15冊目の新刊『努力の地図』と、noteでの公開執筆の挫折
番組の冒頭では、荒木博行さんが最近出した新刊『努力の地図』の話題から始まります。荒木さんにとって15冊目の本で、2月と5月に立て続けに出版が重なったそうです。
お、おめでとうございます。すごい執筆速度。
『努力の地図』は「努力っていろいろあるよね」という内容の本です。渡邉康太郎さんは、荒木さんがnoteで原稿を公開しながら執筆していた試みに注目していたといいます。
ただ、荒木さんによるとnoteでの公開執筆は4、5本でやめたそうです。3000字ほどの一話読み切りでは毎回オチが必要になり、本のテイストと調子が合わなかったと振り返っています。
ウェブメディアというか、そういう単発読み切りと本って、書く側のモチベーションとかなんか全然違うなっていうことを改めて感じた次第。
影山知明さんとは?国分寺のカフェ、寮、そして二人との縁
ゲストの影山知明さんは、東京の西側にある国分寺でカフェを経営しています。著書には『ゆっくり、いそげ』があり、最近は『大きなシステムと小さなファンタジー』を出版しました。
影山さんの自己紹介によると、17年前にクルミドコーヒーを始め、8年前に2店舗目の胡桃堂喫茶店を開き、5年ほど前からは「町の寮」と呼ぶシェアハウス、ぶんじ寮も運営しています。現在はこの3つの拠点を営んでいます。
荒木さんは、教えている武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部に、ぶんじ寮のOBがいたというエピソードを紹介します。影山さんによると、その学生は小林虹朗さんだそうです。
荒木さんと影山さんの出会いは2、3か月前と最近で、共通の知人を介してXの音声配信に出演したことがきっかけでした。荒木さんは影山さんの新刊を読んでいたといいます。
一方、渡邉さんと影山さんの縁は10年近く前にさかのぼります。影山さんの出版レーベルクルミド出版のブックデザインを担当していた人がTakramに就職したことで、二人は引き合わされました。
渡邉さんは『ゆっくり、いそげ』を読んで問題意識を共有したと感じ、胡桃堂喫茶店のオープニングを訪れたり、NTT都市開発のトークイベントに影山さんをゲストとして招いたりしたそうです。
収録では、渡邉さんが付箋だらけの『大きなシステムと小さなファンタジー』を手に、本の中に出てくる影山さんの好きな技「サソリ固め」や、好きな食べ物を当て合う場面もありました。好きな食べ物には熟れていない柿、クルミ、トウモロコシ、むいていない天津甘栗が挙がっています。
「一人ひとりが大切にされる社会」という問いの背景
番組では毎回、ゲストに問いを1つ持ってきてもらいます。影山さんが持参した問いは「一人ひとりが大切にされる社会をつくるには?」でした。
影山さんはまず、この問いの前提に「今、一人ひとりが十分に大切にされていない」という問題意識があると説明します。ただ、その前提自体が必ずしも皆と共有できるものではないと考えており、荒木さんと渡邉さんの受け止めを聞いてみたいと話しました。
問いのもう一つの背景は、影山さんのお店で働くスタッフたちの経緯です。社員やアルバイトの一人ひとりを思い返すと、他の職場でうまく自分を発揮できず、悩み迷った末にお店にたどり着いたケースが多いそうです。
影山さんは、世の中には見えない枠組みがあると感じています。子どもなら子ども、ビジネスパーソンならビジネスパーソンで「こうあらねばならない」という型があり、そこに自分を当てはめられないと「ここにいてはいけない」と有形無形に言われているというのです。
本来、一人ひとりの命はそれぞれにユニークな形をしているはずです。影山さんは、そのことがもう少し尊重される世の中になってほしいという思いが、この問いの根っこにあると語っています。
適応障害は誰の障害なのか、そしてシステム側から始まった荒木さん
渡邉さんは、社会のさまざまな前提に合わせなければならない苦しみを、多くの人が大なり小なり感じているのではないかと応じます。印象に残ったのは、影山さんの本にある「適応障害」という言葉への疑問でした。
