コメント読み上げと、Podcast界隈を飛躍する人たち
はい、どうもお疲れ様です。脱線おじさんズ、バーティーです。
エラです。お願いします。
ということで、今回から、以前の冒頭にね、コメント読み上げスタイルに戻していきたいと。情報が新鮮なうちに。
覚えてなかったんでね。ま、記憶を保ってられないとしたら聞き直せよって話なんですけど。
とか言ったら、めちゃくちゃ昔の回にコメントをいただけるとかもあると思うんで。それはその都度、覚えてるか大会を開催する感じで。じゃあ近々のものを紹介していきます。えー、じゃあまずはXの方で、おかじゅんさん。
嬉しい、爆笑しながら聞きました。バーティーさんが話してくださった私の番組の内容を私も覚えていません。お二人の笑いって誰も傷つけないタイプの面白さだから安心して身を預けられる。おっと、この話はまた今度。ということで、第2回リアクションにリアクションの回に対してのコメントですね。
うわー、ありがとうございます。冒頭に戻してまた言うのもあれなんですけど、この第2回リアクションにリアクションの回の内容も、もうあんまり覚えてなくて。
この中でも以前の岡純さんのコメントを紹介して、僕がエラくんからお話聞いてたんで、岡純さんの番組をちょっと聞いてみましたみたいなくだり。
それでなんかこう、声が素晴らしい、聞き手として素晴らしいみたいなお話をしたんですかね。最近また最新エピソードが配信されてたみたいなので、また僕も聞きたいなと。
ちょっとそれにまつわるリアクションもいただいてまして。同じエピソードに対して、Spotifyの方にヤマムラさん。岡純さんの番組は自分のチームが始める際のお手伝いをしました、面白いから聞いてねというコメントですね。
いやー、本当にね。実はそこもつながってたっていう話で。
そうですね。リアクションにリアクション回で、僕が何個か聞いてたら、2話ぐらいでゲストでヤマムラさんが出て、その番組の立ち上げを手伝ってもらってみたいな話をされてたんで。
すごいヤマムラさん、ほんとPodcastめちゃくちゃ精力的にやられてて。しかも、ちょっと拝見したんですけど、noteの方でも結構そのAIを使った農業的な話を書かれてて、本当いろいろ精力的にやられててすごいなと思って。農業を本業でやられながらなんで。
近づいてきましたけど、僕がやってる遊び会議で開催される、樋口さんを呼んでのPodcast初心者講座ですけど、なんか差し入れを送ってくれようとしてて。全然お忙しいみたいなんで、もう無理はなさらずっていうことで言ってるんですけども。
いや、もうなんかあの気遣いの人というかね。毎回こうやってコメントもくださるし、聞いてくださって、本当にありがたいなと。
なんかPodcast界隈を飛躍してますよ。
いや、ほんとそうですよね。もうなんかこう、重要人物に接触してる感じはありますね。ありがとうございます、いつも。おかじゅんさんもありがとうございます。
そしてもう一件ですね。ナガレギさん。プラネテス、BMMTVで見れますね、無料体験で一気見可能なようですっていう、耳寄り情報をくださってるんで。
うわぁ。これはもうナガレギさんありがとうございます。僕もちょっとね、改めて見たかったので。無料体験で見れるならね。
おそらくエラくんの話を聞いて、はみ出しズの皆さんの中にも興味が湧いてる方もいるだろうから。僕も今まだいろいろバタバタしてるんで、落ち着いたタイミングで見ようかなと思いますので。はみ出しズの皆さんも気になってる方はチェックしてみましょう。
今回のテーマと、エラさんが謝りたかったこと
本編は、バーティさんの「正しいことが正しいとは限らないよね」というテーマから始まります。まずエラさんが、番組の方向性についてずっと気になっていたことを打ち明けます。
じゃあ本編の方をやっていきましょう。今回私バーティーからのテーマで、正しいことが正しいとは限らないよねっていう話をしてみたいなと。
いや、これはもうあれですか、稀に見ぬ真面目回ですか?
