馬にブラッシングしながら聞こえた「君たちも家畜なんじゃないの?」
シリーズ「馬から見た現代人。私たちは自由か家畜か」の2回目は、康太郎さんによる前回の振り返りから始まります。前回の起点は、金子拓人さんが札幌の牧場で参加したホースローグという体験でした。
金子さんは医療者として清潔と不潔を厳しく捉えていますが、馬小屋の掃除では不潔と感じなかったといいます。馬は草しか食べないため、糞は「馬と草」でできているようなものだという気づきがありました。
その気づきから、清潔と不潔の考え方そのものが限られた概念ではないかという問いが生まれました。前回は、綺麗すぎる現代の環境が人間と共生する菌の多様性を失わせているかもしれない、という話にまで広がっています。
馬から見た現代人って、馬から見ちゃうってどういうことなんだっけ?
康太郎さんのこの問いに対し、金子さんは、ホースローグで聞いた話を紹介します。馬は人間が家畜化してできた動物で、攻撃するための角も牙もなく、逃げることしかできないといいます。
金子さんは、速く走り、力が強く、荷物を運べるという、人間に都合のよい性質を持つ馬を見て「家畜化されているんだな」と感じたそうです。そのうえで、馬にブラッシングしながら、馬の側から人間はどう見えるのかを考えたといいます。
そのとき金子さんは、馬から「君たちも家畜なんじゃないの?」と言われたような気がしたと話します。柵の中の馬を家畜と見ていた自分自身が、社会という柵の中に囲われているというイメージが湧いたのです。
金子さんは、社会という柵の中の現代人がなぜ家畜化したのか、その過程で何が強くなり何が弱くなったのかを、皆と共有したいと語ります。
人工的なルールに従う人間は、馬にどう映ったのか?
金子さんの問題提起を受けて、ヒロさんは家畜化を「人工的に作り上げられたルールに従って協調して生きていくこと」だと捉えます。その定義なら、人間はものすごく家畜化されていると考えられます。
ヒロさんが例に挙げたのは、ホースローグに参加した40人の人間です。40人が集まっても場がカオスにならず、時間になれば母屋に移動し、決められたアクティビティを和やかにこなしていきました。
僕らはそこ(ルール)に従順に従って誰も疑問を呈さないみたいな。その姿は馬から見ると家畜40匹が来ましたねって思ってたかもしれないね。
一方で康太郎さんは、「人なれ」と家畜は違うと指摘します。人なれは個体の問題ですが、家畜は種全体が人間と共生できる性質を持つ点で、動物の場合は区別されるといいます。
康太郎さんは家畜の歴史の古さにも触れます。リビアの1万2000年前の岩絵には、人間が犬と一緒に狩りをしている様子が描かれているそうです。
さらに康太郎さんは、日本語の「家畜」は動物を想像させますが、英語のドメスティケーション ── 野生の生物を人間の管理下に置き、人間との関係の中で性質を変えていく過程。日本語では「家畜化」「栽培化」と訳し分けられることがありますには植物も含まれると話します。科学の世界でも、家畜の決まった定義はまだないといいます。
地球上で最も繁栄しているのはトウモロコシ?
