📝 エピソード概要
本エピソードは、渡邉康太郎氏の約5年ぶりとなる新刊『生きるための表現手引き』の刊行を記念し、担当編集者の的場優季さんをゲストに迎えた対談の初回です。「なぜ大人になると人は表現者でなくなってしまうのか」という根源的な問いを中心に、表現の本質を掘り下げます。
子供の頃誰もが持っていた表現への衝動が、義務感や他者評価によっていかに抑制されるかを考察。表現をタスクから区別する「遊び」や「余白」の重要性が議論され、大人が表現欲求を取り戻すためのヒントが提示されています。
🎯 主要なトピック
- 渡邉康太郎氏の新刊発表: 渡邉氏が11月末に『生きるための表現手引き』を刊行予定であること、およびゲストの的場優季氏(NewsPicks Publishing編集者)が担当編集であること、荒木氏が二人をつないだ経緯が紹介されました。
- 大人になると表現者でなくなる問いの提示: 的場氏より、「子供の頃は誰もが表現者だったのに、大人になるとためらってしまうのはなぜか」という本エピソードの核となる問いが投げかけられました。
- 表現は「自認」と「欲求の抑制」に左右される: 表現は他者からの評価よりも、本人が「表現している」と自認できるかどうかが重要であり、人生の早い段階で欲求が抑えつけられると衝動が弱まるという洞察が共有されました。
- 表現に必要な「遊び」と「余白」: 荒木氏のピアノ経験を例に、決められたタスクや義務感(先生に怒られないため)で取り組む行為は表現ではなくなり、本人の創意や感情を込めるための「遊び」や「余白」が不可欠であることが強調されました。
- 教育における表現の機会の欠如: 日本の教育において、美術の時間のように音楽の時間に「自分のモチーフで作曲する」といった、音を心から楽しむための自然な表現プロセスが少ないことが問題提起されました。
💡 キーポイント
- 表現が抑圧される主な原因は、他者から認められるための「褒められる道具」になってしまうことや、「うまくならなきゃいけない」という義務感によるものです。
- 教育を通じて、子供たちは好奇心を示す「クエスチョンマーク」として入学するが、やがて答えを求める「ピリオド」として卒業し、自ら問う心や表現する心を失いがちである。
- 熟達者が表現を楽しむようになるためには、制約の多いタスクから解放され、プロセスに創造性や独創性(クリエイティブな補助線など)を加えられる余白が求められる。
- 表現欲求は、満たされない渇望とも言える一方で、目の前の仕事が手一杯ではない、ある種の余裕や心の余白がある時にこそ生まれやすい側面がある。
- 次回のエピソードでは、この議論を引き継ぎ、「大人が表現欲求を持つタイミング」や、大人になってからの表現のあり方について深掘りされる予定です。
