「倫理観ないやつの方が成功する」という問い
今回のテーマはずばり「倫理観ないやつの方が成功するよね」というもの。前回話題に上ったイーロン・マスクテスラやスペースXを率いる起業家。X(旧Twitter)買収後の大規模リストラなどで賛否を集める。番組では前回の回で取り上げられた。のように、世に名を轟かせる人物は、社会的にはどこか破綻しているように見える、という話から議論は始まります。
ただし木原さんは、ビジネスの勝ち負けと倫理観は必ずしも結びつかないと指摘します。倫理観がなくても、ビジネス視点では「そんなの関係ない」と割り切る判断はありうる、というわけです。
一方で小笠原さんは、スティーブ・ジョブズAppleの共同創業者。革新的な製品を生み出した一方、社内での厳しい振る舞いなどが数多く語られている。や孫正義ソフトバンクグループの創業者。日本を代表する起業家の一人。を例に挙げ、「日本で一定成功しようと思うと、ある程度倫理観があるように見えないと厳しい」と語ります。ここに、成功者の"見え方"をめぐる論点が浮かび上がります。
身内で見せる倫理観のなさと、外に染み出す倫理観のなさって、またちょっと違うんですよね。
倫理観が外れて見えるとは何か
「そもそも倫理観とは何か」という問いに、木原さんは「人間として正しい行動を判断する基準を持っていること」と答えます。ただし小笠原さんは、社会は分断されており、いろいろな社会があると付け加えます。ある社会でよりよく生き残れる人が、別の社会から見れば破綻者に見えることもある、というわけです。
小笠原さんは、倫理観が外れて見える要素を「性格」と「法的」に切り分けて整理しようとします。性格の面では、いわゆるダークトライアドナルシシズム・マキャベリズム・サイコパシーという3つの負の性格特性をまとめた心理学の概念。反社会的だが一定の場面で有利に働くこともあるとされる。——ナルシシズム、マキャベリズム、サイコパシーが挙がりました。
自分語り(ナラティブ)がうまく、周りにストーリーを作りたい人が集まる。伝播力が強く、エバンジェリスト的な仲間が生まれやすい。
戦略的に立ち回る姿勢。ずる賢く勝ちに行くように見えるが、見え方の問題も大きい。
既存のあり方を壊すこと自体を楽しんでいるように見える。既存の権威にとらわれない姿勢が、成功に近づく可能性を持つ。
特にナルシシズムについては、自分を語る力が強いことで周りにストーリーテラーが集まり、良いチームができる可能性があると小笠原さんは指摘します。逸脱に見える特性が、必ずしもマイナスではないという見方です。
破綻者は本当に破綻しているのか
木原さんは、倫理観のある人ほどビジネスでハンデを負うのではないか、と問いかけます。ずる賢く立ち回れる人と対峙したとき、倫理観に従うことが不利になる場面は組織の中にも多いはずだ、というのです。
ここで小笠原さんは鋭い見立てを示します。「あいつはああいうやつだ」というバイアスを自分で作り出すことで、強い態度に出たり、矢面に立ったりすることを避けている人がいる。つまり本人が破綻しているのではなく、「破綻者を作り出している」のではないか、という指摘です。
破綻してるんじゃなくて、破綻者を作り出しているんです。
いや、ほんまにそうです。これ、悩ましいな。
実は木原さん自身、自分には倫理観があると自認しつつ、あえて「そこから逸脱している」という振る舞いをしてキャラクターを作ってきた、と打ち明けます。倫理観を持ちながら、意図的に逸脱した発言や行動をすることで、そう見られるように仕向けている、というのです。
小笠原さんは、世に言われる"破綻者"の多くも同じかもしれないと語ります。周りがそう見せている分、本人がそう見せている分を差し引いていくと、本当の破綻者はかなり少ないのではないか——「起業家の五人に一人は」といった通説ほどにはいない、という見立てです。
倫理観と美意識はどう違うのか
木原さんは、この番組のキーワードである「美意識」を持ち出します。自分が倫理観を捨てきれないのは、倫理観を持っていること自体に美意識を感じているからではないか、と。ゲームに勝つために倫理観を捨てることは、やっぱりできない、というのです。
これに対し小笠原さんは、意外な見方を示します。マキャベリズムのほうがむしろ美意識に近い、というのです。「目的は手段を正当化する」という言葉(マキャベリ本人が書いたわけではないと断りつつ)は、自分にとっては美意識に近い、と語ります。
