事実と解釈が混ざると、なぜ議論は荒れるのか
札幌の牧場で馬と過ごすホースログという体験に、渡邉康太郎さんと金子拓人さん(愛称タクティ)が参加したことをきっかけに始まった4回の対話は、今回で最終回です。冒頭、金子さんは、体験の中でイメージとしてはあったものの言語化できていなかった部分が、この対話でかなり言葉になったと振り返ります。
一方の荒木博行さんは、毎回何のテーマだったか忘れるほど話が広がるため、今回も着地を決めずに4回目に入ったと笑います。渡邉さんは、前回までを振り返りながら、そこから枝分かれしたいテーマを各自が見つけてほしいと提案しました。
渡邉さんの振り返りによれば、前回はまず、ビタミンCを自分で作れず食べ物に頼る人間の性質から、日本人は冬にみかんに家畜化されているのではないか、という解釈が出ていました。さらに荒木さんは、人間は家畜化されている自覚が薄いが、それは気づけない悲劇でも、意識せずに済む喜劇でもあり得ると問いかけています。
コロナ禍で政府や民間からさまざまなルールを課された経験も、家畜化を意識させる場面として振り返られました。そこで金子さんが指摘したのが、心地よさとエビデンスは別物であり、両者が混ざると問題になるという点です。
大きさの違いのように、誰が見ても確かめられること
どちらが可愛いかのように、人によって答えが変わること
渡邉さんは、議論が激化するのは事実と解釈の間にグラデーションがあるからではないか、とまとめます。全部が解釈なのは宗教で、アニマルウェルフェアやコロナ、陰謀論は事実と解釈が混ざる中間にあり、だからこそ切り分けが難しくなるという整理です。
家畜であると認めれば、世界は平和になる?
振り返りを受けて、荒木さんは前回の問いに戻り、意外な仮説を投げかけます。
荒木さんの考えでは、金子さんの説に従えば人間は他の生き物に外注せざるを得ない弱い存在であり、だからこそ協調が必要です。ところが人はいつの間にか全能感を持ち、自分一人でなんとかできると思い込んでしまう、と荒木さんは話します。
だからお前は家畜だって言われたらふざけんなって思うよね。大体ね。
渡邉さんは、荒木さんの主張を「相互依存の関係にあると自覚すれば、いさかいは起きづらい」と言い換えたうえで、「家畜」という言葉そのものに目を向けます。日本語の「畜」は畜生という言葉にも使われるため、ネガティブに響きやすいという指摘です。
英語とかだとドメスティケーションなんですけど、基本的には飼い慣らすこと。で、ドムスっていうラテン語から来てて、家なんですよね、単に。
「畜」の字から、畜生のようなネガティブな響きを帯びる
語源の[ドムス]にさかのぼると、家の中にいさせる「家化」に近い意味になる
渡邉さんによれば、ドメスティケーション ── 英語で家畜化・栽培化を指す言葉。ラテン語で家を意味するdomusに由来し、動物だけでなく植物を人間の生活圏に取り込むことも含みますという言葉には植物も含まれ、「畜」の感じはあまりありません。金子さんはこれを受け、同じ家に住んでいると自覚できれば、他の住人を踏みにじれば自分に返ってくるし、そもそも仲間だという認識に結びつくのではないか、と話しました。
金子さんはここで、自由か家畜かという問いを踏まえて、世界平和や現代人の幸せのために何ができるかを話したい、と希望を出します。
宇宙に行かずにオーバービュー効果は得られるか
金子さんの希望を受けて渡邉さんが連想したのは、宇宙飛行士のオーバービュー効果 ── 宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士に起こるとされる認識の変化。国境のない地球を見て、一体感や地球への畏敬の念が強まると言われますです。地球の美しさや国境のなさ、相互依存を実感し、その感覚は帰還後も薄れないとされます。
じゃあ僕たちは宇宙に行かずして、いかにオーバービュー効果を得られるのかっていう、そんなような問いも成り立つ。
金子さんは、馬と過ごした体験そのものが自分にとってオーバービュー効果だったのかもしれないと答えます。人と馬の対比が、自分と地球の対比にまで延長されたような感覚があったといいます。荒木さんも、種の違う馬から見るという視点の変化もまたオーバービューだと応じました。
荒木さんはさらに、「家化」を同じ家の光熱費のたとえで説明します。
家の中住んでいるあれだと、ちょっとなんか今年の光熱費オーバーしそうだから、ちょっと抑えようかみたいな話にもなるわけだよね。
でもみんなが同じ家に住んでるって思わなくなると、うちだけ電気代かさむかみたいな。でも別にどうでもいいし、みたいな感じになるっていう。
金子さんは、家の中には料理・洗濯・掃除・まとめ役と役割を持った人がいて、それも仲良く暮らす要素になると補います。渡邉さんはこれを「人間は地球でハウスシェアしている」と表現し、隣にはキリスト教の人もイスラム教の人も、馬もシラミもトウモロコシも住んでいると広げました。
ただし同じ家だからこそ衝突も起きます。荒木さんは、清潔と不潔、発酵と腐敗のように、人間に役立つかどうかで恣意的に引かれた線引きを挙げます。金子さんは、隣の部屋で兄が音楽を爆音で流し、妹が集中できない例を出し、荒木さんは隣国問題もそれと同じだと応じました。
「Love your home」とトリュフォーの映画に見た一つの家
家を共有するという発想から、渡邉さんはデンマークの電力会社オーステッド ── デンマークのエネルギー企業。かつては化石燃料中心でしたが、洋上風力を中心とした再生可能エネルギーへの転換で知られますが掲げたスローガン「Love your home」を思い出します。地球全体をホームと見て、みんなで自分たちの家を愛そうというメッセージで、世界各地の映像を使ったムービーがかっこいいと話します。
