ルールのないシェアハウスは、なぜ回り続けるのか
この回は、影山知明さんを迎えた「一人一人が大切にされる社会を作るには」というテーマの最終週です。冒頭で影山さんは、二人と話すのが楽しいので「あと10時間ぐらいやりたい」と笑って答えます。
一方の荒木さんは、影山さんと自分との考え方の「差分」に愕然としていると打ち明けます。まだ理解しきれていない部分が多いので、最終回で深めたいという気持ちです。
いろんな意味ですごいまだ理解しきれてない部分がたくさんあるので、ちょっと最終回でいろいろ深めてみたいなという気持ちでおります。
渡邉さんは、理想の掲げ方には共通点が多いと感じつつ、影山さんの実践の量に驚いたと話します。そして、ぶんじ寮のルールのなさを受け入れる姿勢には、自分の人生が揺さぶられ続けることを歓迎する態度があるのではないかと指摘します。
続いて渡邉さんが前回を振り返ります。ぶんじ寮では、入居者が自己紹介のたびに「ここはルールのないシェアハウスです」と必ず言い、経営側だけでなく住人もその認識を更新し続けているといいます。
ぶんじ寮では入居者選定をせず抽選にしているため、出入りのたびに全員が揺さぶられ、それ自体が文化になっています。揺さぶりの例として、連絡ツールのSlackをなくした判断も前回紹介されました。
こうした実践を可能にしているのが、影山さんが長年の取り組みで育ててきた社会関係資本 ── 人と人とのつながりや信頼関係を、経済的な資本になぞらえて捉える考え方。つながりが豊かなほど協力や挑戦が生まれやすいとされますです。ぶんじ寮をやりたいと言えば、一緒に汗をかく人が12人集まる土壌が国分寺にはすでにあると前回語られていました。
前回はさらに、ルールメーカー型の人はトラブルが起きるとすぐ対策ルールを作りがちで、待つことが苦手だという話も出ました。人は仕組みがあると信じすぎて自分で考えなくなるのではないか、という問題意識から、ノーマネーデーやノースマホデーのアイデアにも話が広がっていました。
人間の潜在能力は10か、20か
前回を振り返った荒木さんは、人間のポテンシャルが大事なテーマだと感じたと話します。荒木さんは、自分と影山さんでは人間の潜在能力の見積もりが違うのではないかと考えています。
多分影山さんはその僕が、例えば人間が持つポテンシャルが10あるよねって思ってたら、影山さんは20ぐらいを見てるんだと思うんですよ。
でも僕は10しか見えてないから、11とか12になっちゃう。やばいやばいやばいみたいな。もうちょっと戻さなきゃみたいな。だからルール敷かなきゃみたいな。
荒木さんによれば、上限を20と見ている人なら、少し揺れても「やがて収まる」と静観していられます。ルールを急いで敷くかどうかの違いは、人間の可能性をどこまで見積もるかの違いだというわけです。
影山さんはこの指摘が、渡邉さんの言う「揺るがされることを歓迎する態度」とつながると応じます。影山さんが紹介したのは、ある人が語っていた「学ぶとは別人になることである」という言葉です。
影山さんの理解では、学びとは知識や教養というコンテンツを増やすことではありません。今の自分が持っている視点や言語体系とは違う視点や言語体系を獲得していく過程こそが学びだといいます。
影山さん自身、職歴の前半はマッキンゼー・アンド・カンパニー ── 世界的な経営コンサルティング会社。企業の戦略立案などを手がけ、多くの経営人材を輩出してきたことで知られますやベンチャーキャピタリストとしてビジネスの世界にいました。その後クルミドコーヒーを始め、街と関わる中で得た視座は、それとはまったく違うものだったと振り返ります。
マッキンゼーやベンチャーキャピタルで、ビジネスとコンサルティングの視座を持っていた
クルミドコーヒーや国分寺の街づくりを通じて、まったく別の視座を獲得した
