音声入力ツール、結局どれがいいのか問題
冒頭は、岡島さんが最近気になっているという音声入力ツールの話から始まります。話題になっているTypelessやAQUAVOICEを、2人がそれぞれどう使っているかを共有していきます。
玉置さんはTypelessは未使用ながら、社内では高評価だと話します。自身は今AQUAVOICEを使っていて、使い心地は良いものの、Typelessの方がいいという評判を聞いて気になっているとのことです。
岡島さんはTypelessだけを試したと言い、その第一印象を語ります。
世界が変わったな、またって。ちょっと初動は。
AQUAVOICEが喋った内容を比較的そのまま書き起こすのに対し、Typelessは一瞬で添削され、綺麗な文章に整えられる印象だといいます。ただし、この自動整形は人によって受け止めが分かれると玉置さんは指摘します。
なんかそれを余計な仕事っていう呼ぶ人もいますし、嬉しいっていう人もいるんで、相性ですよね。
岡島さんは現状「余計な仕事」寄りに感じつつ、他のサービスに入れ替えるのが面倒でそのままになっている、と自嘲します。この音声入力ツールの話が、この後の言語化の本題にもつながっていきます。
なぜ今「言語化」がこれほど求められるのか
本題は「言語化」です。玉置さんは、最近「言語化がうまいですね」と言われることがあるものの、自分ではその自覚がないと切り出します。
自分よりも相当言語化がうまいものに触れているからなんですよね。
小説やエッセイを読めば、嫉妬するレベルの言語化はいくらでもあると玉置さんは言います。岡島さんも、梶井基次郎の『檸檬』を例に挙げ、その文章表現に「すごいな」と感じたことを思い出します。
一方で「梶井基次郎、言語化うまいよね」とは誰も言わない、と2人は笑います。ここから、言語化が特別なスキルとして扱われるようになった背景の話に入っていきます。
玉置さんは、言語化が特別なスキル扱いされる背景として、まず「本を読まなくなったこと」を挙げます。ある統計で60%ほどの人が本をあまり読まないと見た記憶があると話しますが、その数字が1ヶ月なのか1年なのかは曖昧だと自ら補足しています。
もう一つの背景として、玉置さんはSNSや動画の文化で全員が発信できる人になったという変化を挙げます。この変化が、自分と相手を「発信者」として見るフレームを生んだといいます。
相手を発信者として見た場合に、「言語化がすごいですよね」みたいな評価になるわけじゃないですか。
普段お母さんに向かって「言語化うまいね」とは言わない、という例えで、この評価が発信者としての視点であることが説明されます。同時に、自分も発信者だと捉えることで「私は言語化がうまくない」という自覚が生まれた、と玉置さんは分析します。
さらにAIの浸透も関係していると玉置さんは続けます。拙い言葉をAIが見事に整えてくれるお手本を見ることで、「私のやつは下手」という認識ができてしまうという流れです。
本を読まなくなった
嫉妬するレベルの言語化に触れる機会が減った
SNS・動画文化
全員が発信者になり、自分と相手を発信者として見るフレームができた
AIの浸透
拙い言葉を綺麗に整えるお手本を日常的に見るようになった
できない自覚
「言語化という特別なスキルがある」「自分はそれが低い」という認識が生まれた
言語化は「氷山の一角」でしかない
岡島さんは、言語化能力は高い方がいいと感じつつも、みんなが本当に高めたいのか改めて考えます。玉置さんは、実は仕事でそこまで必要とされていないのに、不安を煽る言葉の一つになっていると指摘します。
岡島さんも、多少言葉が拙くても、そもそもの主張を持ち、正しく理解できていれば伝わるはずだと応じます。ここで玉置さんは、言語化されたものは氷山の一角にすぎないと言います。
そこで玉置さんは、言語化に至るまでのプロセスを4つのステップに分解して説明していきます。最初のステップが「感知」です。
感知とは、自分がこう思っている、こう考えているという、まだ言葉になっていない状態を客観的に捉えることだと玉置さんは言います。この感知するセンサーが弱いと、そもそも言語化する材料がないという説明です。
これを感知するセンサーが弱いと、そもそもその言語化も何もないんですよ、ベースとして。
SNSで「言語化がうまい」と言われるのは、自分では感じていたけれど言葉を与えていなかったことに、うまい言葉を与えてくれた人のことだと玉置さんは整理します。その人はまず「感知」ができているというわけです。
感知センサーを磨く鍵はマインドフルネス瞑想
