AIで誰でもゲームが作れる時代
今回のテーマはゲーム。ただし「面白かった」という雑談ではありません。AIによって誰でもゲームを作れる時代になり、今後ゲームはどうなるのか、子どもたちや自分たちはどう接していくのかを考える回です。
小笠原さんは、コードが書けない人でもプログラムを作れるようになってきた現状を指摘します。実際に木原さんがその場でスマホのClaudeAnthropic社が開発する対話型AIアシスタント。文章生成のほか、指示に応じて簡単なプログラムやアプリを作ることもできる。に「あなたと対戦できるオセロを作ってください」と入力すると、収録中に「四目並べ」ゲームが完成。難易度選択まで自動で提案されました。
「あるものは簡単に作れる。だからこそ創意工夫が大事になる」と小笠原さん。AIで作ると創意工夫が薄くなると言う人もいますが、むしろオセロをもっと面白くしようとしたり、普段チャレンジしないことができてしまう。一方でチェスや将棋のように、膨大なパターンをシミュレーションするAIには人間の脳のスピードでは勝てなくなってきている領域もあります。
チェス・将棋など。膨大なシミュレーションで人間が勝ちにくくなる領域。
オセロを面白くするなど、創発的に新しいものを生み出す関わり方。
子どもたちはすでに「作って遊ぶ」
「創発的に一緒に作る」を、今の小学生や中学生はもうやっているのか。木原さんの問いに、小笠原さんはRobloxユーザーが自分でゲームを作って公開し、他のユーザーと一緒に遊べるオンラインプラットフォーム。常時数千万人規模が滞在するとされる。やMinecraftブロックを組み合わせて自由に建築・工作ができるサンドボックス型ゲーム。決まったゴールがなく、遊び方をユーザー自身が作る。を挙げます。子どもたちは自分でルールを作って遊んでいるのです。
これは、子どもの頃の鬼ごっこに地域独自のルールがあったのと同じこと。慣れると小さなコミュニティで新しいルールが追加されていく。それをネットワーク上でやっているだけで、遊びの本質は変わっていない、というのが小笠原さんの見立てです。
作れるんだから子供は作るでしょ。
っていうはずなんですけど、多分わからないと思うんですよ、皆さん。
木原さんは、まだ子どもが小さくRobloxなどをやっていない立場から「想像がつかない」と正直に語ります。大学の理事に「今の子どもはこんなゲームを作っている」と伝えたら驚くだろう、と。この四月から年長になる自分の子にも「そろそろやらせなきゃ」と感じたようです。
ゲームの本質と「作る」の広がり
十年前、二十年前のゲームは設計がガチガチに作り込まれ、決められたことだけで楽しむものが大半でした。それがオープンワールド広大なマップ上をプレイヤーが自由に探索・行動できるゲーム形式。決められた順路がなく、遊び方の自由度が高い。へと変わり、自分で決められる「遊び」の余白が広がってきました。木原さんは、柔軟なものを作れて思考が変わっていく今の子どもたちを「羨ましい」と語ります。
ただし小笠原さんは、昔のゲームにも余白はあったと指摘します。それがバグや裏技。作り手側もイースターエッグとして自分の名前が出るように残していたりと、あれも一つの「揺れ幅」だったのです。
話は「作ること」がゲームに組み込まれている例に広がります。ゼルダの手焼き(工作)や、モンハンでの武器づくりなど、作る行為を遊びの中に入れ込んでいる点が魅力だといいます。
小笠原さんは、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』でゲームの本質はないと論じたことに触れ、「遊べれば、試行錯誤できればゲームでいい」と言います。RobloxもMinecraftもフォートナイトも、その中で「作る」ことができる。フォートナイトは映画すら作れるゲームエンジンUnrealEpic Games社のゲームエンジン「Unreal Engine」。ゲームだけでなく映像制作にも使われる高性能なツール。のフロントエンドのようなもので、AIに「オセロ作って」と頼むのとほぼ同じ。作りたいものの幅が広がること自体が、ゲームの拡大に見えて面白い、と語りました。
誰でもゲームを作ってくれるアプリがあれば、今のインスタントなゲームで広告収益を稼ぐモデルはなくなりそうだ、という見立ても出ました。
ゲームUIと現実──軍事技術の話
ここで話は「ゲーム的なUI」が現実の軍事にも使われている点へ。木原さんは、公開された映像で見た「ゲームみたいなUIで人を特定して爆弾を落とす」光景に衝撃を受けたと語ります。会社名はPalantirアメリカのデータ解析企業。軍事・諜報分野で大量のデータを統合・可視化するソフトを提供することで知られる。でした。
