正確さか、伝わりやすさか
何かを人に説明するとき、言葉は無数にあります。職種が違えば知っている用語も違いますし、情報の非対称性も生まれます。JIntaroさんが分かりやすい例として挙げたのが、仕事で飛び交う横文字(カタカナ英語)です。
もともと医師だったJIntaroさんは、ビジネスマンと話すと知らない言葉が多すぎて理解できないことが多かったといいます。最近はビジネス方面にも進出したため大意はつかめるようになりましたが、それでも頭の良さそうな人と話すと、一つ一つの言葉の意味が分からないことがあると振り返ります。
ここで生まれるのが、「自分にとって最も正確な言葉」と「相手に伝わる言葉」のどちらを選ぶかというジレンマです。相手に理解されないと分かっている専門用語を、それでも使うべきかどうか。これがこの回の出発点です。
医者と患者の会話にみるヒント
より分かりやすい例として、JIntaroさんは医者と患者の関係を挙げます。基本的に医師は患者に難しい専門用語をあまり使いません。難しい言葉を使っても伝わらなければ意味がないからです。これは悪いことではなく、そもそも役割が違うからだと説明します。
たとえば心房細動心臓の上の部屋(心房)が細かく不規則に震える不整脈の一種。動悸や息切れの原因になり、脳梗塞のリスクを高めることもある。という言葉。近年は一般にも知られてきたものの、心電図の結果を見て「あなたは心房細動ですね」と言っても、多くの人はピンとこないだろうとJIntaroさんは言います。だからこそ「不整脈が出ていますね」といった表現のほうが患者には伝わりやすいのです。
「ネフローゼ症候群です」と言っても、まず「どこの臓器の病気ですか」となる。だから「腎臓からタンパク質が漏れちゃってます」と言い換える。医師にとっては「微小変化型ネフローゼ症候群」と細かく言うほうが正確でも、相手に伝わる言葉のほうがコミュニケーションは円滑になる、というわけです。
心房細動/ネフローゼ症候群
話し手にとって最も精密だが、相手に伝わらないことがある
不整脈が出ています/腎臓からタンパク質が漏れています
ニュアンスは粗くなるが会話が成立する
なぜ知ったかぶりは生まれるのか
理想は、正確な言葉を使い、受け手が分からなければ「それってどういう意味ですか」と聞ける関係です。そうすればお互いWIN-WINになります。しかし現実には、受け手が理解できなかったとき、質問できないという「悲しいイベント」が起きるとJIntaroさんは言います。
その原因の多くはプライドだと分析します。たとえば新しいSNSの話を振られたとき、「知らないんだよね」と言えればいいのに、自分が無知であることを隠したくて「ああ、あれね」と知ったかぶりをしてしまう人は少なくない、むしろ多いのではないか、と。
一種の自分の尊厳を守るために、やらざるを得ない人もいるんだろうなと思うんですよね。
話し手側からすると、相手が理解できていないことは伝わってしまう。特に相手が目上の人だと、いたたまれなくなる。だからJIntaroさんは、上から目線に聞こえるかもしれないと前置きしつつ、相手が分かる言葉で話すほうがいいと考えています。
さらにこの現象は、受け手だけの問題ではないと指摘します。話す側にも「知っていることを全部伝えたい」という一種の知ったかぶりがある、というのです。
100知っていることを100(あるいは120)伝えたくなる
正確さを求めすぎて専門用語を多用する
本当は80伝えれば会話は進むはず
受け手が理解でき、相互理解が前に進む
知ったかぶりの根っこには「何でも知っているほうが偉い」という前提がある、とJIntaroさんは考えます。逆に「知らないと言っても馬鹿にされない」文化がある会社では、知ったかぶりは少ない。「そんなことも知らないのか」という言葉が飛び交う環境こそが、知ったかぶりを生むのです。
「知っている」という思考の危うさ
ここから話はやや哲学的になります。JIntaroさんは「Aという事象を知っている」という状態そのものが危険だと言います。理由はこうです。「知っている」とは「知らないということではない」と同義であり、この「〜ではない」という否定こそが攻撃的で危ういのだ、と。
