初回対談のきっかけと2人の立ち位置
安田洋介はシリコンバレーで2社目のAIスタートアップを営む連続起業家です。1社目は日本で初めてのAIスタートアップとして立ち上げ、DMMへ売却した経歴があります。
いまは自己変革や自己実現を支える「相棒」となるAIを作ろうと、アーリーステージの会社に取り組んでいます。
自己実現を支えてくれる相棒となってくれるようなAIを作ろうというところで、今アーリーなスタートアップをやっています。
一方の元木啓貴は、人がどうすれば組織の中で幸せになれるのか、特に価値観がどう形成されるのかに関心を持ち、組織変革やAI活用支援の会社に携わっています。
この回は、前日に安田が登壇したカンファレンス「AIの時代、我々はどう生きるか」が発端です。NVIDIAの関係者や、哲学をスタートアップ化するような濃いメンバーと登壇し、オーディエンスの反応も大きかったといいます。
3人が合意した「熱中できることを見つけよう」
安田によれば、パネルの3人はそれぞれの言葉で「熱中できることを見つけよう」という点に合意していました。
NVIDIAの登壇者は、ハードウェアの配線を組むような地道な作業にこそ人間の価値が残ると話したそうです。理論やシミュレーションで止まらず、現実に形にするパッションを持つ人が、むしろ重宝されているといいます。
本当にそこで現実化するんだという熱意、パッションを持ってる人の価値を発揮できるところが、むしろ盛り上がっている。
哲学を扱う登壇者は、いま石集めにハマっていて、その石にソクラテスを宿らせようとしていると語ったそうです。たまごっちのように、手触りのある存在を通じて「自分は何をしたいのか」を立ち上げる試みだといいます。
合理的なものはAIによって平準化・効率化されていきます。だからこそ、変でも自分がやる必要があると思えるパッションを見つけられるか、社会がそれを後押しできるかが重要なテーマだと3人は合意しました。
シリコンバレーは本当に合理一辺倒なのか
元木は、合理性を極めているはずのNVIDIAですら細部への熱意を大事にする点に意外性を感じたと話します。
安田は、シリコンバレーは確かに合理的だと認めつつ、生産性が極端に高いからこそ「自分はどこで価値を出せるのか」を強く気にするカルチャーだと説明します。
安田は、その背景にアメリカのプロテスタント文化があり、シリコンバレーはそれが純粋培養された世界だと感じると語ります。レイオフのリスクも同時に存在するため、自分の価値がAI時代にも生き続けるのかがシビアに問われます。
そのうえで安田は、AIが出てこられない領域に人間の価値が残ると考えます。たとえば「気が利く」という感覚は形式化しにくく、AIはまだそこが苦手だといいます。
AIめっちゃ使って開発するんですけど、マジで気が利かねえなみたいなアウトプットを出してくるんですよね。
熱中だけでは片手落ち、他者の感謝という視点
元木は、シリコンバレーの人が使う「熱中」と日本人の「熱中」では定義が違うのではないかと問いかけます。宗教的な使命感が半分以上含まれているのではないか、という見立てです。
安田は、シリコンバレーに集まるのは「価値あるものを作りたくて仕方がない」数寄者であり、その熱中が生産性の高さと結びつきやすいと答えます。
そのうえで安田は、熱中だけでは片手落ちだと考えを述べます。誰かの感謝につながるかを突き詰めないと、ただの消費としての熱中で終わってしまうといいます。
元木はここで別の観点を差し込みます。海外のカンファレンスでは、生きがいとは他者の評価とは関係なく「プロセスそのものを楽しむこと」だと語られたといい、他者視点はどこまで必要なのかと問います。
安田は、職人が誰にも褒められず何年も打ち込み続けるのは想像しにくいと答えます。他者への貢献という要素にも一定のウェイトがあり、自分の熱中だけで続けるのは持続的ではないという考えです。
自分が面白い、やりたいと思えること。ただしそれだけでは消費で終わりやすく、持続しにくい面がある。
誰かがありがたがってくれること。生きがいにつながる一方、市場でお金に変えるのは難しくなっている。
2人は、このバランスは人生の段階で変わっていくと確認します。若い頃はまず仕事に取り組む比重が高く、年齢を重ねると身近な人への貢献へと感謝の受け方も変わっていくかもしれない、という整理です。
日本人の適応力はどこから来たのか
カンファレンス後の交流会で、安田は日本人の「適応型問題解決能力」が世界一だという話を聞いたといいます。2位以下はフィンランドやドイツで、ヨーロッパの中で日本だけがトップに並んでいたそうです。
安田がAIとも議論して腹落ちしたのは、農耕社会の影響です。天候がランダムに変わる中、一人ひとりが自分の田んぼの範囲で調整を迫られる社会だったのではないかといいます。
