世の中を数式で記述したかった学生時代
冒頭で西山さんが、いつもの暗号資産の話ではなく、大塚さん自身がどんな人生を送ってきたのかを聞きたいと切り出します。
大塚さんはまず、働き出す前の学生時代から話し始めます。早稲田大学からそのまま大学院へ進み、大学生活を満喫するタイプではなかったと振り返ります。
非常にこじれていた子供だったので、普通に受験勉強して、世の中って数学とか数字で成り立ってるんじゃないか、全部記述できるんじゃないかっていう謎な考え方を持って。
物理や化学、数学が楽しくてのめり込んでいったと大塚さんは話します。ガリレオなどの本を読むうちに、世の中の事象を数式で記述する人たちがかっこいいと感じたと言います。
神が作りし世の中を、人間のツールである数学というもので記述して理解する。それがめちゃくちゃかっこいいなって思っていた。
その姿勢は大学入学初日から徹底していて、サークルや新歓には一切興味を持たなかったと大塚さんは語ります。
(酒も飲めないけど)入学式の後の次の日から、僕は図書館に行くっていう感じで。
アカデミックの世界に感じた「途方もなさ」
大塚さんは大学4年と大学院2年を、人と触れ合わない世界で過ごしたと言います。ただ、研究を続けて現実が見えてくると、アカデミックの世界の閉鎖性やヒエラルキーが気になり始めたと振り返ります。
助教授になる、教授になる、そして自分の研究が世の中に認められて、ノーベル賞を取るとかになると、なんか途方もない時間だなと思ったりする。
その道は趣味としてはよくても、別の楽しみもあるのではと大塚さんは考え始めます。ちょうど2000年ごろで、サイバーエージェントなどが出てきた時代でした。
大塚さんは、子供のころに憧れたソニーの存在にも触れます。井深大さんや盛田昭夫さんが自らプロダクトを作り、ウォークマンのような革新的な製品を世に出していたことが記憶に残っていたと言います。
彼らのルーツも物理学などにあると感じていた大塚さんは、自分でプロダクトを作って挑戦することへの憧れから、研究の道を一旦やめて就職してみようと決めます。
素のままで臨んだ就職活動とNexwayへの入社
大塚さんが新卒で入ったのは、Nexwayという会社でした。リクルートの通信事業を担っていた新規事業部が独立してできた会社で、大塚さんはその一期生でした。
大塚さんによると、就職活動は世間知らずもあってきちんとしたものではなかったと言います。ピアスをつけ、髪を肩まで伸ばした状態で面接に臨んでいたそうです。
別に取ってもらおうなんて1ミリも考えてなくて、自分に合う会社さえあったらいいじゃんみたいな感じ。素のままで行って、ダメだったら別に行きたくないし。
そんな大塚さんを受け入れてくれたNexwayを、度量の広い会社だったと振り返ります。社会からずれていた自分を採用してくれたことを、素直にいいと感じたと言います。
こうして大塚さんは、それまで一度もしたことのなかった法人営業を、大学院修了後の26歳から始めることになります。ここから9年間、この会社で働きました。
新規事業部で1日100本の電話をかけた日々
Nexwayはリクルート系列で自由度が高く、3ヶ月や半年、1年ごとの目標を達成すると社内で表彰される仕組みがあったと大塚さんは説明します。その枠の中で活躍しようとする感覚を、初めて見た鳥を親と思うヒナ鳥にたとえます。
大塚さんは1年目に新規営業、次に既存顧客の営業を担当し、2年目の途中から新規事業部に加わります。今でいうSaaS、当時ASPと呼ばれた月額課金型のサービスを、先輩2人と3人で立ち上げることになりました。
大塚さんは、そこで顧客に毎日100本ほど電話をかけたと語ります。企画部署のフロアで営業しているのは自分だけで、断られ続けるのがつらくなっていったと振り返ります。
俺だけ電話して断られまくるわけじゃん。会議室で電話とかすると、お前何やってるの?とか言われて。逃げ場がないような感じになってた。
その後、大塚さんは顧客サポートに移り、最後にはHTMLやCSSを書く開発サイドの仕事もしていたと言います。1つの会社で開発から営業、サポート、マーケティングまで一通り経験できたことを、良かった経験だと振り返ります。
