下っ端根性は、優秀な上司のもとで生まれる──漫画家・かっぴーが語る、クリエイターの覚悟と再現性の武器
漫画『左ききのエレン』の作者・かっぴーさんをゲストに迎えた回の後編。広告代理店時代に感じた「うだつが上がらない」苦悩、美大で出会った天才たちの姿、そしてデザイナーという職業の特殊な階段構造まで、クリエイターのリアルが語られました。MCはクリエイティブディレクターの山崎晴太郎さんと、フリーランス協会代表理事の平田麻莉さん。その内容をまとめます。
「うだつが上がらない」の正体は、解像度の低さだった
前回、東急エージェンシー1961年設立の総合広告代理店。テレビCMやプロモーションなど幅広い領域を手がける。から面白法人カヤック鎌倉に本社を置くWeb制作・ゲーム開発会社。ユニークな社風と独自のクリエイティブ文化で知られる。へ転職した経緯を語ったかっぴーさん。そのきっかけは「うだつが上がらなかった」という自己評価でした。当時の自分が何につまずいていたのか。今振り返ると、その答えはひとつだといいます。
「プロジェクトの全体が見えてなかったんだろうな」。一言で言うとそういうことだ、とかっぴーさんは語ります。パーツでしか働けていなかったから、「これをやっとけ」と言われた範囲しかこなせない。結果として小さな不備が生まれる。全体が見えていれば絶対に起きないはずのミスが、解像度の低さゆえに発生してしまう。
よく自分事化して考えろって上司は言うじゃないですか。それができないと、それが原因でミスが生まれる。案件に対する解像度が低くて、いや普通に考えたらわかるだろみたいな。それがわかんないからうだつが上がらないんですよ。
面白いのは、漫画家として独立したあと、当時一緒に仕事をしていた広告業界の先輩たちから「クリエイターとしてのレベルが上がった」と言われるようになったこと。後輩へのお世辞ではなく、対等にクリエイティブディレクター同士として話が通じるようになった、という意味合いです。漫画家になったことで、皮肉にも広告の仕事の解像度が上がった、というわけです。
下っ端根性は、優秀な上司のもとで生まれる
『左ききのエレン』の主人公・朝倉光一は、上司から「お前の下っ端根性のせいで周りから信用されない」と叱責されるシーンがあります。この「下っ端根性」がなぜ生まれるのか。かっぴーさんの答えは逆説的でした。
優秀な上司と出会うと「結局あの先輩が決めるし」「結局あの人がみんなの相談を受けるし、俺なんて」となってしまう。任せる仕事の質と量を上司が握っているからこそ、部下は受け身になりがちなのです。両方の気持ちが今ならわかる、とかっぴーさんは言います。だからこそ、漫画として書けているのかもしれない、と。
優秀な上司の存在
判断・決定・調整を一手に握っている
部下の「自分はパーツでいい」という意識
「結局あの人が決めるし」
解像度が下がり、ミスが増える
当事者意識を失った状態が「うだつの上がらなさ」につながる
「お前よくその時間あるな」──覚悟の違いを突きつけた一言
『左ききのエレン』には柳ハジメ『左ききのエレン』に登場する「怖い」と書いて「最強」のクリエイター。プロフェッショナルの極致として描かれるキャラクター。という最強のクリエイターが登場しますが、そのモデルとなった先輩との忘れられないエピソードがあります。
あるトークセッションに、電通・博報堂・大広などの各社から若手クリエイターが二名ずつ派遣された日のこと。かっぴーさんは「若いだけで呼ばれた」と思いながら、500人ほどのホールで緊張のうちに登壇を終えました。せめてここに来た意味を作ろうと、控室で他社の若手と名刺交換をしようと様子をうかがっていたところに、柳のモデルとなった先輩が現れます。
俺の横を通る時に、「お前よくそんな時間あるな」って言ってフワッって帰って。トークセッションに来て、もう終わったら即帰って自分の仕事に戻る。マジでゴミを見る目で言われたんですよね。