さらに、強い統率者がいると命令に従えばよいため柔軟な判断が減り、このスコアが下がる相関があるそうです。日本は細かい中間管理層が支配的ではなかったため、各人が自律的に判断する文化が育ったのではないかと安田は推測します。
ただし、これはコインの裏表だと安田は指摘します。一つひとつの行動に報酬を紐づけにくいため、発明した個人が正当に報われない弱点にもつながっていると考えられます。
安田はその象徴として黒澤明の映画「七人の侍」を挙げます。野武士との戦いに勝っても、武士は何人も死に、最後に「これも負け戦だった」と語る場面です。
後ろを見てみろ、あの農民たちが勝者だ、と言っていて。農民は何もなかったかのように畑を耕し始め、たくましく生きていく。
人口の多かった農民のカルチャーが、いまの日本人の一致団結型の気質につながっているのではないか、という見立てです。
熱中はどう見つけるのか、鍵は「他力」
熱中はどうすれば見つかるのか。安田は、明快なハウツーはないとしつつ、いろいろやってみることをヒントに挙げます。
影響を受けた例として映画「イエスマン」を紹介します。すべてにイエスと言う極端な設定から始まりますが、本当の主旨は「少しでもいいかもと思ったらやってみる」ことにあるといいます。
9割は面倒くさいなと思っても、この1割から「本当に好きかも」ともう少し思えた時の人生における価値はものすごく高い。
元木は、コーチングでもまず趣味の中で熱中を体験してもらい、そのサイクルを仕事へ還元していく手法があると応じます。悩みすぎず歩み始めることが大事だという共通認識です。
一方で元木は、SNSやレコメンドで受動的なコンテンツ消費が増える中、能動性を人生に取り入れる難易度がこの先上がると懸念します。
その転換の起点は何か。安田は「友達を巻き込むこと」を挙げます。やってみたいと思ったときに「いいね」と言ってくれる人が一人いるだけで、動き出しやすくなるといいます。
元木はこれを仏教の「他力」に重ねます。自力でやることをやったうえで他者の力をテコにする、という本来の意味に近いと解釈します。
安田は、自分が他者にとってそういう存在であることも大事だと付け加えます。行動を否定するのではなく、同じ意味でも肯定形で伝えるほうが心理的な効果が違うといいます。
AI時代だからこそ効く「古代の知恵」
元木は、ここまでの話はAI以前から重要だったのではないかと問い、AI時代ならではの差分を尋ねます。
安田は、賢くロジカルに解くという人間の価値がAIに侵食されていくと考えます。論理で決まらない領域、たとえば「あなたにとって何がいいか」にしか人間の聖域は残らないかもしれないといいます。
だからこそ、近代以降の「人間がより高みへ」という方向より、古代からの英知やウィズダムのほうが重要になると安田は述べます。温故知新のレベルをもっと上げるべきだ、という主張です。
具体例として、生きがいを持って科学や職人技を育てた古代アテネの生活や、満ち足りた王族の身でありながら救いを求めた釈迦の問いを挙げます。仏教のような教えは、まだ人類に効果を発揮しきれていないと安田は見ています。
そこにAIの可能性があると安田は言います。難解な古代の知恵をAIが翻訳し、自分の人生にどう活かすかを解決できるようになった今こそ、古代の知恵とAIを結びつける意味があるという考えです。
元木は、本当に人生に重要な情報はフィジカルな現実、人と会うことでしか得られないのではないかと応じます。AIには気持ちいい回答を求めがちだからこそ、違和感や出会いの機会が能動性の芽になると話します。
安田はこれを二項対立にしないことが大事だと補足します。人と会って得た気づきは揮発しやすいため、それを言語化しAIに覚えてもらい、適切なときに引き出すハイブリッドに妙味があるといいます。
遭遇
人と会い、違和感や「これいいかも」という感覚を得る
言語化
揮発しやすい感覚を言葉にし、AIに覚えてもらう
次の行動
適切なときに引き出し、次のアクションにつなげる
安田は、飯を食う、酒を飲むといった社会的な絆も人間の動物的な感覚に根ざしていると語ります。人と会う刺激を大前提としつつ、そこから得た気づきをサイクルとして回すところにAIが支援できる余地があると考えています。
まとめ
AI時代の生き方という問いは、突き詰めれば「人間はどう生きるか」という古くからの問いに重なります。2人は結論を用意するのではなく、対話そのものから熱中・他者への貢献・古代の知恵という手がかりを引き出していきました。
- AIが合理を平準化するほど、論理で決まらない「気が利く」「何がいいか」に人間の価値が残る
- 熱中は大事だが、誰かの感謝につながらなければ消費で終わりやすい。両者のバランスが鍵になる
- 熱中を見つける起点は「少しでもいいかもと思ったらやってみる」ことと、いいねと言ってくれる友達の存在
- 日本人の適応力は、統率者に頼らず各人が調整してきた農耕文化に由来するという見立てが語られた
- 近代的な「より高みへ」より、古代の英知とAIを結びつける温故知新に可能性がある