「起業の準備は着々と整えていた」
いろいろな仕事を経験する中で、大塚さんは自分で事業のドメインを決めて責任を持ってやりたいという気持ちに気づいていきます。新規事業でも、市場やプロダクトの方向は部長が決め、自分の担当は売り方の部分だったからです。
大塚さんは、組織に属さずに働きたいという気持ちが自分の中にあったのだろうと振り返ります。ただ、いつまでに起業すると期限を決めるタイプではなかったと言います。
その準備の一つが貯金でした。大塚さんはお酒も飲めず飲み会にもほとんど行かず、お金をあまり使わなかったと言います。売上が立たない時期に備えていたのだろうと自己分析します。
運命を変えたFacebook投稿とレジプレスとの出会い
9年働いた後半の2年、2011年から12年ごろにスタートアップシーンが盛り上がり始めます。Facebookなどが普及し、起業家に接触するハードルが下がってきたと大塚さんは語ります。
仕事終わりに勉強会や飲み会に顔を出すようになった大塚さんは、その流れの中で、後のコインチェックの前身であるレジプレスという会社の存在を知ります。きっかけはFacebookに流れてきた一つの投稿でした。
そのプロダクトは「ストーリーズ」という、自分の人生を文章で投稿するサイトでした。手がけていたのは、後のコーラルキャピタル代表のジェームズさん、パルワールドを手がける溝部拓郎さん、そして和田浩一朗さんの3人でした。
大塚さんはまだプロダクトもリリースされていないこの投稿に反応し、連絡を取ります。すると翌日、ジェームズさんから連絡が来て、今でいうカジュアル面談のような形でシェアオフィスに招かれました。
結局これって誰かがいいコンテンツを投稿しないとヒットしない。いくらプロダクトを良くしても。
10歳下のクレバーな3人と気が合った理由
大塚さんが会ったのは、ハスラー気質のジェームズさんと、エンジニアの溝部拓郎さん、和田浩一朗さんでした。ジェームズさんは当時22歳で、JPモルガンを辞め、同期だった溝部さんを誘って起業していたと言います。
和田さんは溝部さんの東工大時代の後輩でした。起業にあたり、溝部さんが「一番頭のいいやつを連れてくる」と言って和田さんを誘ったという経緯を、大塚さんは説明します。この和田さんが、のちにコインチェックの社長になります。
大塚さんは彼らより9歳から10歳年上でしたが、話してみて彼らのクレバーさに強く惹かれたと言います。結論から話し、遠回しな言い方をしないところが印象的だったそうです。
ストレートに言い合えるチームってなかなかないと思うんだよね。
決め手の一つは、共通の趣味でした。大塚さんが好きだったサイモン・シンの『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』の話を出すと、普通は難しそうと敬遠されるところ、拓郎さんと和田さんは面白いと反応したのです。
あれ面白いっすよねって言われて。あ、こいつらわかるわ。
2年間の無給と、それでも楽しかった理由
チームに加わった大塚さんですが、当初は日本人的な気遣いから、プロダクトへのダメ出しを控えていたと言います。すると、なぜ言わないのかと逆に問われました。
大塚さんなんで言わないんですか。これ言わないことの方が無価値ですよ。いいプロダクトを作るためにストレートに言うべきだ。
大塚さんは、プロダクトへの批判を人格否定と受け取らず意見として受け入れる、そのアメリカ的な発想を心地よく感じ、成功に重要だと考えたと語ります。
大塚さんは前の会社で働きながら、夜8時ごろに仕事を終えてシェアオフィスに行き、深夜1時ごろまで作業する日々を送っていました。土日も通い、それを約2年間、無給で続けたと言います。
僕は本当に飲み会とかつまんないと思って。それよりもこっちの人たちと、形になるかならないかわかんないものをひたすら本気でやって。
目先のお金より、この2年でネットワークができ、ストーリーズが一定ヒットしたことに価値があったと大塚さんは振り返ります。並の人なら疲れてしまいそうな状況を、単純に面白かったと語ります。
