PKSHA・ジョーシスはどんな会社か
まず、両社の事業内容について整理しましょう。
PKSHA Technologyは、2012年の創業以来、AI(機械学習)を中心とした先端情報技術の社会実装に取り組んできました。上野山さんは「AIという言葉はずっと使っていなかった」と振り返ります。
もともとマシンラーニングっていう、ニューラルネットの原型みたいなところからやってた。その頃誰も機械学習っていう言葉の意味をわかる人が0.1%ぐらいしかいない時代だったんですよね。
技術のイノベーションをブースターにしながら、コンピューティングが進化する先に何があるのかを探求し続けている──それがPKSHAのスタンスです。上野山さんは「今のLLMも、インターネットを圧縮したものと見れば、情報産業はまだ道半ば」と語ります。5年、10年後の世界を妄想しながらソフトウェアを作る。そんな姿勢が、13年間一貫しているようです。
一方、ジョーシスは2022年に設立されたグローバルSaaS企業です。松本さんは、ラクスルを上場させた後、2社目のスタートアップとしてこの会社を立ち上げました。提供しているのは、アイデンティティ管理を中心としたサイバーセキュリティサービス企業内の全ソフトウェアのIDやアクセス権限を統合管理し、ランサムウェアなどの攻撃を防ぐセキュリティソリューション。です。
近年、アスクルやアサヒビールがランサムウェア攻撃データを暗号化し、復号と引き換えに身代金を要求する悪質なサイバー攻撃。ソフトウェアのIDやアクセス権限が侵入経路になるケースが増えている。を受けた事件が記憶に新しいでしょう。攻撃手法が、従来のパソコン端末やネットワークの脆弱性を突くものから、ソフトウェアのID・アクセスを狙うものへと変化しています。企業が使うソフトウェアの数は膨大で、それらを統合的に管理できないことが新たな脆弱性を生んでいる──ジョーシスは、その課題を解決しようとしています。
全体の管理を統合的にしていくことが難しくなって、そこに脆弱性ができている。それをすべて統合的につないで見える化して管理していく。
しかも、ジョーシスは「日本発グローバル」を掲げています。全社員約200人のうち、7割が海外メンバー。インドとシリコンバレーに開発拠点を持ち、オーストラリアやアメリカを中心に世界中に製品を提供しています。
なぜジョーシスはグローバル展開を選んだのか
上野山さんが「グローバルでやんのめっちゃすごいなと思ってる」と率直に驚きを口にする場面がありました。松本さんはなぜ、これほど難易度の高いグローバル展開を選んだのでしょうか。
きっかけは、ラクスル上場後に世界中の投資家やグローバルイベントに参加する機会が増えたことでした。そこで目にしたのは、国境を越えてサービスを提供している起業家たちの姿です。
世界中にすごい面白い企業家がいて、すごい面白い投資家、エンジニアがいて。日本だけでやるより世界の仲間と一緒に働いた方が楽しいんじゃないかって思い始めた。
日本がもし世界最大のマーケットなら、国内だけでも十分インパクトがあったでしょう。しかし、現実には世界中に優秀な人材がいる。それなら、彼らと一緒に世界で戦う方が面白い──そんな純粋な動機が、ジョーシスのグローバル戦略の原点にあるようです。
一方、佐俣さんは日本のスタートアップの典型的なパターンとして、「日本で事業を作って、それを海外に持っていく」アプローチがあったと指摘します。しかし、ジョーシスはそれを取らず、初めからグローバルメンバーでグローバル向けに作る戦略を選びました。
松本さんはこう説明します。「日本の経営OSとグローバルの経営OSは違う。シリコンバレーを中心にスタートアップのスタンダードが作られている。そのスタンダードに合わせた形を最初から取っていかないと、グローバル化は難しい」。
確かに、楽天やトヨタのように、日本流のマネジメントを世界に広げて成功している企業もあります。しかし、それには相当大きくなってからでないと実現が難しい。ソフトウェア産業において、初期段階から海外市場を狙うなら、最初からグローバルスタンダードのOSで動く組織を作った方が適応しやすい──それがジョーシスの判断でした。
グローバルSaaSの戦い方──失敗と学び
もちろん、グローバル展開は順風満帆ではありませんでした。松本さんは「フェイルがたくさんある」と正直に明かします。
東南アジアの罠──契約は取れるが、入金されない
