ローマが選んだ独裁官は「子羊」と呼ばれた男?
トラシメヌス湖畔での敗北は、ローマの民衆を驚愕させました。楊さんによると、この場所を突破されることは、ローマの完全な領土の中にカルタゴ軍が入ってくるのが確定することを意味していたといいます。
(トラシメヌス湖での負けは)庭に入られるみたいな。
もう自分の家まで入ってくることが確定してるって感覚です。
元老院は冷静だったものの、民衆は動揺し、ローマは非常事態の体制に入ります。毎年の政務官選挙とは別に、国家の全権を委ねるディクタトル ── 独裁官。非常時に限って国家の全権を委ねられるローマの官職で、任期は半年ほどと短く定められていましたの選出が行われました。
ディクタトルは半年間、すべてを任される存在です。楊さんは、のちにカエサルもこの地位に就いたことに触れています。
この独裁官に選ばれたのが、クィントゥス・ファビウス・マクシムスです。パトリキ ── 古代ローマの貴族階級。建国以来の名門の家系を指し、平民(プレブス)と区別されていました出身の名門で、トラシメヌス湖畔で倒れたフラミニウスとは対立する経歴を持っていました。
ファビウスは幼い頃「子羊」というあだ名で呼ばれるほどおとなしく、口数が少なく、目立たない性格だったと紹介されます。勇敢さを尊ぶローマの価値基準からは外れた人物でした。
楊さんが驚きを込めて語るのは、ローマがこのタイプの人物を独裁官に選んだこと自体です。これに対して深井さんは、元老院が敗因を分析した可能性を挙げています。
今までハンニバルに破られたコンスルたちがなぜ(負けたのか)っていうのを、もしかしてローマ元老院の中で分析されたかもしれない。
やっぱり功を焦ったから負けたんじゃない?みたいな意見も出されたかもね。
戦わないことで勝つ、ファビウスの持久戦
ファビウスの戦略は、ハンニバルとまともに戦わないというものでした。ハンニバルは強いが遠征軍であり、正面から当たらずに困らせ続ければ、いずれ疲弊するという読みです。
ローマは本国で戦っているので、この戦略をいつまでも続けられます。深井さんはこの判断を正しい戦略だと評価しています。
これはね、正しい戦略なんだよね。
これめちゃくちゃ当たるんですよ、実は。
ファビウスは正面からの合戦を避け、つかず離れずでカルタゴ軍を追い続けました。食料を渡さないために畑を燃やす焦土作戦 ── 敵に物資を利用させないため、自国の畑や施設をあえて破壊・焼却する戦術。自国も損害を受けますが、遠征軍の補給を断つ効果がありますも行い、ハンニバルはかなり困っていきます。
ところが、ローマの民衆からの評判は最悪でした。ファビウスは「コンクタトール(グズ)」と呼ばれるようになります。勇敢に戦うのがかっこいいとされていたからです。
正面衝突を避けて補給を断ち、遠征軍のハンニバルを確実に疲弊させていた
勇敢に戦わない姿勢が「グズ」と映り、評判はきわめて悪かった
でもなんかそれ(ファビウスの人選)に、民衆からの圧にも踊らされないような人を選んでるってことですよね。
楊さんによれば、ファビウスは民衆の圧にはまったく応えず、国家のために何をすべきかを判断して行動し続けました。
領地を狙わないハンニバルと、領地を国に返すファビウス
焦土作戦で畑を燃やすのはローマ自身にとっても痛手ですが、カルタゴ軍の撤退に直結する手でした。これに対してハンニバルが打った手は、ファビウス個人の領地だけには手を出さず、それ以外の土地を荒らし続けるというものです。
民衆に嫌われていたファビウスには、ハンニバルとつながっているのではという噂が流れ始めます。楊さんは、この噂もハンニバル側がプロパガンダとして流したのだろうと見ています。
ここでファビウスは、自分の領地をすべて国に寄進しました。ハンニバルとつながっていない証明として、土地そのものを手放したのです。
返されたら、あ、じゃあ違ったんだってなるじゃないですか。それ以上もう突っ込めないじゃないですか。
樋口さんは、この応酬が戦場だけの戦いではないことに興奮気味に反応しています。