では感知センサーはどう磨くのか。玉置さんが繰り返しすすめているのがマインドフルネス瞑想です。自分の心や頭に浮かんでいることを見つめる練習だと説明します。
ここでのポイントは、注意がそれてはいけないという話ではないことです。むしろ、自分の気持ちがあちこちに行っていること自体を認知するのが目的だと玉置さんは言います。
この習慣をあの、重ねていくと、これ確実に上がってくるんですよ。感知センサーが。
岡島さんは、頻繁に通っているジムの時間が瞑想に近くなっていると話します。マシンで体を動かしている間、空っぽになって思考が整理される感覚があるといいます。
玉置さんは、走っている時やお風呂の時でいいので、自分の頭の中にあることを見つめてみることをすすめます。スマホを置く時間を5分作るだけでも変わると言います。
この流れから、玉置さんは仕事の生産性の話に広げます。目先の売上を作る活動と、資産を作る活動は別だという起業活動の考え方を、人の能力にも当てはめます。
体力をつけるとか、自分の能力を磨くとか、感性を磨くって時間は、資産作りの時間として、ちゃんと自分の中でポートフォリオを組んであげるといいと思うんですよね。
岡島さんは、ジムに行くと時間が減る不安からサボりたくなるものの、行けば思考の時間としても使えて「行ってよかった」と毎回思う、と実感を語ります。目先の作業量だけでなく、こうした資産づくりの時間こそ大事なのではないか、という感覚が共有されます。
「分解」と、抜け落ちがちな「翻訳」
ステップ2は「分解」です。感知したものを「これは何と何でできているのか」「どういう繋がりがあるのか」と、一度分解して眺める作業だと玉置さんは説明します。
続くステップ3が「翻訳」です。玉置さんは、言語化の話でここが一番抜け落ちている人が多いと強調します。多くの人が言語化を、自分の中に閉じた創作活動だとイメージしているからです。
言語化って自分の中に閉じた創作活動をイメージされてる方が多いんですよ。
しかし言語は、発して相手が理解して初めて用をなすものだと玉置さんは言います。相手が理解できる言葉、相手に染みる言葉に変換していなければ、うまい言語化にはならないという指摘です。
岡島さんは、伝わるなら簡単な言葉でいいのに、あえて一般的でない難しい言葉を使ってしまう自己満足的なパターンに近いか、と確認します。玉置さんはそれで合っていると応じます。
玉置さんによれば、言語化は自分の中でこねくり回した最高傑作を作る作業ではなく、要約でもなく、まったく違う言語の間を橋渡しする「翻訳」ぐらいの感覚でやるべきものだといいます。
岡島さんも、最初に就いたウェブライターの仕事で「日本語から日本語に翻訳する」と表現していたことを思い出します。相手が何を知っていて何を知らないのかを正確に知らないと、この翻訳はできないと玉置さんは付け加えます。
ここで玉置さんは、言葉を「圧縮したパケット」に例えます。共通認識があれば専門用語を使った方が多くの情報を伝えられる一方、相手が開けないパケットを渡してもゴミになってしまう、という説明です。
でも相手が開けないパケットを渡しちゃったら、もうゴミですよね、それ。
だからこそ、難しい言葉や聞いたこともない表現よりも、立ち止まって「この言葉は伝わるだろうか」と考えて発した言葉の方が、よほどいい言語化になると玉置さんはまとめます。
最後の「編集」だけが崇められている問題
ステップ4は「編集」です。翻訳文をどう伝えるか、という作業を指します。玉置さんは、世間で言語化スキルとしてクローズアップされているのは、実はこの編集の部分だと指摘します。
ここだけやっても、もう聞いたらわかるじゃないですか。一、二、三、全部がなければ、四って全く頓珍漢なスキルになっちゃうんですよ。
編集スキルは、これまでどれだけ文章表現に触れてきたかによって上手い下手が出るものの、最悪そこが下手でも、感知・分解・翻訳ができていれば、すごく染みる表現はできると玉置さんは言います。
岡島さんは、英語から日本語への翻訳を例に確認します。直訳が間違っていたら伝わりようがないので、編集のクオリティより、その手前の3ステップを正しくできていることの方が大事か、と問います。玉置さんは、大体合っていると応じます。
玉置さんは「カレーは美味しい」という例を出し、それをどれだけ編集で飾っても感動は呼ばないと言います。それよりも、今まで感じていたけれど言葉にできなかったものを捉えて出てきた「それを言いたかったんだ」という言葉の方が、価値が高いと話します。
岡島さんは、言語化を崇め奉る風潮そのものを滅ぼした方がいいのかもしれない、と踏み込みます。ハードルが上がりすぎている状況に問題があるのでは、という見立てです。
