負けムードが広がっていました。条件は、事実上の武装解除とも言える次のような内容でした。
- イタリアとガリアから撤退する
- スペインを放棄する
- イタリアとアフリカの間の島々をすべて放棄する
- 20隻を除くすべての軍船を引き渡す
- 大量の小麦・大麦と多額の賠償金を差し出す
- 脱走兵や逃亡奴隷、捕虜を引き渡す
それでもカルタゴはこの条件での交渉に応じました。
本国に呼び戻されたハンニバルと、講和を壊した略奪
講和に傾いたカルタゴ政府は、イタリアで戦うハンニバルに帰還を命じます。15年間敵地で粘り、大きな負けもなかったハンニバルは激しく怒り、自分を打ち負かしたのはローマ人ではなくカルタゴ元老院の悪意と中傷だ、と語ったとされます。
戦争のことを話す時に、なんか戦場のことがフォーカスされるけれども、戦場だけじゃないんだなと、私も思いますよね。
帰国の途中、戻るのを拒んだ兵を虐殺したという記録もあるそうですが、深井さんは真偽はわからないとしています。弟マゴもアフリカに着く前に負傷して亡くなりました。ハンニバルはスキピオ軍のいるウティカ周辺を避け、レプティス・ミノルに上陸します。
ハンニバルの帰還で、カルタゴの主戦派やバルカ党が勢いづきます。当時のハンニバルは神がかった存在として崇められており、軍神が戻ったならもう一戦できる、と世論が変わっていったのです。
そんな中、サルディニアからのローマの補給物資が嵐で近くの海岸に打ち上げられます。和平交渉中だった元老院は略奪に反対しましたが、民衆に押されて物資を奪ってしまいました。スキピオは激怒し、停戦は破られて再び戦争になります。
講和交渉
スキピオの条件にカルタゴが応じ、ハンニバルに帰還命令
世論の変化
ハンニバル帰還で主戦派・バルカ党が勢いづく
補給物資の略奪
民衆に押された元老院が、打ち上げられたローマの物資を奪う
開戦
スキピオが激怒し、カルタゴ本国での決戦へ
ザマの戦い、カンナエの再現で決着
決戦の舞台がザマです。深井さんによると、場所や日時ははっきりしていませんが、カルタゴ市から南西へ5日ほどの平原だったとされます。開戦前にハンニバルとスキピオは会見し、ハンニバルは和平を持ち出したものの、合意には至りませんでした。
重要なのは戦力の差です。ローマ側には最強のヌミディア騎兵を率いるマシニッサが4000騎で加わっていた一方、ハンニバルの手元のヌミディア騎兵は2000ほどに減っていました。代わりにハンニバルは80頭を超える戦象を前面に並べました。
ところが戦象はほとんど役に立ちませんでした。スキピオ軍は象が通り抜けられる間隔を空けて布陣しており、象はその間を駆け抜けてどこかへ行ってしまったといいます。向きを変えてカルタゴ軍に突っ込んだ象もいたそうです。
結果として、スキピオはカンナエでハンニバルがしたことをそのままやり返します。騎兵同士の戦いに勝ち、勝った騎兵が背後に回り込み、歩兵が包み込む包囲殲滅です。カルタゴ軍は2万が殺され、2万が捕虜となりました。
若い頃にカンナエで悲惨な負けを経験したスキピオが、ハンニバルの戦い方でハンニバルを破ったのです。深井さんは、地の利も騎兵も準備も欠いた状況で、ハンニバルの戦術がすべて塞がれていたと話します。ハンニバル自身は生き延びました。
振り返って深井さんは、敗因の核心を、完璧だったハンニバルの連撃でもローマ連合の絆が瓦解しなかったことに置きます。人材を生み出す仕組みの差や、降伏が早すぎ、物資まで奪ったカルタゴ元老院の判断も挙げられました。
(カルタゴの元老院は)軍寄りじゃなくてね、ちょっとビジネスパーソンっぽいっていうところがあるからね。
次回は、ハンニバルの敗北のあと戦争がどうなっていくのかが語られる予定です。
まとめ
カンナエで大勝したハンニバルは、ローマ連合の瓦解を狙って進軍を控えましたが、同盟は崩れず、打たれ強いローマはファビウスとマルケルス、そしてスキピオを立てて反撃しました。弟ハスドルバルの死とマシニッサの離反で孤立したハンニバルは、本国の迷走の末、ザマでカンナエの再現のような包囲殲滅に敗れます。
- ハンニバルが進軍しなかったのは、ローマ連合の瓦解という当初の戦略を優先したためと考えられる
- ローマ連合が崩れず、敗将も称える不屈の気質が、天才の戦略を上回った
- スキピオは現地民とのクリエンテスと情報戦でイベリアを制し、ハンニバルを孤立させた
- 降伏の早さと補給物資の略奪など、カルタゴ本国の判断が決戦を招いた
- ザマの戦いでスキピオは、カンナエと同じ包囲殲滅でハンニバルを破った





