歯医者の「左手を上げて」で手を挙げられるか
今回のテーマは、エラさんが持ち込んだ「痛みに強い人ですか?」というもの。きっかけは、超久しぶりに歯医者に通い始めたことでした。
エラさんは前提として、歯磨きは毎日していると強調します。虫歯ができやすい体質らしく、毎回虫歯が見つかっては「歯磨きはできているのに」と言われるのが気になるのだそうです。
虫歯がいっぱいあるっていうと、なんかこいつ歯磨きしてねえんじゃねえかみたいな。
まあまあそうね、イメージとしてはね。
そのうえでエラさんが投げかけたのが、歯医者で必ず言われる「痛かったら左手を上げてください」の話です。エラさんはあの手を、一度も挙げたことがないと言います。
でも僕手挙げたことマジで一回もないんですよ。その、痛みに自分は強いのか、我慢をしてしまう人なのかどうかわかんないですけど。
虫歯をゴリゴリ削っているときの「キン」とくる痛みは、めちゃくちゃ痛い。それでも手を挙げられないのはなぜか、という問いです。
痛みに強いのではなく「挙げるのもな」
バーティさんの反応は、ほぼ同じでした。手を挙げたことがないのも、考えていることも似ていると言います。
ただし、それは痛みに強いからではないと話します。むしろ痛いのは過度に嫌なほうだと言います。
強いから手を挙げないというよりは、なんか挙げるのもなとか。これぐらいで挙げる人いるのかなとか。で、まあ耐え忍んでいるだけで。
ここでバーティさんは、痛みを2種類に分けます。歯医者のように「受け入れざるを得ない痛み」と、不意にくる痛みは違うのではないか、という整理です。
歯医者の痛みは避けられないもの。だから最初から受け入れ態勢で行っている、というわけです。
さらにエラさんは、手を挙げると麻酔になるから挙げない、という可能性にも気づきます。バーティさんも、軽い虫歯を削る程度なら「挙げたところでな」という気がすると話しました。
病院に行くのがめんどくさい、でも不安にも弱い
話はもう一つの軸へ。エラさんは、痛みに対応すること自体がめんどくさいのではないか、と言い出します。バーティさんも強く同意します。
バーティさんの場合、どこかが痛いとき、病院に行くのがめんどくさい。その一方で「骨にヒビが入っているんじゃないか」と不安になる、痛みヘタレな面も同時にあると言います。
すごいその痛みヘタレみたいなところも同時にあるんで、すごい両方のせめぎ合いで葛藤するんですよね。
結局、二日三日寝かせて治らず、不安に負けて病院に行くと、大したことのない打撲だった、というパターンが多いそうです。めんどくさがりと不安がりの両面を持ち合わせている、と自己分析します。
一方のエラさんは、そもそも「これは我慢できる痛みなのか、挙げていい痛みなのか」の判断自体ができないと言います。
これぐらいで本当に上げていいのかなとか。その判断がなんか毎回できないって感じなんですよね。
限界を見極められない、という別の軸
バーティさんは自分の格闘技の例を出します。趣味でキックボクシングをしていて、先生にローキックを受けるとき、耐えられそうな3発前くらいに「もう無理っす」と申告するのだそうです。
プロを目指しているわけでも、何かを懸けているわけでもない。だから「受け入れなくても許される痛み」であり、怪我を避けるためにも早めに申告する、という考え方です。
ここでエラさんは、自分だとその申告すらできないかもしれない、と気づきます。これは痛みの軸とは別の「忍耐」や「限界の見極め」の軸だとバーティさんは指摘します。
バーティさんは、エラさんが以前語っていた会社員時代の話を思い出します。限界まで粘ってメンタルを壊してしまった経験です。
限界まで頑張ろうとする人とか、これ以上は厳しいの見極めができない真面目な人がやっぱそうなっちゃうみたいなのはね、よく言われてることで。
エラさんは、自分が真面目すぎるとか頑張りすぎている実感はないと言います。ただ「これが限界じゃないだろう」と、線引きができないのだと語ります。
これもう無理ってなってからは早いんですよ、多分。ただ、これもう無理なんだって気づくまでがめっちゃ遅いんですよ、多分。
無理と気づいた後は早いが、気づくまでが遅い。それが「溜め込みすぎて突然爆発する」につながるのではないか、と自己観察の下手さを疑います。
痛いのは過度に嫌だが、避けられない痛みは覚悟して受け入れる。趣味の格闘技など「懸けていないもの」は見切りが早い。
そもそも見切りをつける発想がなく、限界まで続けてしまう。無理と気づくのが遅く、溜め込みやすい。
「何のためにやっているか」という物差し
なぜバーティさんは見切りをつけられるのか。エラさんの問いに、答えはシンプルでした。その分野で諦めても自分に支障はないと思っているから、ハードルが低いのだと言います。