植物の家畜化の話として、康太郎さんは「地球上で最も繁栄している生物は実はトウモロコシである」という説を紹介します。トウモロコシの年間生産量は8億トンほどで、全人類の体重を合わせても3億トンくらいにしかならないそうです。
今日ピュッとUFOで宇宙人がやってきて、この星を観察した時に、どの種が一番いるかなって見たら、人間よりずっとトウモロコシが繁栄している。ここはトウモロコシの星だなっていう認識になる可能性がある。
康太郎さんによれば、この話は生物学者の福岡さんが本で取り上げているものです。トウモロコシは動物の飼料になり、清涼飲料水の糖分にも使われるため、福岡さんによれば日本人の体の4割ほどはトウモロコシでできているらしいといいます。
金子さんは栄養の専門家の立場から、清涼飲料水に入っている異性化糖 ── でんぷんを分解したブドウ糖の一部を果糖に変えて作る液状の糖。日本では「ブドウ糖果糖液糖」などの名称で表示されますはトウモロコシから作られると補足します。理由はひたすら安いからで、同じ重さでも砂糖より強い甘みを感じるため、原価を抑えたい企業に使われているそうです。
ヒロさんは、似た議論として『サピエンス全史』 ── イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの著書。人類の歴史を認知革命、農業革命、科学革命などの視点から描いた世界的ベストセラーですで語られる「小麦が人間を家畜化した」という話を挙げます。
限られた地域
もともと小麦は限られた地域でしか育たなかった
農業の開始
人間が農業を始め、世界中の肥沃な土地が小麦畑に変わった
小麦の成功
小麦にとっては生存戦略の成功といえる
人間の定住
人間は逆に、小麦によって定住化を促された
金子さんは「人間がトウモロコシや小麦を育てていると思いきや、育てられている」とまとめます。康太郎さんは、猫と遊んでいるつもりが猫に遊んでもらっているという話や、深淵を覗き込むと深淵もこちらを覗いているという言葉になぞらえました。
変にメタ視点をつけると、我々は家畜なのであるということで、なんか知らない方がいいんじゃない?そんな面倒くさいこと考えるからさ。
人間は自分で首輪をつけているのか
康太郎さんが「人間は何の家畜なのか」と問うと、金子さんは「人間が作った概念、システム、社会、文化の家畜」だと答えます。人間は自分で自分に首輪をつけているようなイメージだといいます。
金子さんはさらに、人間にはある程度縛られたいという欲求もあるのではないかと話します。例として、厳しい彼女に束縛されていたいと思う男性を挙げました。
自由韻律で詩を書けって言われるとちょっと手がかりがないけど、575で書けって言われたらなんかできる気がするっていうのは、制約、文字数制約っていう縛られを望んでいるっていうところあるよね。
金子さんは、ピアノも88鍵という制約があるから多くの曲が生まれると話を続けます。好きな映画『海の上のピアニスト』では、主人公が「陸では鍵の数が88にとどまらないから弾けない」と言って船に残るのだそうです。
ヒロさんはそれも自己家畜化だと受け止め、本来の自由とは何かを考えます。自由という概念を享受しきれないから家畜化を選び、枠があるほうが安心できる、という見方です。
金子さんは、授業や拘束時間のある子どもは、社会人以上に制約がはっきりしていると指摘します。康太郎さんも、子どもであること自体が、お酒を飲めない、社会に出られないといった制約の集まりだと応じました。
自己家畜化が精神疾患を生む?
ヒロさんは、精神科医の熊代徹さんが新書で書いた『人間はどこまで家畜か』を紹介します。この本は、現代人の精神構造を家畜というキーワードから読み解いているといいます。
ヒロさんによれば、熊代さんは、人間が家畜としてのルールを自ら定めるからこそ、そのルールに反するものが病気や異常として扱われると論じています。人間は自分で自分の首を苦しめている滑稽な存在だ、という見方です。
ルールを定める
人間が家畜として従うルールを自ら作る
外れ値が生まれる
そのルールや物差しにそぐわない行動や特性が目立つ
病名がつく
外れ値に病名や症状名がつき、対処の対象になる
金子さんは「無人島でADHD ── 注意欠如・多動症。不注意や多動性、衝動性などの特性が日常生活に影響する発達障害の一つですはないと思う」と同意します。ADHDは他者との関わりの中でしか存在しない概念で、社会にそぐわない行動に線が引かれるからだといいます。