ハンニバルはさらに、カンパニア平原のカプア周辺など、ローマの本拠地に近い同盟都市の地方を略奪し、ローマ軍が出ざるを得ない状況を作ろうとします。それでもファビウスは誘いに乗らず、主導権を握らせないまま、ついにハンニバル軍を包囲するところまで追い込みました。
牛の群れと松明で包囲を脱出
袋のネズミになりかけたハンニバルは、一計を案じます。戦利品として持っていた約2000頭の牛の角に松明をくくりつけ、暴走させてバリケードを突破したのです。
この火牛の計 ── 牛の角に松明などを付けて敵陣に放つ奇策。ハンニバルのこの逸話のほか、中国・戦国時代の田単の故事などでも知られていますに、ファビウス率いるローマ本軍は罠と見て動じませんでした。しかし、別の峠を守っていたローマの分遣隊が驚いて持ち場を離れ、その隙にハンニバルは包囲から脱出します。
絶好の機会を逃したことで、ファビウスはさらに非難されました。実際にはカルタゴ軍は兵站を確保できずに苦しんでいたのですが、ローマの人々にはそれがよく伝わっていなかったと楊さんは語ります。
唯一(ハンニバルを)追い詰められてるのってファビウスだけだったんだけど。
独裁官が2人?ミヌキウスの暴走
ファビウスの同僚ミヌキウスが、ハンニバル相手に小さな勝利を挙げると、ローマ市民は熱狂しました。そしてファビウスに「グズで無能」というレッテルを貼ったまま、ミヌキウスも独裁官にしてしまいます。
二人独裁官あるとかいうガチで意味不明の状態を作っちゃうんですよ。
楊さんは、ローマ人がコンスル ── 古代ローマの最高政務官(執政官)。毎年2人が選ばれ、互いに牽制しながら国政と軍を率いました2名制で最高司令官を2人選ぶことに慣れていたため、独裁の意味がない状態を作ってしまったと説明します。
勇んでハンニバルに挑んだミヌキウスはボコボコにされ、殲滅される寸前でファビウスに救われました。
この頃のハンニバル軍は、2万ほどに減っていた兵をガリア人の味方や傭兵で5万ほどに増やしていました。騎兵は8000か6000ほどで、北アフリカのヌミディア騎兵は現地で補充できないため、とても大事に扱われていたといいます。一方、ガリア兵は盾のような使われ方をしていたと語られています。
評価されないまま降ろされ、ローマオールスターズ結成
独裁官の任期は短く、ファビウスは善戦したにもかかわらず、任期が終わると再任されずに降ろされました。ミヌキウスの任期も終わり、新たにワロとパウルスの2人がコンスルに選ばれます。
リーダーが次々と変わるのは、ハンニバルがずっとイタリアにいるからです。楊さんによれば、ハンニバルはトータルで15年ほどイタリアに留まることになります。
新コンスルのうち、すぐ戦おうと主張する主戦派が平民出身のワロ、慎重派がパウルスでした。
平民出身の主戦派。数で勝っているのだから戦えば勝てると考え、すぐの決戦を望んだ
慎重派。平野は騎兵で勝る敵に有利だとして、重装歩兵が活きる場所への誘導を主張した
さらにローマは、前年のコンスルで負けていないセルウィリウスと、戦死したフラミニウスの補充コンスルだったレグルスも司令官として出しました。通常2人の司令官が4人になったことは、それだけ大軍を編成しようとしたことを意味します。
まあほんとオールスターズです、ローマの。
ハンニバルのイタリア侵入から3年。ローマは数で押して一気に殲滅する決戦を挑もうとしていました。
なぜ戦場はカンナエだったのか
ハンニバルにとっても決戦は望むところでした。ローマのオールスターズを殲滅すれば、ローマ連盟の都市もさすがにローマを見限るだろうと考えていたからです。問題はどこで戦うかでした。
ハンニバルが選んだのは、アプリア地方アウフィドゥス川沿いの小都市カンナエです。騎兵の優位を活かせる開けた場所であり、しかもローマ軍の補給基地になっていました。
戦場の条件
騎兵の優位を活かせる、開けた平野を探す
カンナエ占拠
ローマ軍の補給基地であるカンナエを押さえる
ローマの事情
食料基地を放置できず、ローマはすぐ決戦せざるを得なくなる
決戦
場所の選択権をハンニバルが握ったまま戦いが始まる
