大戦はサラエボ事件だけで始まった?
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前回は、三国同盟と三国協商の対立を扱いました。今回はその続きで、実際に大戦が起こるまでの流れを追います。深井さんによると、この時点では戦争が誰の得にもならず、世界大戦など起こるはずがないと各国が考えていました。
コンボみたいな感じで、いろんなトラブルがポポポポポポンって起こって、最後サラエボ事件っていうので、一気に大戦のきっかけになる。
なるほど。(原因は)1個じゃないってことですね。
教科書では、第一次世界大戦はサラエボ事件で起こったと書かれることが多いです。深井さんは、サラエボ事件はきっかけにすぎないと話します。その前に、ナポレオン戦争以後の政治の流れと、いくつもの事件や危機の連鎖がありました。
1905年のタンジール事件からサラエボ事件までは、およそ9年あります。その間に5つの出来事が続き、ビスマルク ── 19世紀後半のドイツ帝国の宰相。同盟網を巧みに組み、列強の利害を調整してヨーロッパの勢力均衡を保ちましたが作った秩序が段階的に壊されていきます。
タンジール事件
1905年。ドイツが仲介者の立場を降りる
ボスニア危機
1908年。オーストリアがボスニアを併合する
アガディール事件
次回扱う事件
第一次・第二次バルカン戦争
バルカン半島での戦争
サラエボ事件
大戦勃発のとどめとなる事件
サラエボがそのとどめだったんです。これで世界大戦っていうのが勃発する。だけど、それは誰も直前まで想像してなかった。
タンジール事件は何を変えたのか
タンジール事件の前提には、ヴィルヘルム2世 ── ドイツ帝国の第3代皇帝。ビスマルクを退けて親政を行い、海軍の拡張や植民地の獲得を進める積極的な外交をとりましたのドイツ帝国が拡張路線を走っていたことがあります。そのドイツに対して、三国同盟と三国協商という2つの陣営ができていました。ただし時系列では、タンジール事件などを経て三国協商が形づくられた面もあると、深井さんは補足しています。
深井さんが挙げるタンジール事件のポイントは、ドイツが「誠実な仲介者」の立場を降りたことです。ドイツが降りた結果、ヨーロッパの中で利害を仲介する国がいなくなりました。深井さんはこれを「コンボ一発目」と呼んでいます。
(ドイツは)競争者の1人になってしまうのね。
フランスはアルジェリアを植民地化し、北西アフリカへ植民地を広げる野心を持っていました。オスマン帝国の影響力が落ちたことが、この動きの背景にあります。これまで、こうした利害をイギリスとぶつけ合わせて調整してきたのがビスマルクでした。
当時のモロッコは独立国で、列強の圧力に抵抗しようとしていました。モロッコをめぐる各国の立場は、次のように分かれていました。
| 国 | 望んだこと | 事件での動き |
|---|---|---|
| イギリス | モロッコにマーケットを作りたい | フランスとの利害調整に動く |
| フランス | 植民地をさらに増やしたい | イギリスと結ぶ |
| モロッコ | 独立を保ちたい | ドイツを独立の支援者とみなす |
| ドイツ | 拡張路線 | 皇帝がタンジールでモロッコの保護者を自称する |
モロッコの人たちは、ドイツを自分たちの独立を助けてくれる存在だと受け止めました。深井さんはこの関係を、明治維新のときのイギリスにたとえています。こうしてドイツは、第3勢力として登場しました。
ドイツの登場を受けて、イギリスとフランスは利害調整に走ります。両国は対立していると思い込んでいましたが、よく考えるとイギリスが欲しいのはマーケットだけで、植民地化までは望んでいませんでした。そのため、両国は手を組めたのです。
ヴィルヘルム2世はなぜ孤立に気づかなかったのか
ヴィルヘルム2世は拡張路線を進める一方で、イギリスやロシアの君主とも親戚でした。深井さんによると、ヴィルヘルム2世は各国の君主を仲間だと思っており、ドイツの孤立に気づいていませんでした。
ヴィルヘルム2世は、ロシアのニコライ2世と個人的に同盟を結ぼうとします。狙いは、ロシアとフランスを引き離すことでした。
強く言って言うこと聞いてくれたんだけど、ニコライ2世がOK言っても周りの人がOKじゃないんだよね、首脳部が。
楊さんは、この食い違いを時代の変化から説明します。昔は皇帝の鶴の一声ですべてが決まりました。しかし国民国家の時代になると、皇帝を戴く国でも、民衆や政府組織の発言力が強くなっていました。ヴィルヘルム2世は、その変化を理解していなかったといいます。
ヴィルヘルム2世は、植民地化を進めるフランスこそ国際的に糾弾されるはずだと考えていました。そこで国際会議を開き、フランスを糾弾させようとします。ところが裏でイギリスとフランスが結んでいたため、逆にドイツが孤立しました。