サーバーがパンクした日に生まれた「ビリギャル」
ストーリーズは自分語りのサービスで、良いコンテンツが投稿されない限りヒットしないという構造的な課題を抱えていました。大塚さんによると、リリース後しばらくはヒットせず、できることは機能改善だけだったと言います。
そんなある日、サーバーがおかしなことになります。一つのコンテンツにアクセスが集中し、爆発的にヒットしていたのです。それが、坪田塾の坪田さんが教え子について書いた長文でした。
ある日サーバーがやばいことになってるつって、これが本当にPMFというか、ブワーってヒットして。
この投稿がTwitterで拡散し、書いた本人の携帯が通知で電池切れになるほど連絡が殺到したと大塚さんは語ります。角川などの出版社から書籍化の話が来て、テレビ局も注目し、最終的に書籍『ビリギャル』へと帰結しました。
大塚さんによると、この投稿からサービスは多くの人に使われるようになりました。ただ当時は、まずユーザーを集めればいいという時代の空気もあり、収益化への道筋は固まっていませんでした。
線形の伸びと、未来から逆算する発想への転換
ビリギャルのヒットでトラフィックは伸びたものの、大塚さんはそれが右肩上がりで続くわけではなかったと振り返ります。二番煎じも出て、伸び方はスタートアップが求める二次関数的なものではなく、線形にとどまっていたと言います。
ストーリーズを1〜2年ほど続けた後、投資家になりたいというジェームズさんが離脱します。大塚さんは、今も全員仲良くやっていると付け加えます。
和田さんと2人になった大塚さんは、次のプロダクトを考える中で、これまでとは違う発想に気づきます。過去の積み上げからではなく、未来から逆算して作るべきだという考えです。
今の過去からの延長じゃなく、未来の逆算で作っていくっていうのがいいんじゃないかな。
その未来のモデルとしてあったのが、アメリカで成長していたCoinbaseでした。アメリカで起きたことが遅れて日本にやってくるという発想から、ブロックチェーンという新しい技術に着目していきます。
「和田がピンと来ないとダメ」1ヶ月で畳んだUnite
新事業を考えるにあたり、大塚さんと和田さんは互いに案を持ち寄りました。前の会社で働いていた大塚さんは、和田さんと会えるのが朝6時と夜だけで、カフェで早朝ミーティングを重ねたと言います。
最初に作ったのは「Unite」という、ビジネス限定のつながりを作るサービスでした。しかし大塚さんの構想が和田さんにピンと来ず、ユーザーは一瞬集まってもアクティビティが上がらず、1ヶ月でやめてしまいます。
これ和田が自分でピンと来てないとダメなんだなと学んだ。
フルコミットしてプロダクトを作るのは和田さんです。だからこそ大塚さんは、次にやるものは和田さん自身がピンと来ているプロダクトにしようと決めます。会社の強みの源泉が和田さんにあるという認識でした。
MVPから始まった暗号資産事業と「無知の強さ」
和田さんが暗号資産をやろうと言ったとき、大塚さんはよくわからなかったものの、和田さんが自走で考えられるものがいいと考えて始めます。2014年にリリースされた最初のサービスは、ビットコインだけが買えるミニマムなMVPでした。
当時ビットコインの価格は3万円前後で横ばいが続き、ユーザーが加速度的に増えることはなかったと大塚さんは言います。それでも常に一定の流入はありました。マウントゴックスの破綻で、買いたい人はいたからです。
大塚さんは、ビットコインを配ったり飲み物に使えるようにしたりと、2年ほど地道な活動を続けたと振り返ります。当時33歳で結婚もしており、ボロアパートの一室での作業でしたが、ユーザーの反応が楽しかったと言います。
別にお金儲かってないけど、日々自分たちが作ってるもので、ちょっとやっぱり反応があるわけ、ユーザーから。
大塚さんは、崇高なビジョンは最初からあったわけではないと率直に語ります。とりあえずサービスを伸ばさなければという段階で、未来のお金を考える余裕は後から出てきたものだと言います。
