なぜ今「死」について話したいのか
番組を始める前から、二人のトピック候補には「死」というハッシュタグがずっと残っていました。
結構ね、二年ぐらい死にはまってまして。死ぬことにはまってるわけじゃなくて、死にたいにはまってるわけでもなくて。死って何?って。
Kazmaさんは、身近な人やペット、知人が亡くなるたびに「死って何だろう」と考えてきたと話します。
そして、死について日常的に考えた方が人生に彩りが出ると気づき、それを理久さんにも伝えたかったそうです。
もうポップにいきたい。特定の宗教の死生観とか、自殺とか安楽死の法律の問題とかには踏み込まずに、誰にでも迫ってくる死を、酒飲んでタバコ吸いながら、何の専門家でもない俺ら二人が話したらどうなるのか。
ただし、いざポップに話そうとするほど難しいテーマでもあります。
それはむずい。ポップに話そうとすればするほどむずいよ。色々調べちゃうんだから。
バイブルは『火の鳥』 不老不死は幸せか
Kazmaさんが死を考える入り口になったのが、手塚治虫の『火の鳥』です。
父の実家の本棚で幼い頃から手塚作品に触れてきたKazmaさんは、『火の鳥』を単なる作品以上のものとして扱っています。
一番好きな作品何?って言われたら『火の鳥』。作品を消費するっていう感じよりも、生きる指標、生きるルールが俺もう全部『火の鳥』しかない。
その影響で、Kazmaさんはここ数年、蚊やゴキブリを殺さなくなったと言います。
蚊を殺せなくなっちゃったんだよね。『火の鳥』の中でいろんな動物に輪廻転生する可能性があるって読んだりして、ちょっと一旦殺すのやめて。行い悪い人間が最後死んだらもうちょいマシなことになるのか実験中。
一方で、不老不死になりたいかと問われると、二人とも「なりたくない」と口をそろえます。
終わりがあるからこそ、今ライブや曲作り、仕事に必死になれる。締め切りがあるから動けるという感覚です。
今俺が必死に毎日ライブしたり、曲作ったり仕事してるのは、残り四十年か五十年の人生しかない中で、今これやっとかないと時間どんどんなくなってるみたいな。
理久さんも、不老不死やタイムマシンは寂しくてつまらないものだと感じています。
またつまんなくなるよ、未来見ちゃったら。どうせこうなるならいいやって。
『火の鳥』自体も、不老不死を幸せではなく、むしろ人類への罰として描いています。
有限で死があることの方が幸せで美しいってことをね、ずっと何十巻。
輪廻転生を信じる? 作品で揺れる死生観
Kazmaさんは、ぼんやりと輪廻転生を信じつつも、疑いを持った時期があったと言います。
きっかけの一つは、人口が増え続けているのに魂が足りるのか、という疑問でした。
さらに、東北の旅で泊まったお寺で読んだ、輪廻転生を否定する仏教の本にも揺さぶられます。
輪廻転生って、みんなに信じ込ましたら、悪い行いしたら来世で悪いものに生まれ変わるって信じ込ませた方が今世の行いが良くなるから。仏教徒の民をコントロールするために教え込めるみたいな。
そんな揺れを解消したのが、SF作家アンディ・ウィアーの短編小説『The Egg』でした。
主人公が死後に神と出会い、自分が過去も未来も、全人類として転生を繰り返してきたと告げられる物語です。
いろんなところいるどころか、全人類君なんだよ。あなたが全人類分の転生を繰り返して、全人類分の経験と知能を魂に積んだ時に、あなたは神様になります。地球というものは神様を育てる卵なんです。
一方の理久さんは、人間だけで魂を数える考え方自体が人間主観だと指摘します。
別に魚とかもいる、虫とかもいるわけ。それも輪廻転生の対象で。俺はもしかしたら次アジに転生するかもしれないし。
理久さんは、バカリズム脚本のドラマ『ブラッシュアップライフ』の死生観に近いと話します。
他にも、輪廻転生を扱った『懲役四百四十九年』や『スピリットサークル』など、Kazmaさんは輪廻転生を題材にした漫画が好きだと語ります。
死をポップに話すという提案
Kazmaさんが伝えたかったのは、輪廻転生を信じろということではありません。
死についてもっとポップに触れてよくね?っていう。普通の会話の中でね。
直近で身近な人を亡くした話は重く、話す側も聞く側も大変です。だからそこには配慮しつつ、もっと軽い温度で死を扱いたいという提案です。
俺ら百パーこの今後死ぬじゃん。どうする?明日からみたいな話を飲み会とかで。
Kazmaさんは、年代ごとに死ぬ確率が常にあるという話にも触れます。
八十で死ねるかもわかんないから、来年死ぬ可能性だって全然あるしな。
そのうえで、死を意識することは毎日ではなく、たまに自分に言い聞かせる程度でいいと考えています。
だらけて一日を無駄にした時などに、Kazmaさんは『火の鳥』をもう一度読んで気を引き締めると言います。
ポップな入り口 絵本『メメンとモリ』とエルモ
より軽やかに死に触れる入り口として、Kazmaさんが挙げたのが、ヨシタケシンスケの絵本『メメンとモリ』です。