影山さんは、元の潜在能力が10なら、その時点で20になっているようなものだと話します。算数としては合わないけれど、人間にはそれほどの潜在能力があると考えているそうです。
ぶんじ寮や国分寺界隈では、日々の暮らしの中で自分の立ち位置とは違うものを突きつけられます。影山さんは、そこで一人ひとりが学び、潜在能力を顕在化していく過程を、当事者たちも含めて面白がれているのだと語ります。
Takramが「Fewer Rules」を掲げる理由
影山さんの話を受けて、渡邉さんは自身が所属するデザイン組織Takramの文化を紹介します。約70人のTakramには、影山さんの考え方と響き合うカルチャーがあるといいます。
その1つが「Fewer Rules」、つまりより少ないルールという考え方です。労務上のルールはもちろんありますが、働き方についてはあまりルールを作らないようにしているそうです。
基本的にはそのルールを作って安心するんじゃなくて、自分で考えようっていうような信念があって。
渡邉さんによれば、合理的に考えてよい場面では、同じ材料があれば大体みんな同じ結論にたどり着く可能性が高いといいます。だからこそTakramでは、ルールで縛るより一人ひとりが考えることを信じる、という前提に立っています。
渡邉さんは、この姿勢が前回話した「テクノロジーが人の思考の一部を奪う」問題への対策にもなっているかもしれないと話します。
Takramのもう1つの考え方が、成長を信じることです。あるプロジェクトで必要なものを作れる人がAさんしかいない場合でも、Bさん、Cさんが今できないからといって諦めず、半年かけて身につけるという人が大半だといいます。
Takramでは、できる人とできない人を同じプロジェクトに組み、OJT的に覚えてもらうことを文化にしています。教え合い、学び合う機会を少しずつ増やしているそうです。
渡邉さんは、この考え方には共同創業者の田川金谷さんの影響が大きいと話します。自分の成長を信じているから人の成長も信じられるため、今できないことがあまりマイナスにならないといいます。
これって結構親戚の子供の成長をめっちゃ早く感じる現象に何か近いものあるのかなと想像するんだけど、うわぁなんか久しぶりに会ったらめっちゃでかいみたいなのあると思うんですけど。
Takramでも、1、2回プロジェクトで一緒にならないうちに再会すると、相手に新しいスキルや面白い側面が増えていることが日々起きていると渡邉さんは話します。
「成長」ではなく「最大化」という言葉を選ぶ理由
影山さんはTakramの話に近しさを感じつつ、荒木さんが前回投げかけた「本当に待てるのか」という問いにも答えます。影山さんは、揺さぶることに加えて、根っこで大きいのは結果を手放していることだと話します。
影山さんは著書の中で、結果を重んじる「リザルトパラダイム」に対して「プロセスパラダイム」という言葉を使っています。結果がどうなろうといい、という立場です。
影山さんは「成長」という言葉にも慎重です。一般に成長と言うと、こうなることが望ましいという物差しや方向が見えてきて、それもシステムの力学の1つではないかと考えています。
そこで影山さんの周りでは、成長より「一人ひとりの最大化」という言い方を好むそうです。組織にとって望ましい方角かどうかに関係なく、その人が何らかの方向に潜在能力を開花させている状態を、大きくなる、最大化すると表現しています。
目指す結果が先にあり、そのために人も手段として組織の望む方向へ成長させる
結果を手放し、一人ひとりの命がそれぞれの方向へ最大化していく過程を大切にする
組織や場の方角を強制しない結果、ぶんじ寮が2、3か月後に空中分解して解散することも十分ありうると影山さんは認めます。トラブルがトラブルを生んで続けられなくなる未来も、全くありうることだと考えています。
それでも影山さんは、それでいいのではないかと話します。借金が残ったり、事後処理に追われたりすることも含めて、楽しんでいけそうな気がしているといいます。