「何浮かれてんだよ。早く仕事に戻れ、この兵隊が」──そこまでは言われていない、と本人は補足しますが、目はそう語っていた。作品を見せられて「ガビーン」となるのではなく、こういうちょっとした瞬間にこそ、クリエイターとしての覚悟の違いが突き刺さる、というのです。
このエピソードは、後に柳ハジメというキャラクターの一部になりました。ちなみにかっぴーさんは「ポッドキャストが終わったらすぐ帰る」と決めているそうです。
デザイナーの階段は、横から登れない
ここから話題は、デザイナーという職業の特殊なキャリア構造へ広がります。山崎さんは20代の頃を振り返り、「先が見えない」と感じていた感覚を語りました。上が多すぎて、しかもどかない。デザイナーは80歳でも現役でいられるからです。
他の業界みたいに階段が横から行けないんですよ、デザイナーって。一個一個同じ階段を上がっていくしかない感覚。
WEBの普及によって急に有名になる人もいるが、それはちょっと別の話だと山崎さん。デザインの世界には「誰の弟子なのか」という系譜の文化が根強くあり、圧倒的な知識と勉強と努力の先にしか本物の評価はない。JAGDA公益社団法人 日本グラフィックデザイン協会。日本を代表するグラフィックデザイナーの団体で、入会には実績審査がある。に入った時の嬉しさを思い出す、という言葉にも、その業界特有の階段感が表れています。
そして話題はAI時代のデザインへ。クリック数で成果が決まる世界では、美大卒かどうかは関係ない。武蔵美卒のデザイナーが作ったものより、専門学校卒の作ったもののほうがクリックされる、という現実が突きつけられる。だからこそ広告だけにやりがいを求めるのは難しくなっている、とかっぴーさんは指摘します。
広告業界が花形
系譜と師弟関係
美大という権威
クリック数が指標
出身は問われない
自己表現の比重が増す
「優秀なデザイナーには自己表現してほしい。個展をやってほしい」とかっぴーさん。山崎さんも、自分がアーティスト活動を17年続けてきた理由はまさにそこにあると応じます。明日から手を動かす仕事がAIに全部置き換わっても、自分は作り続ける──そういう内的な動機こそがデザイナーの拠り所になる、というわけです。
美大の天才たちと、フリーマガジン『PARTNER』
かっぴーさんが武蔵野美術大学東京都小平市に本部を置く美術大学。多摩美術大学とともに日本を代表する私立美大の一つ。で出会った天才たちの話は、笑い話のようでいて切実です。デザイン系だった本人と違い、ファインアート系の人たちには「めっちゃ適当」な人が多かったといいます。
美大に行かないとあのレベルの適当人間に会わないと思う。本当にやばいんですよ、あいつら。天才なのに。
就活時期になっても飲み歩いている友人に「卒業したらどうするの?」と聞いても「わかんない」と返ってくる。会社の説明会に一緒に行ってあげたり、エントリーシートを書かせようとしたりしても、後日聞くと「バイト先の居酒屋の店長が車をくれるって言うから、そこで働く」と返ってくる。それでも本人は楽しそうにサバイブし、最近電話したらなぜかロサンゼルスに住んでいた──そんな破天荒な人たちです。
その経験から、かっぴーさんは美大時代にフリーマガジン『PARTNER武蔵野美術大学を中心とした美大生によるフリーマガジン。美大生の魅力を社会に発信することを目的に創刊された。』を立ち上げ、初代編集長を務めました。コンセプトは「美大生のためのフリーマガジンを、美大生が作る」。書体への敏感さ、紙選びへのこだわり、インタビューの構成力──お題を与えてあげれば、その才能はきちんと形になることを示したかったのです。
『PARTNER』は今も続いており、山崎さんが審査員を務めた学生フリーマガジンのアワードの常連でもあるとか。「俺の代表作は『左ききのエレン』より『PARTNER』かもしれない」と笑うかっぴーさんでした。
『左ききのエレン』は誰のために書かれているのか