そうですね。なるかもしれんし、ならんかもしれんし。
僕ちょっとずっと謝りたいなって思ってたことがあって。この脱線おじさんという番組をやるにあたって、ファニーの面白いじゃなくて、インタレスティングの方の面白いもちょっとやっていきたいなみたいなことを当初からおっしゃってると思うんですけど。
どうも僕が思うに、僕がテーマを出した回は、もう主張もない、インタレスティングなんて程遠い感じになっちゃってるので、バーティさんが当初思ってた方向性とはちょっとずれてきちゃってるのかな、僕のせいでっていうのを、どこかで謝りたい。
いやいや、別にどっちのテーマの時でもなってなくない?あんまりどっちが出したっていうのは、今もこの時点でわからないじゃないですか、今回のテーマがどう転がるか。多分お互いにこれはインタレスティングになるかなと思って出したのが、思いのほかファニーにふざける話になったりとか。
逆もあるじゃないですか。気軽な感じでファニーテーマと思って出したら、意外と深掘りが捗ったりとか。だから必ずしもってことではないと思うし。ファニーの面白さに限らずっていう感じなんで、僕のイメージとしては。もうそれもあるよっていうことで、ちょっと大目に見てもらえれば。
留学時代の友達の「辞めろ」という一言
テーマにつながる話として、バーティさんが留学時代に知り合った友達とのエピソードを語ります。会社を辞めるか悩んでいたときに返ってきた、たった一言の話です。
一応ここで言う正しいを、まあ論理的に整合性が取れている状態とか。僕もね、なんなら僕、それが一番大事にしてることだったりはするんで。ロジックとして破綻していないってことに結構こだわりがあったりはするんですけど。
でも論理的に正しいことが、そのシチュエーションで必要とされてることかというと、必ずしもそうではないみたいなこと、あるじゃないですか。今は正論が欲しいわけじゃないとか。最近、自分自身もだし、人に対しても思う場面がちょくちょくあったりしたんで、そういう話をしてみようかなっていうぐらいなんですけど。
僕が大学生時代、とある国に留学をしていた時に知り合った現地の友達がいるんですよ。日本のアニメとか音楽がめちゃくちゃ好きなやつで、定期的に日本にやってきては僕らと遊んで、僕んちにも何泊かして泊まってみたいなやつなんですよ。
今でもやりとりしてるんですけど、僕がサラリーマン時代にメンタル的にちょっとしんどい時があって、会社を辞めたいって話になった時に、いろんな人に相談したんですけど。
いろんな人、辞めるなって言いますね、まず。
僕、結婚したばっかりだったし、これから収入どうすんだとか、少なくとも3年経つまでは我慢しないとみたいな。まあこれ言わば正しいこと、一般論的なことですよね。今思い返しても正しいアドバイスだと思うし、我慢できるんならやった方がもちろんいいと思います。
その時に、さっき言ったその国の友達に、今こんなことがあってしんどくてって話をした時に、現地の言葉そのままで一言、辞めろって返ってきたんですよ。
誰も言わなかったです。親にも辞めるなって近いこと言われたし、近い友達にも言われたんですけど、そいつだけがもうほんまにただ一言辞めろって返ってきて。
これって、将来のこと、キャリアのこと、収入のこと、いろんなこと考えたら、辞めるなっていうのが世間一般でいうと正しい意見だと思うんですけど。もう、お前の命の健康のために、辞めろっていう一言だけ返ってきた時に、まさにその正しいことが正しいわけじゃないというか。
その時の僕にとっては、その一言がめちゃくちゃ救いだったので。実際その後辞めちゃうんですけど。そいつに辞めろって言われたから辞めたわけじゃないですけど、まあ背中を押されるみたいなのはね。
そうですね。心のどっかでそれをしちゃいけないんだって、頑張んなきゃって思ってたところを、こうバーンと打開してくれたというか。それって相手の将来の責任とか考えたら正しくないんだとは思うんですけど、その時の僕にとっては正しい言葉だった、欲しかった言葉だったので。
一般的に見て正しいことがいつも正しいわけじゃないんだなっていうのは、その時結構思ったかなと。ちょっと長くなっちゃいましたけど。
命の危険が迫るなら、辞めていい