最初にターゲットとしたのは、アメリカと東南アジアでした。東南アジアでは驚くほど売上が立ったそうです。しかし、問題がありました。
売り上げは立つんですけど、お金振り込まれないんですよ。契約書がたくさん来るんですけど、着金しない。支払わないっていうことにインセンティブがついてるんですね。経理のKPIに支払いをいかに遅らすか、いかに支払わないかでボーナスが決まる。
これには会場も驚きの声が上がったかもしれません。契約を取ることと、実際にお金を受け取ることの間には、文化的な壁があったのです。
オーストラリアへのピボット
そこでジョーシスは戦略を変更します。東南アジアをスモールダウンし、オーストラリアにシフトしました。オーストラリアはAtlassianオーストラリア発の企業向けソフトウェア企業。JiraやConfluenceなどのプロダクト管理ツールで世界的に有名。やCanvaオーストラリア発のグラフィックデザインツール。全世界で1億人以上のユーザーを持つ。など、グローバルSaaS企業が育っている土壌があります。アメリカやヨーロッパからも人材が集まり、グローバルな環境が整っていました。
「契約を取ったらちゃんとお金を支払ってくれる」──当たり前のようで、実は市場選びにおいて極めて重要なポイントです。
組織の分断とオーケストレーション
もう一つの失敗は、組織のバラバラ化でした。最初は東南アジア、オーストラリア、アメリカ、それぞれの地域で独立してチームを立ち上げました。製品はインドとシリコンバレーで作る。しかし、それぞれがバラバラになりすぎて、つながりが弱くなってしまったのです。
「チームを作ったつもりが、ピンの人たちを集めただけになってしまい、オーケストレートできなくなった」と松本さんは振り返ります。
そこで全体をマネージする人を置き、オーストラリアからアメリカを見る体制に再編。アメリカのチームも一度入れ替えて新しいチームにした結果、ようやくうまく回るようになったとのことです。
現在、ジョーシスは約200人の社員のうち7割が海外メンバー。グローバルスタンダードの経営OSで動く組織を作り上げたことで、初めからグローバル展開を選んだ戦略が実を結びつつあるようです。
AI時代にスタートアップが戦えるフィールド
佐俣さんは、AI時代の複雑さをこう整理します。インターネット産業の15年を振り返っても、ソーシャル・モバイル、オンライン化など転換点がありました。しかし今、AIはそれらを超える規模で、働き方や価値観を変えつつあります。
同時に、日本のスタートアップにとっては「穴が開いている領域」が見つけにくくなっている。かつてのようにプラットフォームレイヤーとアプリケーションレイヤーを分けてエコシステムを作る時代ではなく、AI基盤レイヤーのプレイヤーが垂直統合で全部作ろうとしている。その波に巻き込まれれば死ぬ──それが「SaaSの死」というワードの背景にある危機感です。
そんな中、佐俣さんは問いかけます。「すごく優秀なエンジニアの2人の学生に会えたら、何をやった方がいいって言うんですか?」
上野山さんの答えは明快でした。
AIファーストでバーティカルのサービスとか取りに行く。それでデータネット効果立ち上げに行くみたいなんだったら、多分全産業全ファンクション開いてると思いますけど、ほぼ。
ビッグテック同士が兆円単位で競い合っている世界は確かに存在します。しかし、その桁感からズレた数百億円規模のゲームは、彼らの経営会議には上がらない。「その桁から2個ずれた議論っていうのは経営の議論の土台に乗らないわけですよね。じゃあそれって全部空いてる」と上野山さんは指摘します。
さらに、ソフトウェアが劇的に進化することで、今までソフトウェアが届かなかった領域にも染み出していくフロンティアが広がっています。例えばアメリカでは、保険の販売といった従来人間だけでやっていた領域を、AIファーストで回すバーティカルAIサービスが生まれているそうです。
身体的な理解が差を生む
一方、松本さんは別の角度から答えました。先日インドで開催したAIハッカソンを見て感じたことがあるといいます。参加者の3割はものすごく高い生産性で面白いものを作っていたが、7割はAIを普通にしか使えていなかった。
この差って能力ではなくて、AIをどういうふうに使うことができるのかっていう、使うイメージが湧いている人たちとそうでない人たちの差がすごく大きい。
AIの中心にいる人たちが見ている景色と、そうでない人たちが見ている景色には大きな差がある。そして、その差は「解説を読んでも埋まらない」と松本さんは言います。
