貨幣の4つの機能とは?
コテンラジオのお金の歴史編では、まず「そもそも貨幣とは何か」という定義から話が始まります。深井さんによると、経済学では貨幣の機能は3つとされることが多いものの、この回では4つ目を加えて説明します。
4つ目の自己増殖の機能について、深井さんは「この機能を持ち始めるのが転換点になる」と話し、後の回で改めて触れるとしています。
深井さんの定義では、この4つの機能のうち1つでも持っていれば貨幣と呼べます。そして、4つを1つのもので兼ね備えられるようになるまでには、非常に長い時間がかかったといいます。
(貨幣の機能は)最初はね、バラバラなわけ。計測にはこれを使います。交換にはこれを使いますみたいな感じで。
深井さんは身近な例として、近世までの日本の石高 ── 土地の生産力を米の量で表した単位。大名の規模を「何万石」と示すなど、江戸時代の支配体制の基準になりましたを挙げます。石高は米の量で価値を測る計測手段として使われていたものの、交換手段としては使われていませんでした。
物々交換の前にあったのは「あげる」こと
お金の歴史編の深井さんは、「最初は物々交換からではなかった」という話から始めます。一番最初の狩猟採集民の時代には、そもそも交換するという概念がなかったといいます。
狩猟採集の社会では、獲物や食べ物を取ったらその場で消費するのが当たり前で、貯蔵も貯蓄もしません。他の民族と出会えば基本的には略奪になるため、物々交換の必要性が社会の中にありませんでした。
次の段階として深井さんが挙げるのは、交換の前に「物をあげる」段階です。深井さんは、交換とは相手をあまり信頼していないときに行うものだと説明します。
なんか奢ってあげます。そしたら次はじゃあ口さん(樋口さん)が僕に奢ってくれます。
で、僕、それ口さん(樋口さん)のことよく知ってるし、友達だから、それでいいってなるじゃないですか。
同じコミュニティで顔見知り同士なら、その場で返す必要はありません。欲しいものは「ちょうだい」と言ってもらい、次は自分があげられるものをあげる、という関係です。
だから、その交換関係じゃなくて融通関係なんですよね。
深井さんによると、この段階の贈り物は人間関係を円滑にし、維持することが目的でした。今の日本にもあるお歳暮 ── 年末にお世話になった人へ贈り物をする日本の習慣。夏のお中元と並ぶ代表的な贈答文化ですのように、一方的に贈り合う関係が「最初」の形だといいます。
物々交換はいつ生まれ、なぜ手斧が貨幣になったのか?
原始世界でコミュニティの人数が増えると、斧だけを作る人、狩りをする人のように、得意なことに分かれていきます。深井さんは、この分業が進み、他のコミュニティとの関係が生まれたときに初めて物々交換が出てくると説明します。
狩猟採集
取ったらその場で消費し、交換の概念がない
融通
同じコミュニティで物をあげ合い、人間関係を保つ
分業
人数が増え、得意な仕事に分かれる
取引
信頼の薄い他のコミュニティと、その場で交換する
この時に初めてそんなに信頼してないから、その場で交換する。
最初の物々交換で価値が高かったのは、武器にも物を切るのにも使える手斧のような、汎用性の高い道具です。深井さんは、こうした道具が交換手段の貨幣として使われたと話します。楊さんも、もらった側がすぐに使えたり、すぐに売れたりするものだったと補足します。
深井さんによると、手斧のほかにも麦、ナツメヤシ、織物などが先に貨幣として機能していました。相手が手斧を欲しいわけではなくても、その手斧を別の人と何かに交換できるので受け取る、という時点で、手斧はすでに交換手段の貨幣になっています。
樋口さんは学校で「最初の貨幣は貝殻」と聞いていたと話します。深井さんは、貝殻は中国の話で、ルーツがまったく違うため後の回で扱うと答えています。
貨幣の始まりは交換ではなく「計測」だった?