「辞めろ」の一言について、バーティさんはむしろそれこそ正しかったのではと返します。二人は、辞めどきや逃げどきについての考えを交わします。
ただでもそれに関しては、僕はむしろ正しい気がするんですけどね。一般論の観点で鑑みたにしても、もう健康を損なうぐらいっていうラインだったら、そんな環境下で働くのはやめた方がいい、はむしろ正しい気はするんですけどね。
まあそうですね。これを聞いてくださってる方の中で、もし同じような立場の方がいるとすれば、僕は個人的には一つ回答があって。本当にそれを続けることで、消えてしまいたい、いなくなっちゃいたいぐらいまで、要は命の危険が迫るぐらい追い込まれてることだったら、やめた方がいいよって僕は思うんですけど。
絶対にそうな気がしますけどね、それはさすがに。
その他のことについては、もし耐えられるんだったら耐えた方がいい時もあるし、さっさと撤退した方がいい時もあるし、これは結構様々なんですけど。少なくともそういう時はもうやめた方がいいなって。
目的とかそういうことにもよるけど、全ての目的だったりゴールだったりも、その原点はそもそも当たり前に健康で生きていることが何においてもベストっていうのは、多分揺るぎないとは思うんで。
正しさを突きつけないほうがいい場面
話は、心身の安全のような最優先事項ではなく、対人関係の場面へと広がります。バーティさんは、論理的な正解を突きつけること自体が必要ない場面もあるのでは、と話します。
今もちょっと触れたけど、その世間一般の基準が、個に当てはまらないケースって全然あると思うし。今ので言うと、エラ君にとっては辞めるの方が正しかったんじゃないかみたいな。そういう個に対しても、おそらくこれが正しいであろうの時もあるじゃないですか。
ただそれですら、内容によっては、状況によっては、その正しさを追求させようとしなくてもいいのでは、とか思ったりするんですよ。
あーはいはい。もうそれすらってことですか。なるほど。
エラ君とかでいうと、体調とかもろにそういうところなんで、健康だったり心身の安全みたいなところは最優先事項だと思うんですけど。別に体に不調がとかそういうことではないけど、例えば仕事を変えようと思う、恋愛でもいい、対人関係においてどうみたいな時に、ロジックとしてこうこうだからこうするのがいいよねっていうのすら、必要ではない場面もあるとか。
あーそういう時って、論理的整合性とか世間の常識と照らし合わせてが判断基準じゃない場合って、何が代わりに判断基準になるんですかね。
例えば誰かと揉めている、意見の衝突があるみたいな時に、事情を聞いたとして、ここの部分がこっちの人が悪いよね、この部分はこっちの人は非はないよね、じゃあこっちの人が謝罪して、こっちの人が受け入れたらそれでいいよねみたいなことが正しかったりするじゃないですか、論理としては。
そこにその言い分とか事象を分解するとそうなんだけど、それで謝るのはちょっと癪だっていう感情のとこだったりとか、それで謝られてもなんか許せるかというと、それはまたみたいなところだったりとか、があり得るかなと思って。
究極、全部の揉め事とかを、仲直りする意思があるとか、自分のベストの仕事を見つけるみたいなゴールがあるとすれば、状況整理したらこれが正解じゃないみたいなのって、ある程度はあると思うんですけど。ただ、それを突きつけるのすらな場面もあったりするなとか思うわけですよ。
結局、正しい方法論を提示して選択したとして、それも考え方によっては失敗の機会を奪うっていうことにもなりうるしとか。全てを論理的に正しいっていうので適当な対応をとってきたら、じゃあ生涯誰とも揉めないのかとかいうと、そうでもないし。たまに感情の部分で理不尽な何かが起きたりもするし。
仮に論理的に正しいと思われる方法論をやったとして、ことがうまく運ぶかというと、そうとも限らないしとか。とかを考え出すと、なんか、うん。
何が正しくてみたいな。
夫婦喧嘩と、足が痛い彼女とスニーカー
論理と感情のずれが一番出るのは対人関係だと二人は話し、夫婦喧嘩やエラさんの友達の恋愛エピソードで具体的に語り合います。
例えばよく、夫婦喧嘩とかで例に出されるじゃないですか。言い分がどうとかっていうよりも、ごめんなさいって言った方が円滑にいくっていう関係性の人たちもいたりするじゃないですか。僕は結構それやりがちな方なんで、論理でその場の最適解をってしがちな方ではあるんで。