現地に集まったローマ軍に向けて、パウルスは演説します。これまでの敗戦は敵を知らなかったからで、今回は2年間の小競り合いでカルタゴ軍を知っており、兵力も敵の倍以上ある、という内容でした。
この勝利を確信する演説に、出演者からは「フラグだよね」という声が上がります。
両軍の兵力と「一日交代」の指揮権
戦闘は真夏の8月2日に行われました。ローマ軍の総数は7万6000で、重装歩兵5万5000、軽装兵1万5000、騎兵6000。ローマが1か所にこれほどの大軍を集めたのは初めてでした。
対するカルタゴ軍は5万で、歩兵3万、軽装兵1万、騎兵1万。騎兵にはヌミディア騎兵に加えて、馬を降りて白兵戦もできるイベリア騎兵やガリア騎兵もいました。
| 区分 | ローマ軍 | カルタゴ軍 |
|---|---|---|
| 総数 | 7万6000 | 5万 |
| 歩兵 | 重装歩兵5万5000 | 歩兵3万 |
| 軽装兵 | 1万5000 | 1万 |
| 騎兵 | 6000 | 1万 |
騎兵ではカルタゴ軍が勝るものの、歩兵はローマ軍が圧倒的に多く、カルタゴ側の歩兵はガリア人やリグリア人の寄せ集めで士気も高くありませんでした。この軍でどう圧勝するかが焦点になります。
ローマ側の事情として、2人のコンスルが同じ場所で軍を率いる場合、指揮権は1日交代制でした。出演者は、毎日社長が変わるようなものだと表現しています。
劣勢の兵を奮い立たせたハンニバルの言葉
ハンニバル側は劣勢で、小競り合いに負けたこともあり、カルタゴ軍は弱気になっていました。ハンニバルは兵に周りをよく見るよう促し、木も少なく草も枯れた夏の平原で、兵力に勝る相手と決戦すること以上に神々に祈るべきことがあるかと問いかけます。
さらに、敵をこの地点に導いたのは神々であり、それを敵に強いたのは自分だから自分にも感謝せよ、と語ったといいます。楊さんは、この言葉からもハンニバルが場所を計算して選んでいたことが読み取れると話しています。
もう1つの逸話は、猛将ギスコとのやり取りです。整然と並ぶローマの大軍を見てギスコがひるんでいたところ、ハンニバルは「お前は一番重要なことを見逃している」と問いかけました。
答えに詰まるギスコに、ハンニバルは「あの中に猛将ギスコは一人としていない。そのローマ軍が勝てるわけがなかろう」と続けます。ギスコはニヤリと笑い、緊張がほどけ、兵たちから「ハンニバルは勝つ」という声が上がったと伝えられます。
ハンニバルが死ぬほどしっかりしてくれてるから、もうハンニバルだったら勝てるっていう感覚が、すごくこの人たちを励ましたのはそうだろうね。
出演者の間では、リーダーが弱みを見せないこと、焦っていたらこうしたユーモアは言えないことが話題になります。楊さんは、言葉だけでなく態度で本心は伝わってしまうと指摘しています。
凸型の陣形はなぜ包囲に変わったのか
両軍は3日間にらみ合い、3日目に動きました。この日の指揮官は、1日交代制のもとで、挑発に乗りやすい主戦派のワロでした。
ローマ軍は重装歩兵を3〜4列に厚く並べ、左右に騎兵を置くシンプルな陣形です。一方ハンニバル軍は、中央の歩兵を半円形の凸型にせり出させ、その左右にカルタゴの重装歩兵、さらに外側の左にイベリア・ガリア騎兵、右にヌミディア騎兵を配置しました。
中央の凸型部分は戦列が薄く、ローマ軍は自然に押し込んでいきます。カルタゴ軍は後退し、陣形は凸から凹へと変わっていきました。
この後退こそが時間稼ぎでした。ローマ軍が中央へ吸い寄せられる間に、左右のカルタゴ重装歩兵が側面に回り込み、騎兵はローマ騎兵を素早く殲滅します。先に勝った側の騎兵は、もう一方の戦場の背後を突く段取りでした。
包囲が完成すると、ローマ軍は外周の兵士以外は戦えなくなります。中央の兵は押しくらまんじゅうのように身動きが取れず、槍も振れないまま外側から殺されていきました。
なんで、数がいる意味なくなるんです。
本来、包囲は数が多い側が取る戦略です。少数のカルタゴ軍に包囲されたことは、ローマ軍にとってまったく想定外でした。ローマの最大の強みだった兵力の量が、むしろ無意味になったのです。
