しももとさんが恋リアを見られなくなったわけ
番組のはじめに、今回のテーマが決まります。かつて恋リアの話ばかりしていたしももとさんが、最近見られなくなったのはなぜか、という切り口です。
はい。この番組は、元同じメディアにいた三人が、たわいもない話をゆるゆると雑談する番組ですということで、今日もよろしくお願いします。
お願いします。
よろしくお願いします。
今回は何のテーマでいきましょうか。
しももとさんが恋リアを見られなくなったわけは何だろう回。
これは視聴者もオーディエンスの方も、すごい興味があることだと思います。
確かに、お二人と一緒に働いてた頃は、恋リアの話ばっかししてたなと思うね。
口を開けば恋リアと。
本当にね、ご迷惑をおかけしました、本当。でもね、世間もだんだんこういう気分になってるんじゃないかなと思っていて。今ってバチェラーか、なんか新シリーズやってるよね。
バチェロレッテ、見ましたよ。
全く俺、食指が動かなくて。本当に何も見てないの。冬にもちょっと怪しかったけど。
素敵さで争うのがしんどくなってきた
しももとさんは、見られなくなった理由を言葉にしていきます。ショーっぽさや「素敵さで何かを争う」構図が、しんどくなってきたと話します。
なんで見なかったんだろう。タイトルはボーイフレンドツーだったやつ、それは半年ぐらい前かな。それはいい思い出として残ってるんだけど、そこからショーっぽいものはちょっと見る気がしなくなっちゃったのかな。
やはりこう、素敵さで何かを争うみたいなものが、結構しんどくなってきたからね。視聴していて。
ふみや君は今も恋リア好きなんですか?
いや、そうですよね。これ大前提。僕はめちゃくちゃ見る勢で、しももとさんはもともとめちゃくちゃ見てて、最近見なくなった。あすかさんがあんまり見てない。
まあ普通ぐらいですね。流行ってるやつは見たりして。普通にハマったりとかもありました。
僕はもう最近もすごい見てて。『時計仕掛けのマリッジ』とか、『さようならプロポーズ』とか。ABEMAのやってるものぐらいは見てるっていう感じなので。
あの辺から食傷気味だったもんな、やっぱり。
どんどん過激になっていく違和感
番組がどんどん刺激的になっていくことへの違和感が話題になります。YouTuberの加熱と重ねて、あすかさんが指摘します。
なんかやっぱちょっと過激になってるじゃないですか、コンセプトとかが。YouTuberとかがどんどん加熱して、危険なことまでやるみたいな、そういうところが。
めっちゃ感じる、それは。
普通のことやってても、もう盛り上がらないですもんね、全然。
あすかさんが最近見た恋リアは?
ラブジョーはめっちゃエンタメとして見ました。面白かった。あとボーイフレンドも見たし、前のやつだとフランスのニースのやつとか好きだったし。
ああ、オフラインラブ。良かったですね。
三者三様の見方――考察・人間観察・代理体験
ここから、3人がそれぞれどんな気持ちで恋リアを見ているかが語られます。見方は見事にバラバラでした。
ふみや君は、どういう気持ちで見てるの?