いや、僕もそうなんですよね。
自分でもなんか良くないなと思う場面がちらほらあったりするわけですよ。
これ男性がやりがちになんのかな、どっちかというと。
まあそうね。男女の揉め事、意見の衝突とかで言うと、男子がそうしがちな感じはありますね。
いや、そうなんですよね。でも、まさにその話ですよね。論理で言うと正しいこと言ってるんだけど、そういうことじゃないんだよなっていうこと、ありますからね。
お悩み相談だってそうだったりするじゃないですか。例えば浮気をしてるとかで、それは法的にも問題あるし、不貞行為なんで良くないし、法治国家としての正しさでバッサリいくことは全然簡単だけども、そんなことは当人だって分かった上でらしいとかなると。
それを言うことが、論理としてとか方法論としてとかではなく、状況として正しいのかでいうと、正しくないことも結構あったりするわけで。
そうなんですよね。その話で思い出したことが一つあって。僕の高校ぐらいからの付き合いの友達が大学に入って彼女ができたんですよ。その彼女がデートに行くたびに、足が痛い足が痛いと言っていたと。
そこで僕の友達は考えました。足が痛いってずっと言ってるから、誕生日プレゼントは足に負担の少ないスニーカーをあげよう。であげたところ、ものすごい微妙な反応。
これってまさに論理的に考えたら、足が痛いんだったら足に負担の少ない靴履きゃいいでしょって。友達は悪気なく相手のことを思ってあげたんですけど。
解放としては正しいからな。
彼女としてはそうじゃないんだよなみたいな。今になったら僕の友達もわかってると思います。その答えはスニーカーじゃないぞと。でもその時の純粋な彼にとっては、論理的に考え、相手のことをまっすぐ思い、スニーカーをあげた。でも受け取る方にとっては、正しいけどそうじゃないんだよみたいな。
これって本当にこういうコミュニケーションのずれがいろんなところで起きると思っていて。それがまさにその正しいことがいつも正しいとは限らないみたいな。もしかしたら恋愛とか夫婦関係で特に起こりうるかもしれない。
まあそうですね、やっぱ人間関係が一番顕著にあるなとは思いますけどね。
家事から解放してあげる提案が、嫌らしい理由
続いてエラさんは、自分と妻とのやり取りを例に出します。論理的には気遣いのはずの提案が、なぜ嫌がられるのかという話です。
このハミ出しズの中で、奥さん側の立場の人って結構いらっしゃいましたっけ?でも、ゆゆみさんとか。
うちのゆみちゃんは分かりやすく。聞いてる人はもれなくハミ出すなんで。
僕も妻とそういう話になるんですけど、いつも家事とか、僕もやるものはやりますけど、まあ仕事に家事に大変そうなので、じゃあ一度解放されたらどう?みたいな。俺が子供たち連れて、うちの地元のじいちゃんばあちゃんのとこに帰るから、一人でゆっくりしたらいいじゃんって。これ嫌らしいんですよ。
へーそうなんだ。
これって論理的に正しくないですか?
全然心遣いというか、何の悪意も感じないけどね。
これは嫌らしいんですよ。その、やっぱりどうしても旦那の親っていうのは、いくら家族といえども、ちょっとこう取られたくないっていう気持ちが最後には奥にはあって。私の知らないとこでそっちだけで仲良くなっちゃうの嫌だなみたいなのが多分なんですよ。
なるほどね。そういうことか。
だから、あ、これ違うんだっていうね。決してうちの妻とうちの親が仲悪いわけじゃなくて、むしろ仲いいんですけど、そういう関係でもやっぱりなんか嫌だなっていうのは。
まあそうね、理屈じゃないですよね。やきもちとかに近い感覚ですよね。
寂しがりおじさんと、論破が勝つ風潮
バーティさんは、自分も友人関係で似た感情を持つと打ち明けます。そこから話は、SNSで論理が勝つ風潮へと広がっていきます。
僕もその、なんだろう、それに近い感情は、まあ寂しがり屋ゆえにっていう。エラくんの奥さんもその感じがあったですね、一人ではできない方。
本当に、バーティーさんと一緒のタイプなんで、その辺が多分こう出たのかなっていう感じ。
