無職と大学院生、あぐらをかいて自己紹介
番組は、村上春樹の最高傑作を問う雑談から始まります。蛇は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を挙げ、鼠も好きな作品だと応じます。
村上春樹の最高傑作だと思う作品はどれだと思いますか?
やっぱりあれかな、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』じゃないですか。
鼠は東京大学の倫理学研究室に在籍する大学院生で、SNSでは「ゲーミングソクラテス」名義で活動していると自己紹介します。
一方の蛇は「無職」と名乗りますが、就活中だと訂正します。名前の由来は、人を動物に例える昔からの習慣で、今の自分が蛇っぽいと感じるからだと話します。
蛇と申します。無職をやっております。よろしくお願いします。
2人は高校の演劇部の先輩後輩で、蛇は物理を専門にしていたと明かします。
番組冒頭では、作中の一節をもじった掛け合いも交わされます。
完璧な文章は存在しない、完璧な絶望も存在しないようにね。デレク・ハートフィールドが書いてますからね。
鼠は、村上春樹を読む人はもう少し古い世代だと感じると話します。行きつけの喫茶店兼ジャズバーで店員に「生まれる時代が早い方が良かったね」と言われた経験を挙げ、自分たちを「時代の流れに取り残された漂着物」と表現します。
『風の歌を聴け』のあらすじと「鼠」という名前
鼠は、まず作品のあらすじをWikipediaからそのまま読み上げます。掴みどころのなさを正直に認める姿勢が印象的です。
聞いただけで、あらすじが分かりましたか?と言われるとね、5分の3ぐらいしかわからないという。
蛇は、後期作品に多い幻想小説的な作風と比べ、『風の歌を聴け』は生活感を目指した小説だと指摘します。
この頃、風の歌を聴けはあんまり幻想小説っていうよりは、ある種生活感みたいなのを目指した小説だよね。
鼠の名前は、この小説に登場する「鼠」に由来します。行きつけのバーで隣に座る金持ちのおじさんから「村上春樹の小説に出てくる鼠によく似ている」と言われたことがきっかけでした。
作中の鼠は金持ちを嫌う人物ですが、鼠自身は金持ちが大好きだとし、スポンサーを募る冗談で盛り上がります。
スポンサーができてさ、そのお金でビールを買ってさ、そのビールでラジオをとってさ、そのラジオを聞いてさ、永久機関完成じゃない。
魅力その1・爽やかな文章と「やれやれ」
鼠は、この作品の好きな点を3つほど挙げると前置きし、まず「圧倒的な文章の爽やかさ」を挙げます。風が吹き抜けるような、気持ちのいい文章だと表現します。
鼠は、村上春樹の文章を「日本人が書いたアメリカっぽい爽やかな文章」と評します。近代文学を読み込んできた鼠にとって、それは新鮮な体験でした。
近代文学のしっとりした重苦しさに対し、村上春樹はつらいことがあっても「やれやれ」とビールを飲んで終わらせると鼠は語ります。
蛇は、この作風をより踏み込んで捉え直します。決してバカではなく、むしろ知的なのに深刻に悩まない点が面白いと指摘します。
考えてるけど悩んでないみたいな。困難な状況が起こってやれやれって言ってるんだけど、解決に向かって走ってはいるんだよね、ずっと。
2人は『世界の終わり〜』を例に、主人公が自然と困難に立ち向かう姿が魅力だと語り合います。
大江健三郎の批判と、村上春樹の位置
鼠は、大御所からの批判もあったと紹介します。大江健三郎が、アメリカ小説を巧みに模倣した作品だが「無益な試み」のように思われたと評した一節を読み上げます。
蛇は、村上作品の描く「闇」がそもそも悩むほどのものでない場合が多いと感じると話します。そのうえで、大江や安部公房など上の世代は、戦争や学生運動などより壮絶な経験をしていた点に触れます。
大江健三郎とか安部公房とかって、経験してることからして、多分もっと壮絶なんだろうなと。
鼠は、村上春樹自身が嫌な経験をしていないわけではないが、小説の主人公の経験としては深いところまで行かない、それが受けの悪さにつながることもあると整理します。
魅力その2・解けない謎をそのままにする力
2つ目の魅力として、鼠は「謎の多さ」を挙げます。ネット上には作品の「真相」を解説する動画が多数あり、根強く読み解きたい人がいると話します。
代表的な謎として、バーで介抱した左手の小指がない女性との会話が挙げられます。結婚や子供の話をした後、彼女は突然「この嘘つき」と言って去りますが、その理由は明かされません。
この嘘つきって言って突然女の子が去る。しかし彼女は間違っている。僕は一度しか嘘をつかなかった。どこ?っていう。