渡邉さんはさらに、フランソワ・トリュフォー ── フランスの映画監督。ヌーヴェル・ヴァーグを代表する一人で、自伝的な人物アントワーヌ・ドワネルを主人公にした連作で知られますの映画『夜霧の恋人たち』の場面を紹介します。60年代後半のパリで、女の子を家まで送った若い男性が、父親に寄っていくよう誘われ「突然だと悪いから」と遠慮する場面です。
文化圏を超えてる人間の取ってしまう行動とか心の動きみたいなのが全然変わらないんだなっていうことをちょっと嬉しく思った高校生の時ってのがありまして。
渡邉さんにとって、旅行より先に映画の観察者として異文化に触れ、「同じじゃん」と思えたことが、ホームは一つだと感じた原体験だったかもしれないといいます。
育てているつもりで育てられている、という逆転
荒木さんは、地球というホームには人間だけでなく他の生き物も住んでいるとしたうえで、今回の対話全体のポイントを「逆転現象」にあると整理します。
要するに人間があれだと思っているものが常に逆転現象があるっていうのがさ、今回の話のポイントだったじゃん。
渡邉さんは、家畜化されていることに気づけないのは限られた視野しか持っていないからで、それをずらすために都会を離れて馬に会いに行ったり、トリュフォーの映画を見たりすればいい、と受け止めました。金子さんは、社会や自然の中で自分がどこにいるかを知ることで振る舞いが変わる「オリエンテーションをつける作業」だと言い表します。
対話の中で挙がった逆転の例を並べると、主従が入れ替わる構図が繰り返し現れていることがわかります。
| 対象 | 人間の思い込み | 逆転した見方 |
|---|---|---|
| トウモロコシ・小麦 | 人間が栽培している | 人間が栽培させられている |
| 遺伝子 | 人間が主役 | 人間は遺伝子の乗り物にすぎない |
| ChatGPT | 便利な道具として使っている | 逆に使われている部分もある |
荒木さんが挙げた利己的な遺伝子 ── 進化生物学者リチャード・ドーキンスの著書と概念。生物の個体は遺伝子が自らを複製するための「乗り物」だとする見方を提示しましたの話も、こうした逆転の一つです。荒木さんと渡邉さんは、逆転にギャフンとし続けることは楽しく、サスペンスを見ているようだと語り合いました。
そうだね、そういうことを楽しむっていうマインドセットは大事だよね。やっぱりね。ギャフンとすることをね。
渡邉さんは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、過去のドクが日本製の部品をダメだと言う場面を挙げ、時代によって評価の軸がくるくる変わる様子もこれに近いと話しました。
異質なものに触れると、自分の輪郭が濃くなる
金子さんは、普段と違うものに触れることで自分のアウトラインが濃くなると話します。海外旅行で異文化に触れると、自分らしさや日本人らしさが浮き彫りになるという考えです。
金子さんが印象に残っているのは、海外旅行を重ねる友人の言葉です。自分らしさがどんどん変わるのではと尋ねると、友人は逆に無駄なものが削ぎ落とされ、本来の自分らしさだけが残っていくと答えたといいます。金子さんはこれを、すでにある自分らしさを彫刻のようになぞる作業だと捉えています。
荒木さんは、馬と過ごした牧場は海外旅行以上に、自然と社会の中間地帯への旅だったと位置づけます。
そういうところに気づけることがあるんだよね。ギャフンの種がいっぱいあるんだよね、やっぱね。
対話ではさらにドゥルーズ ── フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ。精神分析家ガタリとの共著で、固定された秩序から離れて新たな関係を生み出す「脱領土化」などの概念を提示しましたの脱領土化も話題に上がります。固定された領土を出ることで初めてメタ認知が起こるが、人間は地球から完全には出られないため、半分軸足を残しながら半分別の世界を見ることを繰り返すのだ、という整理です。
金子さんは、好きな漫画『約束のネバーランド』も挙げます。養殖されていると知らずに暮らしていた子どもたちが、それに気づいて反抗し、摩擦の中で成長していく物語です。金子さんは、家畜化が喜劇か悲劇かはわからなくても、残酷だとしても知ることが成長につながると考え、自分たちが家畜化されていることを知りたいと語りました。
最後に荒木さんと渡邉さんは、着地を決めずに始めた話が人類平和にまで行き着いたことに驚き、「地球という家に帰った」と笑い合います。金子さんは、普段と違う体験を異なる背景を持つ2人と言語化する中で、世界平和や家畜という概念を考えるよい機会になったと締めくくりました。
まとめ
馬との体験から始まった4回の対話は、家畜化を「家化」と読み替えることで、人間を地球という一つの家を分かち合う存在として捉え直すところに着地しました。視点をずらし、思い込みが逆転する瞬間を楽しむことが、自分の居場所と振る舞いを見直す手がかりになると語られています。
- 事実と解釈が混ざる領域ほど、議論は激化しやすいと整理された
- 家畜化(ドメスティケーション)は語源上「家化」に近く、同じ家に住む自覚が協調につながるという見方が示された
- 栽培しているつもりで栽培されているなど、人間の思い込みには逆転が潜み、それにギャフンとすることを楽しむ姿勢が大切だと語られた
- 異文化や自然との境界に触れることで、自分のアウトラインが濃くなるという実感が共有された
- 金子さんは、残酷でも自分が家畜化されていると知ることが成長につながると考えている