そこで気づくわけですよ。あれ?みたいな。俺孤立してんの?みたいな。
楊さんは、このときのドイツの状況を「俺抜きでLINEグループ作られてる」とたとえました。ドイツはロシアとの同盟も結べず、国際世論でも自分だけがおかしいとみなされてしまいます。
ヴィルヘルム2世は、君主同士の関係と国際世論を味方にできると考えていた
英仏が裏で結び、ロシアとの同盟も実らず、ドイツが孤立した
全員が悪役に見えるのはなぜか
深井さんは、第二次世界大戦のようにドイツや日本だけが悪役として語られる見方も、一面ではあると認めます。そのうえで、この時代については別の見方を示しました。
一方でさ、みんな悪役だよね。全員悪役。
楊さんはこれを映画になぞらえて「本当にアウトレイジ」と応じ、深井さんの意見に賛成しました。楊さんによると、ここに登場する日本以外の国はみな列強で、すでに一度成功して高い地位に上った国々です。
楊さんの説明では、列強には「ここから落ちたら負けで、ボコボコにされる」という危機感がありました。そのため、辛抱強い交渉が必要な場面でも各国はビクビクしてしまい、冷静に話し合えばよいところで強硬に出てしまったといいます。深井さんは、落ちないように頑張る今の日本にも通じると話しています。
ボスニア危機はなぜ均衡を崩したのか
タンジール事件の3年後、1908年にボスニア危機が起こります。発端は、オーストリアがボスニアを併合したことでした。
ボスニア危機の背景には、ビスマルクが主導したベルリン会議 ── 1878年にビスマルクが主催した国際会議。露土戦争後のバルカン情勢を話し合い、列強の利害を調整しましたの取り決めがあります。列強はオスマン帝国領をめぐって互いに牽制し合い、バランスを保っていました。オーストリアの併合は、この決定事項を破るものでした。
もともとオーストリアは、ボスニアの宗主国であるオスマン帝国から統治権を得ていたようです。そのうえでオーストリアは、ボスニアを国の中に取り込もうとしました。
深井さんによると、オーストリアにはオスマン方面しか伸びる方向がありませんでした。列強として生き残るには伸長し続けるしかなく、戦争がしたかったわけではないだろうと深井さんは見ています。ただし、オーストリアが戦争を望んでいたかどうかは、今も議論が続いているそうです。
一方で、ボスニアの住民の40%以上はセルビア人でした。国民国家の考え方でいえば、セルビア人はセルビアとして1つにまとまりたいと考えます。そのため、オーストリアによるボスニア併合はセルビア人にとって受け入れがたいものでした。
オスマン帝国の影響力を排除するため、併合して強いガバナンスを効かせたい
オーストリアに併合されず、セルビア人としてまとまった国を持ちたい
(ボスニアを)併合するんだけど、それは内部に爆弾を抱えることになるよ。オーストリアとしてはね。
この併合で、セルビア人のナショナリズムは一気に刺激されました。楊さんによると、その流れの中で「統一か死か」という秘密結社が生まれ、そのメンバーの若者の1人が後にサラエボ事件を起こします。
ロシアはなぜ対立路線へ引き込まれたのか
南下するロシアと、東へ伸びるオーストリアは、地理的にぶつかります。オーストリアのボスニア併合は、ロシアにとっても好ましいものではありませんでした。
セルビア人は、ロシアと同じスラブ系の民族です。そのため、セルビア人はロシアに助けを求めました。
その泣きつかれたロシアは一応メンツがあるんだよね。ロシアはスラブを統べるボスとしてのメンツがあるんです。
深井さんによると、ここで引き下がれば、ロシアは頼りない国家とみなされてしまいます。ロシアには、オーストリアと協調したかったという説もあるそうです。それでもセルビア人に頼られた以上、ロシアは対立路線に進むことになりました。楊さんは、ロシア国内でもスラブ民族のナショナリズムが政策決定を後押しし、民族の統合に反する言論がしにくくなったと補足しています。
併合によってボスニアにはオーストリア軍が進駐でき、ロシアはセルビアと組めば隣のセルビアまで軍を進められます。両国の軍が近づくことで、いつでも軍事衝突が起こりうる緊張状態が生まれました。ビスマルクは、この事態を避けるためにボスニアの併合を認めていなかったのです。
併合
オーストリアがボスニアを併合し、軍を進駐できるようになる
支援要請
スラブ系のセルビア人がロシアに助けを求める
接近
ロシアがセルビアと組み、両国の軍が地理的に近づく
緊張
いつでも軍事衝突が起こりうる状態になる
民族のつながりっていうのと国のつながりっていうのが2つあるからややこしいんですね、多分。