康太郎さんは、IQという物差しの中で語られる境界知能 ── 一般にIQがおよそ70〜84程度の範囲を指す言葉。知的障害には該当しないものの、生活や学習で困りごとを抱えやすいとされますも、物差しの外れ値という点で似ていると話します。
ヒロさんは、テクノロジーの進化が速いほどルールの変化も大きくなり、適応できない人が病気扱いされやすくなると指摘します。そのうえで、長寿社会では適応しづらい期間も延びるため、「病気大国みたいになっちゃう」と懸念しました。
社会が変わりすぎるから、本当はもっと僕らの寿命も短く、遺伝子をつないでアジャストしやすい種になっていくべきなのかもしれないとかも思ったりする。
馬は家畜に入らない?最新論文の定義
康太郎さんは議論の論点として、どこからが家畜なのか、自由とは何なのか、社会の中で作られる物差し、の3つを挙げます。そのうえで、今年5月に出て物議を醸している論文を紹介しました。
マサチューセッツ大学のキャスリン・ロードキャスリンロードさんによる論文は、科学的な家畜の定義はいまだ合意されていないという立場を取ります。そのうえで、人間の活動の影響を受けたニッチ ── 生態系の中で、ある生物が占める役割や生活の場のこと。「生態的地位」とも呼ばれますに適応して進化し、人間がいないと繁栄できない生物集団を家畜と定義しているそうです。
康太郎さんによれば、この定義では犬やトウモロコシ、トコジラミまでが家畜に入る一方、馬やミツバチは入りません。野生の馬もいて、人間がいなくても生きていけるからです。金子さんは「入らないが面白い」と反応しました。
康太郎さんは、定義の線の引き方に人それぞれの美意識が表れると話します。ただ、この場は科学の厳密さを追う場ではないので、こうした定義は思考のきっかけとして使い、自分たちの問いを深めたほうが面白いとまとめました。
人間は「栄養を外注」する弱い生き物
ヒロさんが医療や栄養の話を振ると、金子さんは、人間が家畜化していくのはある意味自然で、ならざるを得ない部分もあると話します。人間は構造上、弱い部分が大きいからだといいます。
金子さんによると、単細胞生物はビタミン不足で死ぬことがなく、すべて自己完結できます。一方、高次機能を持つ人間は進化の過程で失ったものがあり、その一つが栄養で、人間は栄養を外注していると金子さんは表現します。
金子さんが分かりやすい例として挙げるのがビタミンCです。ヤギはグルコースから酵素を使ってビタミンCを体内で作れるため、風邪を引くと大量に作り出すといいます。
ただし、ヤギは赤と緑しか見えず、ビタミンCが豊富な果物を色で見分けられません。人間はビタミンCを作れない代わりに、レモンやミカンなどの柑橘類を黄色という色で識別して収穫できます。
グルコースから体内でビタミンCを作れるが、色の識別が苦手で果物を見分けられない
体内でビタミンCを作れないが、柑橘類を黄色で見分けて外から取り入れられる
金子さんは、外注しないとやっていけない人間は、簡単に栄養不足になり、簡単に風邪を引く弱い存在だと話します。だからこそ人間は、家畜化を進めて協力し合い、文明を発展させなければ生存できなかったともいえるといいます。
この話に康太郎さんは「すごい疑問が湧いてきた」と反応しますが、その疑問は次回の冒頭に持ち越され、2回目は締めくくられました。
まとめ
2回目では、馬から見れば人間も家畜ではないかという問いが、作物、制約、精神疾患、家畜の定義、栄養へと広がりました。人間は社会や文化という自ら作った柵の中で生き、その枠によって安心や創造性を得る一方、枠からの外れ値を病気として扱う面もあることが語られています。
- ヒロさんは家畜化を「人工的なルールに従って協調して生きること」と捉え、その意味で人間は強く家畜化されていると話した
- トウモロコシや小麦の繁栄から、人間が作物を育てているのではなく育てられているという見方が示された
- 575や88鍵のように、人間は制約を望み、枠があることで創造や安心を得ている面がある
- 自ら定めたルールが、そこから外れたものを精神疾患などとして扱う構造を生むという指摘があった
- 金子さんは、栄養を外注する弱い存在だからこそ、人間は協力と家畜化を進めてきたと語った