深井さんは、物々交換から貨幣が始まったという説もある一方で、貨幣として最初に機能したのは交換ではなく計測だったという説が今は有力らしいと紹介します。
そうそうそう。計測機能です。つまりこの羊は手斧3個分だ。
このとき、実際に手斧は渡しません。「この羊は手斧3個分」「これは羊3頭分」と価値を測る働きがまず生まれ、そのあとに交換機能が続いたという考え方です。樋口さんは「全然違うイメージ」と驚いています。
物々交換から交換手段として貨幣が始まった
まず価値を測る計測機能が生まれ、その次に交換機能が生まれた
楊さんは、計測の手段として奴隷、つまり人間そのものも使われていたと話します。アフリカでは昔から多かったといい、「この物は奴隷何人分」という測り方です。
樋口さんは「奴隷2人分と言われたらめっちゃ嫌」と反応しますが、深井さんと楊さんは当時は人が所有物だった時代だと説明します。楊さんはアリストテレス ── 古代ギリシャの哲学者。政治学や倫理学など幅広い分野で著作を残し、奴隷制を自然なものとして論じたことでも知られますも奴隷と動物は同じだと述べていたと補足しています。
メソポタミアで貨幣が発達した理由とは?
次に話はメソポタミア文明 ── チグリス川とユーフラテス川の流域で栄えた古代文明。現在のイラク周辺にあたり、文字や都市国家が早くから生まれましたに移ります。深井さんによると、5000年前ぐらいから文明が成立していた世界最古の文明の一つで、貨幣の機能が発達しやすい環境にありました。
メソポタミアは乾燥地帯が多く、穀物を栽培する場所が少なかったため、牧畜が盛んでした。深井さんは、牧畜が盛んだと交換機能や計測機能のニーズが出てきやすく、農耕民族ではそのニーズさえ出てきにくいと説明します。
肉もあるし、毛皮も手に入るし、その牛乳というか乳も手に入るんだけど、逆に言ったら主食が手に入らないから。
牧畜をする人々は、主食を得るために毛皮などと交換する必要があります。物々交換の規模が増えると、計測したほうがよいという話になり、計測のための貨幣が出てくるという流れです。
肉・毛皮・乳は手に入るが主食がないため、交換と計測のニーズが出やすい
自分で育てた作物で食べられるため、交換のニーズが出にくい
なぜ銀が「究極の交換手段」になったのか?
メソポタミアでは、ついに究極の交換機能を持ったものとして銀が使われ始めます。深井さんは手斧と比べながら、銀が選ばれた理由を挙げます。
- 手斧に比べてかさばらない
- 腐らない
- 純度と重さで価値を決めやすく、規格を統一しやすい
手斧は作る人によって品質が変わりますが、銀は重さと純度が同じなら価値も同じです。深井さんは「自然にあるもので腐らないものって貴金属なんですよ」と話しています。
ただし、この時点の銀はまだコインではありません。深井さんによると、コインを作るにはそこそこ技術がいるため、塊や腕輪などのアクセサリーの形で使われ、価値は枚数ではなく重さで決まっていました。
その場でちぎってたと思いますよ。ちぎるとか、切るとか。
金属はたくさん叩かないと切れないため、延べ棒や粒の形で持つこともあったと深井さんは推測しています。粒であっても、個数ではなく重さで測っていたといいます。
コインを生んだのは国家権力の信用
銀を使い始めると、今度は純度への信頼が問題になります。他の金属を混ぜられると価値が変わってしまうため、純度をどう担保するかが課題になりました。
その信用を与えられるやつが出てくるまでコインって生まれないんですよ。
深井さんは、信用を与えるコインの誕生は国家権力の発達と密接に関わっていると話します。以前のアレクサンドロス編で扱ったペルシア帝国のような存在が出てきて、初めてコインが誕生するといいます。
銀にパンと判を押して刻印したものが最初のコインです。樋口さんは、信用に加えて統一化・規格化の意味もあるとまとめています。
樋口さんが刻印の偽造を心配すると、深井さんは古代の貴金属はそもそも一般民衆には採掘が難しかったと答えます。掘ること自体が難しいから貨幣になっているのであり、貝も手に入りにくいから使われたのだといいます。
そこら辺に落ちてたら使ってないですよ。
紙切れがお金になるのはなぜか?