これまでのインターネット時代は、構造的な解説がうまく機能しました。VCがブログを書けば、みんな理解できた。しかし今は違う。「解説されても人が理解できなくて、なんか体感的に感じ取るみたいな、より身体的な理解の方が重要になっている」。
だからこそ、優秀な2人がいたら「とにかくうまくいってる事例をたくさん学ぶ、会社に入る。2006年の上場したてのGoogleに入社するような、そういう感じじゃないですかね」と松本さんは答えます。
情報のマグマの噴火点に近づく。その流れを体感する。それが、AI時代のチャンスを掴むための最短ルートかもしれません。
事業戦略の変化──探索と実行の重みが増す時代
AI時代において、事業戦略は変化したのでしょうか。
上野山さんは、インターネットサービスという産業の特殊性をまず指摘します。他の産業と比べて、プランニング(計画)よりも実行(プラクティス)に重心が寄っている。つまり、「プラクティスを通じて発見する能力をどれだけ多く持てるか」が勝負を決める産業だと。
だからこそ、Lean Startupのようなフレームワークが生まれた。両聞きの継続と探索能力を組織にいかに拡大するかが、ゲームの本質だったわけです。
では、AIになってゲームは変わったのか。上野山さんの答えは「さらにその重みが大きくなっている」でした。今はリアルタイムで新しいものが生成され続けている。言語化して整理するよりも、プラクティスした方が早い時代です。
だって言語化しても、もう今リアルタイムに新しいものが生成されてて、言語化して整理するよりはプラクティスした方が早いみたいなタイミング。
佐俣さんも、自社で意識的に使っているワードとして「うまく言語化できないんですけど」を挙げました。短期的にロジカルなものはAIで出し切れるようになった今、「ファジーで言語化できないものを意識的に共有する」ことに価値がシフトしているといいます。
従来、投資判断はリサーチしてドキュメントにまとめ、それをベースに議論するプロセスでした。しかし、そのリサーチとドキュメント化はほぼAIでできるようになった。では、VCは何で差別化するのか。「全然言語化できない、よくわからん感覚をふにゅふにゅキャッチボールする」という、一見曖昧に見える儀式こそが重要になっている──佐俣さんはそう語ります。
インテリジェンスの供給制約がなくなった
松本さんは、この変化をより構造的に説明します。
AI以前、インテリジェンスは供給制約のある重要な資源でした。東京大学やスタンフォード大学を出た優秀な人材を、GoogleやMicrosoftが独占する。そのインテリジェンスを持つ人たちが何かを生み出す──それが産業の構造でした。
しかし、LLMの進化によって「インテリジェンスにおける供給制約がなくなった」。誰でもインテリジェンスを供給できるようになったのです。
このインテリジェンス、説明能力とか仮説発見よりも、実行をいかにしていくか、エグゼキューションのスピードに圧倒的な価値が置かれるようになって。
さらに、探索のスピードも劇的に速まっています。半年かけて実行していたものが、もしかすると1日、2日で実行できるようになる。その探索を圧倒的に行って、良いものを見つけて、早く回す──時間軸が早まり、より実行側に価値がシフトしている時代なのです。
佐俣さんは社内で「短期の非合理、長期の合理を追求してくれ」と言い続けているそうです。短期的な合理はAIでたどり着ける。しかし、短期的に非合理だが長期的に合理化する世界とは何か──その問いこそが、これからの戦略の核心になるのかもしれません。
供給制約のあるものの価値──AI時代の逆説
話題は、プライベートな関心事へと移ります。松本さんが最近考えているのは「供給制約のあるものの価値」です。
人類はこれまで、供給の制約に縛られてきました。工場で大量生産すればいくらでも作れるものが価値を持っていた時代。しかし、AIによって供給制約がなくなりつつある今、逆に「供給制約があるもの」の方が価値を持つようになっている──松本さんはそう指摘します。
例えば、手作りのもの、工芸品、アート作品。これらは供給に制約があるからこそ、希少性が生まれます。
すごいかっこよく言ったけど、TOBのお金で壺を買ってるっていう。
上野山さんのツッコミに会場が笑いに包まれますが、実際、松本さんはアート市場の変化を例に挙げて説明します。
