イスタンブール行きと課題図書の話から
この回の冒頭、荒木博行さんは年明けの2026年1月に3人でイスタンブールへ行く予定だと話します。深井龍之介さんはトルコが初めてで、とても楽しみにしている様子です。
めちゃくちゃ楽しみ。俺、トルコ初めてだから。行ったことなくて。
トルコに行ったことがあるのは渡邉康太郎さんだけでした。渡邉さんは、トルコ語や少数言語を研究する言語学者・小島剛一さんの本を、旅行記でありながら言語学にも触れられる一冊として薦めます。
3人はその本を旅の課題図書にしようと盛り上がります。また、1年前の香港では現地収録のデータが失われてしまったため、深井さんは今回はマイクをパソコンに直接つないで録ると意気込んでいます。
(香港の収録データは)失われたなぁ。どっか行ったな。だからもうパソコンに直接録ろ、今回は。
CQ BANKが投げかけた「贈与」という問い
今回のテーマは、荒木さんが提案した「贈与」です。きっかけは、関西電力の新規事業として立ち上がったCQ BANK ── 関西電力が新規事業として立ち上げた金融サービス。預金を社会的な取り組みへの投資につなげる試みとして紹介されていますという金融の実験でした。
荒木さんによると、CQ BANKは預かった預金をCO2削減などのソーシャルグッドに投資し、生まれた金利も社会に役立つ形で還元していく仕組みです。立ち上げに関わった神代さんと話す機会があり、荒木さん自身もこの取り組みに協力しているといいます。
短期的にその金利をお返しするっていう感じというよりは、それがまた社会にいい形で還元されるようなお金の流れを再設計するみたいな。
荒木さんは、深井さんがCOTEN RADIOなどで、株式会社が短期的な利潤を追うことの愚かしさを語っていることにも触れます。荒木さんもその考えに賛同しつつ、実際にそこへ至るには多くのハードルがありそうだと感じています。
そこで荒木さんが置いた問いは、短期的な決済ではなく「やがて良くなるかもね」という長い循環を自覚して行動するには、どんなセンスが必要なのか、というものでした。
贈与と交換、ご祝儀はどちらに入る?
深井さんはまず、贈与とは何かを3人ですり合わせるべきだと提案します。深井さんの考えでは、中長期の投資と贈与は別物です。
贈与はなんかリターンがすごい曖昧なんだけど、信頼関係があるから返ってこんとは思ってないけど、究極別に返ってこなくてもギブするみたいな。
渡邉さんは、モース ── フランスの社会学者・人類学者マルセル・モース。著書『贈与論』で、贈り物のやり取りが社会の結びつきを生む仕組みを分析しましたの贈与論にある「与える義務、受け取る義務、返す義務」という3つの義務を紹介します。
これに対して深井さんは、返さない贈与もあるのではないかと、結婚式のご祝儀を例に挙げます。独身のままなら、自分は渡すだけで、もらう機会がないというわけです。
一方で渡邉さんは、ご祝儀は食事をご馳走になり披露宴に参加させてもらう対価のようなもので、その場で決済が完了している感覚があると返します。深井さんもそれを「交換行為」と言い換え、定義は贈与論のものでよいと落ち着きます。
さらに寄付は贈与に入るのかという話になり、渡邉さんは入れてよいと答えます。税控除があっても相手との直接の見返りではない点や、イスラムのザカート ── イスラム教で信者に課される喜捨(施し)の義務。財産の一部を困窮者などに分け与える行為で、五行の一つとされますのように、相手からの見返りを期待しない行為が例に挙がりました。
市場経済の多くを占める行為。ご祝儀と披露宴のように、その場で決済が完了する
リターンが曖昧で、究極的には返ってこなくてもギブする行為。寄付や喜捨も広い意味で含まれる
こうして荒木さんの問いは、決済的になりがちな世の中で、交換を前提にしない行為がどうすれば回っていくのか、という形に整理されました。
日本の「贈与的交換」を支える信頼関係
深井さんは、市場経済が登場する前は贈与行為がたくさんあり、市場経済の浸透とともにほとんどが交換行為になっていったと話します。そのうえで、日本社会はいまだにかなり贈与的だと見ています。
アメリカとかすごく交換行為的な社会だと思うけど、日本はすごく贈与経済でいまだに結構ぐるぐる回ってんなみたいな。
深井さんによれば、ローカルな会社同士が「お返ししなきゃ」と発注し合うように、日本では会社間取引でさえ贈与的です。渡邉さんはこれを、お歳暮やお中元も含めた「中期的な交換」と捉え、深井さんは「贈与的交換行為」と名付けます。
渡邉さんの整理では、贈与的交換行為は交換より長期的でやや間接的な性質を持ちながら、完全な贈与ほどではなく、お互いの関係の中で成り立っています。
深井さんは、贈与ができるかどうかを決めるのは信頼関係だと強調します。相手が騙してこない、奪うばかりでは相手自身も損をする、という前提を互いに共有していることが条件になります。
この人は贈与的行為を行ってくれるであろうという前提がないと贈与ってできないじゃん。
そうした信頼関係がある環境なら、交換だけでなく贈与的な行為も十分に成り立つ、というのが深井さんの見立てです。
経済はシステムではなくカルチャーなのか?