鼠は、こうした謎を謎のまま放っておくには相当な才能が必要だと語ります。読者の多くは謎を解きたがるからです。
蛇は、これを「矛盾」ではないと捉えます。ヌーヴォー・ロマンのように理解から遠ざかる構造ではなく、村上作品は解に至る情報が足りないだけで、解の存在は感じさせてくれると分析します。
確定してないだけで、でもなんか多分そこにいくつかの解は存在するんだろうなって感じさせてくれる小説だなと思います。
鼠は「3」という数字にまつわる謎にも触れます。9本の指、3人の女性など、この作品は3と縁が深いと指摘します。
さらに、レコードを返す行為が誰への贖罪なのか、助けた女性へのものか、自殺した女性へのものか、はっきりしないまま複数の話が同時並行で進む構造にも触れます。
注意深く読んでもなんかいまいちピンとこないというか、腑に落ちない。うわついたままで終わらされるみたいな。
なぜ村上春樹は「バカでも読める」と言われるのか
蛇は、川端康成や三島由紀夫が読む人を選ぶのに対し、村上春樹はほとんど本を読んだことがない人でも読めてしまう点を指摘します。
村上春樹は多分これまでほとんど本を読んだことがない人でも読めてしまうんだよね。深く理解できるかどうかは別として、読むことには読めてしまう。
鼠は、宮台真司が動画で村上春樹を「バカでも読める小説」と評していたと紹介します。理解する能力のない人でも読めるから売れ、世代にフィットしたという見方です。
蛇は、近代小説が持つ物語と語りの頑強な形式を、村上春樹が一度崩し、翻訳調にすることで、多くの人が日常的に思考する形そのものを文章にしたのではないかと分析します。
その洗練された形式を一回崩して、日本語も一回崩して、翻訳調にわざとして、多くの人が一般的に思考する、その思考の形そのままを文章にしてるんじゃないかなって。
魅力その3・境界を越えるフィクションの力
鼠は、謎という主題を「フィクションとは何か」という問いにつなげます。村上春樹研究では、存在と不在の照応関係が重要だとよく言われると紹介します。
鼠は、あるものとないものの境をすぐ越えるのが村上作品の特徴だと語ります。地の文に突然、別の小説のシーンが挿入される例を挙げます。
境界を踏み越えるっていうのはすごく重要で、村上春樹はそこをすごいテクニカルにやってる。
蛇は、小説を読む人は最初からフィクションだと知っているため、現実と虚構の壁をどう越えるかが工夫のしどころだと応じます。
鼠は、テクニカルなことをテクニカルに見せない点こそ作家の才能だと語ります。村上春樹が個人サイトで批判者に返したという返答を紹介します。
亀にはそれぞれ小さな甲羅が合う亀と大きな甲羅が合う亀がいます。あなたと私の甲羅のサイズは合わないので、どうかあちらに行ってください。
鼠は、こうした村上春樹をホラー小説、とりわけスティーヴン・キングの影響とつなげたいと語ります。あまり指摘されない視点だと言います。
鼠は、キング作品の本質は恐怖そのものではなく、恐怖に接した人間の変化を描くことにあると語ります。『IT』のペニーワイズや、『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカーを純粋な悪の象徴として並べます。
純粋な悪が主題じゃない。それに会うとか関わることを通して、カフカ君がどうなるかがやっぱあの小説の重要点。
鼠は、非現実を挟むことで、現実だけを描いても出てこないものを書けることこそ村上春樹の本質だと結論づけます。
冒頭の「村上春樹の主人公になりたいか」という問いに戻り、鼠は主人公が非現実へ飛んでも必ず現実に戻ってくる点を指摘します。『世界の終わり〜』が好きなのも、現実に戻ろうとするからだと語ります。
飛ぶっていうのは本当にあっち行って戻ってこないんじゃなくて、戻ってくるんですよ。
まとめ
初回は自己紹介を兼ねて、村上春樹『風の歌を聴け』の爽やかさ、解けない謎、境界を越えるフィクションの力という3つの魅力を、2人の掛け合いで掘り下げる回でした。
- 『風の歌を聴け』は幻想小説というより生活感を目指した作品で、深刻に悩まず「やれやれ」と受け流す文章が魅力とされます。
- 作中には小指のない女性や「3」にまつわる謎が多く、解を確定させずに存在だけを感じさせる点が特徴だと語られます。
- 蛇は、村上春樹が近代小説の形式を崩し、思考の形そのままを翻訳調で書いたため、幅広い読者に読めるものになったと分析します。
- 鼠は、スティーヴン・キングとの共通点として、非現実に触れた人間の変化を描く点を挙げ、そこに村上作品の本質を見出します。
- 村上作品の主人公は非現実へ飛んでも必ず現実に戻ってくる点が、2人の共感の核になっています。