小笠原さんの見立てでは、倫理観とは美意識をある程度放棄した状態です。いちいち美意識を働かせなくても、それに沿っておけば大丈夫というものに見える、というわけです。都度判断することと、一定の法則に沿っておけばよいこと。どちらに美意識が必要かといえば、前者だと考えます。
一定の規範に沿っておけば大丈夫。都度、美意識を働かせる必要がない。小笠原さんは「思考停止に近い」と表現。
その都度、自分の美意識を働かせて判断する。マキャベリズムも法則ではあるが、より美意識が必要とされる。
木原さんはここから、多くの日本人が倫理観の中で仕事をしているからこそ、本来ブレイクすべきところができていないのではないか、という問題提起につなげます。倫理観に縛られることで、その人本来の能力値が制限されている可能性がある、というのです。
もっとも二人は、この回での「倫理」「美意識」の使い方が"雑"であることを自覚しています。道徳と倫理の違い、東洋の思想と西洋の哲学の違いなどを差し引いた、あくまでカジュアルな議論だと断りを入れています。
冷徹な判断はAIが得意になる時代
議論はAIへと展開します。木原さんは、倫理観のない状態での冷徹な判断——抜け道探し、効率化、相手の弱みをつく、賢い立ち回り——は、AIがとても得意なのではないかと指摘します。
小笠原さんは、それはシミュレーションの質と量の問題だと応じます。将棋でAIに勝ちづらいのは、何手先までを何百万回もシミュレーションできるからです。一定のパターンの中で、確率に落とし込んで検討できることは、AIの得意領域だ、というわけです。
そこから木原さんは逆説的な問いを立てます。冷徹で確率的な判断をAIが担うようになった時代には、むしろ「人間として何が正しいか」「人間としてどう行動すべきか」を判断できることのほうが、稀有な存在になっていくのではないか——。かつては倫理的な判断をしない人が多数派だったが、AIの登場でその構図が反転するかもしれない、という視点です。
たどり着いた答えは「愛」
この流れで小笠原さんの中で議論が一気につながります。以前の教職員総会で理事長が「愛」の話をしていたことを思い出し、「そこに帰着するんじゃないか」と語ります。倫理観や道徳観、つまり「こういう時はこうする」という規範ではなく、愛というものを持っていることで、人間としての判断へ向かおう、という理解です。
だからやっぱり倫理観どうでもいいや。愛を持つかどうかっていうことで考えていこうかな、僕は。
倫理観が難しいのは、その中身が時代とともに変わっていくからでもあります。百年前や二百年前に当たり前だった行動が、今では「おいおい」と断罪される。しかもその断罪までのスパンが短くなり、十年前の言動さえも問われる世の中になっている、と二人は語ります。
小笠原さんは「倫理には従いますよ。ただ、好きでいられるかどうかがすごく難しくなった」と本音をこぼします。時代とともに許容範囲が変わることは受け入れつつ、そのハードルの動き方に居心地の悪さを感じている様子です。ペナルティを与えるなら、いっそ法制化してほしい、とも語ります。
まとめ
最初の問い「倫理観ないやつの方が成功するのでは」に対する二人の結論は、明快でした。それは多くの場合フェイクである、というものです。「そもそも倫理観とは何か」が曖昧なうえに、本人がそう見せたがっていたり、周りがそう見ていたりする。その正体は、バイアスや戦術的な振る舞いなのではないか、というわけです。
イーロン・マスクの突然のリストラも、倫理観として叩かれる一方、それがエネルギー問題を解決し地球を救うのであれば倫理的な行動だ、とも言える。結局「どこで見るか」「どう解釈するか」次第であり、人は自分の解釈を普遍的なものにしたい欲求を持っている——。逸脱した人が成功して見える現象の正体は、そこにあるのではないか、と締めくくられました。
逸脱したやつが成功するみたいな話の正体は、それかなっていう。まあそう見せるしね。
- 倫理観の基準は所属する社会によって異なり、ある社会での成功者が別の社会からは破綻者に見えることがある。
- 「逸脱した成功者」の多くは、本人がそう見せていたり、周りがそう見ていたりする。本当の破綻者は少ない。
- 倫理観に沿うことは美意識の放棄に近く、都度判断することにこそ美意識が必要だ、という見方が示された。
- 冷徹で確率的な判断はAIが得意になるため、逆に「人間として正しい判断」ができることが稀有な価値になる可能性がある。
- 倫理観や道徳という規範ではなく、「愛を持つかどうか」で考えるという着地点にたどり着いた。