そしてバーティさんは、エラさんに一つの見立てを示します。何かをやるとき、ゴール設定をしていないのではないか、というものです。
バーティさんはキックボクシングなら「趣味で楽しくやる」をゴールに据えている。だから生活に支障が出るまでやるのは本来のゴールとずれる、と判断できるのだそうです。
そもそも何のためにこれやってんの?とかっていうのは結構考える癖がありますね。会話にしても何にしても。
これはファシリテーション的な考え方だとバーティさんは言い添えます。目的を見失わないようにしていると、目的から外れたときに「やめよう」の判断ができる、という理屈です。
歯医者に行くのも「不調を治さないと後々支障が出るから我慢せざるを得ない」と言語化できる。多くの人は無意識にそう考えて行っているだけではないか、というのがバーティさんの見方です。
見切りをつけるっていう発想自体がいつもないかもしれない。だから、その視点を持たないといけないのかもしれない、まず。
負けず嫌いでもなく、楽観的なのかもしれない
話は少しそれて、バーティさんはエラさんに「負けず嫌いか」と尋ねます。答えは「全然」。勝ち負けはどうでもよく、負けたくないと思ったことが人生であまりない、と言います。
エラさんは、農業中に熱くなった機械の鉄部分に手が当たり、ひどい火傷をした話を挙げます。周りに病院を勧められても「大丈夫」と放置し、結局まあまあ治ったそうです。
普通なら病院に行くだろう場面でも「我慢できるだろう」と「めんどくさい」が勝ってしまう。エラさんは、自分は痛みに強いというより、ただのめんどくさがりかもしれないと言います。
さらにバーティさんは、エラさんが楽観的なのではないかと指摘します。エラさん自身も、昔はネガティブで悲観的だと思っていたが、もしかしたら楽観的なのかもしれない、と振り返ります。
対するバーティさんは、常日頃ネガティブで慎重なぶん、出足が遅いのがデメリットだと言います。いろんなリスクを想定して二、三日悩んだ結果、要らなかったということばかりだそうです。
いろんなリスクを想定して悩んだ二、三日、結果いらんかったなみたいなことばっかりなんで、僕は。
風邪や小さな怪我でも病院に行くのを先延ばしにして長引かせてしまう。慎重さゆえの時間の損失は大きい、と話します。お互いに一長一短だ、という着地です。
どちらが良いでもない、塩梅の話
バーティさんは、自分の考え方はバンドを本気でやろうと思ったタイミングから身についたものだと明かします。生まれつきではなく、後から変わったのだと言います。
まあやっぱ僕でいうと、バンドをちゃんと本気でやろうって思ったタイミングとかからかな。
売れるため、知名度を広げるためと、ありとあらゆる角度で考えるうちに、目的を物差しに行動を判断する癖がついた、という流れです。今は自分自身がコンテンツだという感覚で、そこに照らし合わせて動いていると話します。
ただしバーティさんは、慎重さを目指すべきだとは思わない、とはっきり言います。考えすぎるゆえに失敗の試行回数が少なく、成長が遅いというマイナスも感じているからです。
必ずしもエラくんが残念とか、その僕のような慎重さを目指すべきとはそもそも思わないですね。
エラさんは、全部を真似するのではなく、いいなと思うところだけ取り入れたいと話します。限界を見極められずに体調を崩すのは避けたい、という思いからです。
そしてエラさんは、一つの答えにたどり着きます。「体調を崩さない」を目的にしておけば、これを続けたら崩しそうだと感じたときにやめる判断ができるのではないか、というものです。
一方のバーティさんも、ある程度の瞬発力は身につけたいと語り、お互いに相手のほうへ少しバランスを寄せたい、と話しました。
いい塩梅のところがあると思いますんで。
まとめ
「痛みに強いか」という素朴なテーマから、限界の見極めと目的意識の話へと広がった回でした。痛みへの向き合い方の違いは、我慢や忍耐だけでなく「何のためにやっているか」を意識しているかどうかにもつながっている、という気づきに落ち着きます。
- 歯医者で手を挙げないのは、痛みに強いからではなく「挙げるのもな」という気持ちや、めんどくさがりからかもしれない
- 痛みには「受け入れざるを得ないもの」と「受け入れなくても許されるもの」があり、後者は早めに見切ることができる
- 限界を見極められず溜め込むタイプは、無理と気づくのが遅く、突然爆発しやすい
- 「そもそも何のためにやっているか」を意識すると、目的から外れたときにやめる判断がしやすくなる
- 慎重さも瞬発力も一長一短で、どちらが良いというより自分に合った塩梅を探す話