死者7万、元老院の3分の1が消えた
包囲の中で、慎重論を唱えたパウルスが倒れ、司令官だったセルウィリウスとレグルスも戦死しました。生き残ったコンスルは、決戦を始めたワロだけでした。
ローマ側の死体の数は7万とされます。出演者の1人は、参考にした本に、誇張の可能性はあるものの、1回の戦いでこれほどの戦死者が出たのは第一次世界大戦までなかったのでは、という記述があると紹介しています。
オールスターズの司令官4人のうち3人が戦死し、楊さんによれば300人いる元老院のうち3分の1が戦死しました。国家の頭脳が一気に失われた状態です。
騎兵で勝てることはハンニバルの計算済みでした。本来ローマ軍は横一列に広がれば包み込む側に回れたはずですが、カンナエの地形では3〜4列に重ねるしかなく、それがハンニバルの策にはまったと楊さんは説明します。
歴史上ほかに例がない勝ち方
包囲戦が完全に達成され、中で殲滅まで起きることはめったにありません。楊さんは、装備や兵力が圧倒的に勝っていても、相手は逃げてしまうものだと指摘します。
相手に攻めさせたうえで、少ない兵力で包囲殲滅する。のちに多くの人が真似しようとしてもできず、今も軍隊で学ばれていると楊さんは語ります。
ローマ側から見ると、イベリアやフランスで迎撃するはずがアルプスを越えられ、湖畔で大敗し、ファビウスで持ちこたえたあと大軍で決戦に臨んで壊滅した、という経過でした。
ローマ市民は恐慌状態に陥り、カルタゴ軍がそのまま市内に突入して全員殺されるのではと恐れ、神頼みにすがったといいます。ハンニバルはローマ連合がこれで瓦解すると考えていました。
ハンニバルはアレクサンドロスに学んだのか
出演者の1人は、史料で示されたことではなく考察として、ハンニバルはアレクサンドロス大王 ── 紀元前4世紀のマケドニア王。少ない兵でペルシャの大軍を破り、騎兵を巧みに使った戦術で後世の武人の手本とされましたを徹底的に研究したのではないか、という見方を紹介します。
アレクサンドロスは少ない軍勢でペルシャの大軍に勝ち、脇から攻める、背後に回る、主力が重装歩兵でも騎兵で勝負を仕掛けるといった戦い方をしていました。当時の軍人にとって、これ以上の教材はなかっただろうという考察です。
この考察は、塩野七生さんの『ハンニバル戦記』から紹介されました。塩野さんは歴史学者というより歴史作家だと説明されています。
楊さんは、アレクサンドロスが騎兵でいきなり大将を狙うような使い方をしたのに対し、ハンニバルは温存したヌミディア騎兵を包囲に使った点で、同じ騎兵でも使い方が違うと付け加えています。戦場選びの時点で、ローマ軍の選択肢はすでに限られていたという指摘も出ました。
次回、「ハンニバル絶対殺すマン」登場
急いで決戦を始めたワロが生き残ったことに、出演者は皮肉を感じています。そして次回のテーマは、恐慌に陥ったローマにハンニバルが攻め込むのか、ローマはどう挽回するのかです。
どう考えてもローマ滅びそうですけど、ローマは滅びないわけだから、一体何が起こるのかと。
楊さんは予告として、この負けたローマ側から、ハンニバルとの戦いで父を失い、ハンニバルを研究し尽くした人物が現れると語ります。父ハミルカルの無念を受け継いだハンニバル自身と同じ構図が、ローマ側でも生まれるというわけです。
まとめ
今回は、独裁官ファビウスの持久戦から、カンナエの戦いでのローマ軍壊滅までが語られました。戦わないことで勝とうとしたファビウスは民衆に理解されず、大軍で挑んだローマは、戦場選びと陣形で上回るハンニバルに包囲殲滅されます。
- ファビウスは持久戦と焦土作戦でハンニバルを苦しめたが、民衆からは「グズ」と呼ばれ、再任されなかった
- ハンニバルは騎兵が活き、ローマが決戦を急がざるを得ないカンナエを戦場に選んだ
- 凸型から凹型へ後退する陣形で時間を稼ぎ、騎兵が背後を塞いで少数で大軍を包囲した
- ローマは死者7万、司令官4人中3人、元老院議員80人を失い、恐慌状態に陥った
- 次回は、ハンニバルを研究し尽くしたローマ側の宿敵が登場する