シリコンバレーの人たちは以前、NFTを大量に買っていました。しかし最近、そのトレンドがパタッと止まり、クリムトなどモダンアート19世紀末から20世紀前半の美術運動。ピカソ、モネ、クリムトなど。印象派からキュビズムまで多様なスタイルを含む。の作品に投資先がシフトしているといいます。
先日、クリムトの作品がサザビーズのオークションで300億円で落札されました。これはアート界で最も高い価格です。そして買っているのはシリコンバレーの人たち。マーク・ザッカーバーグMeta(旧Facebook)のCEO。モダンアートの大コレクターとしても知られる。もモダンアートの大きなコレクターになっています。
「これまでNFTのコレクターだった人たちが、200〜300年遡り始めている」と松本さん。新しいものを追い求めていた人たちが、突然すごく古い時代、オーセンティックなものにシフトしている。その背景には、同じ思想があるのではないかと。
オールドユニクロの台頭
佐俣さんは、さらに身近な例として「オールドユニクロの台頭」を挙げます。古着市場で今、ユニクロの初期のフリースが高値で取引されているそうです。
一見、ユニクロのような大量生産品は価値がなさそうに思えます。しかし、20年以上前のフリースで状態がいいものは「歴史的なマスターピース」として捉えられています。なぜなら、世界一のアパレル企業になる会社が成長するきっかけとなったシグネチャープロダクトの初期型だからです。
SPAの象徴だったユニクロが、時を経てそのヴィンテージ品になっていくっていう現象が20年で起きた。
工場で大量生産するものが、時を経て供給制約のある価値を持つようになる。AIがあらゆるものを生成できる時代だからこそ、逆に「唯一無二」のものに価値が集まる──そんな逆説が、今起きているのかもしれません。
インテリジェンスは供給制約があり、優秀な人材を独占することが競争優位に。大量生産品は価値が高かった。
インテリジェンスの供給制約がなくなり、実行スピードが価値に。逆に供給制約のある手作り品・アート・ヴィンテージに価値が集まる。
まとめ
ハートに火をつけろ2周年記念の公開収録は、AI時代のスタートアップ戦略について多角的な視点を提供してくれました。
上野山さんは、AIの中心にいる立場から「兆円単位のゲームの隣には、まだまだスタートアップが戦えるフィールドがある」と語りました。ソフトウェアが染み出していく領域は爆発的に広がっている。重要なのは、情報歴の上流にいて、プラクティスを通じて発見し続けることです。
松本さんは、グローバル展開の失敗と学びを赤裸々に語りました。東南アジアの入金問題、オーストラリアへのピボット、組織のオーケストレーション──試行錯誤の末にたどり着いた「初めからグローバルスタンダードのOSで作る」戦略は、日本発グローバルを目指す企業にとって重要な示唆を与えてくれます。
そして、AI時代において価値がシフトしているという共通認識がありました。インテリジェンスの供給制約がなくなり、実行スピードに価値が移る。短期的な合理はAIでたどり着けるからこそ、短期の非合理・長期の合理を追求する。言語化できないファジーなものを共有する──そんな、一見曖昧に見える営みこそが、差別化の源泉になるのかもしれません。
そして最後に語られた「供給制約のあるものの価値」は、AI時代の逆説を象徴しています。あらゆるものが生成可能になる時代だからこそ、唯一無二のもの、時間の経過でしか得られないもの、手作りのものが輝きを増す。オールドユニクロやモダンアートへの回帰は、その象徴かもしれません。
変化の速いAI時代。しかし、その中にこそ新しいチャンスが眠っている──そんな希望を感じさせる対話でした。
- PKSHAは13年前から先端情報技術の社会実装に挑戦。ジョーシスは日本発グローバルSaaSでサイバーセキュリティを提供
- グローバル展開は初めからグローバルスタンダードのOSで組織を作ることが重要。東南アジアの失敗を経てオーストラリアにピボット
- AI時代、ビッグテックの兆円ゲームの隣には数百億円規模のフィールドが無数にある。バーティカルAIサービスが全産業で開いている
- 身体的な理解が差を生む時代。解説を読むよりも、情報のマグマの噴火点に近づき体感することが重要
- インテリジェンスの供給制約がなくなり、実行スピードに価値がシフト。短期の非合理・長期の合理を追求する姿勢が求められる
- AI時代だからこそ、供給制約のあるもの(手作り品、アート、ヴィンテージ)の価値が高まる逆説が起きている