深井さんは、お金について最も大事な概念として、みんながその価値を認めればお金になるという点を挙げます。極端に言えば、画用紙をちぎったものでも、みんなが認めて流通すればお金として機能します。
樋口さんは、小学生の頃にシャーペンの芯でそれをやっていたと話します。「芯5本やるから肩もんで」と使っていたといい、深井さんは「ちょっとした地域通貨ですよね」と応じています。
そのうえで深井さんは、紙幣は国家の権力が相当強くないと作れないと話します。紙そのものには価値がないのに価値を持たせる必要があるため、紙幣はなかなか出てこられなかったといいます。
樋口さんは、銀のコインと紙幣の違いは軽くて持ちやすいかどうかだけだと思っていたと話します。深井さんは、貴金属はそれ自体に価値がある一方、紙幣は信用の賜物でありルーツが違うと説明します。
道具の汎用性
手斧のように誰でもよく使う道具
物質の希少性
銀などの貴金属や貝のように手に入りにくいもの
国家への信用
それ自体に価値がない紙幣に、国家権力が信用を与える
現代の紙幣は中央銀行が発行しており、そこが急になくなったりしないという絶大な信頼があるから価値があります。深井さんは、価値のない1枚の紙を1万円と認めさせる信用力が、動物的な感覚で決まっていると表現します。
(日本政府が打倒されて)発券する中央銀行の所管が変わってしまいますみたいな事態が起こったら、当然円は価値を失っていく可能性がありますよね。
深井さんは、だからこそ戦争などが起こると価値の暴落といった経済変動が起こるのだと話しています。
メソポタミアにもあった融資と預金
深井さんによると、メソポタミアでは銀は使われていたものの、銀で支払うのはものすごく高い買い物をするときだけでした。それ以外では麦などが並行して使われていました。
深井さんはトリビアとして、大麦や銀しかないこの時点のメソポタミアに、すでに貸付、つまり融資があったと紹介します。貸していたのは比較的お金持ちの個人などで、古代から預金的な機能もあったといいます。
預金が最初に生まれた理由について、深井さんは保存してもらうほうが安全だったからだと説明します。全財産を金で家に置いておくと、かさばるうえ、強盗に入られたら終わりになってしまいます。
防衛費が膨大になるぐらいだったら、ものすっげえ防衛ちゃんとできる人に預けて手数料を払った方が楽だっていうのが預金の一番最初の概念です。
樋口さんが「今は預金すると利子がもらえるのに逆ですね」と驚くと、深井さんは転換点があり、銀行的な概念が誕生した後は単に預かってもらうものではなくなったと答えます。古代ギリシャの頃はまだ貸倉庫のような感覚だったといいます。
楊さんは、中世だったか、と前置きしたうえで、金を預けられたのは金庫作りのうまい技術者だったという説を紹介します。そうした技術者のもとに金が集まったことが、銀行が発展した要因の一つになったという説もあるそうです。
王の道具だったお金と、技術を生む社会のニーズ
深井さんによると、メソポタミアでもまだ4つの機能を1つで果たせるものはありませんでした。計算手段は銀、支払い手段は麦、交換手段は羊毛というように、機能ごとにバラバラだったといいます。
| 機能 | 使われたもの | 備考 |
|---|---|---|
| 計算手段 | 銀 | 高額の買い物にも使われた |
| 支払い手段 | 麦 | 日常の支払いで並行して使われた |
| 交換手段 | 羊毛 | 市民の交換に使われた |
さらに深井さんは、この時点の経済は自由市場経済ではないと強調します。お金は商人が利益を追求するために使うものではなく、国王が外国の国王と外交するためなど、政治的な営みの一つとして使われていました。
市民は銀をあまり使えず、羊毛などを交換手段にしていたと深井さんは考えています。ただ、羊毛で交換している限り、経済はあまり発展しません。
深井さんは、その理由を「商業が発達していないから」だと説明します。お金があるから商業が発達したのではなく、逆だというのです。
深井さんは、コミュニケーション史の回でも同じことを話したと振り返ります。王様たちが経済を支配していたこの時代には、自由経済のニーズによる貨幣の革新が起きていなかった、というのが最もわかりやすい説明だとしています。
次回は、今回少し触れたコインがどのように誕生したのかを、さらに詳しく扱う予定です。樋口さんは、ようやく自分たちの知る感覚に近づいてきたと話しています。
まとめ
今回のエピソードでは、貨幣が物々交換から一気に生まれたのではなく、贈与による融通、価値の計測、汎用的な道具、貴金属、そして国家の信用によるコインへと段階的に形づくられてきたことが語られました。
- 貨幣には交換・計測・保存・自己増殖の4つの機能があり、最初は機能ごとに別のものが使われていた
- 物々交換の前には、信頼できる仲間同士で物をあげ合う融通の段階があった
- 貨幣は交換より先に、価値を測る計測機能から始まったという説が有力とされている
- メソポタミアでは牧畜の必要から交換が進み、腐らず規格を揃えやすい銀が使われた
- コインや紙幣は国家権力の信用によって成り立ち、技術は社会のニーズに応えて生まれる





