📝 エピソード概要
本エピソードでは、「なぜ大人になると人は表現者でなくなるのか」というテーマを深掘りし、特に仕事における表現の可能性に焦点を当てています。ゲストの編集者・的場優季氏は、渡邉康太郎氏の著書担当を通じて、編集者も黒子ではなく、仕事への関わり方自体が表現であり得ると自己認識を転換させた経験を語ります。著者と編集者がお互いにリスクを取り、広大な「余白」を埋める行為こそが表現であり、リスナー自身の仕事における「表現性」について問いかける対話が展開されました。
🎯 主要なトピック
- 前回までの議論の振り返り(余白と遊び): 表現には「遊び」や「余白」(オープンクエスチョン)が不可欠であり、これがないと、才能があっても表現と呼べないという子供時代の表現に関する知見を再確認しました。
- 編集者の「表現者であってはならない」という足かせ: 的場氏は当初、編集者は黒子であるべきだと考えていましたが、ワークショップ受講生の「作ることは生きている実感に繋がる」という言葉に触れ、考え方が変わり始めました。
- 編集者の仕事における広大な表現スペース: 著者と読者の間に存在するメッセージの「余白」をどう埋めるかというプロセスこそが編集者の重要な表現領域であり、これがメソッド化されると表現性が失われると古市氏が指摘しました。
- 他者の目と正解探しの克服: 上司や他者の顔色を窺ったり、正解を探したりするのではなく、自分で考えた「これいいかもしれない」という提案をすることが、自分の仕事を表現にしていくことだと的場氏が説明しました。
- 表現はリスクを取る行為: 表現とは自分自身をさらけ出し、リスクを取る行為であり、著者と編集者が非対称な関係ではなく、お互いにさらけ出してリスクを取りながら協働することが理想であると語られました。
- エディトリアル闘争: 松岡正剛氏の提唱する「エディトリアル(編集)を闘争と捉える」思想が紹介され、仕事にエディトリアルな視点を持つことで、それが表現になり得るという解釈が示されました。
💡 キーポイント
- 編集者という仕事においても、著作物自体ではなく「自分の関わり方」を表現として自認することで、仕事の価値と向き合い方が変わります。
- 仕事が表現となるかどうかは、他者の正解を探すのではなく、自分自身が「いい」と思ったものを創造的に作り出す姿勢にかかっています。
- 表現を仕事にする上での理想的な関係性は、著者も編集者も、思想や関わり方を「さらけ出し」、対等にリスクを取り合う相互的な関係です。
- 専門分野のジャーゴン(専門用語)の使用は、狭い読者層にしか届かない要因となり、それらを排して普遍的な言葉に変換する作業は、編集者による重要な表現の一つです。