コインチェックはこの後さまざまな困難に直面しますが、大塚さんはそれが金融をやっていたからで、他社ではあまりない大変さだったと後で知ったと語ります。そこから得た教訓が「無知の強さ」でした。
問題は気合と原理原則で、和田と背中合わせで解く
大塚さんは、問題が起きたときの和田さんとのやり取りを笑いながら紹介します。どうすると聞くと「気合ですね」で終わり、それでもなんとかなったと言います。
その背景には、数学的な発想がありました。第一原理、原理原則に戻って考えれば課題は解けるはずだという発想が、2人の共通の土台だったと大塚さんは語ります。
プロダクトを作る。会社の強みの源泉で、本人がピンと来ることが事業を始める条件になっていた
採用やマーケティングなど、プロダクト以外をすべて担当。プロダクトには口を出さなかった
大塚さんは、ジェームズさんたちと出会ったときから感じていた成功の秘訣にも触れます。当時、ベンチャーっぽいことをしている人は多かったが、彼らは違ったと言います。
ジェームズは朝全員集まって、今日やるタスク何て全員に言わせるの。で、それが終わるまで帰らせないの。俺これがいいなと思って。
「今日も一日頑張るぞ」朝会が組織を変えた
和田さんと2人になり、チームが5人ほどになったころ、和田さんから「最近チーム元気ないんですよね。どうにかしてもらえます?」という雑な振りがSlackで届いたと大塚さんは笑います。
大塚さんが持ち出したのは、前職Nexwayでやっていた朝会でした。全員が立ち、昨日のタスクと今日やることを共有し、最後に「今日も一日頑張るぞ」と声を出すというものです。
全員理系のエンジニアなんだけど、全員立たせて、昨日のタスクと今日やること全員に言って。恥ずかしいんだけど、今日も一日頑張るぞ、おー!ってそれをやってた。
エンジニアたちは嫌がりましたが、大塚さんは自分が率先してやるべきだと考え、5〜6回自分でやってから当番制にしていきます。すると、なぜ昨日売上が立ったのかを一人ひとりが考えるようになりました。
この朝会を通じて、従業員が会社のことを自分事として捉えるようになったと大塚さんは語ります。これを、100人規模になるまで続けたそうです。
その象徴が、あるエンジニアの提案でした。扱う通貨がトップページで見つけにくいという課題から、ファーストビューに全通貨を並べたところ、大きく収益が伸びたのです。
権限委譲で伸びた組織と、背中合わせの創業
大塚さんは、社長や創業者が一つ一つ指示を出すのではなく、それぞれが同じ情報と目標を持って各自で解決策を考えるほうが会社は伸びると気づいたと語ります。
それぞれエンジニアならエンジニア、サポートならサポートの人がそれぞれ考えてやるのが、結局会社伸びるんだなっていうのを気づいて。
権限委譲を進めるほどプロダクトは伸びていったと大塚さんは振り返ります。そしてコインチェックという会社が、プロダクトを担う和田さんと、それ以外を担う自分との「背中合わせ」で成り立っていたと語ります。
西山さんは、一連の話を「いい小説を一冊読んだような感じ」と評し、今のコインチェックを見ると感慨深いと語ります。大塚さんは、この後もまだ紆余曲折があると触れつつ、この日の話を締めくくりました。
まとめ
数学に没頭した学生が、憧れと違和感の間で研究の道を離れ、素のままの就職活動を経て起業の準備を整え、気の合う仲間との無給の2年間を経てコインチェックにたどり着く。大塚雄介さんの半生には、スタートアップのリアルな熱量と、いくつかの明確な考え方が通っていました。
- 大塚さんは期限を決めて起業するのではなく、貯金やスキルなど「準備を整えておく」タイプだった
- スタートアップは気が合い、ストレートに言い合える仲間とやるべきだと大塚さんは語る
- ビリギャルの原作はストーリーズへの一投稿から生まれ、サーバーがパンクするほど拡散した
- 和田さん自身がピンと来ることを事業開始の条件にし、プロダクトは和田さん、それ以外は大塚さんが担った
- 朝会と権限委譲で従業員が会社を自分事化し、「無知の強さ」で困難を乗り越えていった