姉のメメンと弟のモリが登場する絵本で、大人が読むとタイトルが「メメント・モリ」だと気づく仕掛けになっています。
俺本屋で最初読み始めた時もうボロ泣きして。辛い時読むと刺さりすぎて。六歳児に人は何のために生きてるのを説明するためだから、全部比喩表現で。
二人が特に心を動かされたのが、都会でできる汚い雪だるまの話です。
生まれた瞬間に人に残念がられる雪だるまが、それでもカメラマンになる夢を見る、という視点が描かれています。
いわゆる駄作と言われてしまっている雪だるまを撮りに行くみたいな、世界中に。それが夢ですって言って溶けながら思ってる。
もう一つ二人が挙げたのが、俳優アンドリュー・ガーフィールドがセサミストリートのエルモに人生相談をする短い動画です。
母を亡くしたと打ち明けた彼に、エルモは寂しく思うことを肯定します。
寂しく思うってことはその人を愛したってことだから、寂しく思ってあげてほしい。
祖母の死と、思い出す時間の大切さ
理久さんは、去年96歳で亡くなった祖母の話をします。
共働きの両親に代わり育ててくれた、ばあちゃんっ子だったと言います。
ジローとコーラとピザが好きな九十六歳のばあちゃんだったけど、癌も乗り越えたし、コロナもインフルも乗り越えて、最後ほんと老衰。母さんが会いに行った三十分後ぐらいに息引き取ったみたいな。
亡くなる前、話せず手も麻痺していた祖母が、理久さんが来ると手を握ってくれたそうです。
今でも夢に出てくると墓参りに行くと決めていて、思い出す時間を大切にしています。
思い出したら呼ばれてるって俺は思ってるから。行った方がいい、亡くなった後でも、お墓参りとかは。
関連して、Kazmaさんは幸福度の高いオランダで、死と向き合う教育が日常的にある話を紹介します。
担任の棺桶をクラスみんなで作る授業があるほど、幼い頃から死に触れる機会があるといいます。
理久さんも、小学生の頃に亡くなったクラスメイトの席に、その子が好きだったハリーポッターの本を置き続けた思い出を語ります。
毎日誰かしらが一ページずつめくってんの。席替えする時もカトはちゃんと名前入ってるし、四十人のクラスだけど三十九人みたいな。
ディズニー映画『リメンバー・ミー』のように、死者は現世の人に思い出される間は生き続ける、という考え方にも二人は共感します。
限りある時間と、表現者として残すもの
NHKの深夜番組で、サンシャイン池崎が死について学ぶ特番も、二人が挙げた作品です。
いつもの格好で来た池崎が、哲学者や生物学者、医者から一時間ずつ話を聞き、最後に自分なりの死の答えを出す構成です。
どんどんサンシャイン池崎がこうなってくじゃん。難しすぎて。胸張ってるのにどんどん寝た姿勢になってく。
話は、限りある時間の中で表現者として何を残すか、という問いに移っていきます。
俺あと人生で何回ライブできるんだろうって最近思ってるもん。
これまでの何百本より、これから先の一本一本の方が重い。逆から数えると一回の重みが変わるという話です。
一本一本もう惰性になったりしそうになるけど、逆から考えてあと何本って考えると急にクソ大事になったりとか。
理久さんは、音楽をやめる瞬間や体が動かなくなる可能性を考えると、この先どうするかを真剣に考えるようになったと話します。
バンドマンは作品や映像がネットに残る職業でもあります。だからこそ、失敗作も含めて歴史として残したいという思いも語られました。
これがあったから今それやりたくなってんだよみたいな見方もしてほしい。「これはクオリティ満たしてないな」みたいなものも残したい派ではある。
自分の葬式の話にもなり、二人の性格の違いがにじみます。理久さんはちゃんと悲しんでほしいと言い、Kazmaさんは友達がちゃんと悲しんでくれるか不安があると打ち明けます。
死んだ時に泣いてくれる友達と、相手が死ぬ時に泣くほど悲しいぐらいの友達を増やしたいな、もっと。
最後に理久さんは、祖母が亡くなった時、自分が作った「四十九日」という曲に支えられたと話します。
この日語ったことも、あくまで現状の答えです。死の実感が強くなれば考えは変わっていい、と二人は締めくくります。
いろいろ考え変わっていい。現状俺はこの作品たちに救われながら、こういうことを考えてますっていう回だった。
まとめ
死をタブーにせず、作品を入り口にポップに語り合うことで、限りある時間をどう生きるかが見えてくる回でした。答えは一つに定まらず、今の時点の死生観として二人は語り合っています。
- 『火の鳥』や『The Egg』を通して、Kazmaさんは輪廻転生と、有限だからこその生の価値を語ります。
- 死をポップに話すことは、優しさや一回一回を大切にする感覚につながると二人は考えています。
- 『メメンとモリ』やエルモの言葉は、死や喪失を軽やかに、それでいて深く考えさせてくれます。
- 理久さんは祖母の死を通し、思い出す時間や墓参りの大切さを実感したと話します。
- 死の答えは変わっていいものとして、二人は現時点の死生観を率直に残しました。