山崎さんは、男の子三人の父親として、息子たちにいつか『左ききのエレン』を読ませるかどうかを真剣に迷っているそうです。スラムダンク井上雄彦による1990年代の名作バスケット漫画。スポーツの熱量と人間ドラマを伝える定番作品として親しまれる。のように「この感じをわかってほしい」と思える、表現者としての生き様を伝えるツールが、いま世界には『左ききのエレン』しかない、と。
かっぴーさんがこの作品で描きたかったのは、美大入試までではなく、美大卒業後の物語です。デザイナーという社会にフィットした方向に進む人も、ファインアートに振り切る人も、卒業後にこそ最大の苦労が待っている。自分の身の回りにいた友人たち、そしてこれから無数に生まれる美大卒の人たちに向けて、彼らのための物語を書きたかった──それがこの作品の出発点でした。
可能性をまだ無限だよって信じててほしいタイミングと、もうそろそろちょっと現実を知ろうみたいな。どう戦略的に生きて居場所を作っていくかとか、身の振り方を考えるかみたいな、そのタイミングで読んでほしい。
実際の読者層は30〜40代が中心だといいます。いろんな経験をしてきた人ほど「わかる」と刺さる作品なのでしょう。
再現性こそが、凡人の武器である
『左ききのエレン』のセリフの切れ味について、山崎さんは「一瞬で抜く、コピーライター的」と評します。本人によれば、広告時代に培ったのはボディコピーを整理する力で、印象的なセリフを生む感覚は元々のものかもしれない、とのこと。むしろ平田さんが指摘したのは、観察と構造化の力でした。
みんなふわっと思ってることをパシッと構造化して、かついいコピーで言ってくださるから、すごく刺さる。
かっぴーさんは「天才には四種類いる」「才能の正体は集中力の質である」といった理論を作品中で展開しています。ふわっと思っていることを「もしかしたらこうなんじゃないか」と構造で考える癖が、ずっとあるのだと。
そしてこの構造化志向こそが、ご自身の武器の核にあるといいます。2026年5月にダイヤモンド社から発売された初のビジネス書『天才になれなかったすべての人へ ─自分だけの武器が見つかる才能論─』のテーマもここに重なります。
毎回一発で正解を出せる
再現を意識しなくていい
感覚と直観で勝負
観察し、構造化する
理論にして再現する
積み重ねで戦う
まとめ
『左ききのエレン』の物語の背後にあるのは、かっぴーさん自身の「うだつの上がらなかった」時代の解像度の低さ、優秀な上司のもとで生まれる下っ端根性、そして美大で出会った天才たちへの愛情と憧れでした。デザイナーという階段を横から登れない職業の特殊性、そしてAI時代に求められる自己表現の重要性も語られました。
そして本人を支えているのは、「再現性こそが凡人の武器」という信念。観察と構造化を繰り返し、理論として言語化し、もう一度再現できる形にする──これが天才ではなかった者がクリエイティブの世界で戦い抜くための術なのです。次回はいよいよ、他の漫画作品についても話が広がる予定です。
- 「うだつが上がらない」の正体は、案件への解像度の低さと自分事化の不足にある
- 下っ端根性は、優秀な上司のもとでこそ生まれる逆説的な現象である
- 覚悟の違いは作品ではなく、ふとした言動で突きつけられる(「お前よくその時間あるな」)
- デザイナーは80歳まで現役でいられる職業で、横から階段を登れない系譜の世界である
- AI・クリック数の時代には、自己表現の有無がデザイナーの拠り所になる
- 美大生は才能はあるが、就活との相性とプレゼンテーション能力に課題を抱えがちである
- かっぴーさんは美大時代にフリーマガジン『PARTNER』を創刊し、初代編集長を務めた
- 『左ききのエレン』は美大卒業後を生きるクリエイターたちのために書かれた物語である
- 「再現性こそが凡人の武器」──観察と構造化が、天才ではない者の戦い方となる
