「凡人側で働いていた」──『左ききのエレン』作者・かっぴーが漫画家になるまで
漫画『左ききのエレン広告業界を舞台に、デザイナーの朝倉光一と天才アーティスト山岸エレンを軸に「天才と凡人」を描く長編漫画。累計400万部超のヒット作。』で知られる漫画家・かっぴーさんがゲスト。広告代理店から面白法人カヤックへ転職し、趣味で描いた漫画がきっかけで独立するまでの軌跡を、Podcast番組「WHY ARE YOU? ~プロが惚れ込むクリエーターのXXX~」で語っています。その内容をまとめます。
漫画家・かっぴーの現在の仕事
かっぴーさんは現在、仕事の9割を漫画関連に充てています。自ら作画する『左ききのエレン』のオリジナル版を毎週更新しつつ、ジャンププラス集英社が運営するウェブ漫画サービス。多くのオリジナル作品やリメイク作品を配信する人気プラットフォーム。では作画を別の作家に任せたリメイク版『左ききのエレン』が連載中。さらに最新作『大人大戦』も並行して走っています。
つまり、自ら描く漫画家であると同時に、原作者としての仕事の比重が高いのが現状です。テレビアニメ化が決まった作品の監修などはその合間に行っているといいます。
9割9分は漫画ですね。だから今は原作の方が多いって感じです。
『左ききのエレン』はどんな物語か
『左ききのエレン』は、デザイナーになって「何者か」になりたい高校生・朝倉光一と、同じ学校にいた天才アーティスト・山岸エレンの物語です。同じ空間で交わるのは最初だけで、そこから2人の道は分岐していきます。一方は広告代理店のデザイナーへ、もう一方はニューヨークで活躍する世界的アーティストへ。作品全体を貫くのは「天才と凡人の対比」というテーマです。
「何者かになりたい」野心を抱える普通の高校生。広告代理店のデザイナーへ進む
同じ学校にいた天才アーティストの原石。世界的アーティストへの道を歩む
MCの山崎さんは、自身のクリエイティブディレクター時代と作品の時代設定が重なることから「もう涙なくて見れない」と語ります。引用されるアーティスト名や時代背景までリアルで、業界人に刺さる作品だといいます。
出てくる引用するアーティストとか、「この人に来た」みたいな。もうドンピシャなんですよ。
代理店時代の「中の上」と、キャリアへの違和感
かっぴーさんはもともと漫画家を目指していたわけではありません。高校時代に広告クリエイターに憧れ、武蔵野美術大学を経て東急エージェンシー日本の大手総合広告代理店のひとつ。テレビCMやキャンペーン企画など幅広い広告制作を手がける。にクリエイティブ採用で入社しました。
ところが6年目あたりで、自分のキャリアに違和感を覚え始めます。仕事のポジションはずっと「中の上」。納得しようと思えばできるけれど、「こうなりたかったわけではない」という惜しさが続いていたといいます。
かっぴーさんが目指していたのは早くクリエイティブディレクターになることでした。しかし大手代理店では、自分のチームを持つのが「40歳でやっと」というのがセオリー。それを待てない、と感じたのが転職の動機でした。
自己紹介の漫画から生まれた『フェイスブックポリス』
かっぴーさんが転職したのは面白法人カヤック鎌倉に本社を置くウェブ制作・ゲーム開発会社。「サイコロ給」などユニークな制度で知られる。。当時、広告代理店からカヤックへの転職はまだ珍しく、自己紹介を兼ねて全社員に日報を送るよう求められたといいます。
そこで思いついたのが、得意な絵コンテをアピールするために漫画を描くこと。インターネット会社らしいネタとして生まれたのが、Facebookに出てくる怪しい広告を取り締まる警察を描いたギャグ漫画『フェイスブックポリス』でした。
転職直後
カヤックで自己紹介の日報を求められる
絵コンテが得意だから、それを伝える手段として漫画を描く
インターネット会社らしくFacebookネタに
『フェイスブックポリス』誕生
同僚に向けたギャグ漫画として描き始める
同僚からは「これネットに公開しないんですか?」と何度も言われたものの、当時はインターネットがよく分からず「炎上するんじゃないか」と怖くてためらっていたといいます。結局、転職から約1年経って「試しに」アップしたところ、これが大きな話題に。漫画家への道が開けるきっかけになりました。