だから僕もね、スタッフ同士が一緒に飲んでる様がインスタに上がっとると。位置情報とか共有してるんで、近場で遊んでんなと。帰りにちらっと寄ったりするのかなと思いきや、普通に帰宅してたりしたら、俺、俺全然混じってないとかになりますからね。言わないけど。
寂しがりおじさんですか。
自分がそうなこともあるしね。毎日飲みに出るたびに全ての知り合いの店を回るとかは不可能なんで。だから論理ではわかってるんですよ。その日行くルートであったり、飲酒量にもよりますし、店選びってそういうことでしかないし。
逆に、他には寄らずにうちに来てくれる時っていうのは、そういう時だなっていう、そっち側ももちろんわかってるんですよ、論理として。まあ今日は違ったんだなと、他の店に行きたいとこがあったんだなと。全然ロジックとしてはそうなんすけど、あー帰ってるって、の気持ちとかはちょっとわかりますよ。
めんどくさいおじさん。
メンヘラおじさんなんでね。
本当に僕、全くそれを思わないんで。でも寂しがり屋なのかな。だから多分言語化は難しいんでしょうけど、わかってるけどなんか嫌だなみたいな。それが多分根底あるんでしょうね。
例えば今の僕が、ちょっとした余談としてエラくんに、この間スタッフがおじさんをのけ者にして顔も見せずに帰っちゃってて、って笑い話ぐらいな感じでやったとするじゃないですか。それにエラくんが、いや、でも店選びってそういうことですからね、バーティーさんが一喜一憂することじゃないと思うんですよね、とか言われても、うん、そうだよね、正しい、正しいみたいになるし。
でも結構そういう人いますよね。
いや、そういるんですよ。僕も割と性格的にはそっちがちなんで。その状況であんまりやらない方ではあるんですけど、お悩み相談とかに対してはそうだけど。でも自分の意見を語る時に、そこに論理的に整合性が取れていたいっていう思いは強い方ではあるんで。
いや、でもベストじゃないですか、それは。論理的な整合性なしで来られるのもちょっと。だからバランス難しいですよ、これ。めちゃくちゃ論理的だけで来られてもあれだし、そこ破綻したまま来られても、それはそれでちょっとあれなんで。
結局バランスの問題ではあるんすけどね。自分もその考え方の癖自体はそうだったりはするから、ほんとそれこそバランスを気をつけようとか思って。ここは思うことはあるけど、おじさんが割り込んで口挟むとこではないなっていうところでは、うーん、そうねって流すとか、そういう選択をしてたりはしますけど。
その選択ができるのって、おじさんになればなるほど、口突っ込みたくなるんで。それを我慢できてるのはすごいと思います。
突っ込みたいタイミング自体は増えたんですよ、やっぱ。それこそ多分、さっきの正しいことを言って変な空気になったとか、鬱陶しがられたみたいな経験値不足が招くかもしれないじゃないですか。
僕はなんなら、若い頃はもう論理でねじ伏せたいぐらいな方だったんで。それゆえの、いやでもそんなことしても恥をかかせただけだなみたいな、自分の中の反省とかも踏まえての今の仕上がりで。思うとこはあるけど、ここは飲み込もうっていうのは、その失敗の経験値ゆえっていうのもあるんで。
公務員時代に見た、論理で勝つの限界
エラさんは、SNSでよく流れてくる「論破」系の投稿と、自身の公務員経験を重ねて語ります。論理で勝っても、それが正解とは限らないという話です。
これね、結構根深いと思ってて。僕、気づいたらSNSの悪口ばっか言ってる気がするんですけど、の割に見ちゃうんですけど。XとかThreadsとかもそうなんかな、あの論理が正しいやつが勝つみたいなのって、結構多くないですか、最近。
ハイ論破みたいなことですよね、雰囲気的には。
そうそう。めっちゃよく流れてくる肩があるんですけど、クレーマーと対決する人みたいな位置づけで、お前こうこうこうじゃねえかって文句言われて、お言葉ですがっていうので次のポストに移るんですよ。続きを読ませようとしてね。
要は客はこう文句言ってきたけど、店側がめちゃくちゃ論理的に正しい、法律なり規則なりを持ってきて、客が黙って退散するみたいな。そういう肩がよく流れてきて。結構そういうのを求めてる人多いのかなとも思ってるんですけど。
やっぱちょっとその理不尽とか、不快な人に対してちょっと成敗してやったみたいな。水戸黄門みたいな気持ちじゃないですか。