私が社会に適応するのに障害があるんじゃなくて、社会の側が私に適応できていないっていう方が実は正しいんじゃないかっていうツッコミに、なるほど、そうかもしれない。
一方で渡邉さんは、こうした目線を持つこと自体が難しいとも指摘します。社会のシステムや前提を疑う目線がなければ、「自分ができないのが悪い」と思うほうが簡単だからです。問題設定ができても、それを抱え続けたり行動に移したりするのはさらに難しいと話しています。
荒木さんも問題意識は共有したうえで、「難しい問い」だと受け止めました。荒木さん自身は、影山さんの言う大きなシステムに適応することで社会人として成長してきた経緯があり、その適応は比較的うまくできたほうだと振り返ります。
荒木さんの最初の配属は、大きな総合商社の人事部でした。システムからはみ出す人たちを目の当たりにしながら、システムをどう運用するかという立場にいたため、早い段階で感覚が麻痺した部分もあるかもしれないといいます。
それがスタートだったから、どっちかっていうとシステム寄りなんですよね、最初の一歩目が。
当時の荒木さんには、悲鳴を上げたり文句を言ったりする人に対して「そこを習熟してこその大人でしょ」という感覚があったそうです。その感覚が年齢を重ねるにつれて徐々に解かれていったのが、荒木さんの成長プロセスでした。
総合商社の人事部からスタートし、システムに適応してこそ大人だと考えていた
年齢を重ねるにつれ、その感覚から徐々に解放されていった
うまく適応している人も、不安と隣り合わせなのでは?
影山さんは荒木さんに、「難しい」とはどういう意味かを尋ねます。荒木さんの答えは、かつての自分と似た感覚の人は多いだろうし、その感覚が完全に間違っているとも言い切れないというものでした。
システムというのがもう回ってしまってるっていう部分もあるから、それをちゃんと理解するっていうこともやっぱり大事なリテラシーだと思う。
それ(システム)を理解するっていうことは、ある種そこに巻き込まれるプロセスでもあるような気もするから。
影山さんは、大きなシステムそのものを否定したいわけではないと強調します。システム的なものとファンタジー的なもの、前著でいう「急げの世界」と「ゆっくりの世界」はお互いを必要としており、それらを包含できる未来像を探りたいというのが影山さんの問題提起です。
影山さんによると、会社などの組織で「会社人たるものこうあらねばならない」というプレッシャーに応えられる人がいるからこそ、今の社会の基盤は成り立っています。影山さんは、その人たちへの感謝を忘れてはいけないとも話しました。
ただ影山さんは、枠組みにうまく自分を当てはめられている人も、どこかで常に不安と隣り合わせではないかと感じています。生成AIの発展のような技術革新で自分の貢献できる領域が奪われるかもしれず、自分を駆り立て続けなければならないプレッシャーを背負っているのではないか、という見立てです。
荒木さんはこの話を、数字というシステムの言語に結びつけます。順位、年収、売上といった数値化は、多様な人をシステムの中で比べるわかりやすい表現であり、上に行けば承認欲求も満たされます。
喫茶店のマニュアルと古代ローマの法、システムは誰のものか
渡邉さんが「システム」という言葉から思い出したのは、『大きなシステムと小さなファンタジー』に出てくるお店のマニュアルの話です。システムは、誰かが作ろうとしなくても自然に生まれてしまうことがあるといいます。
喫茶店の業務にマニュアルがなくても、働くうちに「こうするとスムーズ」「こうすると喜ばれる」という型ができていきます。その型が受け継がれ、毎回違うことをするより既存のルートをたどるほうが楽なので、従うことが自然になっていきます。
工夫が生まれる
働く中で、スムーズなやり方や喜ばれるやり方が見つかる
型として伝わる
経験者が新しく入った人にそのやり方を伝える
マニュアル化する
既存のルートをたどるほうが楽なので、皆が従うようになる