深井さんは、アメリカは寄付で成り立っているのになぜ日本はやらないのか、という問いはナンセンスだと話します。NPOのあり方も、社会が違えば全く違う形があり得ると考えています。
カルチャーベースだよね、全部って思ってるのとね、経済は。システムじゃなくてカルチャーだよねって思ってるので。
渡邉さんは、文化的な行為もシステムと見なせるのではないかと疑問を返します。深井さんの答えは、アメリカの交換と贈与のあり方は日本で再現できないという意味で「システムではない」というものでした。
深井さんによると、日本の贈与経済も同じようにアメリカでは再現できません。文化が違うのは環境が違いすぎるからで、環境と文化は互いに影響し合っているといいます。
環境
その地域や組織でどんな環境が現れているか
信頼関係
環境に応じて、騙さない・奪わないという前提が共有される
文化
信頼関係が高いほど、贈与的な行為が文化として根づく
贈与経済
同質性が高くハイコンテクストな場では、贈与で物事を回せる
渡邉さんが「贈与も交換も不変のシステムではなく文化に依存する」とまとめると、深井さんはそうだと応じます。深井さんにとって鍵は、信頼関係が高いほど贈与的行為は可能になるという点です。
山小屋と海兵隊、命がかかる場所の贈与
渡邉さんは、贈与っぽい実践例として山の文化を挙げます。登山者が山小屋へ水や物資を自発的に運んだり、見ず知らずの人と挨拶を交わしたり、危険箇所の情報をすれ違いざまに伝え合ったりする慣習です。
渡邉さんの解釈では、こうした行為は短期的には無償ですが、長期的にはお互いの命を守る保険のような役割を担っています。
山とかだと困った時はお互い様っていうような、なんかモラルエコノミーみたいなのが起こる。
渡邉さんは、失敗が命取りになりかねない高リスクの閉鎖環境では、人は自ずと贈与モードに切り替わりやすいのではないかと仮説を立てます。市場的な交換なら「金の切れ目が縁の切れ目」で終わるのとは対照的です。
深井さんは、そうした環境では特にセーフティーネット的な贈与に切り替わりやすいと付け加えます。例として、仲間を必ず守るとされるアメリカの海兵隊を挙げますが、事実はちゃんと確認していないと断っています。
深井さんはさらに、人類学者の小川さやか ── 文化人類学者。香港で暮らすタンザニア人商人たちの助け合いや商売のあり方を調査した著作で知られますさんが描いた香港のタンザニア人のセーフティーネットや、ユダヤ人同士の結びつきにも触れます。
セーフティーネットがない弱者の立場に置かれてしまうと、結構そういう挙動に出るっていう、多分に贈与的になるっていうね。
日本は本当に贈与的なのか?公共と世間
荒木さんは議論を整理し、日本はハイコンテクストで信頼関係を築きやすく贈与的になりやすい、というのが前提だと確認します。そのうえで荒木さんの関心は、日本の中で贈与的な行為をどうブーストできるかにありました。
これに対して渡邉さんは、日本が贈与的だという前提は一度疑ったほうがいいと投げかけます。キリスト教圏の「隣人に優しくせよ」のように、見ず知らずの人への親切はむしろ日本の外で起こりやすいのではないか、という指摘です。
日本はなんかその自分の信頼関係を築いている狭いサークルの中で助け合うけど、見ず知らずの人は無視するようなことって多々起こるじゃん。
深井さんは、欧米には公共の概念が濃厚にあり、日本には「世間」という概念がある、という違いで説明します。欧米は社会全体を把握して贈与の対象を探し、日本は目に見える範囲の身近な人へ職能を極めて貢献する、というものです。
社会全体を把握し、関係の薄い人にも贈与の対象を探す
目に見える身近な範囲で、職能を極めて貢献する。江戸時代からの職業倫理
荒木さんは松岡正剛 ── 編集工学を掲げた著述家。日本文化に関する著作を数多く残しましたさんの「おすそ分け」という言葉を紹介し、日本の贈与は近しい間でのシェアとして駆動しやすい一方、社会を変えるダイナミズムへの意識は弱いのではないかと問いかけます。
日本の変化への楽観と、「日本礼賛」への警戒
深井さんは、明治維新や戦後復興のように、日本は歴史の中でところどころ社会を変えるダイナミズムに到達していると反論します。それも意思ではなく、環境の条件が揃うとそういうモードになるのだと捉えています。
むしろこの30年がダメだっただけで、その時代が終わりそうっていう感覚で見てるって感じかな。
深井さんは自分の楽観を「起業家だからだと思う」と笑い、荒木さんはこの話を次回の冒頭で掘り下げようと提案します。
区切る前に、渡邉さんは文化依存という仮説には納得しつつも、主語を「日本」にしすぎないほうがいいと釘を刺します。グラミン銀行 ── バングラデシュで始まった、貧困層に無担保で少額融資を行う銀行。金融で社会課題に取り組む例として知られますのように、国を問わず語れる例もあるからです。
個人的には僕、日本の文化とか伝統とかすごい好きなんだけど、安易な日本礼賛とかすごい嫌いなタイプで。
深井さんも、普通に話すと安易な日本礼賛になると同意します。そのうえで、日本は本当に特殊だと考えているが、それは学んだうえでの判断であり、知識の共有がないまま「日本はすごい」だけが伝わるのは不毛だと話しました。
3人は、その点に注意しながら次回以降の議論を進めることを確認し、初回を締めくくります。
まとめ
初回は、CQ BANKの試みをきっかけに、贈与と交換の違いを整理し、贈与は信頼関係と文化に支えられるという見立てを共有するところまで進みました。日本の贈与をどう評価するかは、安易な礼賛を避けながら次回以降に持ち越されています。
- CQ BANKは、預金と金利を社会にいい形で還元するお金の流れの再設計を試みている
- 深井さんは贈与を「究極、返ってこなくてもギブする行為」とし、交換とは区別した
- 贈与は普遍的なシステムではなく、環境と信頼関係に依存する文化的な行為だと整理された
- 山や軍隊など命がかかる環境では、セーフティーネット的な贈与が生まれやすい
- 欧米の「公共」と日本の「世間」の違いが語られる一方、主語を日本にしすぎない注意も確認された