小笠原さんは、ディフェンスやインテリジェンス系企業のUI/UXはたいていゲームっぽいと補足。以前AnthropicがClaudeを軍事目的で使わないよう「レッドライン」を引いたものの、Palantir経由でClaudeが使われた件にも触れます。精密に情報を握り、ワンクリックでピンポイント攻撃できることを世界に発表する異常性を、木原さんは指摘しました。
軍と民間の境目が下がらざるを得ない状況も進んでいます。日本でも東京のCICスタートアップ支援を行う施設・拠点。国内外の起業家や企業が集まり、防衛省もオフィスを構えるなど官民の接点が生まれている。という支援施設に防衛省がオフィスを構え、スタートアップと接点を持ち始めているといいます。
さらに小笠原さんは、1980年頃の映画『ウォーゲーム』を紹介。国防総省につないだコンピューターで核戦争のシミュレーションが動く物語で、「今とあまり変わっていない」と語りました。
「ゲームが人を変える」という因果への疑問
木原さんは学生時代に流行った議論を振り返ります。マイケル・ムーアアメリカの映画監督。『ボウリング・フォー・コロンバイン』などで銃社会や暴力の問題を扱ったドキュメンタリーで知られる。らが語っていた「戦争ゲームや人を殺めるゲームをやると、現実でもそれをやる人が増える」という主張。一方で「いや、武器を売れる社会が悪いのでは」という反論もあり、ゲームを悪とするかどうかが常に論点になっていたといいます。
これに対し小笠原さんは、そこまで影響力のあるコンテンツは少ないという立場をとります。逆説的な例として挙げたのが「セキュリティ」を扱ったコンテンツ。攻撃を受けたり自分がやらかして問題になる作品は数多くあるのに、それを見たからといってセキュリティ対策をきちんとやる人は増えていない、と。
暴力的なゲームをやると現実でも暴力をふるうようになる。
セキュリティを扱う作品を見てもセキュリティをやらない人は無数にいる。相関は示せても因果とは限らない。
「考え方の一つとして、一部相関性があることは理解する。でも因果関係が定かでないことをさも新説のように言われると困る」──小笠原さんはそう整理します。木原さんも「思う派」だと同意しつつ、いろんな考えの人がいることも受け止めていました。
作業をゲーム化するメタ認知
最後に話は「働くこと」へ着地します。木原さんは「あらゆる業務の作業レイヤーが、もっとゲーム的になってもいい」と提案。単純作業がゲームのように楽しめたら、と。
小笠原さんはこれを一歩進めます。誰かが作ったゲームではなく、目の前の作業を「ゲーム的に捉えられるメタ認知」を持てる人をいかに増やすか。それこそ今やるべきことだ、というのです。
例に挙がったのはドラクエのレベル上げ。興味のない人にはただの作業でも、面白いと思える認知があれば作業ではなく面白みになる。この構図は仕事にも当てはまります。
楽しめるストーリーを会社が出してくれる。働き手は受け身になる。
自分でストーリーを作れる人になる。どんな作業・業務でもより良く進み、自律的に動ける。
小笠原さんはこれを、以前話した「主体性と自主性」の話にもつなげます。自分でゲームのストーリーを作り、どのロールプレイをするかを選べる人は、自律的に動けるはずだ、と。
AIが誰でもゲームを作れる時代にしたからこそ、人間に残る役割は「与えられたゲームを遊ぶ」ことではなく「自分の目の前をゲームとして捉え直す」ことなのかもしれません。話し足りない様子を残しつつ、この回は締めくくられました。
まとめ
AIによってゲーム制作が民主化され、子どもたちはRobloxやMinecraftで「遊ぶ」と「作る」の境目を軽々と超えています。しかし遊びの本質は昔から変わっておらず、変わったのは「作りたいものを作れる幅」でした。その延長で人間に残る役割として浮かび上がったのが、作業や仕事すらゲームとして捉え直す「メタ認知」の力です。会社からストーリーを与えられるのではなく、自分でストーリーを作れる人こそ、自律的に動ける──二人の対話はそこに着地しました。
- AIで「あるもの」は簡単に作れる時代になり、価値は創意工夫へと移っている
- 子どもはRobloxやMinecraftで自らルールを作って遊び、遊びの本質は昔から変わらない
- ゲーム的なUIは軍事・諜報の現場でも使われ、エンタメと現実の境目は下がりつつある
- 「ゲームが人を暴力的にする」という主張は相関と因果の混同という指摘
- 人間に残る役割は、作業や仕事をゲームとして捉え直す「メタ認知」を持つこと