深井さんは、国境と民族の枠がずれていると応じます。今も各地で起きている民族紛争の多くに、同じような背景があると話しています。
秘密合意の暴露は何を招いたのか
ボスニア危機には、もう1つ重要な出来事がありました。実はオーストリアとロシアは秘密合意を結んでいて、その中でロシアはボスニアを切り捨てていました。
深井さんによると、ロシアの南下政策の狙いは、ダーダネルス海峡 ── エーゲ海とマルマラ海を結ぶ海峡。黒海から地中海へ出るための要衝ですとボスポラス海峡 ── 黒海とマルマラ海を結ぶ海峡。イスタンブールの市街を東西に分けていますの2つを押さえ、海軍を置くことでした。ロシアは陸地を欲しがっていなかったため、オーストリアと合意を結ぶ余地があったのです。
ところが、オーストリアは自力でボスニアを併合できると判断します。そしてその瞬間に、ロシアとの秘密合意をボスニアにバラしてしまいました。
むちゃくちゃやん。
そのボス(ロシア)がもともと自分たちを見捨ててたことがわかっちゃったわけよ。
秘密合意の暴露で、ロシアは面目を潰され、オーストリアに強い恨みを抱きます。オーストリアはセルビア人とロシアの両方から嫌われる結果になりました。それでも、日露戦争に負けたばかりのロシアは軍備が整っておらず、このときは戦争になりませんでした。
暴露
オーストリアが露墺の秘密合意をボスニアに明かす
失望と屈辱
セルビア人はロシアに見捨てられていたと知り、ロシアは面目を潰される
恨み
ロシアがオーストリアに恨みを抱く
孤立
ドイツとオーストリアには互いしか信頼できる同盟相手が残らない
オーストリアのスタンドプレーによって、同盟国のドイツも同じように見られ、さらに孤立しました。深井さんは、こうして独墺の2国が国際関係の中で孤立し、他国とのディスコミュニケーションを深めていったと説明します。
オーストリアがなぜ秘密合意をバラしたのかは、この回では詳しく語られていません。楊さんは暴露とは直接関係ないと断ったうえで、当時はスパイ活動や暗号解読が盛んで、外交文書から情報が漏れる場面が多かったと補足しました。
自由を手に入れたことが戦争を生んだのか
樋口さんが「みんな仲良くすればいいのに」とこぼすと、深井さんは、各国は自国が滅びないようにナショナリズムを持って頑張っていたのだと応じます。その頑張りが、各国の対立を生んでいました。
そのナショナリズムを生んだ根幹は、やっぱり人権という概念と参政権が生んでるわけ。
深井さんは、ここまで来ると何が良くて何が悪いかという問いは完全に意味を失うと話します。この話は、自由を手に入れたことが対立の土台にもなったという皮肉を示しています。
自由を手に入れたっていう、人権を手に入れたから、国ごとのフォルダができちゃったので。
深井さんはオーストリア側の本も読んだうえで、自分が首脳部の立場でも国の舵取りは相当難しいと語ります。国を存続させて国力を増強しつつ、皇帝制を維持する戦略を立てろと言われても、答えが出ないというのです。
愛国心があったらどうします?愛国心があったら。
楊さんは、オーストリアが多民族国家だったことも挙げます。議会を開いても通訳が足りず、それぞれが言いたいことを言うだけで、聞く側は内容を理解できないこともあったそうです。深井さんは、古代や中世の国々もシンプルなことしか伝えられなかったのではないかと想像しています。
楊さんによると、オーストリアが分裂せずにいられたのは、経済が伸びていたからでした。国が豊かになっている間は、国内の多少のディスコミュニケーションを乗り越えられたのです。しかし周囲の状況が変わると、多民族であることがリスクとして表に出てきました。
次回はアガディール事件を扱い、サラエボ事件まで進む予定です。楊さんによると、この回の終了時点で、台本は120ページのうち47ページまでしか進んでいません。
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まとめ
第一次世界大戦は、1つの事件で突然始まったわけではありません。タンジール事件とボスニア危機を通じて、ビスマルクが作った調整役不在の穴が広がり、ドイツとオーストリアは国際社会で孤立していきました。各国は生き残りを必死に図っていましたが、その努力とナショナリズムがかえって対立を深めていったのです。
- 第一次世界大戦は、タンジール事件からサラエボ事件まで続いた事件の連鎖によって起きた
- タンジール事件で、ドイツは仲介者の立場を降りた。その結果、英仏が手を組み、ドイツが孤立した
- ボスニア危機では、併合と秘密合意の暴露によって、オーストリアがセルビア人とロシアの双方から恨まれた
- 国境と民族の枠のずれと、人権から生まれたナショナリズムが、各国の対立の背景にあった