どういう気持ちで見てるんでしょうね。人と人の感情のやりとりみたいなものを、自分もそんなやるタイプではないし、周りで見ることも少ないから、エンタメとして見れるっていうのが面白いのかなっていうのと、この人とこの人がくっつくんじゃないかみたいな考察も面白いのかなって感じですかね。
あと程よく流し見できるじゃないですか、仕事中とかに。手頃な感じもありますし、もちろん自分に置き換えても見れるしっていう。
自分に置き換え――そうだ、確かに。恋リア見てた時のモチベーションの一つとしては、昭和生まれだからさ、男性がリードすべしみたいな価値観は一定内面化してるわけ。でもそういうのは生活的に苦手だからできない。
恋リアに出てくる人たちは、それをちょっとショー的ではあるけど、ちゃんとやってるわけね。大げさにデートを誘って、大げさにプレゼントしてとか。それを見て、同じ男性として「ありがとうございます」みたいな気分で見てたんです。俺らはできてないけど、あの人代わりにやってくれてるみたいな。
あすかさんはどんな見方をしてるんですか、恋リアは。
私はですね、多分コンテンツ全般が好きな理由が、人の頭の中をちょっと覗けるというか。「こう考える人がいるんだ」とかを知るのが好きみたいなのが根底にあって。恋リアはその宝庫じゃないですか。
やらせみたいなとこもあるのかもしれないけど、言っても結構みんなちゃんと真剣に悩んだりとかしてる中身の、そのケーススタディをさせていただける。超楽しい、ありがたいみたいな感じな気がします。
やっぱり人間観察好きな人は、確かに恋リア好きなイメージがあるかもしれない。
だって、高い位置から見下ろして神視点で見れるわけじゃないですか。そんな機会全然ないじゃないですか、日常生活で。だからもう感謝の気持ちでいっぱい。
3人の見方をまとめると、次のように分かれていました。
この人とこの人がくっつくかを考察しつつ、流し見も楽しむ。自分に置き換えても見られる
自分ができない「男性がリードする恋愛」を、代わりにやってくれてありがとう、という気分で見ていた
「演出だろ」問題と、恋愛の生々しさ
好きじゃない人がよく言う「演出だろ」という声について話が広がります。そこから、恋愛そのものの生々しさへと話題が移ります。
逆に好きじゃない人がよく言うのが、「演出だろ」みたいな。そこが勝っちゃって、見てられないみたいなことを言う人が多いのかな。
でも別に、日常生活だっていくらでも演出してるじゃないですか、我々。
確かに。そもそも人の恋愛事情に全く関心がないみたいな人もいるからね。映画とかも「恋愛シーンとかいらんから」みたいな。それが見やすい勢と見やすくない勢がいるよね。
恋愛、面白いですね。良くも悪くも理性が吹っ飛んで、すごいものだと思いますよ、恋愛は。
なんかこう、良くも悪くも理性が吹っ飛んで、キモくなるっていうか。そこを「面白い」って取るかどうかみたいなとこもあるけど。そこら辺ね、大人として見るのはすごいよ。
でもほんと、少なくなってるじゃないですか、そういう感情をあらわにする機会が、日常生活で。だから、感情をあらわにする貴重な場として恋リアを捉えてるのかな。
めっちゃそれはあると思うね。だってそういう場でしか聞かない言葉とかもあるしさ。
恋愛のコスパと、結婚指輪は「お揃いコード」?
続いて、恋愛のコスパの悪さや、結婚指輪の意味へと脱線していきます。あすかさんの「中学生のお揃い」との比較が印象的です。
これ私が思ったっていうより、誰かが言ってて「確かに」と思ったんですけど、恋愛のコスパが悪すぎるじゃないですか、日常生活において。職場で恋愛なんてしようと思ったもんならセクハラだとか言われかねないしとか。だから映像で、そのコスパの悪いことをやってくださってる皆さんを見て、恋愛を補うみたいな。
あれはコスパ悪くない?お互いに恋人を探してる前提だから、まだマシだよ。相手が探してるかどうかもわかんない状態の人に声をかけなくちゃいけないっていう、職場恋愛とかも。あれって昔は何だったんだろうって、確かに思うもんね。
逆に昔なんでそれが成り立ってたかが、なんか分かんない。
結婚指輪をさ、薬指につけるっていうのも、私にはいますからっていうサインではあるから。わかった方が便利っちゃ便利な気もするんだけど。
普通にみんな結婚指輪つけるじゃないですか。でもあれって、中学生のカップルがお揃いのキーホルダーつけてるのと、構造的に一緒じゃないですか。それはたまに思うと面白いなみたいな気持ちになる。
なるほど。その視点はなかった。確かに。
不思議だよな、よく考えるとね。