変えにくくなる
皆が守り続けると、型を作った人でさえ変えるのが重くなる
渡邉さんは、大きな政府や企業を想像しなくても、人が複数集まるだけでシステム的なものが生まれてしまうという話がとてもわかりやすかったと話します。
そこから渡邉さんが連想したのは、塩野七生 ── イタリア在住の歴史作家。古代ローマの興亡を描いた大作『ローマ人の物語』で知られますさんのエッセイの後書きにあった、ローマ人と法の付き合い方の話でした。ギリシャ人は哲学に、ユダヤ人は神に、ローマ人は法に自分たちを正す拠り所を求めたという内容です。
渡邉さんが特に面白いと感じたのは、ユダヤ法とローマ法の対比です。ユダヤ法は神が定めて人に与えたもので変えられない一方、ローマ法は人が作った道具であり、必要に応じて書き換えるのが当然とされていました。
神が定めて人に与えたもので、神聖で不可侵。変えることはできず、神の法のもとに人がいる
人間が作った道具で、神聖でも不可侵でもない。必要なら書き換え、人のもとに法がある
渡邉さんは、宗教や血筋によらず市民として投票に参加できた古代ローマには、多くの人がシステムづくりに参加できる下地があったのではないかと考えます。ただし、この理解は間違っているかもしれないと断ったうえでの話です。
システムに操られるんじゃなくて、システムを作り替え続けることができる土壌っていうのは、なんか世の中にあって。
渡邉さんは、システムを作り替え続けられる土壌こそが、組織や共同体らしさを形づくる要素の一つになりそうだと話します。荒木さんも、一口にシステムと言ってもいろいろな形があるということだと受け止めました。
渡邉さんはさらに、影山さんが本で「植物のような命の形」と表現するような、柔らかく生物的なシステムもありうるのではないかと考え、寮や喫茶店での実践について影山さんに問いかけます。
変えられるはずのシステムが、なぜ変えられない感じがするのか
影山さんは、法をわかりやすいシステムの例として受け止めます。現代の法も政治というプロセスを通じて変えられるし、会社の運営もさまざまな意思表明の手段で一定程度は反映できるはずだといいます。
それでも「こんなに変えられない感じがする」のはなぜなのか、と影山さんは問いを重ねます。最初は人が作ったはずのルールやシステムが作り手の手を離れて絶対化し、作った人さえ従属していく、システムの自己増殖がその理由として語られました。
影山さんは51歳で、これまでの人生の中でもシステムの力がより強大になってきた感覚があるといいます。かつては学校でも会社でも、身近な世界を自分の働きかけで変えうる感覚があったそうです。
影山さんにとって、システムがえらく大きなものになってしまったという感覚が、一人ひとりが大切にされていないという問題意識につながっています。渡邉さんも「あるかも」と応じました。
初回の締めくくりに、荒木さんは次回への論点を示します。影山さんが言う「最近システムが強くなっている」という感覚が本当に時代的なものなのか、それとも昔からそうなのかを理解しておきたいというものです。渡邉さんも、それは話してみたいと応じて初回を終えました。
まとめ
初回は、影山知明さんの問い「一人ひとりが大切にされる社会をつくるには?」の前提として、見えない枠組みに人を当てはめるシステムの重さが語られました。システムを否定するのではなく、作り替えられるものとしてどう取り戻すかが、次回以降の論点になりそうです。
- 影山さんのお店には、他の職場で自分を発揮できずにたどり着いたスタッフが多く、それが問いの背景にある
- 渡邉さんは「適応障害」を、個人ではなく社会の側が適応できていない状態と捉え直す視点に共感した
- 荒木さんは人事部からキャリアを始めたシステム寄りの経験から、問いの難しさと、うまく適応している人の不安を語った
- 喫茶店のマニュアルや古代ローマの法を例に、システムは自然に生まれ、作り替え続けられる土壌が重要だと話された
- 次回は、システムが強大になったという感覚が時代的なものなのかを掘り下げる