崇め奉っちゃうと、言語化するのが怖くなっちゃうんですよ。
玉置さんは、それは「人前で歌を歌うのがうまくない」と感じてしまう状況に近く、一番よろしくないと言います。特別な言語化をしなくても、私たちは日々誰かに言葉で何かを伝えているのだから、まずそれを「これも言語化だ」と意識することが大事だと話します。
自動化された言葉を、もう一度自分から引っ張り出す
玉置さんは、「ありがとうございます」「お疲れ様です」のように、気持ちや思考と切り離されて自動的に出ている言葉が、私たちの口にはたくさんあると指摘します。
その一つ一つを、もう一度自分の中から引っ張り出してみる。それだけで、言語化スキル以前に「言葉に重みがある人」になれると玉置さんは言います。
一つ一つが自動的に出てる言葉でなくなるだけで。
岡島さんも、自分が発した言葉が相手の思考のフィルターを通ってから返ってくるかどうかは、たしかに感じ取れると応じます。ただし玉置さんは、これを24時間続けるのはしんどいとも補足します。人間が言葉を自動化するのは省エネのためだからです。
だからこそ、まずは「今朝から1時間だけ自分の言葉に気をつけてみる」でいい、と玉置さんは提案します。意識する機会が増えるほど、その丁寧な言語化の方が自動化されていき、言語化がうまい人に近づいていくという流れです。
玉置さんは、これは能力というより「姿勢」「態度」の話だと言います。岡島さんも、センスある言い回しをしようと考える方が、むしろ怖がって言葉が減り、下手になりそうだと応じます。
玉置さんは、上手い言語化表現を慣用句のように引っ張ってきても、それはアクセサリー的な小手先のスキルにすぎないと言います。自分の中にあるものを伝えたいという切実な思いがあるなら、4ステップを意識して重ねる方が近道だとまとめます。
岡島さんはこの回のまとめとして、無理にうまく言おうとするより、自分がどう感じたのかを分解し、相手に伝わる言葉にするステップの方が大事なのでは、と整理します。玉置さんも「四だけやってもなという感じ」と同意します。
言語化力は、AI時代にこそ効いてくる
最後に話題は、この言語化力がAI時代にどう効くかへ移ります。玉置さんは、AIに指示を出すときに結局必要になるのも言語化力だと言います。
自分が頭の中に描いていること、こういうものがしたいということを、ちゃんと伝えられなければAIも動かせません。それも言語化なので、これから先も役立つ力だと玉置さんは話します。
ここで玉置さんはAIの進化の速さを、ジェットコースターに例えます。頂上までゆっくり上がりきり、まさに落ちる直前のギリギリの段階に今いる、という感覚です。
もうすぐ、一番上からジェットコースターが猛スピードで走り出す、ギリギリのところに今いると思ってるんですよね。
玉置さんは、以前の放送で触れた「2027年」に言及し、2027年に始まるのではなく、今間もなくやってきて、2027年には世界を変えてしまう状態になるだろうと語ります。
岡島さんも、複数のAIがチームになってコードを監視し合い、自分のミスを自分で修正する状況を挙げ、驚きを共有します。玉置さんは、当面はAIの出力が正しい方向かを吟味する作業が人間に残るので、言語化スキルは鍛えておいた方がいいと補足します。
ただ玉置さんは、この「やばい」を怖い方ではなく、楽しい方の「やばい」にしていきたいと話します。理解できれば、ポジティブなやばさに変わっていくはずだという展望です。
やばいはやばいんですけど、楽しい方のやばいにしていくようにしたいですね。
番組の最後には、リスナーのカレーライフさんからのお便りが紹介されます。自己責任論で苦しんでいたところから解放されたという感想に、2人は喜びを伝えます。感想や質問、アプリでのフォローや高評価の呼びかけで回は締めくくられます。
まとめ
この回の核心は、言語化を語彙力の問題としてではなく、「感知・分解・翻訳・編集」という4つのプロセスとして捉え直すことにあります。崇め奉って怖がるより、まず自分の言葉を意識して仮に置いてみる姿勢が近道だと語られました。
- 言語化されたものは氷山の一角で、編集スキルだけを磨いても頓珍漢になる
- 土台となる「感知」を鍛える鍵は、注意のさまよいを認知するマインドフルネス瞑想
- 抜け落ちがちな「翻訳」は、相手が開けるパケットに変換する外向きの作業
- 上手い言い回しの模倣はアクセサリーで、4ステップを意識して重ねる方が近道
- AIに指示を出し出力を吟味する時代にこそ、言語化力は役立ち続ける