JIntaroさんの前提には「想像しうることはすべて生じうる」という考えがあります。「〜ではない」という否定は、まず「〜」という可能性を想定したうえで、それを無理やり0%に否定する行為です。本来なら0.1%の確率で起こりうることを、強引にゼロにしてしまう。それが危険だというのです。
「知らないということはありえない」
0.1%の可能性を無理やり0%にする
「知っているかもしれない」
常に保険をかけ、いつでも「知らない」側へ戻れる
もし「知らない」の可能性を0.1%残したまま強引にゼロと扱っていると、その0.1%が実際に起きたときに事態が悪化しやすい、とJIntaroさんは言います。だからこそ最も健全な思考は「常に疑い続けること」だと結論づけます。断定せず、「〜ではない」ではなく「〜かもしれない」と考える。
知ってるかもしれないなと思いながら過ごしていると、知らないことが出てきたとき、すぐに「知らない」側へ来れるんです。
「ビジネスに詳しい」を「詳しくないということはない」と断定してしまうと、いざ知らないことが出てきても聞けなくなる。一方「知っているかもしれない」と保険をかけておけば、無知に気づいたときすぐに軌道修正できる。この「疑い」の姿勢こそがリスクを抑える、というのがJIntaroさんの主張です。
人間とAI、どちらが知ったかぶりしにくいか
この「疑い」の思考を、JIntaroさんはAIにも当てはめます。もし将来AIが「私は何でも知っています、このコーディングについては神です」と言い出したら非常に危ない。問題やミスが起きたとき、壊滅的な事態になりかねないからです。
ただしAIには対策が効きます。「『〜ではないということはない』という考え方をやめ、常に『〜かもしれない』と考えなさい」という注意書きをコードに書けばよいのです。ここがAIの有能な点だとJIntaroさんは言います。
一方で人間は難しい、とJIntaroさんは二つの理由を挙げます。ひとつは思考そのものを変える壁の高さ。もうひとつは、変えようと本気で思っても「忘れてしまう」問題です。AIは注意書きをマークダウンファイルに書いておけば毎回読みに行き、いわば注意書きの紙を常に手元に置いたまま作業してくれます。しかし人間はそうはいきません。
思考を変えるのが難しく、注意書きを忘れてしまう。知ったかぶりに陥りやすい。
注意書きのコードを毎回参照できる。人間よりは知ったかぶりになりにくい。
結論としてJIntaroさんは、「人間は知ったかぶりになってしまうが、AIは人間よりは知ったかぶりにならないのかもしれない」と、この日の気づきをまとめました。
まとめ
最後にJIntaroさんは冒頭のテーマに立ち返ります。相手がわかる言葉で話すか、自分が伝えたい言葉で話すか。自身の答えは「相手がわかる言葉で話すのがいい」です。目的は自分の言葉を伝えることではなく、相手との会話を成立させ、コミュニケーションを図ることだからです。
ただし例外もあると付け加えます。完全に「自分が伝えたいことを伝えればそれでいい」場面、たとえば猛烈に怒っているときや会社を辞める覚悟を決めたときなどは、相手の理解を気にする必要はないかもしれない、と。とはいえ普通の場面では、常に相手が分かる言葉で話すほうが親切だ、というのがJIntaroさんの立場です。もっとも「実際にはうまくいかないですけどね」と、正直な一言でこの回を締めくくりました。
- コミュニケーションの目的は「正確に伝えること」より「会話を成立させること」。相手が分かる言葉を選ぶほうが親切だとJIntaroさんは考える。
- 知ったかぶりは受け手のプライドと、話し手の「全部伝えたい欲」の両方から生まれ、その根には「知っている=偉い」という前提がある。
- 「知っている」は「知らないということではない」という否定であり、可能性を無理やりゼロにする危うさがある。健全なのは断定ではなく「〜かもしれない」という疑いの思考。
- 人間は思考を変えづらく忘れやすいが、AIは注意書きを常に参照できるため、人間よりは知ったかぶりになりにくいかもしれない。