クルミドコーヒーについても、長く続いてほしい気持ちはあり、努力を軽んじるつもりはないと影山さんは言います。ただ、続けるために人を枠にはめたり、特定の機能を発揮するよう成長を強いたりする気は全くなく、結果を手放しているからこそ自由でいられるのだと語ります。
逆三角形は、なぜ木の形なのか
渡邉さんは、結果を手放すという考え方こそが、影山さんの近著『大きなシステムと小さなファンタジー』で描かれる「三角形を逆転した時の根本的な思想の変わり方」だと指摘し、リスナー向けに補足します。
普通の三角形では、頂点に目指すものが1つあり、その下にそれを実現するための手段がピラミッド型に並びます。これがリザルトパラダイムで、結果のために人ですら手段になる思想だと渡邉さんは説明します。
影山さんはこれを、全体最適というプレッシャーが組織の隅々にまで及ぶ状態だと言い表します。本の主張は、この三角形を逆転させることにあります。
影山さんによれば、逆三角形は木の形に見えます。植物は最初から樹形が決まっているわけではなく、偶発性や縁との関わりの中で伸びるべき枝が伸び、その種にしかない樹形になっていきます。
影山さんは、お店づくりや街づくりもこの木のメタファーで考えればよく、「なるようになる」ということだと話します。
ここで荒木さんは、本の表紙のからくりに気づきます。表紙のイラストは下から見るとビルで、ひっくり返すと木の形になり、タイトルの文字も天地逆に組まれていたのです。
だから大きなシステムと小さなファンタジーが天地逆で組まれていたのか。
荒木さんは、人間が木材として使うために育てる木には正解があるかもしれないが、木という生命体がどう育つかは本来その木次第だと受け止めます。
「異世界の話」に聞こえる人へ、17年の重み
荒木さんは、システムに組み込まれて窮屈に生きているビジネスパーソンのリスナーも多いはずだと話します。そうした人の中には、国分寺の話を影山さんの生態系だからできる「異世界物語」として聞いている人もいるのではないか、と問いかけます。
そういう人に向けてメッセージを投げるとしたら、どんな言葉を影山さんは投げますか?
影山さんは、異世界のように感じられることはあるかもしれないと認めたうえで、ここまでに17年かかっていると答えます。
影山さんは、一人ひとりを大切にし、人を枠組みに当てはめないことを、最初はカフェという単位で、次に街へ、さらに新しい拠点へと広げてきました。17年続けた結果、ようやく土壌が育ち、いくつかの種が芽を出し始めているのが今の状況だといいます。
カフェ
クルミドコーヒーという1つのお店で、人を枠にはめないやり方を始める
街へ
その取り組みを国分寺の街へ広げ、新しい拠点も生まれる
土壌
17年かけて、挑戦を受け止める土壌が育つ
芽
ぶんじ寮など、いくつかの種が芽を出し始める
影山さんは、この17年をもう一度やれるかと言われたら怪しいほど、つらいことの方が多かったと振り返ります。形になるまでは報われない時期を過ごさざるを得ない営みだということです。
それでも今、ようやく他の人にも伝えられるぐらいに形を成してきた感覚があると影山さんは話します。同じ方向性に共感する人にとっては、1回目より2回目の方がスムーズにできるはずだと考えています。
うまくいかなかったことをショートカットするのが必ずしも良いとは限らない、と影山さんは留保します。それでも、こういう世界があると示せれば、後に続く人の道しるべになり、一緒に取り組める人が現れてほしいと語ります。
「国分寺の土になる」という決意
荒木さんは、今後やってみたいことを影山さんに尋ねます。影山さんは、今日明日死んでもやりきったと思えるとしたうえで、寿命が与えられるならやりたいことがいくつかあると答えます。
影山さんは、クルミドコーヒーを始めて間もない頃から、国分寺の仕事以外はしないと決めてきました。コンサルティングや街づくりの相談、別の街への出店のオファーも、すべて断っているといいます。