入社1週間目でバズってたら辞めようとはならなかったと思う。1年経ってたから、タイミングが良かったのかもしれない。
バズの方法論は存在しない
『フェイスブックポリス』が話題になった背景に、「カヤックで1年学んだバズらせ方」のようなノウハウはあったのでしょうか。かっぴーさんはきっぱり否定します。誰か読んでくれたらいい、コメントが付けばいい、その程度の気持ちで公開したといいます。
むしろ学んだのは「基本バズらない」という事実。半年かけて準備した企画のプレスリリースが何の反応も得られなかった絶望感を知っていたからこそ、後の漫画家活動でも過剰な期待をせずに描き続けられたのかもしれない、と振り返ります。
就活でも、第一志望の電通に一発で受かった人の話は「電通を受けろ」というアドバイスにしかならない。落ちた経験を持つ人の話の方が、よほど学びがあると例えます。
『左ききのエレン』を描くための独立
独立後、思うような反響が得られない時期もありました。それでもかっぴーさんは作風を変えませんでした。理由はシンプルで、「『左ききのエレン』を描くために会社を辞めた」から。本意ではない作品を描いたら、それはクライアントワークと変わらないという考えです。
その厳しい声が逆にエネルギー源になります。「集英社で出せるわけない」と言われたから集英社で出版し、「アニメ化されるわけない」と言われたからアニメ化を実現する。言われたことを全部やり返してやる、と決めたといいます。
言われたことは全部実現してやろうと思って。集英社で出せるわけないって言われたから集英社で出したし、アニメ化されるわけないって言われたからアニメ化した。
衝動と冷静さ──撤退ラインを決めて飛び込む
独立は軌道に乗ってからではなく、週刊誌スパの連載とCAKESかつて運営されていたウェブメディア・コンテンツ配信サービス。多くの作家や漫画家が連載していた。での『左ききのエレン』連載が決まった段階で踏み切りました。CAKESの売上は初月5万円。後ろ盾と呼べるものはほとんどない状態でした。
独立を後押ししたのは作品テーマそのもの。『左ききのエレン』は「中途半端にやるな、燃え尽きて玉砕しろ」という内容です。二足のわらじでやるのは作品の主張と矛盾する、というのがかっぴーさんの結論でした。
一方で、冷静な計算もしていました。当時、ちょっとバズる系の漫画を描く作家にはPR漫画企業の商品やサービスを宣伝する目的で制作される漫画。広告手法の一つとして2010年代後半に普及した。の依頼が頻繁に来ていた時期。1本20〜30万円で受けられ、月1本やれば食えなくはない──そんな目算がありました。
「衝動」で辞めたと語る一方で、撤退ラインを引いた冷静さも持ち合わせていたのが、かっぴーさんの独立の特徴です。事業として漫画を捉える視点もありました。「漫画家になりたい」が先にあったのではなく、「『左ききのエレン』という事業プランを思いついたから独立した」のだといいます。
まとめ
かっぴーさんのキャリアは、「凡人側で働いていた」自覚から始まりました。代理店時代の「中の上」というポジションへの違和感、カヤックへの転職、自己紹介として描いた漫画、そして『左ききのエレン』という事業プランを携えての独立。衝動と冷静さの両方を持ち合わせた歩みが、現在の漫画家・かっぴーを形作っています。次週は『左ききのエレン』と広告業界について、さらに深く掘り下げます。
- かっぴーさんは漫画家を目指していたわけではなく、広告クリエイターから「中の上」というキャリアへの違和感をきっかけにカヤックへ転職した
- 『フェイスブックポリス』は同僚への自己紹介のために描かれ、転職から1年後にウェブ公開してブレイクした
- 独立は『左ききのエレン』を描くため。作品テーマ「燃え尽きて玉砕しろ」に反しないよう、二足のわらじを避けた
- 衝動的に見えて、PR漫画バブルや35歳までの再就職可能性など、撤退ラインを設けた冷静な判断もあった
- 「バズの方法論」を語る人を信用せず、失敗から得た知見の方が再現性があると考えている