だから多分結局、昔からよくある勧善懲悪のことだと思うんですけど。ただ僕は公務員を10年近くやってきて、そんなことはない。
さっきバーティさんおっしゃってましたけど、論理で勝つと、感情で最後もう相手は、うるせえって。それってまあ公務員としては正しい姿なのかもしれないんですけど。
僕、よくいるじゃないですか、公務員とか店に向かって、お前らそのマニュアル通りの対応しかできないのか、みたいな。あれ結構叩かれがちですけど、なんかわかるとこもあるんですよ、僕結構。
変にそれこそ正論を突き返すよりは、もうマニュアルしかできないんでっていう無能として流しちゃった方が、みたいな。
そうそう。例えば5時までの窓口に5時1分にやってきたおじさんに対して、いや、ちょっとこれだけやってくれよって言われて、すいません、規則で5時までしか受け付けられないんで、すいませんってやるのは正しいんでしょうけど。でもまさにその正しいことが正しいわけじゃないっていうか、言い方一つの問題で。
うーわすんません、あと1分早かったら、うわぁ、ちょ、どうしよう、ちょっと待ってもらっていいですかとか。
そうね。ちょっと上に確認してきますとかね。
で、いや、すんません、やっぱちょっと無理でしたわとか言えば、若干はこう緩和されるとこがあるけど。最近の風潮としては、いや、その規則第何条により受付はみたいな、それが勝つみたいになっちゃってるから、なんかそうじゃない時の方が多いんだよなみたいな。
そうなんですよ。
もちろんそんなとんでもないクレーマーもいらっしゃいますよ。いらっしゃるし、それに毅然と対応しないといけない時もあるけど。なんか言い方一つでこの人もそんな怒んなかったのになっていう時もあるんですよ。その辺がね、ちょっと難しい問題かなと思いますけどね。
結論は出ないけど、そうだよね、という回
最後に二人は、いつも通り明確な結論は出ないまま、テーマを共有できたことに満足して締めます。そして締めの一言をめぐって、また掛け合いが始まります。
結局ね、なんかこうしたがいいって何も出てこなかったけど、そうだよねっていう話だったけど。
いや、でも本当に話してて、そうだなと思いました。正しいことが正しいわけじゃないっていうか。
まあそうだな。ただ、それを共有したかっただけの回にはなりましたよね。別にどうしようって思ってるわけではないんで。
いや大丈夫です。その結論が出た回ないですから、今まで。大抵、そうだよねって言って終わる番組なんで。
まあこの番組はそういうスタンスでやっているので、そういうことを期待されても困りますから。聞いてくださってるはみ出しズの皆さんも、その辺をご承知の上で聞いていただきたいですし。
最後正しい、最後めちゃくちゃ正しい。
ちょっとね、もうお時間の方も結構経ってるんで、僕もお店の準備とかありますし、この後。もう時間なんで終わりましょう。
嫌だわ、最後のこの人は。正しくて嫌だな、最後の人格これ。嫌だわ。
やっぱ言い方問題ですよ。
言い方問題ですね。すいません。
今日ね、二人のスケジュールの都合上、ちょっと夜撮ってて、僕この後ね、店開けなきゃいけないんで。
すいません。僕もちょっと子供風呂入れないといけないんです。
もうぼちぼちこの辺にしときましょう。
これも合ってるのかわかんないけど。まあはい、すいません。
まあね、正しくある必要ないんでね。
はい、そうですね。適当に終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
まとめ
今回は、論理的に正しいことが必ずしもその場の正解とは限らない、というテーマで話が進みました。バーティさんの留学時代の友達の「辞めろ」の一言、足が痛い彼女にスニーカーをあげた友達の話、公務員時代の窓口対応など、二人の実体験を通して、論理と感情のあいだで揺れる場面が語られました。結論は出ないけれど、「そうだよね」と共有できた回でした。
- 命の危険が迫るほど追い込まれたときは、論理より心身の安全を優先していい
- 論理的な正解を突きつけることが、失敗の機会を奪ったり関係を壊したりする場面もある
- 対人関係や恋愛では、正しいことよりも「そういうことじゃない」という感情のずれが起きやすい
- 同じ内容でも、言い方一つで受け取られ方は大きく変わる