刺激より人間味――サムネ文化への抵抗
なぜまた恋リアを見たくなる気持ちが復活しないのか。しももとさんは、自分の中の変化やサムネ文化への抵抗を探っていきます。
なんでまた恋リア見たいって思う気持ちが復活するかって言われて、怪しい気がしてきたな。もしかしたらエンタメ全般に、あんまり脊髄反射するようなものを見たくないって思ってる何かがあるかもしれないです。
自分たちも曲がりなりにもコンテンツ作る側だから、その気分は大事な気もしてて。
見てない中で言うのもあれですけど、恋愛病院とかってきっと、いわゆるこじらせたみたいな人たちを、若干笑うみたいな構図でもあったじゃないですか。それがちょっとやだなみたいな気持ちはあるのかもしれない。
ボーイフレンドとかは私もすごい好きだったんですけど、ピュアな対等な人たちが真剣に向き合って、視聴者もそれを真剣にフラットに応援するみたいな。そこはすごい素敵だなと思いながら見てた。
『ボーイフレンド』と、恋愛につく「社会的役割」
『ボーイフレンド』の話から、男女の恋愛には「社会的役割」というノイズがついてくる、という話に深まっていきます。
俺、逆にすごい言いにくいですけど、ボーイフレンドは全部見て面白かったですけど、あんまりハマらなくて。ゲイ同士の恋愛を見るっていう構図が、僕的にはあんまり好きじゃなかったというか。
これは多分僕の固定観念ですけどね。男女みたいな印象が強いのか、そういうのを見て「その恋愛がすごいいいね」みたいなことを言ってる風潮にも、ちょっと「ほんとか?」とか思ったりします。
私は結構、同性の人の恋愛の方が、逆にしっくりくる感がある。男女だとどうしても、その先に結婚とか出産とかがあって、社会的な役割を意識しながら見ざるを得ないみたいなのがすごいあるんです。
本当にピュアに好きっていうのもありつつ、頭の片隅に「この人は子供を産めるんだろうか」とか、そういう打算的な部分が絶対に排除できない。同性愛の方々だと、そこまでそれが強くない。それが逆によくないことなのかもしれない、社会的には。
ノイズなく見られるっていうのもあるかもね。人と人との向き合いみたいなのはいいよなぁ。
確かに、社会的役割がセットなのか。でもほんとそうですよね。
それがセットじゃないのが良くないんだと思うんですけどね、それは本当は。
最近のABEMAの『時計仕掛けのマリッジ』が、30日以内に結婚するかしないか決めるみたいな番組で。ピュアな恋愛というよりは、結婚をできるかできないかみたいな、条件付きの話が多かった気がします。
もう戦略ですよね、多分そっちは。
YouTubeが流行ってから、サムネ文化になったなと思って。サムネと一言のコピーで、いかに引きつけるかみたいな。ABEMAの今のやつも、サムネっぽいセリフとかやりとりがめっちゃ多いなと思って。
結婚とか恋愛って、人間の生々しい、本当はその温かみとかを求めたいところに、サムネ文化の露悪的な、人間味とかけ離れるものが悪魔化したりしてるような感じがあって。そこへの抵抗がめっちゃあるのかもしれないなと思って。
締め――おすすめの恋リア募集中
最後は、しももとさんにおすすめの恋リアを募集して締めくくります。
恋愛の捉え方みたいなものが出てそうですね、これは。じゃあ今回は一旦ゆる回ということで。しももとさんが恋リアを見なくなったという話か。
そうですね、恋リア見られなくなった問題についてですね、これは。
じゃあ皆さん、しももとさんにおすすめの恋リアがあったら教えてください。
教えてくれ。
無理やり見せましょうということで。
はい。ではでは皆様、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。ではでは。
まとめ
同じ番組を見ていても、見方は3人それぞれでした。ふみやさんは考察と代理体験、しももとさんは自分ができない恋愛への代理体験、あすかさんは人間観察のケーススタディとして楽しんでいました。そこから、番組が過激・サムネ的になっていく違和感や、恋愛のコスパ、男女の恋愛につく「社会的役割」というノイズまで話が広がりました。明確な答えはないけれど、本音や感情が見たかったはずなのに、その本音すら演出される時代への、3人のぼやきでした。
- 恋リアの見方は「考察・代理体験・人間観察」など人によって大きく違う
- 番組の過激化やサムネ文化が、恋愛の人間味を遠ざけているという違和感がある
- 男女の恋愛には結婚や出産という「社会的役割」のノイズがつきまとう
- 見たいのは本音や生々しい感情なのに、それすら演出される時代への戸惑いがある