その代わり国分寺については、お店や不動産業だけでなく、政治や教育にも関わっていきたいと影山さんは話します。経済や経営で人を大切にできても、政治や教育がそうでなければ持続可能にならないと感じているからです。
ただし影山さんの言う関わり方は、政治家になることではありません。町の政治や町の教育に関心を持って関わっていく、という意味です。
渡邉さんが例外として縁キャンプを挙げると、影山さんは、人の縁の中で力になりたい相手の依頼は引き受けてきたと説明します。ただ、本の出版を見据えて、縁キャンプからも去年で退くと宣言していたそうです。
影山さんがずっと使っている標語は「僕は国分寺の土になる」です。縁キャンプ自体は、一緒にやってきたメンバーが後継者として手を挙げ、今年も続くことになったといいます。
渡邉さんは、影山さんのクルミドコーヒーがご実家の建て替えをきっかけに西国分寺で始まり、植物のように動かない「固着性」を持ったことが、国分寺の仕事だけをするという信念につながっていると読み解きます。顔が見えるスケールだからこそ、人との縁を大切にできるのではないか、という見方です。
地元国分寺の土になるっていうのは、もはや自分のビジネスを大きく超えてると思うんですけれども。
影山さんは、店名の巡り合わせについても話します。クルミドコーヒーと名付けた当時はファンドの仕事の最中で、事業計画に沿って効率よく店を成長させる意識が強く、植物が育つように店をつくるという発想はまったくなかったそうです。
それでも振り返れば、植物が育つように店をつくると掲げる店として、クルミという植物の名を持つことほどふさわしいネーミングはないと影山さんは言います。自然な流れに押されている感覚があるそうです。
根の深さに衝撃を受けた最終回
締めくくりで荒木さんは、今回は衝撃を受けたと語ります。本を読んで話してきたにもかかわらず、今回は影山さんの「根っこ」が見えたというのです。
荒木さんによれば、上に生い茂る木が素晴らしいことはわかっていたものの、根の深さまでは見えていませんでした。根さえ張れば上にいろんなものが育ち、さらにその前に土がある、という簡単ではない話だと受け止めています。
いいですね。もう植物メタファーに完全に乗っかって。さっきまで電車メタファーの人だと思ってたのに。
渡邉さんは、同じ影山さんから刺激を受けても、荒木さんとは刺激の受け取り方の角度が違うのが面白いと話します。さらに、荒木さんや深井龍之介さんを交えた超相対性理論のオフ会をクルミドコーヒーで開くアイデアも出ます。
渡邉さんは、胡桃堂喫茶店で行った資金調達の考え方が、深井さんの考える個店の資金調達と通じると指摘します。EXITのキャピタルゲインを目的にしない前提で投資を募るという点です。
深井さんがSNSをすべてやめたという近況にも触れつつ、全4回のシリーズは影山さんへの感謝とともに締めくくられました。
まとめ
影山知明さんを迎えた最終回では、人間の潜在能力を大きく見積もり、結果を手放すことで、ルールに頼らず一人ひとりが最大化していく場をつくる考え方が語られました。その背景には、17年かけて国分寺に土壌を育ててきた実践があります。
- 荒木さんは、ルールを急いで敷くかどうかの違いを、人間の潜在能力を10と見るか20と見るかの違いとして捉えた
- Takramの「Fewer Rules」は、ルールで安心するより一人ひとりが考えることを信じる文化として紹介された
- 影山さんは「成長」より「最大化」という言葉を選び、ぶんじ寮が解散する可能性も含めて結果を手放している
- 『大きなシステムと小さなファンタジー』の逆三角形は木の形で、表紙も天地逆にするとビルが木になる仕掛けになっている
- 影山さんは国分寺以外の仕事をしないと決め、「国分寺の土になる」という標語のもと、町の政治や教育にも関わっていきたいと話した




